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優駿との出会い

 ここは千葉県船橋市にある中山競馬場。この競馬場の由来は1906年に松戸競馬倶楽部という団体が松戸競馬場を開設したことから始まる。大正時代から終戦までは陸軍工兵学校の施設、太平洋戦争の最中は競走開催が中止され、陸軍軍医学校(血清ワクチンの製造工場)・航空隊の軍需品集積場・軍管轄の自耕農業など幅広く活用されていた。終戦の2年後、米軍から返還されてようやく中山競馬場として競走が開催されるようになり、最終的に1954年日本中央競馬会(JRA)が創設されて日本中央競馬会所属の中山競馬場として開催されるようになり現在に至る。


 この日は冬の総決算である『有馬記念』が行われるため競馬場内は10万人以上の客が来ていて大混雑だった。競走は滞りなく進み、ちょうど昼休みの時間帯になった頃であった。パドックの周辺にはすでにたくさんのファンが詰めかけていた。現在、岡路幸成騎手の引退セレモニーの最中だった。


 岡路自身の挨拶はすでに終わっていて今は厳正な形での花束授与が行われていた。関東騎手代表の柴畑善明騎手・関西騎手代表の松山幹久騎手・同期代表の仁藤正典調教師&柴畑政仁調教師・高梨英雄元調教師の順番で一言ずつコメントを述べて花束を贈呈する方式である。各コメントは以下の通り。


柴畑善明騎手

「どうも長い間お疲れ様でした。これからも僕達の活躍を見守っててください。よろしくお願いします」


松山幹久騎手

「岡路さん、長い間本当にご苦労様でした。岡路さんが残してくれたことを私達後輩がやっていけるようにしたいと思います」


仁藤正典調教師

「えー、今こんな体してますけどわたしも昔は乗り手でした。この花束は馬事公苑の時からの残りのメンバーの分の気持ちです。ご苦労様でした」


柴畑政仁調教師

「長い間ご苦労様でした。騎手のみんなを引っ張って行ってここまでやってきて、本当にお疲れ様でした。ゆっくり休んで英気を養って第二の競馬人生を頑張ってください」


高梨英雄元調教師

「長い間ご苦労様でした。君が初めて重賞を制覇したときからの長い付き合いでいろいろな思い出がありますが、こうやって元気な姿で引退する姿を見て感激です。これからも元気で競馬のためにアドバイスしてくれることを期待してます」


 次に現役の後輩騎手みんなで造った神輿が近場道から運ばれてきた。ちょうど真ん中の位置に岡路が座れるような造りになっていた。このアイディアには引退セレモニーの司会者担当者も驚いていた。岡路は神輿に騎乗した後、後輩達に支えられて神輿は動き出した。そしてパドックを周回し始めた。岡路は慣れない神輿の上で詰め掛けてくれたたくさんのファンに手を振って笑顔で答えていた。ちなみに岡西はこの時、紙吹雪を投げる演出をして神輿を彩った。他の騎手3人がちょうど大きなうちわを扇いでいて、そこにめがけて紙吹雪を投げるという形である。神輿を担いでる人もかなりの重労働だが、あちこち動き回らないといけない岡西もけっこう重労働であった。神輿イベントはパドックを二周して無事に終了した。


 次は現役の騎手の何人かが岡路に一言言うコーナーに入った。


「え〜、ジョッキーの方々も一言お話されたい方もいらっしゃると思いますが、こちらに集まっていただけると大変嬉しいのですが〜?」


女性司会者のセリフの後、「タケショー! タケショー! 」とパドックのほうから野次が飛んできた。


「では、武井匠騎手こちらに来てください」


観客の野次に押されてか、男性司会者は武井匠を指名。それに促されて武井匠が左肩を回しながらやってきた。さきほど神輿を担いでいたため少し違和感を感じていたからである。


「あの〜、レースの開催中で騎手災害保障適用されますのでお願いしま〜す」


岡路は独自のジョークで観客を笑わせた。


「では武井さん、岡路さんに一言お願いします」


そう言って男性司会者は武井匠にマイクを向けた。


「え〜、長い間お疲れ様です。まあ〜、その〜、数々の記録を破ってスイマセンでした。これからも最多勝更新を目指して頑張りますので」


トップジョッキーらしい一言に会場はどっと沸いた。


「どんどん抜いちゃってください。早く記録更新するようにがんばってくださいね。お願いします」


それに対して岡路もうまい具合に切り返す。新旧のトップジョッキー同士のやりくりにパドックの観客はさらに沸いた。岡西はその光景を見ていつかはあの二人を超えて見せると心の底から思っていた。


「え〜、他のジョッキーの方。蛇奈騎手・横井騎手・中田勝秋騎手、どうぞこちらへ〜!」

 

武井匠が退いた後、再び女性司会者が何人かの騎手を指名してきた。呼ばれた騎手は岡路の前に集まった。その時、パドックの客席から「岡西、出てこ〜い! 」の野次がいろんなところから飛んできた。今日のレースは4レースまで終わって、いずれも岡西が勝ち鞍を挙げてるため、岡西の馬を買ってなくて外れてしまった客の冷やかしや腹いせ混じりの野次であった。岡西は他の先輩騎手に背中を押されて、頭を掻きながら照れくさそうに小走りに岡路のいるところに向かっていった。


「あっ、岡西騎手。観客の熱烈なご指名を受けての登場です。どうぞこちらに」


男性司会者のセリフに再びパドックは沸いた。


「では岡路さんと同じ関東所属の代表的な騎手4人に一言ずつお願いしたいと思います。まずは蛇奈騎手から」


女性司会者の進行でまずは一番左にいた蛇奈にマイクが向けられた。


「え〜、ほんとに長い間お疲れ様でした。非常に寂しい思いでありますけど、英気を養ってこれからも違う視点から競馬を支えて応援していただけたらいいなぁと思います。長い間ご苦労様でした」


蛇奈のスピーチ後、割れんばかりの拍手が起こった。


「え〜、次は横井騎手ですがその前に、このお神輿のイベントは横井さんが考案したみたいですね」

「はい、そうです」

「よくできたお神輿ですねえ。お神輿も凄かったんですけどそれを彩る紙吹雪がきれいにミックスしてましたね〜」

「え〜、その紙吹雪のことなんですけど、今日の1〜4レースの間で一番勝ち鞍を挙げた奴にやらせようということにしてたんですけど、よりによってこういう時に4タテする奴がいましたからねえ〜。今、両耳を指で押さえた奴に強制的に役を突きつけました」


横井のユニークなコメントに会場は爆笑に包まれた。両耳を押さえたのはもちろん岡西のことである。


「そうでしたか。では岡路さんに一言お願いします」


女性司会者は横井にマイクを向けた。


「どうもお疲れ様でした。56歳ですか? え〜っと匠はいっぱい勝ち鞍を挙げて更新するので、僕は56歳を抜くように頑張りたいと思います」


横井のスピーチ後も拍手が舞った。


「え〜、次は中田勝秋騎手です。一言お願いします」


男性司会者のマイクが中田勝に向けられた。


「え〜、岡路さん。今まで僕をいじめてくれてありがとうございました。このご恩は一生忘れません」


蛇奈・横井とは違う内容に司会者も客席も大笑いだった。


「さあ、最後は岡西騎手です。なにか、けっこう汗かいてるみたいなんですけど大丈夫でしょうか?」


男性司会者は少し心配そうに岡西にマイクを向けた。


「そうですね、さっき紙吹雪巻いててかなり動き回りましたので。神輿担ぐより楽かな思ってたんですけど案外キツかったです。他の人とぶつからないように気をつけていましたので」

「そうでしたか。衝突して怪我でもされたら大変なことになりますからねえ。では、岡路さんに一言お願いします」

「えっと、長い間お疲れ様でした。岡路さんは僕の実の父とちょうど同じ歳で、まさに『競馬会の父』という存在の人でした。騎手を引退されて第二の人生を歩むことになりますが、これからも至らぬ点がありましたら僕らにいろいろとご指導承るようにお願いします。ほんとにありがとうございました」


岡西のスピーチが終わり観客からは割れんばかりの拍手が鳴り響いた。


「競馬会の父、いい響きですね。ジョッキーの皆さん、ほんとにありがとうございました」


男性司会者の進行で岡西達は笑顔で岡路の前を去っていった。その後、岡路の最後の挨拶でしめて岡路の引退セレモニーは無事に終わった。そして現役の騎手達は気持ちを切り替えてそれぞれのレースに挑んでいった。



 中山競馬場から場所は変わってこちらは栗東トレセン内の押切厩舎の和室。昨日から押切は一睡もしないまま部屋に篭りっぱなしだった。目の周りはクマが出ていて精神状態はボロボロで、もはや認識力が大幅に低下してる状態だった。普通ならテレビをつけて気晴らしに有馬記念を観戦したりするものだが、今の押切に精神的な余裕はひとかけらもなかった。


「馬房が減らされる、減らされへん、減らされる、減らされへん……」


押切は梱包に使われるビニールの空気の部分を一つずつ潰しながら同じ事をぼやいていた。


「アカン、アカンわ…。どないしよ…。ワシには神も仏もおれへんのか……」


今度は梱包のビニールを投げて今度は悲観し始めた。テーブルに顔を押し当てているうちに次第に意識が遠くなっていった…。しばらくして…。


「先生……。先生!」

「ん〜?」


押切は誰かに呼びかけられて意識が薄い中その声の主を確認した。呼びかけていたのは小倉橋だった。


「こ、小倉橋さんか……」

「先生! 朗報ですよ!」

「ろ、朗報……」


押切は小倉橋の呼びかけも寝不足が祟ってまともに立ち上げれない状態だった。


「栗東の名門3厩舎が調教師の定年により解散になったため、ウチは馬房減らされるの免れました。来シーズンの巻き返しにメドが立ちましたよ」

「免れた…。ホ、ホンマでっか!!!」


押切は反応遅く馬房減らされずに済むことを知って一気に目を覚ました。


「ええ、本当です。名門厩舎は基本30馬房でそれ以上増えることはありません。その厩舎が3つ解散するので馬房は90空きます。10または20馬房所有の厩舎のうち、上位5厩舎が10ずつ分け与えられたとして残りの40は新規開業者に10ずつ貸し出されるので4人調教師試験に合格しても大丈夫という計算になります。調教師試験は知っての通り合格者は頻繁に出ないのでたぶん減らされる心配はないと思います」

「ホンマよかったわぁ〜! これで安心して年越せる……」


押切は小倉橋の解説を聞いて精神面の緊張の糸が切れてそのまま仰向けで眠りに入った。その寝顔は安堵の表情だった。しばらくしていびきをかきはじめた。


(あ〜あ、寝てしまった。先生なりにいろいろと苦労はしてたんだろうなあ。このままでは風邪引くのできちんとしておかないと)


そう思って小倉橋は押切に毛布を着せて、こっそりと和室を後にした。押切はこのまま朝まで眠り続けたという……。


 一方、岡西はレースを終わらせて、岡路の車の助手席に乗って中山競馬場から東のほうに向かっていた。岡西は今年の戦いぶりを振り返りながら考え事をしていた。


「どうした? ずいぶん深刻そうな顔をして。疲れているのか?」


運転しながら岡路が神妙な面持ちの岡西に話しかけてきた。


「いえ、そういうわけではありません。ただ、今年も匠さんの壁を越えられなかったと思ってまして……」


2004年シーズンの岡西の成績は155勝だったが、武井匠は岡西よりはるかに上回る211勝の勝ち鞍を挙げている。岡西は今年も関東リーディングは1位だが、全国ではリーディング2位という結果になった。岡西は毎年武井匠という巨大な壁に跳ね返され続けて全国リーディングだけがどうしても取れないでいた。


「なるほど、確かに武井君の壁は厚いからなあ。だが、諦めずに何度も挑戦し続ける気持ちを継続させることも重要なことだ。簡単に倒せるほど彼は甘くはない。お前はまだまだ若いんだからチャンスはいくらでもある。焦ってもいいことはないぞ」

「そうですね…」


岡西は2週間ほど前に行われた本岡厩舎の祝勝会で、大西に言われた内容をふと思い出して言葉の内容こそ違うものの、岡路も似たようなことを言ってることに気づいた。空気が重くなってると思い岡西は別の話題をふった。


「岡路さん、今日の引退セレモニーすごかったですね。あれだけの数のファンが足を運んでくれて」

「そうだな、ほんとにいい引退式だったよ。有馬記念の日だったこともあるけどな。横井が考えたあの神輿には驚いたよ。わたしが乗り慣れていないせいもあるが、正直落とされるかと思った。まあ眺めはよくてたくさんのファンの姿が見渡せたのはよかったのだがな」

「確かに馬に乗るのとは全然違いますからねえ」


別の話題をふったことで場の雰囲気が和やかになった。


「そういや前々から思ってたことなんだが、わたしとお前はなんか似たもの同士と思うのだがどうだろうか?」

「似たもの同士? どういうことでしょうか?」


岡路の突拍子もない質問に岡西は驚いていた。


「う〜ん、そうだなぁ。確かお前は親族に競馬関係者はいなかったはずだが」

「はい、そうです。競馬会にはムチ一本で入ってきたものですので、縁故という言葉は僕には全くの無縁です」

「ははは、実はわたしもお前と同じだ。ちなみにわたしの嫁さんも競馬関係者とは全くの無縁だ」

「そうだったんですか。まあ僕はまだ独身ですけど……」


岡西は照れくさそうに言った。


「あとこれはだいぶ前に何人かのテキ(調教師)に聞いたことだが、お前が乗った後の競走馬は反動がほとんどないと評判なんだが、どういう騎乗を心がけてるんだ?」

「そうですね、簡単に言うなら馬に無理をさせないことです。勝ち負けを意識するのはその競走馬が完璧に仕上がってからですので。未完成のまま無理をさせて馬を故障させても何もいいことはありませんし」

「ははは、またもやわたしと同じ考えだな。陣営や馬主によってはダービー出走にこだわって発育が不十分な馬に無理なトレーニングを課して、その結果能力を削がれるという悪循環を生むケースも過去に実際にあったからなあ」

「こうやって話をしてると、ほんとに似たもの同士だというのがわかったような気がしますね」

「そうだな」


二人はしばらく笑った。岡路の車は茨城方面に向けて走っていた。岡西は見たことある景色を見てふと気がついた。


「岡路さん、ひょっとして美浦トレセン方面に向かってません? 実はこの道、僕が車で美浦トレセンに追切に行くときに使う道なんですよ」

「ほう、そうだったか。実はその通りだ。今トレセンに向かっている」

「もう夕刻なのにこんな時間帯にトレセンに行ってどうするんですか?」

「まあ着けばわかる」


岡西は岡路の表情を見ても一体何を企んでいるのか全く見当がつかなかった。そして18:00頃、目的地の美浦トレーニングセンターに到着、駐車場で二人は車を降りた。


「わたしの後について来るんだ」


岡路に促されて岡西は岡路の歩く後をついていった。すでに空は暗く美浦トレセンは静けさに包まれていた。通い慣れたトレセン内を岡路の歩く後をついていきながら、岡西は一体どこに連れて行くつもりなんだろうと思っていた。


「着いた。ここだ」


車を降りて15分ほど歩いた厩舎の前に着いた。岡西はその厩舎の名前を見て目を疑った。そこは関東の名門厩舎である藤枝和彦厩舎だったからである。これにはさすがの岡西も緊張が走った。藤枝厩舎の入口で一人の厩務員が仕事をしていた。


「やあ、草野君。今日は当番かな?」

「あっ、岡路さんこんばんわ。こんな時間に厩舎に来るとは珍しいですね」

「ああ、ちょっと先生に用があってね。先生はどこにいるかな?」

「先生は今馬房のほうで管理馬のチェックをしています」

「わかった、ありがとう」


岡路は草野厩務員から藤枝調教師の居場所を確認した後、厩舎の奥に入っていった。岡西も草野に軽く一礼した後、岡路の後をついていった。岡西は藤枝厩舎の管理馬達を間近に見て雰囲気や各の違いというのを肌で感じていた。しばらく歩いてると一人の白髪交じりの痩せ型の中年男性が馬体をチェックしてる姿が見えた。


「先生、例の奴を連れてきました」

「ああ、岡路さんかね? 今行くよ」


しばらくして藤枝調教師が二人の目の前に来た。


「藤枝先生、どうもはじめまして」


岡西は藤枝と顔を合わせたのと同時に初対面の挨拶をした。


「やあ、君が岡西摩那舞君だね。君の活躍ぶりはよく知っているよ。ウチも君が鞍上した人気薄の馬に何度も痛い目に遭ったし。知っての通り今シーズンいっぱいで岡路さんが引退する。岡路さんはウチの主戦騎手として長年支えてきてくれたが、引退にともなって新しい主戦騎手を探していたんだが、岡路さんが引退を決めた日に自分の後継者を連れてくるとわたしに約束して来てもらったのが君なんだ」

「ぼ、僕が岡路さんの後継者なんですか?」


藤枝から言われた衝撃の事実に岡西は驚きを隠せなかった。それもそのはず、岡西は藤枝厩舎からの騎乗依頼は今まで一度も来たことがなかったからである。岡西は不安そうな表情で岡路を見つめた。


「大丈夫だ、お前ならできる。このわたしが保証する」


名手のお墨付き・名門厩舎の紹介と急激な展開に飲み込まれそうになった岡西に言葉少なくも重みのある口調で岡路は励ました。


「まあいきなり頼まれて驚くのも無理はないか。ではこういうふうに言ってみるか。ウチの馬で武井君のリーディングの独走を止める気はないかね?」

「匠さんの独走を止める……」

「そう、君も知ってると思うが西高東低という言葉の通り関東は騎手・厩舎共に劣勢に立たされ続けている。ウチが今まで関西の厩舎と互角に渡り合えたのは岡路さんがいたおかげ。岡路さんが引退すると関東はますます劣勢に立たされ続け、関西勢の独占の流れになってしまう。現にここ数年のG1レースのほとんどを関西の厩舎と騎手が独占し続けている。おそらく来シーズンも武井君に関西の有力馬が何頭も回ってきて独走を許す可能性が高い。我々で武井君を阻止してみようではないか」


藤枝の説得に岡西はしばらく頭を整理しながら考えた。


「藤枝先生、僕はいずれイタリアのデットルー騎手みたいな『世界を又にかける騎手』を目指しています。そのためには匠さんを倒して全国リーディングを取らないと、その目標は達成できないと思っています。西高東低打破に向けて頑張りましょう!」


岡西の目は決意に満ち溢れていた。岡西は親密な付き合いのある本岡の前でも言わなかった自分の目標を、初対面の藤枝に思わず打ち明けたことに不思議に思った。それだけ藤枝からは他の調教師とは違うオーラを感じていたからである。藤枝自身、日本だけでなく世界の重賞レースに勝つという目標を元々から持っていて『世界に目を向けている』という点で岡西と共鳴したのである。岡西と藤枝はガッチリと握手した。そばにいた岡路はその光景を安堵の表情で見ていた。


「うむ、ではよろしく頼むぞ。さっそくだが1頭君に任せる馬を紹介する」


藤枝はそう言って歩き出した。岡路と岡西は藤枝の後をついていった。しばらく歩いてその該当する馬房に到着した。


「こっ、この馬は!!!」


岡西は本日3回目の衝撃を受けた。岡西の目の先には昨日の重賞レースで圧勝したギガクロスブレイク号がいた。競馬サークル内でも岡路が抜けた後の主戦は誰になるかと話題になっていたが、まさか自分のところに来るなんて夢にも思ってなかったため岡西はしばらく空いた口が塞がらなかった。


「昨日レースを終わらせたばかりの2歳馬だが、明日から一ヶ月間放牧に出す。入厩後、次走の弥生賞に向けて仕上げていく予定だ。レースの2週前あたりから乗り込みと追切をよろしく頼むぞ」

「はい、わかりました!」


しばらく呆然としていた岡西だったが、藤枝の言葉にすぐ気持ちを切り替えて自信に満ち溢れた表情で答えた。


「先生、もう時間も遅いのでわたし達はこれで失礼します。岡西、帰りはわたしがお前の家の近くまで送って行く」

「あっ、はい。ありがとうございます。では藤枝先生、失礼します」


岡路と岡西は藤枝に一礼して藤枝厩舎を後にした。



 美浦トレセンを後にした岡路の車は東京方面に向けて走っていた。衝撃の連続で岡西は助手席で少々疲れた表情を見せていた。


「岡路さん、今日は緊張の連続でした。今まで騎乗依頼来たことがない名門厩舎を紹介してもらい、主戦まで任され、そして最後にあのギガクロスブレイクでしたから」

「ははは、お前もさすがに疲れたか。まあ無理もないか。こんな時間まで付き合わせてもらったからなぁ」

「いえいえ、とんでもありません。おかげで来年のクラシックを含む目標も見えてきましたしほんとに感謝してます」

「まあ、来年も頑張るんだぞ」


岡路と岡西の会話は和やかなものだった。


 この後、岡西は自宅近くのJR新小岩駅まで岡路に送ってもらって家路についた。来シーズンからギガクロスブレイクとコンビを組むことが決まって、牡馬三冠+古馬五冠のG1タイトルがくっきりと見えてくる予感がした。

 2004年シーズンはここで終了して次章から2005年シーズンに突入します。第7・8部分はモデル騎手&モデル調教師絡みの話で、競馬に詳しくない読者の人にとってはかなり読みづらい章だったのではないでしょうか?ラジオたんぱ杯2歳ステークスでレース後のコメントをした騎手達・岡路騎手の引退式で岡路騎手に対して一言コメントをしていた人達・最後に出てきた藤枝和彦調教師はみんな実在する人物を元にしています。

 岡路騎手の引退式についてですが、これは実際に2005年の3月20日に中山競馬競馬場のパドックで行われた岡部幸雄騎手の引退式を元にしています。したがって本文に出てきた岡路幸成騎手は岡部幸雄元騎手がモデルとなります。その他の人物については以下の通りになります。


《モデル騎手一覧》


武井匠→武豊(騎手)

隅田→角田晃一(元騎手・現調教師)

横井典→横山典弘(騎手)

石田→岩田康誠(騎手)

柴畑善明→柴田善臣(騎手)

松山幹久→松永幹夫(元騎手・現調教師)

蛇奈→蛯名正義(騎手)

中田勝秋→田中勝春(騎手)


《モデル調教師一覧》


仁藤正典→伊藤正徳(元騎手・現調教師)

柴畑政仁→柴田政人(元騎手・現調教師)

高梨英雄→高橋英夫(元調教師)

藤枝和彦→藤沢和雄(調教師)


 自厩舎のスタッフと数人の馬主以外の競馬関係者の付き合いが殆どない主人公の押切調教師に比べ、準主役の岡西騎手は職業柄人脈が広いためたくさんの人物が登場してきます。2005年シーズンからはそれを踏まえて続きを読んでもらえればと思います。

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