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2005年シーズンの締めくくり

 時は2005年シーズンの12月4週の土曜日。グランプリを締めくくる有馬記念の前日。この日、中山競馬場では中山大障害という障害競走のG1レースが行われる。年に2つしかない障害のG1レースということで、障害のレースをメインにしてる騎手にとってはこのレースを勝つことを目標に掲げている。この大舞台にちゅんこと鈴木中がユーロギャラクシーで出走してるという…。



──中山競馬場、競馬関係者席にて──


「あ~、ホンマ落ち着けへんわぁ」

「お、押切先生…。ずいぶんイレこんでるみたいですけど…」


落ち着きのない押切と平常心で管理馬のレースの出走を待つ本岡。対照的な関西の若手調教師2人がお互いの厩舎のことで雑談しながら中山大障害の発走を待っていた。


「本岡さん、そら落ち着くわけありまへんでぇ! 岡西君がG1レースに出走してるのはのんびり観戦できるんですが、あのアホのちゅんが障害重賞とはいえG1の舞台に出走してる時点で大事件レベルですから。あのアホがいらんことやらかしそうなことしか思いつかへんのですわぁ」


押切は両手で頭をかきむしりながらその場を右往左往していた。


「まあまあ、そうおっしゃらずに。岡西君がちゅん君にいろいろと師事してくれたおかげであそこまで成長したのですから」

「まあそら重々承知ですわぁ。しかし今シーズン一杯は岡西君が米国にいるからワシ自身どうも安心できへんのですわぁ。本岡さんも心臓的存在の岡西君がおれへんと困るんちゃいます?」

「わたしのところの管理馬は平場の馬は年末に入ったのと同時にオンリーゴールド以外の馬は放牧に出しましたし、今出走させてるユーロギャラクシーもこのレース終わったら放牧に出す予定ですので。そういや押切先生のところのユーロステイテッドが明後日の東京大賞典の出走取りやめたって本当ですか?」

「ホンマでっせ。そうするしかあれへんでしたわぁ。岡西君がおれへんから…」

「ちゅん君騎乗で出走させてもよかったのではないでしょうか?」

「も、本岡さん…。なんちゅうこと言ってるんすか? あのアホタレが乗ったらヘタレかまして大井に史上最大の年末のクリスマスプレゼントやらかすのは目に見えてます。ユーロのキャリアに傷をつけさせたらあきません。すんません、また便所行って来ますわぁ。ああ、ホンマに落ち着かへん…」


押切は猛ダッシュでトイレへと向かっていった。


(押切先生、20分おきにトイレに向かってるんだけど…。あの先生もなんだかんだで弟子のちゅん君のことを心配してるんだろうね)


走り去っていく押切の姿を見送った後、本岡はターフのほうに向いて双眼鏡でユーロギャラクシーの輪乗りをしてスタートを待ってるユーロギャラクシーの様子を確認していた。



(こ、この僕は今G1の舞台に立ってるんだよね? ま、間違いないんだよね? 重賞2連勝の勢いでこのレース取りたい…。米国から帰ってくる岡西さんにいい報告ができるようにいい騎乗をしないと…)


一方こちらは中山大障害のスタート地点。ちゅんは緊張した面持ちで障害G1レースの発走を待っていた。ちゅんにとっては2005年シーズンの総決算となるこのレースを勝利して年を越したいと思っていた。ファンファーレが鳴る前にちゅんは岡西に出会ってからの8ヶ月間のことを頭の中でいろいろと思い浮かべていた。



──ある日の押切厩舎内にて──


「ゼェハァゼェハァ、お、岡西さん…。ぼ、僕もう限界です…」

「ちゅん君、ダメだよ。まだ時間半分も経ってないんだから。基本ができないと実戦では何回騎乗してもまともな結果は出ないよ。ほら、しっかり! バランスが崩れてるぞ!」

「は、はい~」


追い切りが終わった後、岡西はちゅんに騎乗の基礎となる木馬訓練を課していた。2年目のちゅんは決められた時間の半分も経ってないのにヘバってしまうという有様。トレーニングを課せられてるちゅんはその時間帯がもの凄く長く感じていた。


「よし、終了! 10分間インターバル取って」

「は、はい…。や、やっと終わった…。ゼェハァゼェハァ…」


岡西の休憩の呼びかけと同時にちゅんは木馬から降りて仰向けに大の字になってバタンと倒れた。


「ちゅん君、これくらいでヘバってはダメだよ」

「マ、マジですか…。こ、これ…騎手学校時代の鬼神教官のしごきよりキツイっすよ…」

「鬼神教官…。ちゅん君、やな名前思い出させてくれたなぁ」

「え? 岡西さんの世代の時も鬼神教官いました?」

「いたよ、俺3年間あのオッサンと常に衝突してたよ。あのガミガミ教官はほんとに頭来る教官だった。たぶん今俺が競馬学校訪れたらとんでもないことになるだろうな…」


岡西は鬼神という名を聞いたのと同時に難しい顔になった。この鬼神教官は騎手学校時代の岡西にとっては超がつくほどの犬猿の仲の教官であった。岡西が須藤一味と争いを繰り広げてる時、この鬼神は須藤たちばかりを擁護する振る舞いをしていた。そのためか須藤卒業後も事あることに岡西はこの鬼神と衝突していたという。岡西が在学していた頃、鬼神との戦争は当時の競馬学校の名物であった。衝突内容は小規模なものやら大規模なものまで様々な種類があるため、岡西と同期の騎手の暴露話で『岡西VS鬼神』のネタは全く尽きないという。


「すごいですね。僕らの世代ではあの教官怖すぎて誰も逆らえませんでした」

「まあ騎手学校は軍隊みたいなものだからねぇ。俺もあれだけあのオッサンと衝突してよく退学させられなかったなあとつくづく思うよ」

「でも今の岡西さんならあれだけ実績があるんですから教官のみなさんも鍛え甲斐があったと喜んでるんではないんですか?」

「ちゅん君、甘いな。俺は笑えない問題児だったからむしろ逆だと思うぜ。特にあのオッサンはなんであんな奴がG1ジョッキーになれるんだとか絶対ゴネてると思う」

「そ、そんなものなんですかね?」

「あの万年仏頂面のオッサンが人を褒めるなんてあったらそれこそ人類滅亡クラスの奇跡だぜ。おっと、10分経ったので今からサーキットやるよ」

「え、ええ! まだトレーニングやるんですか?」

「あの木馬訓練でヘバるというは君に基礎体力が備わってないということだよ。そうそう、俺より先にサーキットこなしたら君が好きなスイーツなんでも奢ってやるよ」

「ほ、ほんとですか? ぼ、僕頑張ります!」


ちゅんは岡西の誘い文句で体にムチを打つように立ち上がった。その後、様々な基礎体力とレーニングをこなしたがちゅんはすべての項目において岡西に勝てなかったという。


──数時間後、押切厩舎サウナ風呂にて──



「さて、サーキットも終わったことだしサウナ風呂で汗をほぐすか。しかし押切先生の厩舎っていいサウナ風呂があるんだね」

「は、はい…。僕、体重調整ミスったりなんらかのポカをかますたんびにしょっちゅうここに放り込まれてるんですよ」

「まあポカはともかく、太りやすい人はより痩せるための努力を惜しまないようにしないとね」

「岡西さんは減量とかに苦労しないんですか?」

「俺? あんまり苦労した覚えないなぁ。消化がいいのか太りにくい体質なのかよくわからないけど。騎手学校時代もそこまで苦労した覚えはないなぁ。他の同期の何人かは相当苦労してたけど。俺は減量の苦労がなかった分別の問題のほうがひどかったなぁ」

「別の問題?」

「ああ、あのガミガミ教官だよ。俺が体重普通パスしてもなにか不正でもしてるんじゃないのかとかいいがかりをつけられてたなぁ。そのたんびに乱闘…。ほんとに酷かったぜ。あのオッサンは当時の俺を騎手学校から追い出すことに相当執着してたからなぁ」

「ひえ~、すごかったんですね岡西さんの時は…」


岡西とちゅんは他愛もない話をしながらサウナルームで時を過ごしていた。


「しかしあの教官からみの話すると無性にむしゃくしゃしてくる…。そうだ、今からこれをやろう」


そう言って岡西はタオルに包んでいた物体を取り出した。岡西がちゅんの目の前に出したのは約20センチ平方のオセロ盤だった。


「オ、オセロ…ですか?」

「ああ、そうだよ。大丈夫、防水加工はほどこしてるから」

「ま、まさか…。この中でオセロやるんですか?」

「うん、俺とオセロで勝負だよ」

「え、ええ~、それだったらサウナ出てからでもいいんじゃないんですか?」

「いやいや、普通の常温内でオセロやってもてんで面白くないから。この厳しい環境でいかに勝てるかという精神的なトレーニングだよ」

「そ、そんなぁ」

「俺から1本でも取ったらサウナから出ていいよ」

「え? 1回勝てればいいんですか?」

「うん、そうだよ。簡単でしょ?」

「わ、わかりました。やりましょう」


こうして2人は灼熱の中でオセロを開始した。


(10戦経過…)


「お、おかしい…。な、なんですぐ角を取られてしまうんだ…」

「なんでって…。だってちゅん君はすぐに四端の斜め横のいずれかに置くからだよ。この4つはゲームの終盤までできるだけ空けておかないとだめなんだよ」

「そ、そうだったんですか」

「競馬の2000Mのレースでたとえるなら君がこのオセロでやってることはまだ距離1600も残ってるのにそこでムチ打ってスパートかけてるのと同じレベルのことをしてるんだよ」

「え、ええ~、そうだったんですか」

「だからそれを踏まえて次行ってみよう」


(20戦以上経過…)


「はぁはぁ…。だめだ、勝つことはおろか…端すら取れない…。お、岡西さん…。オセロ盤の中でどんな罠を僕にしかけてるんですか?」

「罠? そんな高度な芸当は俺は持ち合わせてないよ。ただ確実に自分の色を広げてるだけだよ。もちろん四隅の斜め横の部分にできるだけ置かないようにすることが前提条件だけどね」

「そ、そろそろ…。頭がクラクラしてきて…。やばいんですけど…」

「そろそろしんどくなってきた? 大丈夫、水分補給はこまめにできるようにペットボトルに入ったミネラルウォーターのストックはあるので大丈夫だよ」


そう言って岡西はあらかじめサウナ内に持ち込んでいた小型冷蔵庫の中から1本のペットボトル水をちゅんに差し出した。


「よ、用意がいいんですね…。岡西さんはしんどくないんですか?」

「俺かい? 水分補給ができないならともかく、こうやって水分のストックはあるんだから脱水症状の問題はないよ。真夏の炎天下の中での騎乗に比べたらまだマシなはずなんだけどなぁ」

「ひぇ~、僕体もつかなぁ?」

「君が勝つまで俺は付き合うよ。そうだね、1つ条件を加えようか。今からの対戦はちゅん君が負けるたびに懸賞金かわりのスイーツを1品ずつ追加していくよ。例えば君が俺に10連敗した後に俺から1本取ったら懸賞金代わりのスイーツは全部俺のおごりで馳走になれるということだよ」

「ほ、ほんとですか? でも今からカウントするとしていきなり僕が勝ったらスイーツはないんではないでしょうか?」

「あー、そうだったね。そしたらさっきまでこなした対戦分を加えようか? 5品スタートで。これだったら万が一君が俺に一発で勝ったらスイーツ5品馳走になれるよ」

「わ、わかりました! 絶対勝ちます!」


ちゅんは岡西の誘いに乗り半分ヤケクソ状態で対戦に入った。実質上ちゅんの頭にスイーツをぶら下げて走らせてるようなこのトレーニング。一見先輩が後輩を拷問してるように見えるが、これは岡西が独自に考案したちゅんのプロ騎手としてのハングリー精神を目覚めさせるための型破りトレーニングである。これはあくまでも一部の例に過ぎないが、他にも様々な形で岡西は空いた時間を使い、ちゅんをトレーニングさせていたという。このことが後のちゅんの夏競馬での快進撃(第31~35部参照)の真の理由に繋がったという。ちなみにこの日、ちゅんは30戦ほどオセロをこなしたが、結局1回も岡西に勝てず泣く泣く白旗をあげたという。


 時は中山大障害に戻り、ユーロギャラクシーはちゅんの手綱さばきで淡々とレースを進めていた。道中は2番手をキープする絶好の位置取り。ユーロギャラクシーと他の馬達は中山大障害の名物、大竹柵へと差し掛かった。この竹柵は通常の竹柵よりも高さが違うため飛越のタイミングも大きく違ってくる。ちゅんは大竹柵のことをよく理解していなかったため通常の竹柵のタイミングで飛越をした。すると竹柵にユーロギャラクシーの脚部分が引っかかり、鞍上のちゅんはバランスを崩し着地と同時にちゅんは前方に放り出され、ヘッドスライティングをするように落馬してしまった。


《実況アナ》


 あっとここで落馬! 9番のユーロギャラクシー競走中止です! 道中好位置をキープしていたユーロギャラクシー競走中止です!


 実況アナの競走中止のアナウンスを聞いたのと同時に大観衆から気が抜けたため息が響いたという。その大観衆の中にちゅんを熱心に応援するトメさんの姿もあったが、ユーロギャラクシーの競走中止によりションボリしてそのまま家路についたという。


「あのアホタレはヘタレかましやがった! 顔合わせたらサウナ風呂放り込んだるわ!」

「まあまあ、押切先生…。これはわたしの責任です。岡西君が米国に行く前に出走を決めておけば大竹柵の対策も万全だったはずですので。それにギャラクシーもちゅん君も若いですのでまた来年リベンジできますよ」


競馬関係者席で頭を両手でかきむしりながら取り乱す押切と必死で押切をなだめる本岡の姿があった。この日のユーロギャラクシー陣営は馬主の村山がとある体調不良のため不在だったことが不幸中の幸いだったという。レース後、ちゅんは押切から超特大の長時間のお説教をされたという。




【2005年シーズン 主な登場人物の重賞戦績】


押切知良調教師 (栗東)


交流G1重賞

ジャパンダートダービー・ダービーGP (ユーロステイテッド)


G3重賞

ユニコーンS (ユーロステイテッド) 七夕賞 (アノヨロシ)


本岡優伊知調教師 (栗東)


G1重賞 

NHKマイルC (オンリーゴールド)


G3重賞 

アーリントンC (オンリーゴールド)

新潟ジャンプS・東京オータムジャンプS (ユーロギャラクシー)



鈴木中騎手 (栗東・押切厩舎所属)


G3重賞

新潟ジャンプS・東京オータムジャンプS (ユーロギャラクシー)




岡西摩那舞 (美浦・フリー)


G1重賞

フェブラリーS (キタノアルタイル) NHKマイルC (オンリーゴールド)

皐月賞・東京優駿・菊花賞 (ギガクロスブレイク) 阪神JF (リディアスルーン)


交流G1重賞

ジャパンダートダービー・ダービーGP (ユーロステイテッド)

JBCスプリント (キタノアルタイル)


海外G1重賞

ハリウッドターフカップS (ギガクロスブレイク)


G2重賞

弥生賞・セントライト記念 (ギガクロスブレイク)

デイリー杯2歳S (リディアスルーン)


G3重賞

平安S (キタノアルタイル) ユニコーンS (ユーロステイテッド)

七夕賞 (アノヨロシ)

小倉記念 (マイルスビショップ) クイーンS (セツイチフローラ)

新潟記念 (チェリープラネット) ファンタジーS (リディアスルーン)


交流G3重賞

スパーキングレディC・サマーチャンピオン・日本テレビ杯・クイーン賞 (キタノアルタイル)

【作者からのメッセージ】


 初投稿から2年間、執筆を続けてきました『Great Factory シーズン1』はこの話を持ちまして終了となります。続きの話は充電期間を経て、『Great Factory シーズン2』という形で新しく連載していく予定です。今までご愛読いただいた多数の読者の皆様、大変感謝しています。文章表現などで至らぬ点も多数ありましたがこれからも当作品のことをよろしくお願いします。

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