私は私の味方になれない
自分ぐらいは自分の味方になろうなんて言葉があるけれど、それってむっちゃむずくね?
心がけとしてはいいけど、人を元気づける言葉ではなくね?
というかんじのものです。鬱が滅茶苦茶酷かった時のことを思い出して、今の自分が思ったことを言葉にしました。
"最後に残るのは自分自身 だから自分を愛してあげて"
なんて言葉が何度でも何度でも 私の前を通り過ぎる
届けたい人が欲しい物は 自分の否定だったとしても
"他人に裏切られたって あなた自身は残るから"
なんて言葉が何度でも何度でも 美談として巡ってくる
届けたい人の嫌いな物が 自分自身だったとしても
痛む胸の内を知らない人が 傷む精神を知らない人が
知ってたとしても「あなたのために」と己を愛せと語りかける
わかっていても嫌いな自分が 愛せるように思えない
わかっているから嫌な自分が より嫌いになっていく
ああもちろん
理不尽な嫌いなのは知っている 私が考え込んでしまうだけ
ああもちろん
理不尽な怒りなのは知っている 私に不都合だっただけ
だけど今なら
だけど今なら
今なら言えるぞ「クソ喰らえ」って
"私を愛せない私"を愛せない癖に 私に私を愛せと言うな
糖衣にくるんだ「持て余してる」を愛のフリして押し付けて来るな
それが効くやつももちろんいるが 全部の病気に一つの薬が効くわけねえだろ
私は私の味方になれない
私は私が大嫌い
私の望む私になれない
だから自分が大嫌い
それを愛せと言われたって 自堕落の果ての妥協だよ
それが許せと言われたって それができたらこうなってない
自尊があるから自分が嫌い それでいいじゃんって言ってくれ
"最後に残るのは自分自身 だから自分を愛してあげて"
なんて言葉が何度でも何度でも世の中を巡るのは きっとそれが難しいから
"他人に裏切られたって あなた自身は残るから"
なんて言葉が何度でも何度でも世の中を巡るのは 一番難しい心がけだから
それができなきゃ価値が無いなんて 思ってしまうのが辛かった
自分を愛してみるのなんて 一先ず生きてそれから考えればいいよ
それでも無理ならしょうがない 嫌いな自分で生きたっていい
私は私を愛せないけど
嫌いでいいなら生きていけるよ
自分の味方になれないけれど
敵になる必要もないから生きていけるよ
とりあえず生きるのが先。
好きも嫌いもその後の話じゃないかなって、今なら思える。