強運男・トメさん
前章の皐月賞から5日経った週末の金曜日。仕事帰りに、売店で競馬新聞を買って馬柱表を食い入るように見る一人の老人がいた。
「えっと、土曜は…。あ、いた! 八重桜賞に出るんだ。明日は東京競馬場に行かないと」
老人はある騎手の名を見て嬉しそうに家路に急いだ。この老人の名は千葉県木更津市在住の鈴木留男さん(通称トメさん)というごく普通の一般人。平日はビルの清掃員の仕事をやっていて、土日は競馬場に通うという生活をしている。苗字が同じためなのかどうかは定かではないが、実はこのトメさんはちゅんの大ファンである。毎週金曜日にちゅんが出るレースを見つけては遠くてもその競馬場に足を運ぶという極めて熱心なファンである。ちなみにトメさんの部屋の壁にはちゅんのプロマイドを大事に飾っているという。
「さ~て、家に着いた。例の横断幕を用意しないと」
18時頃、トメさんは自宅に着いた。トメさんの奥さんはすでに他界していて、現在はトメさん1人で古びた六畳一間の一軒屋で生活をしている。普段着に着替えて、大事にしている横断幕を押入れから取り出した。その横断幕は白い布でできていて長さは縦1メートル横1.5Mの手ごろな大きさだが、保存状態が悪くシミだらけの状態であった。その古びた布に『がんばれ! ちゅん君! 』と達筆な毛筆で大きくかいてある。トメさんは朝一番に競馬場に向かってこの自家製の横断幕をパドックに飾るという。
「うん、明日出かける準備もできた。八重桜賞の買い目を考えよう」
準備を済ませたトメさんは土曜東京9R八重桜賞の買い目を考え始めた。その八重桜賞の出馬表は以下の通り。
東京9R 八重桜賞 芝1600M 良 14:35~発走
1枠 1番 リベリアプリンス 牡3 56 武者 美・堀江
1枠 2番 マツカネホーネット 牡3 56 勝田 美・田沼
2枠 3番 ケイエムヴェスタ 牝3 54 新川 栗・副島
2枠 4番 チュンノミ 牡3 56 鈴木中 栗・押切
3枠 5番 ホンゴウノーマン 牡3 56 川辺 栗・山口
3枠 6番 ブラスセリーヌ 牝3 54 村井 美・保科
4枠 7番 チェリーマーベル 牝3 54 中竹 美・庄司
4枠 8番 ソルジャードリーム 牡3 56 岡西 栗・白田
5枠 9番 ダイヤメズメライズ 牝3 54 北町 美・下原
5枠 10番 アドニスバーニング 牡3 56 三井 美・的野
6枠 11番 セツイチストーム 牡3 56 安城勝 栗・松木国
6枠 12番 サトミディライト 牡3 56 中田勝 美・藤枝和
7枠 13番 パフェカノープス 牡3 56 柴畑善 美・松川
7枠 14番 リードプラチナ 牡3 56 幸田 栗・池井朗
7枠 15番 メイトウマサムネ 牡3 56 福沢 栗・安井隆
8枠 16番 ライネマーガレット 牝3 54 蛇奈 美・国木田
8枠 17番 イチイバル 牡3 56 横井典 美・藤枝和
8枠 18番 チェリースティング 牡3 56 前藤 美・小柴
トメさんが見てる新聞によると、専門家の印が厚いのが8番のソルジャードリームで対抗が17番のイチイバルといったころ。ちなみに4番のチュンノミは全くの無印で調教評価も4段階で最も下のD評価であった。
「よし、3連単でちゅん君の馬を一着固定しよう。2着は人気どころを2.3頭セットして、3着を残り全部で流してみよう」
トメさんは馬券を買うときは常にちゅんが乗る馬から行っている。そして大ハズレするというパターンだが、それでもトメさんは健気に馬券を買い続ける。いつかは大的中することを夢見ながら……。
──追い切り日──
場所と日にちは変わって2日前の押切厩舎の事務所内。岡西は今週の日曜にユーロステイテッドが出走するために最終追切に来ていて、ちょうどそれを終わらせたところだった。ユーロステイテッドの今週の追い切り内容は「かかり癖」をなおすための3頭併せ調教で、2頭の併せ馬アスカコーネル・アスカルーブルの間を走って馬込みの中でも落ち着いて競馬ができるようにするものであった。
「いや~、やっぱ岡西君が乗ると違うなぁ。日曜のレースはもう勝ったも当然やなぁ」
常に力強いフットワークで坂路を駆け抜ける絶好の調教内容に、押切の機嫌はうなぎ上りにあがっていく。
「押切先生、まだまだ油断はできませんよ。前走強すぎる勝ち方をしてマークされるのは必須ですし、ユーロはまだ気性が幼いところもありますので……」
脳天気な押切とは正反対で岡西は冷静だった。岡西はユーロステイテッドに乗るようになってからというものの、今年のドバイワールドカップの勝ち馬のサディスティックディザイアのことを頭の中に常に思い浮かべていた。ユーロステイテッドにレース経験を積ませながら、競馬を教え込んでいかないとあの宿敵にはまず勝てないと思ってたからである。
「な~に、岡西君がいれば出世街道間違いなしやわぁ。世界でも宇宙でもはばたけるでぇ。ワハハハハ!」
「宇宙って……」
「あっ、宇宙には競馬場あれへんやったなぁ。ロケット輸送なんて競走馬にしてもーたらアカンわなぁ。小倉橋さんに宇宙飛行士の訓練させなアカンごとなるからなぁ。そらアカンわ~。まあ他のアホ共ならNASAの訓練に放り込んでもかまえへんのやけどなぁ! ワハハハハ!」
「いや、そういう問題じゃないんですけど……」
(ホントにこの先生は調教師なのかなぁ? 俺を頼ってくれるのはいいんだけど……)
諌めても押切の脳天気モードはおさまることを知らない。岡西は今までに出会ったことのないタイプの調教師の扱いに困惑していた。
「あっ、せや。岡西君、日曜の京都8Rユーロのレースの他にもう1鞍騎乗依頼したいのがあるんやけど~」
「なんでしょうか?」
「こっちは土曜のレースなんやけど~府中で出走させるんや~。9Rの八重桜賞なんやけどチュンノミというへんちくりんな馬名のヤツなんやけど空いてるかなぁ~?」
「あ~、申し訳ありません。八重桜賞の乗り馬はもう決まっています」
「あちゃ、ホンマかいなぁ。やっぱいい騎手は先約早いわぁ」
押切は岡西をチュンノミに乗せれなくて脳天気モードが60%ほどダウンした。その時、押切と岡西が話している事務所内にちょうどちゅんが入ってきた。
「お~、ちゅん! ちょっと来い!」
「あっ、はい……」
押切はちゅんが入ってきたのに気づいてすぐさま呼び出した。
「オマエ、土曜の9Rの八重桜賞乗れ! どうせ騎乗依頼ゼロで暇やろ?」
「あっ、はい、頑張ります! ありがとうございます!」
ちゅんは約1ヶ月ぶりの騎乗依頼に表情が明るくなった。押切厩舎で岡西を起用するようになってからというもの、ちゅんの出番は全くなく厩舎でも影の薄い存在になっていた。
「ちゅん君、よろしくね。八重桜賞は俺と勝負だよ」
「あっ、はい! お手柔らかにお願いします……」
ちゅんは勝負を挑んできた岡西に一礼した。久しぶりのレースにちゅんは意気揚々としていた。
「オマエが岡西君に勝てるのは200%ありえへんけどなぁ。アホな乗り方したらシバくでぇ~」
押切はちゅんにはいつも通りドスの効いた声で激を入れる。
「あっ、はい……。が、頑張ります……。あっ、あの~、岡西さん……」
「ん? なんだい?」
ちゅんは岡西に途切れ途切れの口調で話しかけてきた。
「僕、プロになって2年目でまだまだいろんな面で未熟なところばかりで……。できることなら……岡西さんにいろいろと……ご指導承りたいと思いまして……」
ちゅんは岡西に騎手としての師事を頼んできた。
「はぁ? なに寝ぼけたこといっとんのやぁ? 多忙な岡西君がオマエみたいなのに付き合ってる暇なんてあれへんやろ~! 図々しいにもほどがあるわ~!」
ちゅんの岡西への突然の単刀直入に押切は激高した。
「まあまあ、押切先生。いいよ、ちゅん君。俺でよければ。今日の分の追切はみんな終わってしまったから時間あるし」
「あっ、ありがとうございます!」
ダメ元でのお願いが聞き届いてちゅんはほんとうに嬉しそうだった。岡西に乗鞍を奪われたちゅんはここ1ヶ月間レースに出ていなかったこともあり、さすがにプロとしての危機を感じ始めていた。岡西に師事をしてもらおうという志も岡西の技術を少しでも多く取り入れてレースに生かしていきたいという「ちゅんの真のプロ意識の芽生え」でもあった。
「ま、まぁ、岡西君が言うならしゃ~ないかぁ。おい、ちゅん! いらんこと言って岡西君を怒らせたら承知せ~へんでぇ!」
「は、はい~! そ、それはもちろん~」
「ハハハ、押切先生。その点は大丈夫ですよ。ではさっそくですけど別室を使ってよろしいでしょうか?」
「え~でえ~で、使って~な。あとちゅんがなんか粗相かましたときはすぐにワシに連絡してくれれば飛んで来てすぐサウナ風呂に放りこむでぇ。それと顧問料を500万ほどちゅんからぼったくってもかまわへんでぇ!」
「そ、そんなぁ」
押切の相変わらずの無茶振りに困惑した表情をするちゅん。
「大丈夫ですよ。任せといてください。ちゅん君行こうか?」
「は、はい」
岡西とちゅんは事務所を後にして別室に移動した。ちなみに師事の詳細は後の話で少しずつ明らかになっていく。
(やっぱ岡西君は違うなぁ。ワシんところに勝ち鞍をプレゼントするだけでなくアホのちゅんの面倒まで見てくれるんやからなぁ。しかも嫌な顔1つしないで引き受けるんやからなぁ。あの時小倉橋さんが打診してくれたおかげや)
1人事務所に残った押切は椅子に座ってのんびりくつろいでいた。押切自身の気持ちにゆとりが生まれたのは開業以来はじめてのこと。岡西を迎え入れたことで厩舎のいたるところでいい影響が出ていることを押切は肌で感じていた。
──レース当日──
ここは東京競馬場のパドック。ゴールデンウイークの影響で土曜のレースにもたくさんの客が来ていた。東京9R八重桜賞の発走30分前で18頭の出走馬がパドックを周回していた。騎乗予定の騎手18人が一列になって並んでいた。そのうちの何人かが笑いながら話していた。原因はパドックの塀に張ってあるあの横断幕についてだった。
「おい、あの横断幕見てみろよ。すごいなあれ……」
「なんだあれ? しみだらけの白いボロ切れに毛筆で文字書かれてるよ……」
「誰を応援してるんだ? ぶっ、アイツかよ……」
ほとんどの騎手がちょうど目の前にうつるトメさん手作りの横断幕の痛々しさと、その横断幕が応援してる騎手の名で笑いのツボにハマるという事態。騎手や競走馬を応援する横断幕は基本的にデザインも凝っていてカラフルなのが多い。それだけにトメさんの横断幕はひときわ目立ってしまうわけである。ただし岡西だけは周りの会話は全く聞かず、集中してパドックのライバル馬をチェックしていた。
(気をつけないといけないのは藤枝厩舎の2頭出し……。あとはデキから見ても自分が乗る馬より劣る。まあ3歳の500万下だから伏兵もありえるが……)
岡西がいろいろと考えてるうちに騎乗合図が出た。そしていつもの通り各馬にジョッキーがまたがり、2周回して本馬場入場へと向かっていく。
その頃、トメさんはすでにゴール前の最前列に馬券を買って待機していた。トメさんの買い目は3連単フォーメーションで1着に4番、2着に8・12・17番、3着に残りの馬番全部を流すというものである。普通に考えて最下位人気の4番を1着固定にすること自体無謀なことだがトメさんにとってはこの買い方が普通である。トメさんは内ポケットに自分が買った馬券を忍ばせてレースがはじまるのをじっと待っていた。
「おい、お前このレースどれから行った?」
「どう考えても岡西から行くしかないだろ。でも相手がわからんからなあ~。かといって岡西で流して12番とか17番の人気サイド来てしまったらトリガミになってしまうし~」
「俺はあえて岡西の馬は消そうかと思う。そして藤枝厩舎の2頭馬連1点に絞るぜ」
「マジかよ~。8番は消せんだろ……。しかし岡西がとんだら大変なことになるだろうな」
「そういうことだ。だから俺的には岡西にはとんでもらいたい」
二人連れの若い男がお互いの買い目やレース展開のを話していた。専門用語が会話の中に2つほどあるがまず「トリガミ」とは自分が賭けた金額より少ない配当で戻ってくることを言って別名「損返し」とも言う。また二人の会話で「とんでもらいたい」という言葉が出てるが、これは馬券に絡まない4着以下に沈むという意味である。この二人が話しているうちにスターターが台に上がって旗を振り関東の特別競走のファンファーレが鳴った。
《実況アナ》
東京第9競走八重桜賞3歳500万下限定芝1600メートル良馬場フルゲート18頭で行われます。奇数番の馬が収まり偶数番の馬も次々とゲート入り。最後に18番チェリースティングがゲートに入って体制完了…。スタートしました! ちょっとバラついたスタート、5番のホンゴウノーマンと16番のライネマーガレットあたりがダッシュがつかないか? 好スタートを見せたのは4番のチュンノミ、一気にハナを切りました。先頭はチュンノミ6馬身から7馬身のリード、2番手に内から11番セツイチストーム、外にはピンクの帽子チェリースティング、間を挟んでリードプラチナ、その後ろにブラスセリーヌとチェリーマーベルが並んで追走、その内にリベリアプリンス、その外目にサトミディライト、その後ろにケイエムヴィスタちょっとかかり気味、その横に青い帽子の1番人気ソルジャードリーム、その外半馬身後ろにパフェカノープス、半馬身後ろ内にマツカネホーネット、1馬身後ろにダイヤメズメライズとアドニスバーニングが追走、その外にメイトウマサムネ、お終いから3番目にホンゴウノーマン、最後方に8枠の2頭ライネマーガレットとイチイバルがならんで追走。大欅の向こうを各馬通過!3コーナーから4コーナーに入っていきます……。
(相変わらずちゅん君は飛ばすなぁ。そろそろ先頭の馬がヘバってくる頃だが……)
ソルジャードリームに乗る岡西はほぼ中団の位置で追走していた。岡西以外の他の騎手達もチュンノミは直線に入ってヘバってしまうと読んでいた。しかしなかなか先頭と差が詰まらない。チュンノミはすでに最後の直線に入って追い出しをしていた。ふと岡西の頭の中に疑問が走った。
(確か府中は開幕週……。芝の状態は絶好の良……。し、しまった! 俺としたことが迂闊だった! 通常のパターンでは逃げられる!)
岡西は3コーナー過ぎて4コーナーに差しかかる前にに慌てて馬群を抜けて慌てて追い出し始めた。
(ん? アイツはなんで慌てて追走し始めたんだ? 珍しく騎乗ミスか? 先抜けしなくても先頭には届くのに)
一般的に考えて早すぎるソルジャードリームの仕掛けを他の騎手達は全く理解していない状態だった。
《実況アナ》
4コーナーを通過! 先頭はチュンノミ! 6馬身から7馬身のリード! 2番手にソルジャードリーム、懸命に迫ってくる! 3馬身後にはサトミディライト、セツイチストーム、リードプラチナなどが並んで追走! 外からイチイバルも伸びてきている! 残り400を切った! 先頭はチュンノミまだ粘っている! ソルジャードリーム猛追走! 後続集団も徐々に迫ってくる! 残り200を切った! 先頭はチュンノミ! 3馬身から4馬身のリード! ソルジャードリーム迫ってきた! チュンノミ粘っている! ソルジャードリーム一気に差を詰めてきた! チュンノミ! ソルジャードリーム! 並んでゴールイン! 最後のゴール板は2頭ほぼ同時! 3着以下も大混戦! 果たしてどっちが勝ったのでしょうか? 体勢的にはわすかに内4番が逃げ切ったようにも見えましたが……。掲示板は写真判定が続いています。
9Rの内容に観客は唖然としていた。それもそのはず、最下位人気で単勝180倍のちゅんの馬が連対するという大波乱。しかも写真判定の結果次第ではとんでもない配当がつく。ちょうどゴール前のVTRがターフヴィジョンに映し出されて観客達は食い入るようにその瞬間を見ていた。まずは1着争いだがちょうどゴールに2頭のハナが差し掛かった瞬間観客は悲鳴に近いため息をし始めた。3着争いだが内ラチ沿いを走っていた1番のリベリアプリンスがクビ一つ抜けて3着。4着には大外から伸びてきた17番のイチイバル、5着には12番サトミディライトと入線して、着順の電光掲示板の3~5着にはそれぞれの馬番が点灯し始めた。また3着に入ったリベリアプリンスは単勝101.3倍の17番人気のためこの時点で3連単の配当が大きく跳ね上がるのは確定。1.2着のところはまだ写真判定が続いていた。場内はどっちが勝ったのかとざわついていた。
(ち、ちゅん君が……連対した……わ、わたしは……と、とんでもない……配当を……とるかもしれない……)
ゴール前の最前列でトメさんは電光掲示板の写真判定を硬直して観ていた。トメさんの緊張状態は極限、心臓は今までにないくらバクバクしていた。ヘタをすると心臓発作で倒れてしまうんではないかというくらいだった。
その頃、検量室前では各陣営がレースのモニターを観ていた。1.2着のゲートの近くに2頭の馬が待機してるという状態。岡西は白田調教師とモニターを観ながら話していた。
「白田先生、届いてますかねえ?」
「う~ん、わかれへん……。差しきったとも言い切れんし逃げ切られたとも言い切れんわ……」
肉眼ではほんとにわかりにくい判定だった。しばらくして検量室にある着順を書くホワイトボードに裁決委員の1人が順位を書き込んだ。1着に4番、2着に8番と書かれた。高性能カメラで2センチ差で内が残ってることがわかったからである。
「うっ、届かなかったか……。道中気づくのがもう少し早かったら……」
岡西は無情な判定に悔しさをにじませていた。
「まあしゃーないわ。まんまと逃げられるよりはマシな内容やから。そんな悲観する内容やないやろ……。次走は勝てるやろから機会があったらまた頼むわ」
白田調教師はハナ差の2着にサバサバとしていた。
「ホ、ホンマかいなぁ! ちゅんのヤツ、どえらいことやりおったわぁ! こりゃ明日は日本全国大雪になるわこれ~!」
押切はまさか勝てるとは思っていなかったレースに勝ってしまって唖然としていた。
「せ、先生……。ぼ、僕勝ちました……」
ちゅんは嬉しそうに押切の元に駆け寄ってきた。
「なんやオマエ~、空前絶後のまぐれをやりおって~! 日本全国大地震になったらどないするんやぁ!」
押切は嬉しそうにちゅんの背中をペチーンと叩いた。この後、押切達は嬉しそうに久しぶりの口取りに向かって行った。ちゅんにとってはこのレースが実は今シーズンの初勝利であった。
場所はターフのほうに戻ってしばらくして電光掲示板の1.2着の馬番が点灯し始めた。1着に4番が入った瞬間、観客はさらにすごい悲鳴を上げ始めた。そして確定の赤ランプがついた後に驚きの配当が出てきた。
《アナウンス》
東京第9レースの払い戻しについてお知らせいたします。単勝4番18000円……(中略)……3連単4番-8番-1番、1385万4300円。複勝・ワイドの払い戻しにつきましては場内モニターでご確認ください。
3連単の配当が出た瞬間、観客は唖然としていた。中にはお手上げの結果に怒声をあげる観客もいた。さきほどの二人連れの男達もこの配当にはお手上げだった。
「なんだこれ~! 岡西で馬連流しとければ取れたんかよ~!」
「8番はともかく4番の馬なんて買えんぞ~! なんで調教Dの馬が残るんだよ~!」
「馬もチュンで騎手もちゅんって二つ合わせてちゅんちゅんでスズメかぁ!」
「こんな結果やってられんわ~!」
馬券を外した2人はハズレ馬券を地面に叩きつけて、次のレースで取り返すためパドックへと向かって行った。
(つ、ついに当たった……。わ、わたしはとんでもないことをした……)
そしてトメさんは何度も馬券と確定ランプの掲示板を見て自分の馬券が的中したことに今でも心臓が止まりそうだった。深呼吸をして心を落ち着かせて払い戻しへと向かって行った。ちなみに100万以上の払い戻しは自動払い戻し機では支払われないため、高額払い戻しの場所でないと換金できないことになっている。トメさんは緊張しながらもそこに向かっていって、払戻金を受け取ってそのまま競馬場を後にして家に帰っていたという。後にこの払い戻しの配当のことは翌日のスポーツ紙に『八重桜賞で1000万馬券の大波乱! 的中者は千葉県木更津市在住の64歳の男性』という見出しで小さく5面記事あたりに載ったという。