第三章 商人の馬車2
馬上の商人が涙声で必死に訴えてきた状況を逆手に取るつもりなのか、盗賊の顔が、通ればこの男を殺すと脅していた。
「行くぞ、パデット、シージェ。」
通りすぎてゆくセセルの動きを首ごと目で追いながら、盗賊の表情は怒り、歪んだ。
その怒りの矛先が向かうのはただ一人。
絶望に支配された商人であることは間違いない。
「ねえ、セセル。ねえ!」
「最っ低! 正気なの?」
「いいから黙ってついてくるんだ! 死にたくないだろ?」
非情な選択に納得がいかないシージェはセセルと目を合わせようとはせず、パデットは後ろを振り向く勇気がないのか、黙って下を向いていた。
「来いっ! 殺してやる!」
「助けてくれっ! 誰か!」
商人は男だったが、女のような悲鳴に驚いて振り返るパデットの横を、一本の長い棒に似た物体が飛んでいった。
「うっ!」
あっという間の出来事を把握する前に、盗賊は息絶えた。
その背中には、矢が突き刺さっており、弦を緩めたセセルが無言で立ち尽くしている。
もみ合いに気を取られていたためにがら空きになった背後を突いた、見事な攻撃だった。
「正直君らが素直についてきてくれるか不安だった。」
余計な正義感は危険を招く。
アルウィン川で彼に言われた意味の重大さを、パデットは初めて実感した。
「あ、あなたがついてこいって言ったんでしょ!」
「強がってばかりでは生き残れないぞ? 仲間内でさえも隠し事か? 危険から守ってあげると、さっきまで息巻いていただろう。」
「…。 ごめん。 正直、ちょっと怖かった。 でも次はっ―」
「次なんて関係ない。 むしろ、次からは敵に感情を揺さぶられたり、挑発に乗らないことだ。 怖がりのパデットはともかく、ある程度旅に慣れている君の方が心配だよ。」
自分の考えていることが見透かされていた。
この事実は、パデットの中でセセルという存在をより大きくした。
「ありがとうございます。 ありがとうございますっ!」
九死に一生を得た商人は、礼を言っているというより膝を突いて涙声で感謝を述べている様子から、もはや司教に罪の告白をしていると言った方が適切だった。
実際に彼の両手には聖人レムラゴラをかたどった小さな彫像が光っている。
「確かにここら一帯は開けた土地で貿易も盛んだ。 だが、一人で商売をするのは同意しかねるな。」
「本当に軽はずみだったと反省しています。 商売に夢中になるあまり、自分の命を危険にさらし、挙げ句にはあなた方にまでご迷惑を。 どう埋め合わせたらよいのですか?」
「埋め合わせ? そんなことは考えていない。 二度と迷惑がかからないよう、ちゃんと護衛をつけるんだ。」
先程のこともあり、語気を強めるセセルを見ただけで、商人は身体を丸めて縮み上がった。
「ねえ、もうやめようよ。 僕たち助かったんだからさ。」
「彼は埋め合わせと言っている。 なぜこんなことになったのか、わかっていないからそんな言葉が出てくるんだ。」
「そんなにあなたの筋を通したいなら、あなたが護衛になれば?」
「何? 私がか?」
「そうそう。 その代わりに、あなたは私たちと一緒についてくるの。」
あまりにも奇妙な提案に周囲は静かになったが、シージェの様子はまさに自信にあふれていた。
「馬車があればたくさんの荷物を運べるし、ロムドールまでまだ長いから、宿の代わりくらいにはなるはずよ。 あなたは護衛を得ることで安全に旅ができるし、一石二鳥だと思わない?」
「商人を我々の都合で連れまわすのか? そんなことできるわけがない。 彼には彼の生活がある。」
「ロムドールまででしたらお供します。 いえ、させてください。 恩返しができるなら喜んで。」
「ロムドールまでだ。」
セセルは不承不承ながらもシージェの言い分を認め、馬車の中を覗いた。
中には剣や木の盾、毛皮や銀食器、それにわずかだがランゴルロムがあった。
「少し狭いな。 商品を積んでいるから無理もないが、交代で仮眠をとることはできそうだ。」
「それに、夜は見張りも必要だ。 僕たちは護衛だし、そうだよね?」
微笑するセセルは、パデットの頭にそっと手を置いた。
「まずはアンシャーブルへと向かい、ロムドールへの中継地点にする。 出発しよう…。」
「ファロルです。」
「ファロル、よろしく頼む。」