04
白衣を着た男。
丸い眼鏡を掛け、クマのような風貌。
その肩の上から見た幸せな風景。やさしい感情。なごむような思い出。
パッと光とともに激しい爆風が目の前を覆う。
目の前に立っている白衣の男。思い出の中の人物とそっくりだった。
男は、爆風を和らげるために、そこで立って、私を守っていてくれたのだろうか。
いまさら?
「どしたの?」
かなえが言った。
「……なんでもない」
晶紀は補習を受ける為に教室に残っていた。晶紀のクラスからは晶紀の他に、木村かなえ、山口あきな、石原美波が出席するようだった。他のクラスから補習を受ける生徒が集まってきて、教室が少し騒がしくなってきていた。
「ミナミも補習かよ」
声に振り向くと、そこには茶髪のデカパイがいた。
「すずちゃんも補習?」
「そうじゃなかったらなんでこんな時間に教室に残ってねぇよ」
そう言いながら石原の横に座った。
かなえが晶紀に耳打ちしてくる。
「(あそこに座って、ミナミのこといじめるのかも)」
茶髪のデカパイもミナミのことをいじめていたのか。晶紀は考えた。今の石原さんは刺青で恨みの力を集めていた時とは違う。すぐに限界に達してしまうかもしれない。
「(あの二人の後ろに座らない?)」
晶紀とかなえは、仲井と石原の後ろに席を移した。
仲井が振り向いた。
「なんだ、文句あんのか?」
晶紀は首を横に振った。
「ああ、補習なんてめんどくせぇ」
「確かにすずちゃん補習なんて珍しいよね」
隣の石原が言うと、仲井は机を叩いて音を立てた。
「うるさい」
いじめか、と思って身構える晶紀。
「ごめん」
「……」
晶紀は二人のやりとりを見ていて、これ以上酷いことになったら止めるつもりだった。しかし、それ以上の口論にはならなかった。
補習が進んでいくと、仲井すずが急に振り返ってきた。
「天摩。消しゴム貸せよ」
晶紀はわざわざ後ろを振り返って、消しゴムを貸せというのが不思議だった。
「借りるぞ」
といって、晶紀の返事を待たずにすずは消しゴムを取って前を向いた。
晶紀は隣の石原さんから借りればいいのに、と思ったが仲井すずと石原さんを絡ませて、また口論になったらと思った。
しばらくするとまた仲井が振り返ってくる。
「消しゴム」
晶紀が手を出すと、仲井は目じりに指を置いて引っ張った。大きな整った瞳が、いっきに変形して面白い顔になった。晶紀は思わず笑ってしまう。
「ちょっと。天摩さん。これは補習授業なんですよ。ここで理解するつもりで集中して授業を聞いてください」
「すみません」
先生の目が離れた瞬間、また仲井すずが晶紀に向かって、鼻を指で押し上げて変顔を作ってみせる。いつもの接し方とのギャップのせいなのか、やはり笑ってしまう。
「天摩さん」
晶紀は先生に向かって頭を下げる。笑ってしまっている顔がそんなすぐには真剣な表情に戻せなかったから、隠す意味もあった。
授業が進むと先生が時計を気にし始めた。
なんだろう、と思っていると先生が言った。
「これから残り20分で小テストにします。先生は別の用事があって、テストの間、職員室に戻っていますが、他人の回答を写したりしないように」
テストの紙が配れると、他のクラスの生徒が言った。
「これ写したり出来ないやつじゃん」
晶紀の手元にも問題が来たが、小論文として回答を書かせるもので、確かにこれは丸写し出来ない。
「じゃあ…… はじめ」
先生は時計の時刻を見ると、教室を出て行った。
問題を読み、カツカツと回答を書き込む音が教室に響く。
晶紀も大まかに考えをまとめて、書き始めると、またまた仲井が後ろを向いてきた。
「ほら、このシャーペン。かわいいだろ? 『どっこいパンダ』だ」
不細工なパンダが背中と背中をつけて、腰を下ろしている絵が描かれている。
「限定販売されたやつなんだ。たまたま、ネットでオークションしててさ」
「ごめん、よくわからないんだ」
晶紀はそう言って小テストの回答を書き始めると、仲井が回答用紙の上にペンケースを突き出してきた。
「こっちも同じ『どっこいパンダ』だけど、十周年来店者プレゼントとして作ったもので、たまたまプレスリリースの時に私呼ばれて頂いた貴重なものなんだ」
こんなにこいつと話すのは初めてなのに、いきなりなんでこんなに語ってくるのか。晶紀は書くのをやめて、仲井の顔を見た。
「もう回答かけたの?」
「いいや」
「さっき先生が言ってたじゃん。補習なんだから、しっかり」
聞いているのか聞いていないのか、仲井はまたペンケースの中をゴソゴソ探し始める。
「ほら、こっちは『怒リンゴ』柄の物差しでさ」
「うるさいよ」
晶紀が言うと、仲井は平手打ちをしてきた。晶紀は痛いのを我慢し、黙って睨み返した。
もう一度、仲井が手を上げると、かなえがその手を押さえた。
「やめなよ」
「こっちだって……」
仲井はそう言いながら、前を向いて回答を書き始めた。
しかし、数十秒ももたず、晶紀を振り返ってきた。
「消しゴム返すのを忘れてた」
「ありがとう」
仲井が前を向いてまた十数秒回答を書いたかと思うと、ブツブツ独り言を言い始めた。
「トイレ。トイレ行きたい」
「……」
静かな教室で、仲井は全員の注目を集めていた。
「だめ、我慢できない」
立ち上がると、教室を出て行った。
晶紀はそれとなく仲井の回答を見ると、一行書いていたが、書いた文自体は途中だった。
回答を書きながら、仲井のことを考える。何か普通じゃない。晶紀に対してこんなにフレンドリーな状態になったことがあっただろうか。
なにしろ転校初日に晶紀の足を引っかけて転ばそうとした娘なのだ。仲井が一方的にしゃべっているとは言え、回りから見たら二人は親しい仲に見えるだろう。晶紀は別に構わなかったが、これが小泉に知られたら小泉になんといわれるだろう。これには何か理由があるはずだ。
教室の時計を見ると、そろそろテストも終わりという時間になって、仲井と先生が一緒に入ってきた。
何か話しながら、教室に入ってくる仲井を見ていると、霊が集まってくるのが見えた。
「!」
石原さんの刺青に気付いた時と同じだ。
晶紀は仲井をずっと見ていると、仲井が言った。
「何ジロジロ見てんだよ。キモイな」
そう言いながら仲井は席についた。
「はい、そろそろテスト終了です。皆さん回答を仕上げてください」
晶紀はテストに意識を戻した。