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本日3話目です。
俺が出会った頃のヒスイちゃんはデビューしたてだった。
マスコミにあまり露出せず、握手会などの接触イベントも行わない異例のアイドルだった。
勝負はライブ一本。小さなライブハウスを地道に回り、ライブを重ねていった。
コアなアイドルマニアくらいにしか知られていなかったヒスイちゃんは、だが、ライブの度に新規ファンを取り込んでいった。
他のアイドル目当てに来ていた客が、帰るときにはヒスイちゃん一色に染まっている。そういう光景を幾度も目の当たりにした。
――ヒスイちゃんにとってライブとは?
「戦いです」
――戦い?
「はい。ちゃんとわたしの思いをみんなに届けられるか。みんなを笑顔にできるか。自分との戦いです」
――その戦いには勝ててると思いますか?
「最初の頃は勝ったり負けたりだったと思います。でも、ある時に気づきました。たとえミスしても、その時の全力を出し切れれば十分なんだなって」
――戦いに挑む前、ステージに上る前はどんな気持ちなんですか?
「怖いです。とても怖いです。でも、今までの戦ってきたからこそ、今日のステージに立てるんだ。そう思って、自分を信じることにしています」
――ライブ中にはどんな事を考えているのですか?
「なにも考えていません。全力を出し切ることだけで精一杯です。誰かに思いを届けるには全力でぶつかっていくしかない。そう思っています」
――ライブが終わった後はどう感じますか?
「みんながひとつになれたなって」
――ひとつ?
「最近ようやくわかりました。わたしは『菊野ヒスイ』の一部なんです」
――一部ですか?
「わたしだけじゃなくて、曲や詩を創ってくれる方々、振り付けの先生、楽器演奏してくれるバンドメンバー、プロデューサー、マネージャー、ライブ会場のスタッフさん方、そういった菊野ヒスイをサポートしてくれる人々、そして、菊野ヒスイを応援してくれているファンの皆様。そういうみんなが集まって、全部あわせて『菊野ヒスイ』なんだと思います。ライブという空間はみんなをひとつにします。音楽にはその力があります」
――今後の目標は?
「プロデューサーは『菊野ヒスイ』による世界征服だって言ってます(笑)。それは冗談にしても、わたしは、『菊野ヒスイ』には世界中のみんなを笑顔にするパワーがあると思ってます。そのためにわたしができる最大の努力をしていきたいです」
俺はヒスイちゃんをオッカケた。
足繁くライブに通ううちに友だちができた。
同じ思いを持ち、同じ言葉で語り合える戦友だ。
嬉しかったし、自信もついた。
引きこもりを止め、大学にまた通うようになった。
クラスメイトにも積極的に話しかけ、大学でもぼっちじゃなくなった。
オッカケ費用を捻出するためにバイトも始めた。
毎日が楽しかった。
イヤなこと、ツラいこともあったが平気だった。
もうひとりじゃなかったから。
友人もいたし、なによりも、心の真ん中にヒスイちゃんがいたから。
俺の生活が充実していくとともに、ヒスイちゃんも着々とステップアップしていった。
ツアーをやる度に、ハコは大きくなり、より多くの人がヒスイちゃんの思いを受け取り、笑顔になっていく。
ヒスイちゃんの夢の実現に向けて一歩ずつ前進している。
そのことがなによりも嬉しかった。
――そして、一ヶ月前、絶望が始まった。
『菊野ヒスイ失踪――』
ヒスイちゃん初の武道館ライブを数日前に控えた日曜日だった。
ネットもマスコミも大騒ぎだったが、それは他人事として騒ぎ立てるだけだった。
しかし、俺にとっては自分の身が切り取られたような痛みだった。
ワイドショーでは、文化人気取りのお笑い芸人が「プレッシャーに耐えられなかったのでは」などと無責任なコメントをしていた。
ふざけんな!!!!
ヒスイちゃんの夢が、ライブにかける思いが踏みにじられた気がして、無性に悔しかった。
ネット上はさらに酷い有様だった。
「バックバンドのギタリストと駆け落ち」だの「整形失敗」だの「妊娠中絶」だの。
ヒスイちゃんの安否などこれっぽっちも気にかけず、ネタにして面白おかしく囃し立てるだけだった。
そして、ライブの返金騒動もあって数日間はもり上がったこの話題も、大物俳優の不倫騒動が発覚するや、途端に忘れ去られた。
たったの一週間もたたないうちに、ヒスイちゃん失踪話の賞味期限は切れた。
心配し続けたのは本当のファンだけだった。ヒスイちゃんが逃げたり隠れたりしないことを知っている人たちだけだった。
事故か? 事件か?
ファンクラブの掲示板では、断片的な情報をかき集め、つなぎ合わせ、なんとか失踪までの足取りを明らかにしようと試みられた。
皆の協力のおかげで、失踪当日の午後3時18分にカフェをひとりで出たところまでは、ほぼ完全にその日のヒスイちゃんの行動がトレースされた。
しかし、それ以降の情報は皆無だった。いくら調べても、ヒスイちゃんの痕跡は発見されなかった。まるで、カフェを出た直後に消え失せたかのように。
それもそのはずだ、ヒスイちゃんは異世界に転移して勇者になっていたのだから――。




