05
補習の後、晶紀は保健室に立ち寄った。
佐倉から腹筋ローラーを渡されると、体を曲げて、伸ばし、伸ばした状態で腕立てをする、といういつものトレーニングをしていた。
佐倉が事務処理をしているせいで、晶紀の息だけが聞こえていた。
するとドアを叩く音がした。
佐倉がペンを止める。
「誰じゃ」
「宝仙寺です。ちょっと家の者が……」
「とにかく入れ」
佐倉が扉を開けると、知世と真っ黒いスーツにサングラスをかけた『家の者』が一人、保健室に入ってきた。
晶紀は腹筋ローラーを止めて、椅子を出してきて知世と知世の家の者を座らせた。
「何があったんじゃ」
知世は佐倉に向かって話し始めた。
「綾先生のことはまだ調べが進んでいなくて、報告出来ることはないんですが。一つ宝仙寺トイズの技術開発部門から提案があったので」
「宝仙寺トイズの技術開発部門?」
佐倉はそう言い返した後、両耳を手で押さえた。
「晶紀。お前が話を聞け」
「佐倉先生?」
知世が呼んでも佐倉は耳を押さえたままだった。
晶紀が椅子を動かして、佐倉の近くに座った。
「この前過酸化水素の話をした時もこんなだった。佐倉は、理系の話になりそうだと察知すると、耳を塞いで、聞いたり、理解することを拒否したり、するんじゃないかな、と思ってる」
「そうなのですか。それではしかたがありませんけれど」
「で、どういう話なんですか?」
晶紀が知世の『家の者』の方に向かって言う。
「宝仙寺トイズでは以前から『霊力の測定』というのを秘密裡に研究しておりまして」
「えっ?」
晶紀は『秘密裡』にしていたことを、こんなところでサラッと言ってしまって良いのか、と聞き返そうと思ったが、話しが長くなりそうなので、スルーした。
「天摩様に『霊力』の強弱を確認して頂いたり、測定対象としてテストに参加していただいたりしたいのです」
「テストに参加?」
「はい。現在、霊力を検知して距離と強さを表示する機械を作っているのですが……」
霊力の強さと距離、ということはレーダーのように強い霊力が近づいてくるとか、この近辺には霊力がないとか、あるとか、そういったことが分かるということか。それがあれば、石原さんの刺青の時も何も素肌を知世と自分で確認する必要もなく、その機械で何が起こっているのか測定出来たかもしれない。
晶紀は、家の者の話に割り込むように言った。
「それ私に使わせてください」
「あっ、まだ作っている段階で、出来てはいないんです。現状、テストようなのでかなり大がかりな機械でありまして」
「……そうですか」
残念そうな晶紀の顔を見て、知世が言う。
「あっ、すぐ小さいものをつくらせますから」
立ち上がって、手をバタバタとさせながら知世が言葉を続ける。
「つくる為に、ぜひ、テストに協力していただきたいのです」
家の者が説明を加える。
「天摩様。天摩様が我々のテストにご協力いただければ、この霊力レーダーの完成が早まります。早く小型化出来るかも知れないですし」
「『霊力レーダー』ですか! それがあると非常に便利です」
正直、晶紀もそれなりに集中しないと霊の流れを見ることが出来なかった。何気なく見えてしまう時もあるが、もし年がら年中その霊の流れが見えていたら、階段を踏み外すし、通りを歩いている時には電柱に顔をぶつけてしまうだろう。
「当初はおもちゃへ応用することを考えていたのですが、どうもあまり楽しいこととは結び付きませんでした」
「私が晶紀さんの話をしたところ、やりかけていた研究を完成させたいということになったのです」
知世は胸の前で指を組むようにして手を合わせた。
「協力するよ。研究所に行けばいいの?」
「私の家に来てください。宝仙寺トイズの中ではもうその研究は出来なくなってしまったので」
「うん。わかった」
佐倉が手を耳に当てたまま言う。
「そろそろ終わったか?」
晶紀が指で丸を作ってみせた。
すると佐倉は耳から手を放し、「よかったな」とだけ言った。
知世は「それでは」と言って立ち上がった。
「いきなりですが、今から来られますか?」
「えっ?」
晶紀は戸惑ったが、首を縦に振った。
晶紀は、知世と一緒に黒くて大きな自家用車に乗っていた。
車は知世の『家の者』が運転していた。それは宝仙寺トイズの研究員とはまた別の者であり、研究員は助手席に座っている。
大きな黒い車が近づくと、鉄の門が何かの力で開いた。
「えっ、自動で開くの?」
「車のフロントに付けている無線スイッチを押して、門の脇にあるモーターを回しているだけですわ」
「なんかよくわからないけどそうなんだ」
車は少し減速しただけで敷地に入っていく。
奥に大きな屋敷が見える。山にある塔のようなお城ではなく、平場にある宮殿のように横方向に広がっている古風な建物だった。
「あれが知世のお家?」
「ええ、そうですわ。あ、けれども本日は入れませんの。もしよろしければ今週末の休日、ご招待しますわ。ご都合はいかがですか?」
「えっ、本当。ヒマヒマ。ぜひ招待してよ」
「ええ、よろこんで。ではお迎えにあがりますわ」
その言葉に何か引っかかるものがあったが、晶紀は「ありがとう」と返した。
「今日はこちらですわ」
前方にあるバラのアーチの先の地面がズレ始めた。
車は真っすぐそこへ向かっていく。
「えっ、穴が」
地面がズレた先は真っ暗な穴が開いているように見える。
「減速しないと、落ちちゃう」
「大丈夫ですわ」
ズレた穴が開ききると、黒い穴に誘導するような灯りが点いた。
「スロープになっているの?」
知世はうなずく。
「地下にある研究施設に繋がる通路ですの」
「ネ、ネルフみたいだね」
「?」
知世は何を言ったか分かっていないようだったので、晶紀は慌てて取り消した。
「な、なんでもない」
車はバラのアーチをくぐって、スロープを下り始めた。
「ちょっと、スピードが」
「かなり距離があるのでスピードを出さないといけませんの」
それだけではない。誘導用の灯りはその先からカーブを描いている。
「このスピードで曲がるの?」
「ええ。重加速度がかかるので気を付けてください」
「?」
車が曲がり始めると、晶紀の体は知世の方に倒れ込んだ。もちろん、シートベルトをしているので、体はベルトで支えられているが、晶紀の頭が知世の胸のあたりに寄りかかってしまった。
「ご、ごごめん」
知世は晶紀の頭を包み込むように押さえた。
「慣れていないのですから、しかたがありませんわ。しばらくこうしていていください」
晶紀には知世の心臓の鼓動が聞こえてきた。
自らの心臓の鼓動も、知世に聞かれているのではないかと思うほど、ドキドキしていた。
ぐるぐる回りながら、どれくらい進んだのだろうか。時間の感覚が無くなっていて、晶紀には、はっきり分からなかった。
道が平坦になってから、真っすぐな道に変わると駐車場のようなスペースがあって、車は静かに奥の自動扉の前に止まった。
「晶紀さん。着きましたわ」
知世の家の者が先に車から降りて、車の後部座席のドアを開けた。
「天摩様。到着いたしました」
ポンと知世に肩を叩かれ、ようやく晶紀は体を起こし、シートベルトを外した。
車外に出ると、空気が重く感じた。気圧が高くなっているのか、その場の匂いや雰囲気によるものなのかは分からなかった。
『家の者』に導かれるように自動扉の前に立つと、ゆっくり知世がやってきた。
「それでは参りましょうか」
晶紀は静かにうなずいた。