怪人になった夜
「う、うわああああああ!!!!」
俺は恐怖のあまり叫んでしまった。丑三つ時に大声を、とかを気にしている余裕はなかった。自宅の鏡に奇怪な生物が映っていたのだから仕方がない。特撮ヒーローと言うか特撮怪人と言うか、爬虫類をモデルに人型のクリーチャーを造形したらこうなる、って感じのUMAがそこにはいた。ファンタジー作品に出てくるドラゴンの赤い皮膚(鱗タイプではなくゴツゴツした皮膚タイプの方を想像してくれ)そのものに全身覆われているが、より一層不気味なことに顔だけは肌の色こそ同じ赤色だが、造形は人間のそれのままでーーー
ーーーさらにそれは俺の顔だった。
うん、とにかく確認しよう。右目をウィンク。鏡の怪人も片目を同時に瞑る。口を『いーっ!』ってしてみる。鏡の怪人も『いーっ』と返してくる。ちと古いがピンクレディの『UFO』の手を頭の上にかざすやつ。ついでにてへぺろも追加。うむうむ。鏡の怪人も頭の上で手をかざして、てへぺろ。
「お前可愛くねえぞ」
俺は鏡の怪人に向かって指を差しながらそう言った。すると鏡の中も物申すポーズする。‥‥いやいや、そうではなく。
おいおい俺混乱してるぞ。そう、もう確定だ、受け止めねば。俺がこの怪人なのだ。しかも多分夢ではない。Tシャツにスウェット着たクリーチャーってめっちゃシュールね、ってのも違う。ええい余計な思考を混ぜるな。とにかく一回落ち着こう。そうだ、なんか怖くなってきた。怖い怖い怖い怖い怖い。猛烈に部屋に一人で居たくない気分になってきた。無性に外に出たい。
後から考えると極めて非合理だが、人は不安になると夢遊病のようにふらふらしたくなるものらしい。あろうことかこの時俺は、この状況でこの姿のまま外に出ることを選択した。一人で部屋にいるのがとても怖くて心細くて、衝動的と言ってもいい、どこか逃げ場所が無いか探しに行きたくて仕方なかったのだ。そんな正常な判断ができなくなっている状態の中、なぜかこの姿に不釣り合いなTシャツとスウェットだけは脱ぐという配慮だけはちゃんとして、俺は部屋から外に出た。
*****
「んあーもう‥‥飲ーみすーぎちゃったんですよーだ‥‥んふふふふー」
鈴木深春(29歳女子、独身、一人暮らし、彼氏なし、最近アニメに逃避気味)はこれぞ本当の千鳥足、を体現するように、丑三つ時の暗い夜道を歩いていた。会社の飲み会で泥酔して、終電にはギリギリ間に合ったものの駅のトイレで眠り込み、夜間閉鎖前点検に来た駅員に叩き起こされ、その後駅ビルの脇で吐き、座って意識を失い、寒さで目が覚め、こんな時間になってしまった。しかしまだまだ酔いは覚めていない。明日の朝起きた時、この時間の記憶はおそらく無いだろう。よほど記憶に残る事件でもなければ。
彼女にとって、上司とクライアントと下請け企業のトリプルサンドイッチの調整に追われ、休日出勤もサービス残業も当たり前、毎日が仕事と寝に帰るだけの家との往復しかない毎日に擦り減りに擦り減り切ったメンタルを、ごくたまにしか無い会社の飲み会で大爆発させるのは仕方ないことなのだった。こんな夜中に一人で泥酔して歩くのは不用心な気もするが、どうせ襲われる歳でもねえだろ、一応ギリギリまだ二十代だけど生活リズムガッタガタのお陰で、自分でもケアするのを諦めた手遅れのお肌の荒れ方の結果、初対面の人に35歳ぐらいに見積もられるこの私を狙ってくれる男がいるのか確かめてみたい気持ちすらある。
多分私『小説家になろう』とかで異世界転生するくたびれた社畜女子のテンプレだよな。しかも今のこの流れって転生トラックがいかにも登場しそうな状況でもある。あー本当に転生できんかな。キラッキラの美少年に囲まれてドレス着て貴族令嬢とかになって、私を取り合って決闘して、負けた方は失踪して、10年後ぐらいに私のピンチに身を呈して救出しにきて、笑顔で『愛しています』と呟いてそのまま死んでくれ。その頃私は決闘に勝った本命と幸せな家庭を築いているんだから、その想い受け止められないの。でも好きって気持ちはあるの。やーん困るう。‥‥あーもしや、こんな妄想する私って病んでる?
と、ふわふわした頭でアホな事を妄想していると、目の前の路地の十字路、右側から何かが現れた。無論転生トラックではない。人間大の影だった。暗い路地から躍り出てきたそれは、しかし常識的な姿ではなかった。
シルエットは人間そのものだが、恐竜みたいな赤い岩のような皮膚に全身覆われていた。しかし顔だけは人間の顔立ちに見えるので、特撮ものの着ぐるみか何かを着ているのだろうか?そして一番問題なのは、一糸纏わぬその股間が、青白く光っているのである。
「きゃあああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
深春はまるでホラー映画のヒロインのように悲鳴をあげた。深夜に着ぐるみ姿で股間にライト仕込んでうろついている奴なんて、特殊な変態しかあり得ない。
「痴漢!レイパー!いや襲ってみろとか思ってたけど、実際本当に襲われるのは絶対嫌あああ!!!」
一瞬で酔いが覚めたが、その代わり完全に腰が砕けた深春。絶体絶命の貞操の危機である。苦節◯年未使用の貞操だが、あんな光るモノだけは絶対に絶対に、願い下げだった。しかし意思に反して体は動かない。目からは止めどなく涙が溢れてくる。
「ひっ、ひいいいいいいいいっ!!!!!!!!」
しかしその推定変態怪人は、むしろ彼の方も悲鳴をあげて走り去っていった。彼がいなくなったのを見て、深春は心底脱力した。
「た、助かったあ」
地面に大の字になって安堵のため息をつく深春。夜空には春の大三角ーーーつまり乙女座が輝いていた。
しかしその後家に帰り着いた深春は、変態にすら逃げ出されたということに気がついて、ひどく落ち込むことになるのだった。
*****
「どうしよう。どうすればいいんだ‥‥」
深夜の誰もいない河原に座り込む怪人な俺。夜中に河原で俯いて体育座りする怪人の姿を、もし誰かに目撃されたら確実に通報されるだろう。
「はあ‥‥何で俺東京なんて来たんだろう‥‥」
塩尻の田舎でヘタクソなオシャレにイキリながら憧れた花の大都会。いつか絶対『東京のリア充』になるんだと思ったオタク少年は、身を持ち崩し性病になり、あまつさえ異形の化け物になって、孤独に夜の河原で黄昏ている。こんなはずじゃなかった。勘違い野郎だった俺は大学デビューに失敗し、流されるまま入ったサークルで先輩につまみ食われ、ドロドロした人間関係が嫌になって自ら選んで孤独になり、でも寂しくてSNSでライトに心の隙間を埋める日々を過ごした果てに、東京都の端っこで本当に孤独になった。何やってんだかね、俺。
「まあ、いろんな女の子とごた(イタズラ的な意味の方言)して罪重ねたかんなあ‥‥天罰かなあ‥‥」
視界が滲む。涙が溢れる。俺は今世界で一番孤独なんだとすら思うセカイ系な俺がいる。くっそ、だとしてもなんで俺だけこんな目に‥‥。こんなの誰にも相談できねえよ。その意味では本当に世界一孤独かもな。
「ほほう、こんなところでいじけて泣いておったか。情けない男じゃのう」
いつの間にか小柄な少女が、仁王立ちして俺を見下ろしていた。セミロングの茶髪にハシバミ色の瞳、歳の頃は14、5歳だろうか?美少女だがまだ発展途上な体のラインが、夜の薄明かりの中に俺の前に立ち塞がっていた。どこか見覚えのある顔立ち。
「お、お前は誰だ‥‥‥‥?」
「主は今日抱いた女の顔を忘れるほど頭にウロがあるのかえ?」
似ていると思ったがやはりマホルか。しかしどうやって若返った?‥‥まあ、股間が光ったり怪人になったりする状況の原因がこいつなら、最早何があっても不思議ではないか。なんかもう、どうでもいい。
「これ、どういうことだよ‥‥?もうなんか意味わかんね。お前のせいなんだろ?説明しろよ」
「うむうむ、そのために来たんじゃ。それより主の家に連れて行け。このままその姿で外にいると騒ぎになるからのう」
明らかに加害者なこの女に、しかし俺は、どこか安らぎを感じていた。この奇妙な状況を話せる、理解している人間がこの世界に一人だけいる。俺はこの女を自分の部屋に招くことに同意せざるを得なかった。