三冠への道(菊花賞編・後半)
(よし、ギガクロスブレイクがひっかかった! これで本命馬の末脚は封じたぜ。あとは直線に入って差し切るだけだ。池井先生の思惑通りだ)
キリンジ騎乗の武井幸はしてやったりの表情で岡西がギガクロスブレイクを抑えようとしてる様子をうかがっていた。
──レース発走、2時間前のキリンジ陣営──
「池井先生、ギガクロスブレイク対策ってなにかありますかね? 末脚勝負に持ち込まれたらどの馬も手がつけられなくなりますから……」
「わたしはギガクロスブレイクのレースを全部VTRで観てきたが、ある法則を見つけた」
「法則とは?」
「ギガクロスブレイクの勝ちパターンは道中は単騎で最後方待機、そして勝負どころでスッとあがってきて直線に入って末脚炸裂というものだ。ここでのポイントはいつも単騎で競馬をしてるということだ。こういう馬は並ばれると怖がって暴走するという可能性があるということだ。そこで幸治は本命馬より少し前のところで道中は落ち着かせて、残り半分くらいで本命馬に並びかけてみてくれ」
「なるほど、わかりました。アイツにこれ以上好き勝手されたくないので一発を狙いますよ」
武井幸は勢いに乗り続けてる同期の岡西に一矢報いたいという気持ちで池井調教師から作戦を授かった。武井幸はルーキーイヤーの時、岡西と新人王争いをしていたが、年が経つにつれて岡西との勝ち鞍の差は引き離される一方でそれにG1勝ちまで積み重ねられて劣等意識感は日に日に増すばかりだった。しかも競馬一家の家系で偉大な父と兄に囲まれて育ってきたため、事あるごとに周りから元問題児の岡西と比べられるたびに嫌な思いもしてきた。今まで苦汁を飲まされ続けたこともあって武井幸のこのレースに賭ける思いは尋常ではなかった。
(くっ、ユーロステイテッドを抑えるよりは楽だけどヘタに抑えすぎて走る気をなくさせるのもダメだ。末脚を封じられたのは仕方ない。せめて直線に入るまで横井さんの馬の位置より後ろのほうで競馬させるしかない……)
岡西とギガクロスブレイクは観客のどよめきに煽られながら大外から淀の坂を駆け上がっていく。手綱は引いたまま。そして頂上あたりで横井典が乗るタイガカルチャーに追いつこうとしていた。
(ま、摩那舞……。いくらなんでも仕掛けるの早すぎだぞ……)
関係者席の場所で双眼鏡を覗きながらギガクロスブレイクの走りを心配する藤枝の姿があった。冷静な藤枝もさすがにこの時は焦りの色を隠せなかった。
(ア、アカン……。オワタ……。長距離のレースであんなひっかかってもーたらアカンわぁ。うわぁ、明日から岡西君にどんな言葉かければええんやぁ)
一方押切の頭の中は岡西の三冠の夢が絶たれるという絶望感で頭が一杯で両手を頭にかかえて1人で震え続けていた。
(ん? 本命馬がもう先頭に迫ってきたのか? マナの奴、三冠のプレッシャーに押し潰されたか? まだまだ青いな……)
タイガカルチャーに騎乗してる横井典は岡西の様子をチラッと後ろを見て確認してマイペースにレースを進めていた。横井典の頭の中に三冠阻止のシナリオが完成しようとしていた。
(落ち着いたかな? ギガらしくない不格好なレースだけど確か菊花賞の舞台でこういうレースしてた名馬がいたような……。まさかコイツはその時の再来か? もしそうならコイツの末脚は完全に封じられてはいない。ムチを打つタイミングさえ間違えなければ勝てる! チャンスは一度きりだがな……)
岡西は淀の坂を駆け下りながら1つの作戦を思いついた。
《実況アナ》
残り1000を切った、先頭は依然タイガカルチャー、2馬身後ろにカグラノセンプウとウインザートーレス、おっとギガクロスブレイクが大外からスーっと勢いよくあがってきた、12万の観客がどよめている! そしてあっという間に2番手の位置まで上がってきた! 先頭に迫る勢い! さあ坂を駆け下りて最後の直線に入った! 先頭はタイガカルチャー! リードは1馬身、逃げ切り体勢に入った! ギガクロスブレイクはまだ持ったまま! タイガカルチャー、ジワジワとリードを広げていく! 外からピンクの帽子キリンジが迫ってきた! ギガクロスブレイクを捕らえる勢い! 残り200を切った!
(よし、ここだ!)
残り200の地点で岡西はようやくギガクロスブレイクにムチを入れた。ちょうど武井幸が乗るキリンジがあと2馬身で追いつくというくらいのここしかないという絶妙のタイミング。末脚はいつもの半分くらいのキレしかなかったが、脚が止まりかけてるタイガカルチャーを差し切り、迫るキリンジを振り切るのには十分だった。
《実況アナ》
ギガクロスブレイク迫ってきた! 外からキリンジもつれてツッコんでくる! タイガカルチャーは一杯か? ギガクロスブレイク! キリンジ! ギガクロスブレイク! 振り切った、ゴールイン! 三冠達成! 21年ぶりの無敗の三冠馬が誕生しました! 最後は底力で迫り来るライバル馬をねじ伏せました! 勝ち時計3分4秒6!
(ふう、あぶなかった……。どうにか勝てた……。長距離のレースだったからギリギリまで我慢できたけど中距離以下のレースだったら間違いなく致命傷だったな……)
岡西は三冠達成という偉業を成し遂げながらもレース内容自体には腑に落ちない様子だった。
「よう、勝てたくせにまた腑に落ちない表情しやがって」
キリンジを誘導させながら悔しそうな表情で武井幸が岡西に話しかけてきた。
「ああ、タケコーか。お前がいらんことしてきたから勝ち負けまで持っていくのに手間取ったけどな。まあおかげで課題は見えたけどな」
「お前の馬が引っかかって暴走したときはもらったと思いきや残り200で二の脚使われたからなぁ」
「仕掛けどころ間違ってなかったから勝てただけでお前にも勝機はあったぜ。ほんとに紙一重だったけどな」
「先週に続いて今週も重賞獲るとは、来週は調整ルームでお前が稼いだ分を酒代でつぎ込ませてやるからな」
「まあいいんだけど飲みすぎてレース当日に二日酔い起こすなよ。俺は酒ダメだから二日酔いは無縁だけどな。俺はウイニングランに行ってくるぜ」
岡西は武井幸との会話を切り上げてギガクロスブレイクを正面スタンドのほうへと誘導し始めた。岡西とギガクロスブレイクが客席に近づいてきたのと同時に約12万の観客は一斉に歓声をあげて岡西の偉業をたたえ始めた。中には「岡西コール」をする客もいたという。大観衆の前で岡西は3本の指を立てて左手を高々とあげて三冠達成のアピールをした。観客の声援にこたえた後、岡西はギガクロスブレイクを着順ゲートへと誘導させた。いつものように1着のゲートには藤枝・吉原・草野の関係者が待っていた。ゲート内にギガクロスブレイクを到着させて岡西は馬を降りた。
「すいません、ヒヤヒヤさせてしまいまして」
「まったくだよ。三冠かかった大一番であれだけ道中引っかかってしまってよく勝てたなと思ったよ。わたしの寿命が10年ほど縮められた気分だよ」
「でもこのレースでコイツの今後の課題がわかりましたので。インタビュー、後検量、表彰式がひかえてますので詳細は後で……」
岡西の第一声に対して藤枝は苦笑いの表情で労った。
「あの難しい状況を機転を利かせてよく乗りこなしてくれました。夢の三冠が達成できてよかったと思います。祇園で祝勝会の準備をしてますので」
「ありがとうございます。もちろん参加させてもらいます」
続いて岡西は吉原とがっちり握手を交わした。
「いや~、ビックリしたよ。俺、心臓バクバクさせながらレース見守ってたから」
「俊樹君の絵の完成に貢献できてよかったですよ」
最後に厩務員の草野とも握手を交わした。子供の切なる願いをかなえられて岡西は安堵の表情で後検量へと向かっていった。そしてレースは無事に確定した。
──再び競馬関係者席──
(あぁ~、アカンわぁ。どないしよう……。岡西君にどないな言葉かければええんやぁ)
押切は最後のゴール板のシーンを怖くて見れずに1人悩んでいた。
「あ、あの~。押切先生……」
「な、な、なんやちゅんか……」
「なにを震えてるんですか?」
「はぁ? オマエ菊花賞観てへんやったんかいな~。ギガクロスブレイクの道中引っかかりを観てなんとも思わへんやったんかいな?」
「あ、あの~、ギガクロスブレイク勝って三冠達成したんですけど……」
「はぁ?」
ちゅんにギガクロスブレイク勝利の話を聞いて半信半疑で押切は電光掲示板を見た。1着のところに間違いなく12番が入っていた。
「ホ、ホ、ホンマや……。岡西君三冠達成したんやぁ」
「え? 最後まで観てなかったんですか?」
「おっとこうしちゃおれへんわ! ちゅん、ここの散らばってる空き缶片付けとくんやでぇ」
「え? ち、ちょっとどちらに?」
「アホンダラァ! 検量室前の放送席にきまっとるやないかぁ! ほな頼むで~」
押切はちゅんに言い残して猛ダッシュで検量室前に向かっていった。
──放送席にて──
『放送席、ヒーローインタビューです。見事ギガクロスブレイク号で菊花賞を制しました岡西摩那舞騎手におこしいただきました。おめでとうございます』
「ありがとうございます」
『まず21年ぶりの無敗での三冠達成について今のお気持ちは?』
「そうですね、達成できて今はホッとしてます」
『レースに挑む前にはどんな気持ちで挑みましたか?』
「そうですね、パートナーの力を信じて悔いのない騎乗をしたいという気持ちだけで挑みました」
『道中残り1000Mくらいの時にひっかかって一気に上がっていったシーンもありましたけどあの時はどういう心境でレースを進めてましたか?』
「予想外の出来事でしたけどヘタに抑えすぎてギガクロスの走る気を削いでもマズいのである程度は走りたいように走らせました」
『次は古馬との対戦ですがどういう気持ちで挑みますか?』
「まだ先のローテーションについては未定なのでオーナーや藤枝先生と話し合って決める予定です。まあどこに決まってもいつも通りの競馬ができればいい勝負にはなると思います」
『最後にファンの方々に一言お願いします』
「えっと、みなさんのあたたかい応援のおかげで三冠を達成できました。これからもギガクロスブレイクを応援してくださるようお願いします」
『ありがとうございます。ヒーローインタビューは以上です』
「ありがとうございました」
ヒーローインタビューを終わらせて表彰式の準備に取り掛かろうとした時、またもや見覚えのある姿の人間が腕を組んで満面の笑みで岡西の前に現れた。
「お、押切先生……。なぜここに? 今日レースありましたっけ?」
「あれへんけどこんな歴史的瞬間を生で観れるさかい観戦に来たんやぁ。今後の参考のためやけどな。いやぁ、岡西君。三冠おめでとさん! 身近な知り合いが大記録達成できて自分のことのようにワシはごっつ嬉しいわぁ」
押切はほぼ強引に両手で岡西の右手をがっちりと握手した。
「あ、ありがとうございます……。レース内容自体はかなり不格好なものでしたけど……」
「いやいや、逆境を勝利に導く! これも岡西君の実力の証やでぇ。このワシが言うんやから間違いあれへんわ、ワハハハハ!」
「は、はぁ」
(なんでこの先生がここにいるんだろ? 確かダービーの時もこんな感じだったような)
岡西は苦笑いで押切のベタ褒めの応酬に答えていた。
「押切先生、僕はこれから表彰式ありますのでこれで失礼します。またトレセンで会いましょう」
「おうよ、ほなな」
岡西は押切との会話を切り上げて表彰式へと向かっていった。
──PM18:00 京都府内、祇園の高級料亭にて──
ここは祇園の某所の高級料亭。オーナーの吉原のはからいで「ギガクロスブレイク三冠達成」の祝勝会がしみじみと行われていて、関係者は出てくる高級料理を楽しんでいて、戦いを終えた陣営も安らかな一時を過ごしていた。その中で岡西は藤枝と今後のことでいろいろと話し合っていた。
「摩那舞、着順ゲートにいた時にお前が言っていた『課題』とはなんだい?」
「ああ、あのことですか。もちろんギガクロスブレイクの弱点のことですよ。アイツは今までのレースでは単走でレースを作るタイプばかりで馬混みの中での競馬はありませんでした。いつも殿で競馬させてくれるとは限りませんから、今後のために併走されても自分の競馬が出来るようにしないといけません」
「ふむ、確かに今日のようなレースが続くようだとジャパンカップや有馬記念に勝つのが難しくなるだろうな。当面は馬混みの中でレースできるようになるまで仕上げないとな」
「そうですね。それで今後はどういったローテでいくのですか?」
「うーん、普通ならジャパンカップか有馬のどっちかに行くのだが……。わたしはあえて次走は海外で行こうかなと思ってる」
「か、海外ですか? 今年だと普通に考えて香港あたりですか?」
「いや、香港ではなくアメリカだな」
「アメリカですか? ブリーダーズカップも終わってるはずなのにどうしてでしょうか?」
「うむ、理由はもちろんわたしが海外G1制覇にこだわりを持ってることだ。それにアメリカを選んだのは地元の一級戦の馬が放牧に入り、面子的にもそこまで強いのはいないと思うからだ。レープロから見ておそらく出走させるのはハリウッド競馬場で行われるハリウッドターフカップSになると思う。日本で言うとちょうど朝日杯FSが行われる時期あたりだな。もちろん鞍上はお前で行きたいのだが」
「ええ、僕でよろしければ短期免許申請して海外に飛びますよ。今年のドバイでの敗戦以降、アメリカの騎手にいろいろとリベンジしたいと思ってますので」
「なるほど、ずいぶん意気込んでるな。でも海外でレースすると国内はもちろん乗れなくなるのでリーディング争いにも影響してくるんじゃないのか?」
「いやいや、海外での騎乗をリーディングが取れない言い訳にはできません。現に匠さんも欧州で騎乗しながらも国内ではキチンとリーディング毎年のように獲ってますし。僕自身もこれくらいのことをできなければ匠さんは到底超えられませんよ」
「ハハハ、でかいことを言ってくれるな。でも気負いすぎて騎乗停止とか食らわないようにするんだな。まあお前には要らぬ心配かもしれんが」
「藤枝先生、相変わらずの辛口ジョークですね」
岡西と藤枝は談笑しながら時が過ぎるのを忘れて話しこんでいた。
その頃、岡西と藤枝とは別の席でオーナーの吉原もいろんな競馬関係者と会話をしながら今後のことや裏話などを語っていた。その時、1人の女将が吉原の元にやってきた。
「あの~、オーナーさん。競馬関係者の方がいらっしゃってるのですけどいかがいたしましょうか?」
「ん? 誰だろう?」
「ちょっと変わった容姿の方なんですけど」
「なんかこのシチュエーション過去にあったような……。追い返すと後が怖そうなのでお通ししてください」
「わかりました」
そして数分後……
「いや~、どうもどうも~。突然の訪問大変恐縮です!」
入ってきたのは紛れもなく押切だった。前回日本ダービーの祝勝会の時と同じパターンでの登場。もちろん周辺の関係者は唖然。
(なんだと? 押切先生、なんでこの場所がわかったんだ……)
岡西は突然の押切の訪問に困惑の色を隠せなかった。
「えっと、確か栗東のほうで調教師をしていた……」
「はい、押切でございます! いや~、三冠達成まことにおめでとうございます! これ地酒ですがどうぞお受け取りください」
「あっ、はい……。あ、ありがとうございます……」
言われなくても即名乗り出てお祝いの品を渡す押切。無下に断るのも悪いと思い苦しみながらも押切からの御樽を受け取る吉原。しみじみとした光景から一転異様な光景へと早代わりした。そんな中、関係者の小さな子供数人が押切の元へ駆け寄ってきた。
「あっ、サングラスのおじさんだ~」
「ん? 君達は確かオーナーのお孫さんたちやったな。おじさんのこと覚えててくれたんかいな?」
「玉簾やってたおじさんだ~」
「ワハハハハ、せやったなぁ。ほな今日も君達のためにおじさんが遊んでやるでぇ。オーナーさん、子供達の相手はこのわたくしにお任せください」
そう言って押切は部屋の端のほうへと子供達を連れて行った。そして数分後……
「今日は本でも読んでやるかな? なんのお話がエエかな? やっぱ『桃太郎』とか『さるかに合戦』とかが好きかいな?」
「幼稚園で何回も聞いたからそれ飽きた~」
「あちゃー、ベタ過ぎてアカンかぁ。よっしゃ! せやったらおじさんがとっておきの君達にためになるオリジナルの『ホースヒーロー』の話をしてやるでぇ」
「話して話して~」
子供達は自分が知らない話に興味心身だった。
「よっしゃ、ほないくでぇ。舞台はトレセン、トレセンの人たちはいつものようにせっせとサラブレットの世話に励んでいました。そんな中、スイーツ怪獣という悪い奴が襲い掛かってきました」
「ゲホゲホゲホッ……」
その話を遠くで聞いていた岡西は飲んでいた烏龍茶を器官にひっかけて苦しみ始めた。スイーツ怪獣という言葉で岡西はちゅんを例えてることを瞬時にわかってしまったからである。簡単なストーリーを言うと怪獣役のちゅんを長官役の押切の依頼を受けた特撮ヒーロー役の岡西がやっつけるという内容である。しかもヒーローの名も実に安直で岡西の名前の部分を使って『マナトラマン』というセンスのかけらもないものであった。
「おじさん、スイーツ食べることって悪い事なの?」
「いやいや、一般的には悪いことやないんやが、騎手の世界では体重の制限がごっつ厳しいんやぁ。さっきのおじさんの話はいい騎手と悪い騎手の例を某特撮ヒーロー風に例えたんや」
「そんな人いるの?」
「いるんやでこれが。実際あそこで烏龍茶飲んでる兄ちゃんがその悪い奴を改心させたのもホンマの話やし、おじさんの厩舎もあの兄ちゃんのおかげで助けられたんやでぇ」
「へぇ」
(俺を勝手にキャスティングされても困るんだけどなぁ……)
ハチャメチャな話になぜか感心する子供達。その話に勝手にキャスティングされた岡西はかなり複雑な心境だったという。その後祝勝会は21時でお開きになりそれぞれ家路についた。岡西はやむなくという感じで押切と途中まで一緒に帰ったという。