ハリウッド遠征(準備&移動編)
■岡西 摩那舞騎手が米国へ海外渡航
岡西 摩那舞騎手(26歳・美浦フリー)より米国への海外渡航届の提出がありましたので、お知らせいたします。
期 間:12月2週の週末
渡航先:米国 (ハリウッド)
理 由:ハリウッドターフカップS(G1)騎乗のため
時は2005年シーズンの12月2週の追い切り日の美浦トレセン。岡西は美浦のいくつかの厩舎の追い切り依頼を終わらせて家に帰ろうとしていた。
(さて、水曜の分の追い切り依頼も終わらせたことだし、家に帰ってアメリカに出発するための準備をしないと…。荷造りを終わらせたら翌日は栗東で追い切り依頼をこなして再び東側にトンボ帰り。その翌日に藤枝先生と成田空港で合流して、アメリカに向けて飛ぶという予定。国内にいてもまだ俺は騎乗数制限課せられてるから、こういう時の海外騎乗はいいリハビリになるな。米国重賞制覇第一号目指そうと思ったけど、今年の上半期に福沢先輩に先を越されてしまったからねぇ。俺も三冠馬になったギガと米国G1勝ちに行くぜ)
岡西は米国での騎乗のことを始め、様々な考え事をしながら美浦トレセン内を歩いていた。ドバイでの借りを返す機会が予想以上にめぐってきたことに岡西の海外レースに対する士気は日に日に上がる一方であった。
「おーい、マナ!」
「ん? 誰だろ?」
遠くから先輩騎手の前藤が右腕になにかを抱えながら岡西の元に駆け寄ってきた。
「やっと見つけた。お前を探してたんだぜ」
「マエティさん、どうしたんですか? 慌てて駆け寄ってきて」
「ああ、今週お前が米国に行くということで頼みごとを持ってきたんだ」
「頼みごと?」
「おう、これだよ」
前藤は岡西に一冊のノートを手渡した。岡西は受け取ってすぐにページを開いてみると、品物と依頼主の騎手の名前がリストにぎっしりと読みづらい字で書かれいてた。
「これは一体?」
「土産物リストだよ。最初は数人しかいなかったのが、後輩連中が先輩の行動に揃いに揃って便乗しやがって、最終的にここまでリストが膨れ上がってしまったんだよ。そしてさっき誰がお前にこのノート渡すかでアミダクジやったら俺に当たってしまってこうやってやってきたんだよ」
「あの~、僕は海外旅行に行くわけではないんですけど…」
「それは重々承知だ。大丈夫! お前ならレースの勝利と買い物の同時達成はできる! 一発で三冠を達成させた男だから間違いない! この俺が保証する!」
「ち、ちょっと…。それとこれは話は別なのですが…」
「てなわけでよろしく頼むぜ! じゃあな、頑張れよ!」
「あっ、ちょっと! マエティさん!」
前藤は一言激励の言葉をかけてそのまま走り去ってしまった。岡西はポツンと一人取り残された。
「嘘だろ? なんだよこの数…。先輩絡みの頼み事だから無下に断れないしなぁ。だいたいはなんとかなりそうだけど…。ん? なんか赤文字で書いてるのがいる。マエティさんだ。な、なんだって? ハリウッドスター着用済みの衣装だと? これどうやって買ってこいというんだよ…」
出発を前に先輩騎手からの無茶振り指令で先行きに不安を抱えてしまい、帰る時の足取りが急に重くなった岡西の姿があった。
──翌日、栗東トレセンにて──
(追い切りは終わらせた。さて、東側に戻らないと…。準備だけでなく無茶振り土産のことも考えないといけないし…。はぁ、やること多すぎ…)
前藤に土産を頼まれてからというものの、追い切り自体は普通にこなしても悩み事が根本的に解決できずに重い足取りで栗東トレセンを後にしようとする岡西の姿があった。
「お~い、摩那舞~!」
「ん? 今度は誰だ?」
再び聞き覚えのある声の騎手が岡西の下に駆け寄ってきた。やってきたのは同期の武井幸だった。
「やっと見つけたぜ」
「なんだタケコーじゃないか。今から俺は帰って米国行きの準備をしようと思ってたところなんだ」
「うんうん、そのことなんやけど…。実は俺の兄貴に頼まれごとをされてしまってなぁ」
「匠さんに? 一体なんだ?」
「まあこのパンフレットを見てくれよ」
武井幸は岡西に1枚のパンフレットを渡した。内容は米国産の数量限定の高級カリフォルニアワインのパンフレットだった。
「俺は酒飲まないからワインのことよくわかんないんだよなぁ。匠さんがワインに目がないということは話で聞いてるけど」
「着払いでトレセンまで送ってもらえればいいと言ってたからお前が負担することはないぜ」
「あの匠さんのお願いなら仕方ないか…」
「まあよろしく頼むわ。それよりももっと問題なのがこれだよ」
武井幸が渡してきたのは昨日前藤が渡したノートと似たようなもの。そこには品物と栗東の騎手の名前が記されていた。
「おい、これどういうことだ?」
「見てのとおり土産物リストだよ。揃いに揃って兄貴の頼みに便乗した先輩から後輩まで多数あるぜ。俺はあるイベントの罰ゲームでお前に渡してくるように言われただけだから」
「これ全部買って来いと言ってるのか?」
「まあ先輩絡みの頼みごとが含まれてるからイヤとはいえないだろうけど、まあ頑張ってくれ! んじゃな!」
「お、おい! タケコー! 待て!」
武井幸は土産物リストが書かれてるノートを渡した後、激励の言葉をかけて一目散にその場を後にしていった。
(どいつもこいつも俺に余計な用事を押し付けやがって…。俺は海外に観光に行くんじゃないんだぞ…)
2日連続の同僚からの無茶振り土産依頼に岡西のフラストレーションは急上昇の一途をたどった。勝負に集中したいのにいろんな邪魔が入る。同期や後輩に対してなら要求を突っぱねることはできるが、先輩が絡んでるとそうはいかない。もどかしさに苦しんでる中、岡西の携帯が鳴った。某RPGのラスボスの着メロ音が鳴ると押切からの電話という合図である。
(こんな時に押切先生からだと…)
岡西は怒りの感情をどうにか押し殺して電話に出た。
「はい、もしもし」
『押切です。スマンなぁ、急に電話かけてもーて』
「いえいえ、なにか御用ですか?」
『実は12月のユーロステイテッドのローテについて確認したいことがあってなぁ。来週地方交流重賞の浦和記念に登録してるんやが、岡西君が今週短期免許で米国で乗る言うから岡西君の日程キッつぅなるんかなぁと思って。今やったら2週ほど遅らせて東京大賞典に登録しなおしたほうがエエんやないやろうか思って電話したんやぁ』
「なるほど、そうですね。僕的にはそっちのほうがありがたいと思ってます。東京大賞典は有馬の翌日ですし、どうせ獲るならG1重賞のほうがいいですからね」
『ワハハハハ、せやなぁ。ザコ重賞よりはG1のほうが価値はごっつ上やからなあ。ほな、登録しなおしておくさかい』
「はい、お願いします」
『あー、そうそう! ちょっと岡西君にお願いがあるんやが…』
「僕にお願い? なんでしょうか?」
『忙しい身の岡西君に頼むのはおっくうなんやけど、実はあるお土産をお願いしたいんやわぁ』
「お土産ですか?」
『せや、ワシが欲しい思っとるのはあの有名なターミネーターの映画に出てたシュワちゃんが使用してたサングラスやぁ。昔映画観ててあれごっつ欲しい思ってたんやわぁ。岡西君がハリウッドに行く言うからチャンスは今しかないと思ったんや。できれば買ってきてもらいたいんやわぁ。金はキチンと払うさかい』
「見つかる保障はないですけどできるだけやってみます…」
(ほんとは断りたいんだけど別の場所での悪影響を回避するためにもここはどうにか誤魔化さないと…)
『いやぁ、ホンマにおおきになぁ。今週岡西君に騎乗依頼でけへん寂しさはあるが日本から応援してるでぇ! ほな、レース頑張って~な!』
「あっ、はい。失礼します」
『ほななぁ』
押切との電話を終了させたのと同時に岡西は怒りのオーラを漂わせた。
(押切先生、マエティさんと同レベルの抽象的な土産頼んでくるとは…。なんらかの仕返しを仕掛けないと…)
岡西は押切と知り合って様々な現実を超越したイベントに巻き込まれた反動が今になって出始めてきた。『復讐』の2文字が岡西の頭の中をよぎった。
(とは言うものの先輩絡みのもあるからなぁ。なんとか合理的に物事を済ませる方法はないものか? 予定だと今年最後のレースは迷彩服で締めることになりそうだな。迷彩? そうだ! 最終兵器のあの人に頼もう! あの人に不可能の文字はないはずだ!)
岡西は急いで村山に電話をかけはじめた。普段なら『村山さんに電話をかけることはパンドラの箱を開けるようなもの』とためらってかけづらいものなのだが、状況が状況なだけにためらってる余地はなかった。
『余が村山だ』
「あっ、村山さん。いつもお世話になってます、岡西です」
『おお、岡西殿か。余に電話をかけてくるとは珍しい』
「ちょっと村山さんに1つお願いがありまして…」
『うむ、なにかな?』
「実はかくかくじかじかで…」
岡西は村山にここ数日間の出来事のことを相談した。
『ふむ、そういうことか。それは勝負に行くためにはさぞ不便な用事であろう』
「はい、そうなんですよ。それで村山さんに相談したんです」
『それならば適任者を1人紹介しよう。ミッシェル・ヤシマという日系フランス人で世界中のマーケティングに精通してる優れた人間だ。別名は最強のバイヤー。この者は現在米国で様々な企業の流通コンサルタントをしてる。ノーベル賞にもノミネートされるほどの逸材だからおそらく間違いはあるまい』
「そんなすごい人なんですか?」
『容姿や人柄がかなり風変わりなところがあるが話は余が通しておくので』
「あっ、ありがとうございます。ほんとに助かります」
その後村山が紹介してくれるミッシェル・ヤシマという名の人物とは2日後、アメリカ国際空港で顔を合わせるということで話はまとまった。
(しかし風変わりな人って言ってたけど、あの村山さん以上の変わり者って俺みたことないんだけどなぁ。一体ヤシマさんってどんな人なんだろ? ノーベル賞にノミネートされるくらいだから教授みたいな人が来るのかな?)
岡西はヤシマという人物像をあれこれ想像しながら栗東トレセンを後にして関東へと帰って行った。
──翌日、旅客機内にて──
岡西と藤枝を乗せた旅客機はワシントン州にあるアメリカ国際空港へと向かっている。ビジネスクラスの席にいる2人は快適な空の旅を楽しんでいた。
「摩那舞、米国は初めてで緊張してるかな?」
「別に緊張はしてないんですけどねぇ。ただ米国の競馬がどのようなものかはPCの動画サイトなどで観てきました。向こうの競馬場ではターフ内で騎手同士が殴り合いとかやってるみたいですね。日本では有り得ないことですけど」
「米国で競馬関係は社会的地位が野球やバスケット選手に比べて圧倒的に低く位置づけられてるからなぁ。どんなに結果を残しても世間から注目されないというフラストレーションが米国の騎手には備わってるのかもな」
「まあ日本でも競馬は野球とかサッカーに比べてメジャーじゃないから仕方ないといえば仕方ないんですけどね…」
「まあ向こうの騎手の気質だけでなく人種差別のほうを気をつけないといけないだろうな」
「人種差別?」
「知ってるか? 外国の騎手に黒人がいないのを」
「黒人騎手がいない…、言われてみればそうですね。日本にジャパンカップなどで来日してくる米国の騎手はみんな白人ですよね」
「人種差別が米国の法律上では撤廃されても、競馬は白人のスポーツという認識が根強いてるということだ。有色人種の我々が来たら嫌悪されるのはまず間違いないだろうな」
「外国のホースマンって日本の競馬を見下してる傾向がありますからね。その見下してる日本の陣営に負かされたら向こうの関係者はどんな顔するでしょうかね?」
「どうだか。まあその悔し顔を拝見しに行くのも海外遠征の楽しみでもあるけどな」
藤枝と岡西は時が経つのを忘れて米国競馬のことを話題にしながら談笑していた。昔から海外G1に勝つことにこだわりを持ち続けていた藤枝とドバイでのリベンジを心に秘めてる岡西。2人の思惑は出走予定の海外G1重賞勝利へと向いていた。
──アメリカ国際空港ターミナルにて──
空港内のロビーは多くの様々な国の人々の出入りが激しかった。パスポート提示で税関をパスした藤枝と岡西は荷物を受け取った後、カリフォルニア方面行きの飛行機の搭乗手続きをするためにカウンターに向かおうとしていた。出口には待ち合わせで来ていた多くの人々が待機してたが、その中で周辺の人々から注目を浴びていた男性がいた。その人物の容姿は背丈が177くらいの細身で社交ダンスの大会に出るような服装、髪型はポニーテール、全部の指にきらびやかな指輪のアクセサリーを装着、そして極めつけはアニメに出てくる教育ママキャラのつり上がりのメガネにかなり濃い目の口紅やアイシャドウでメイク。強烈な個性の人物がちょうど藤枝と岡西が荷物預かり所から出てきたのと同時にカメラのスタッフと共に近づいてきた。
「ハーイ、あなたがジョッキーのマナブ・オカニシさんでザマスか?」
「はい、そうですけど…あなたは?」
(なんだこの人? 村山さんとはまた違うヤバい雰囲気あるなぁ)
「ホホホ、ワタクシがマーケティングコンサルタントのミッシャル・ヤシマでザマス」
「あ、あなたが…」
(待て待て! なんでお姉キャラが出てくるんだよ! それに後ろのカメラマンはなんなんだよ! 風変わりとは聞いてたけどここまで来るとはただの変わり者の領域余裕で超えてるじゃねーか!)
岡西は自分の想像とは大きくかけ離れたキャラの登場にどうリアクションを取っていいかわからなかった。
「あらぁ? どうしたザマスか?」
「いや、あの…後ろの人達は一体?」
「あぁ、この人達はカメラマンね。今ワタクシの番組の収録でお題をあなたから提供してもらうところのシーンを撮影するところザマスの」
「あっ、そ、そうでしたか…」
(てゆうか番組収録の話なんて聞いてないぞ…。村山さん絡みのイベントってロクなことないよ全く…。おっといけない…。早くお題のリストを渡さないと)
岡西はどうにか苦しみながらも平静さを取り戻し、旅行用のケースの中から東西のトレセンで手渡されたリストと押切に頼まれたものを取り出してヤシマに手渡した。
「あらぁ、ずいぶんたくさんありますこと。でもワタクシの手にかかればお手のものザマス。期待して待ってて欲しいザマス」
ヤシマは岡西にウインクした後、振り向きざまに集まった観衆に向かって英語で番組の決めセリフのようなことを叫んだ。すると周辺の観客は大歓声でヤシマの決めセリフにこたえたという。この普通では理解しがたい状況に岡西と藤枝は硬直してみることしかできなかった。
「せ、世界は広いものだな…。自由の国アメリカならではって奴かな?」
「そうですね。でもいくら自由の国とはいえ程がありますよ…」
「ところであの人物はお前の知り合いなのか?」
「いや、僕は今日始めて会いました。とある馬主さんの知り合いみたいなんですけど。経歴みたいなのは聞いてましたが、まさかあんな感じの人がやってくるなんて僕は予想できませんでした」
「日本を経つ前にお前が話していたレースに勝つための準備とはこのことだったのか?」
「まあ結果的にそうなるんですけどあの展開でくるとは思ってませんでした。普通にリスト手渡してお願いするだけかと思ってたんですけどね。厄介な野暮用をあの人に任せて僕らはこれで競馬に集中できるということです。僕らは米国に観光に来たわけではありませんので」
「なるほどな。しかし摩那舞の周辺はいろんな事が起こったり変わったキャラが次々と出てくるなどバラエティに富んでるな」
「ほんとは平穏に過ごしたいんですけどね…」
藤枝の最後の一言に苦笑いの岡西。実質上、岡西は押切や村山と知り合ってからというもの現実を超越した出来事に遭遇したり巻き込まれたりしてきた。しかしその出来事が自然とレースでのプレッシャーというのを結果的に忘れさせて騎乗結果へと結びついている。
「さて、野次馬もいなくなってきたしそろそろカリフォルニア方面行きの飛行機に乗るための搭乗手続きに行かないとな」
「そうですね、先にギガクロスブレイクと共に現地入りしてる草野さんも寂しがってると思いますので」
ほとぼりが冷めたのと同時に藤枝と岡西は次の飛行機に乗るために搭乗カウンターへと向かって行った。そしてその後、飛行機に乗りワシントン州からカリフォルニア州まで飛び、そこからイングルウッドという街までバスで移動して目的地のハリウッドパーク競馬場へと向かって行った。厄介事をヤシマに任せることができた岡西の表情は、ハリウッドパーク競馬場が近づくにつれて本来の勝負師の顔へと変わっていったという。