ハリウッド遠征(展開編)
ここはアメリカ合衆国、カリフォルニア州イングルウッドにあるハリウッドパーク競馬場。1938年に開設され、以降アメリカ西海岸競馬の大競走を行う競馬場として高い地位をもち、1984年には初のブリーダーズカップの開催地として選ばれたという歴史もあり、さらにはパトロールフィルム撮影、カメラ塔の設置などの新しい設備や様々な種類の馬券の発売方式を他の競馬場よりも先駆けて導入した競馬場でもある。しかしこれだけパイオニア的な歴史の背景を持つハリウッドパーク競馬場も時代の流れとともに競馬産業も全体的に斜陽化が進み、存廃問題が取り沙汰されるようになった。一般的に見ていわく付きの辺境の地に日本の三冠馬ギガクロスブレイクが国内のG1競走のジャパンカップや有馬記念を蹴ってまで遠征でやってくることに国内外の競馬ジャーナリストは不可解極まりないという内容のコラムを掲載したという。そんな周りの世論には全く目もくれず陣営は目標の海外G1レースを勝つことに専念していた。出馬表は以下の通り。
Hollywood Turf Cup Stakes G1 芝2400M 良 発走15:40~(現地時間)
1枠 1番 スターライトジェム 牡5 ソリン USA
2枠 2番 インテンショナル 牡4 ピンケイ USA
3枠 3番 スケープゴート 牡6 ドメス USA
4枠 4番 ギガクロスブレイク 牡3 岡西 JPN
5枠 5番 スーパーカー 牡5 サカタニ USA
6枠 6番 カートライト 牡3 スニフ USA
7枠 7番 グレートフォンテン 牡5 バレル USA
基本的に海外のレース(凱旋門賞やブリーダーズカップなど格式高いG1レースは除く)は日本に比べて出走数がかなり少ないのが特徴。はるばる海の向こうの島国からやってきた三冠馬ギガクロスブレイクは外国馬にも関わらず1番人気に支持された。しかしこの現象に他の6頭の地元の競走馬の陣営は快く思っていなかったという。
──レース2時間前のギガクロスブレイク陣営──
「摩那舞、ハリウッドパークの騎手控え室には行ってみたか?」
「いえ、行ってませんよ。というより僕らみたいなよそ者の有色人種が入るところではないですよ」
藤枝の何気ない世間話にそっけなく切り返す岡西。
「ハハハ、相変わらずだな」
「そうですか? 極めて当たり前のことだと思いますけど。ここに着いた時からアウェイの雰囲気が嫌でも伝わってましたので」
仏頂面で岡西は社外ファームの勝負服柄のヘルメットをかぶりながら淡々と語った。
「ふむ、なるほど。わたしは前々から思ってたんだが、レース前にいつもお前からにじみ出てる危険予知の塊のような雰囲気を感じるんだが…」
「危険予知の雰囲気のことですか? 話すと相当長くなりますよ」
「そ、そうか…」
仏頂面から一瞬笑みを浮かべた岡西を見て、藤枝は何か触れてはいけないものに触れそうになった感触を抱いたという。藤枝が感じた岡西の危険予知の塊のルーツは騎手学校時代の須藤一味との泥沼紛争が元である。「油断してるといつか謀略にハメられる」・「いつどんな形で自分に襲いかかって来るかわからない」というのを嫌というほど味わった。しかしそのことが結果的に岡西が外国人ホースマンにナメられないための人格作りにつながってるという。
「ところでどんな作戦でいきます?」
「うむ、米国の競馬はとにかく超ハイペースで飛ばすのが主流なので相手に左右されずに自分のペース配分でレースは進めてくれ。日本の馬場とは違う部分もあるが欧州ほど時計が掛かる芝ではないのでいつもの勝ちパターンで行けるはずだ」
「なるほど、確かに僕も何レースか観戦しましたけど行ったもの勝ちの内容がほとんでしたからね。芸術的なゴボウ抜きでも見せて現地の実況アナウンサーを驚愕させてやりましょうかね?」
陣営の作戦も決まり藤枝と岡西は悠々とハリウッドパーク競馬場のパドックへと向かっていった。
《現地の実況アナ》
アンビリーバボー! 大きく最後方に離れていた日本の馬が残り1000Mで急加速して他の6頭を次から次へと抜き去て行った~! その名もギガクロスブレイク~! 実にファンタスティックなゴボウ抜き!
レースはスタート時、ギガクロスブレイクは意図的にワンテンポ遅らせてのスタート。他の地元の馬は予想通りハイペースで飛ばしていた。コーナーを回って正面スタンド通過時に他の6頭とギガクロスブレイクは10馬身近く差がついていた。だが向こう正面に入ってしばらくしてギガクロスブレイクはペースを上げて次第に他の馬との距離を詰め始めた。飛ばしに飛ばす地元の馬達は1頭また1頭と脚が止まっていく。脚が止まってしまった馬を外から順番に抜き去り、最後は直線大外一気の末脚で差し切って快勝という結果だった。レース確定後、岡西の騎乗ぶりに目が止まった現地の調教師に短い間だけどちょっとこっちで乗ってみないかと誘われたという。
「今から3日後に日本国内の地方競馬で交流重賞に出走する予定もあり、JRAに短期免許取得の申請もしないといけないのでそれらを済ませてからでよろしいでしょうか?」
と通訳を介して岡西はこのように答えたという。
「たいしたものだな。頭を下げても日本人には乗せてくれない外国の調教師の目を止まらせるとは」
藤枝は片手でポンと岡西の肩を軽く乗せてねぎらったという。岡西は現地の調教師と端的に日程を話し合った後、藤枝と共に帰り支度をはじめた。
──空港へ移動中の車の中で──
ハリウッドパーク競馬場を後にした藤枝と岡西は車の後部席に乗ってハリウッド空港へと向かっていた。レースを終わらせて2人は談笑しながら安らぎの一時を過ごしていた。
「藤枝先生、ギガの来シーズンはどこから始動するんでしょうか?」
「そうだな、最初は日経賞からだな。そこから天皇賞(春)・宝塚記念のローテになるだろう。関東の古馬G1は勝ったことはあるが関西の古馬G1はまだ勝ったことがないんだよ」
「なるほど、まあギガなら春だけでなく秋古馬三冠も合わせてグランドスラムまでやってくれそうな予感がします」
「ハハハ、もしそれを達成したら八冠というとんでもない記録を達成することになるな」
来シーズンのことを語り合ってる藤枝と岡西。その時、岡西の携帯が鳴った。知らない番号からだと通常の着信音がなるようになってる。
「ん? 誰だろ? 藤枝先生、ちょっと電話に出ますね」
岡西は藤枝にことわりを入れて電話に出た。
「もしもし」
『ハァ~イ、ごきげんいかが? ミスターオカニシ。ヤシマでザンス』
「や、ヤシマさん?」
(な、なんでこの人が俺の携帯番号知ってるんだ?)
岡西は予想外の電話の主の声を聞いたのと同時に危うくズッコけて車の窓に頭をぶつけそうになった。レースに集中しすぎていたためヤシマのことをすっかり忘れていた岡西であった。
『突然の電話ゴメンナサイねぇ。あなたの番号はミスタームラヤマから聞いてかけたのでザンスよ』
「そ、そうでしたか…」
(そうだった…。数日前に俺が村山さんに電話かけたので着信履歴からわかったんだな)
『頼まれた土産リストすべてコンプリートいたしましてよ』
「そ、そうでしたか。おかげさまでレースに集中できてG1制覇できました」
『オー、コングラデュエーションでザンスね~。さっそくですがマーケットにかかった費用の最終報告をしますでザンス。一般物は100件以上で合計約100万相当、特殊高級品は3件で130万、手数料は約30万相当になりま~す』
「けっこう費用かかってますねえ。ところで特殊高級品3件ってどういうふうになってるのでしょうか?」
『内訳ですか? えーっとマエトウ様の特殊衣装80万、オシキリ様の特殊サングラス45万、最後にタケイタクミ様のカリフォルニアワインフルセット25万の3点です』
「この3人で130万もかかってるんだ…」
『本来最後の手数料というのはかからないものですけど10万以上相当の商品購入の際にはいろんな税金が加算されてしまうのでザンス。ただし特殊高級品3件をお届け先の着払いにしますとミスターオカニシの負担もかなり軽減できま~す』
「なるほど、そうですか。そしたら前藤さんと匠さんはそれぞれの商品をそのまま着払いでお願いします。そして最後に押切先生には着払い分プラス一般物費用とヤシマさんにかかった手数料を合わせて請求してください」
(俺が押切先生のイベントに巻き込まれた今までの分の仕返しをする時がついにきたぜ……)
岡西はヤシマの請求の詳細を聞いて、ふと押切に対する悪巧みを思いついたという。
『オ~、費用のなすりつけ作戦を言ってくるとはミスターオカニシは見た目に似合わずデンジャラスなことを思いつくでザンスねえ』
「そ、そうですか? 僕に土産の依頼をしてきた押切先生のほうが僕より数百倍危険なんですけどね、アハハハハ…」
(ダメ元で提案したら通っちまったよ…。やっぱ村山さんの知り合いって変な人ほんと多いな)
『それならその方法で手配いたすザンス。帰りは気をつけるザンスよ』
「はい、ありがとうございます。またなにかあったらよろしくお願いします」
こうして海外G1レース勝利と共に課せられていた岡西の課題は両方クリアとなった。
──3日後、船橋競馬場にて──
《実況アナ》
先頭はキタノアルタイル! 3馬身後ろにポルカポルカ! キタノアルタイルこれは強い圧勝でゴールイン! G1馬の底力を見せつて交流重賞クイーン賞を制しました! 2着にポルカポルカ! 中央のワンツーで決まりました。
「おめでとう、やっぱりG1馬は強いね」
「あっ、ありがとうございます」
「米国の土産のカリフォルニアワイン昨日届いてさっそく嫁さんと美味しくいただいたよ。レースに集中したかったのに無茶振りしてすまなかったね」
「いえいえ、そんな」
帰国3日後、岡西は交流重賞クイーン賞騎乗のため船橋競馬場に来ていた。ちょうどキタノアルタイルでレースを勝ったところである。そこにポルカポルカ号に騎乗していた武井匠が話しかけてきたのである。
「年末の有馬はどの馬で出てくるんだい?」
「あっ、実はこのレース終わったら米国に飛ばないといけないんですよ。米国の調教師の人にちょっとこっちで乗ってみないかというオファーがきまして」
「え? 今シーズンいっぱいは米国で乗るの? なんでまたこんな時期に…」
「僕は今シーズンいっぱいは騎乗制限数を課せられてますので、これを期に米国の競馬を勉強してこようかなと思ってるんですよ。もちろん来シーズンからは日本でフル騎乗しますよ。来年こそ匠さんからリーディングを奪取したいと思ってますので」
「なるほど、まあ来シーズン楽しみにしてるよ。いつか海外の土産話ができるといいね。そうだ、君の誕生日はいつかな? あれだけいいものをいただいたのだから俺もお礼をしないと」
「僕の誕生日ですか? 2月7日ですけど…」
「だいたい2ヶ月後だね。その日に君の家にとっておきの誕生日プレゼントを贈るようにするので」
「ほ、ほんとですか。ありがとうございます」
(匠さんからのプレゼント…、一体どんなスゴイのがくるんだろ?)
岡西は武井匠からのビッグでサプライズなプレゼントのことを頭の中で思い描きながらキタノアルタイルを1着ゲートへと誘導させていた。
──同時刻、栗東トレセン内押切厩舎にて──
「いや~、やっぱ岡西君はすごいわぁ。そりゃワシんところの厩舎経営を救ってくれたG1級の救世主やさかい当然といやぁ当然なんやが。う~ん、やっぱエエわぁ」
押切は厩舎の事務所のソファーで寝そべった状態で、スポーツ新聞の岡西が米国G1を制した記事を眺めながらいつものようにベタ褒めしていた。その時、ちょうど小倉橋が事務所に入ってきた。
「あっ、押切先生。ここにいましたか。実は郵便物が届いてるんですけど」
「小倉橋さん、送り主は誰でっか?」
「どうやら海外からみたいで英語で記載されてるんですけど、どうやら岡西君からみたいですね。なにか土産物でも頼んでたんですか?」
「できればと頼んでいたんですが、ホンマに買ってくるとは思いませんでしたわぁ」
押切は小倉橋から小包を受け取った後に空けてみた。そこには頼まれていたサングラスが入っていた。
「おおお、こらごっつカッコエエわぁ! あのハリウッドスター愛用モデルのサングラスやわぁ! いやぁ、岡西君はターフだけでなく土産でもやってくれるとはたいしたもんやわぁ! こらなんか岡西君にお礼せなアカンなぁ」
押切はサングラスを掲げながら有頂天になっていた。
「あれ? 押切先生。なんか小包の中に封筒が同封されてるみたいなんですけど」
「封筒? なんやろ?」
小倉橋に指摘されて押切ははしゃぐのを一旦中断して封筒の中身を空けてみたい。その中には紙切れが入っていて以下の内容が記載されていた。
押切 知良様
お買い上げ誠にありがとうございます。商品の代金175万円を指定の口座に〇月△日までお振込みいだたけるようにお願い致します。 ヤシマファイナンシャルグループ
「ひ、175万! うわぁ、こらキッツいなぁ。せっかくの岡西君からの土産を突き返すわけにはいかへんしなぁ。しかしこの金額ではなぁ…。いや、アカンアカン! ワシは世界の押切やぁ! これくらいドーンと払わないとアカン!」
見栄を張りながら押切は自分の財布の中身を確認したところ現金約50万しか入ってなかった。
「あっ、足りへん…。こ、小倉橋さん、ちょっと銀行行ってきますさかい留守番お願いします!」
押切は慌てて銀行に向けて猛ダッシュして去って行ったという。
「請求書かぁ。このサングラスだけで175万は普通に考えて有り得ない…。きっと岡西君がなんらかの形でウチの先生の日頃の行いの悪さに対して仕返しをけしかけたものと思われるけど…。岡西君、してやったりだね」
小倉橋は何かをさとしたかのように苦笑いをしながら、押切が散らかした私物を黙々と片付けはじめた。
──美浦トレセン・総合事務所にて──
「わー、押すな押すな!」
「あぶねあぶね」
こちらでは岡西からの海外土産を我先にともらうために事務所内は美浦所属の騎手でごったがいしていた。ちなみに栗東トレセンの総合事務所でも栗東所属の騎手で同じようにごったがいしてたという。
「しかしアイツよくこれだけの土産揃えてきたなぁ。レースも勝ったみたいだし」
岡西より先輩や同期の騎手は呆れながらも岡西の律儀ぶりに驚くばかりであった。
「さすが天下の岡西さんだ!」
岡西より後輩の騎手はまさに信者そのものの状態に陥っていた。土産ものの中に100センチ相当の立方体のダンボール箱が別に置いてあってやたら目立っていた。
「これ誰のや?」
「あっ、これひょっとして俺のかもしれん」
そう言って名乗ってきたのは前藤だった。前藤はダンボールを丁寧に空けて中身を確認した。他の騎手もなにが入ってるのか楽しみで興味津々で眺めていた。
「おっ、これは!」
「ス、スゲェ! あの有名な映画で使用されたコスチュームとか衣装とかいろいろ入ってる!」
「マジで? これすごいなぁ!」
予想以上の土産品に前藤はもちろんのこと、周りの騎手も驚きだった。
「俺、アイツに冗談で言ったつもりがマジで買ってくるとは思ってなかった」
前藤は苦笑いをしながら出発前のことを告白して周辺の騎手を笑わせたという。
「あれ? 前藤さん。なんかダンボールのサイドのところに封筒が貼り付けてありましたよ」
「封筒?」
「はい、これです」
1人の後輩騎手が前藤にその封筒を手渡した。不可解そうに前藤はその封筒の中身を空けて中に入っていた1枚の紙切れをみたら以下のように記されていた。
前藤 浩明様
お買い上げ誠にありがとうございます。商品の代金80万円を指定の口座に〇月△日までお振込みいだたけるようにお願い致します。 ヤシマファイナンシャルグループ
「あ~~の~~や~~ろ~~」
前藤は自分だけ着払いというのを知って硬直してしまったという。周りの騎手はその内容を見てみんな笑い転げたという。
「すんません、アイツは今週どこで騎乗かわかりますか?」
前藤は憤るように事務員の女性に尋ねた。
「え? 岡西騎手ですか? 数日前に海外渡航延長の申請が来まして今年いっぱいは米国で騎乗するみたいですよ。これが公式HPで公開してる内容ですけど」
「な、なにぃ!」
■岡西 摩那舞騎手、海外再渡航
岡西 摩那舞騎手(26歳・美浦フリー)より米国への海外への再渡航届の提出がありましたので、お知らせいたします。
期 間:12月3週~4週
渡航先:米国 (ハリウッドなど)
理 由:レース騎乗のため
岡西の海外騎乗延長の話を聞いて前藤はいっぱいくわされたと地団太を踏み始めた。そして周りにいた騎手達はそれを聞いてさらに笑い転げたという。