02
「晶紀。晶紀、大丈夫か?」
佐倉の顔が見えた。晶紀はびっくりしたように立ち上がる。
「佐倉。今、化学実験室が」
「立ち上がって大丈夫なのか?」
晶紀は自身の体を確認する。制服のブラウスはボロボロに切れていたが、傷も痛みも何もなかった。
「別にどこも痛くない」
佐倉が晶紀の鞄から手をつないだくまのぬいぐるみを取り出した。
「これのおかげ、回復したのかもしれんな」
晶紀は佐倉の言葉にうなずいた。確かに、さっき大きな爆発がして、気を失っていた。正確に覚えていなかったが、無傷のわけがなかった。
「佐倉はどうしてここに」
「大きな爆発音がしたからな」
「実験室の中は?」
「まだ見てない」
晶紀は実験室を、扉の外から角度を変えて覗き込む。大丈夫、と見て中に入る。
「酷いな。色んなものが割れている。いったいここで何があった」
中は壊れたテーブルやテーブルの脇にあった陶製の流しが割れたものが散乱していた。水道部分は、かろうじて曲がっただけで済んでいたが、一部の蛇口は栓が緩んだのか、水が床に流れていた。
実験室の中央部分の損傷が一番激しく、テーブルの形も残っていない。外に面しているガラスは割れて無くなっていて、端の窓はガラスにひびが入っていた。
「過酸化水素水を熱したんだ」
「……あっ。わからん。それ以上は儂の耳が受け付けないからな」
晶紀はスマフォを操作した。
「温めると水の沸点の方が低い為、過酸化水素の濃度が高くなる。さらに温度が上がることで、過酸化水素の分解速度が速くなる。その二つの理由から爆発的に酸素を放出する。酸素が過多の状態では、酸化反応が加速する。簡単に言うとよく燃える、ということらしい」
佐倉は耳を押さえていた。
「理系な話は頭がおかしくなるから聞かんことにしておる」
「あっ!」
晶紀は急に実験室の中を探し回った。
いくつか、壊れたテーブルをひっくり返してから、言う。
「いない……」
「敵か?」
「いや、助けてくれた人がいたんだ。爆発の時に扉のところにいたのは確かだったのに」
「で、この爆発の張本人は」
「綾先生だよ。間違いない。白衣を着た長身の男」
「お前の綾先生に対する認識はそのくらいなのか? その二つの条件で綾先生と断言する気が知れない」
「ごめんよ、なんて言っていいかわからないけど、綾先生だったんだ」
「……この場所にいるのとすれば確かに綾先生がいるのは自然だが」
始業前の予鈴がなった。
晶紀は自分の服を見て慌てる。
「授業を受ける前に体操着に着替えなきゃ。佐倉はここの後始末をよろしく」
「は? 何を勝手な……」
晶紀は手を上げて去って行ってしまう。
「……」
佐倉は腕を組み、ため息をつく。
瓦礫を眺めていると、白い布切れが落ちているのに気づいた。
佐倉は近づいて、一つ、二つと拾い上げた。
体操着に着替えて、教室に入ると、すでに授業が始まっていた。
「すみません。まだ出席扱いしてもらえますか?」
「天摩さんですね」
出席簿を訂正して晶紀の顔を見る。
「それでは静かに着席してください」
晶紀が自席に座ると、知世がメモ紙を置いてきた。
『何があったのですか?』
晶紀は小さなメモ紙を取り出して、書く。
『綾先生が化学実験室を爆破した。それに巻き込まれた』
「えっ」
教師の目が知世に向く。
それに気づいて、知世は視線を逸らした。
晶紀は自らメモ紙を知世の机から戻し、書き加えた。
『術を使って、瓶やバーナーを飛ばすのを見た。綾先生は公文屋の仲間に違いない』
「……」
知世は真剣な表情でそのメモを読むと、ゆっくりとうなずいた。
そしてどこを見ている訳でもない、遠い目をして小さくつぶやいた。
「(あやせんせい……)」
晶紀はそれ以上メモのやり取りをするのを止めた。
授業が終わると、教室の後ろの扉が開いた。そこには佐倉が立っていて、晶紀と知世に向けて手招きした。
二人が廊下に出ると佐倉が言う。
「化学実験室の処理で教頭に話をしたが、警察は呼ばないらしい。学園内で処理をすることになった。今、用務の方や警備の方で片付けをしている」
「えっ、そんな。あんな爆発があったんだから、警察をいれてちゃんと捜査してもらうべきだよ」
「被害者がいない状態だからな。学園のイメージダウンも考えると、自ら騒ぎにする必要がないと判断したんだろう」
誰に損害賠償を請求するとかでなければ、爆発したという事実が周囲に知れるだけで、学園のイメージダウンになってしまう。しかし、あの音があって周囲の住民をごまかせるのだろうか。晶紀は首をひねった。
「それから、職員室に行った時気付いたんだが、綾先生は今日の午前中まで、教育委員の研修があって出張しているそうだ。午後には学園にくるそうだが」
「じゃあ、実験室で私の目の前に居たのは……」
「単純に考えれば『見間違え』ということになるな」
「そんな! いくら何でも顔を見間違えな……」
佐倉は晶紀の口を指で押さえた。
「儂が言いたいのは…… とりあえず。この話を『騒ぎ』にするな。そういうことだ」
晶紀は佐倉の指をはらって、言う。
「けど、それでいいのかよ」
「単純に呪術や霊力の強い弱いじゃない。政治力の話を含んでいるんだ。学園内の悪を正そうとしても、その前に退学してしまったら元も子もない」
「……」
「わかったら教室に戻れ」
佐倉は腕を組んで、晶紀と知世が教室に戻るまで見つめていた。
「知世、次の休み時間からちょっと手伝ってもらえるかな」
「なにを手伝えばいいのですか?」
「化学実験室に行って、爆発時に綾先生がいたっていう証拠を探したいんだ」
「……」
知世はその場で立ち止まって、振り返る。
「駄目かな?」
知世は握った右手の甲を口元に近づけ、何か考えている様子だった。
「良いですわ。けれど授業の間の休み時間だと、行って帰ってくるだけで時間が経ってしまいます」
言い終えると知世は晶紀の袖を引いて、山口の所に連れていく。
「あきなさん。お昼ご飯のことなのですが……」
知世が言いかけたところを遮るように、晶紀が言葉を被せる。
「お昼休み、化学実験室に行かないか?」
「なんか手伝えってこと?」
「お願い」
晶紀が自らの胸の前で手を合わせると、山口は笑った。
「そんなことしなくても手伝うよ。じゃ、お昼ご飯は教室で食べる?」
「そうですわね」
「二人とも、ありがとう」