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 そこにいたのは魔王ではなかった。

 襤褸ボロをまとい、うずくまって座っている幼子だった。

 魔王になる以前のリリアスノートだ。


 俺がさっき見た過去の記憶の中と同様、ちっぽけで弱々しい姿だった。


「さあ、こっから出ようぜ」

「…………」

「世界は楽しいこといっぱいあるんだぜ」

「…………」

「俺の言うこと信じられないか」

「…………」

「俺だって信じられなかったもんな」

「…………」

「俺のことは信じられないかもしれない」

「…………」

「でも、『菊野ヒスイ』は信じて間違いない」

「…………」

「今とまどってるだろ?」

「…………」

「はじめての出来事でどうしたらいいか分からないだろ?」

「…………」

「だったら、試してみろよ」

「…………」

「騙されたと思って、一回試してみろよ」

「…………」


 下を向いたまま、俺の言葉には一切返事をしないリリアスノート。

 そんなリリアスノートの細い腕を掴み、無理矢理立ち上がらせる。

 抵抗されるかと思ったけど、リリアスノートはすんなりと俺に従った。

 人間姿に戻ったオレよりも頭2つ分低く、ガリガリに痩せた華奢な体躯。

 ちょっと力を入れたら折れちゃいそうなこの身体の持ち主が魔王になってしまったなんて想像もできないほどだ。


 オレはリリアスノートの細い肩に腕を回し、反対の腕を高く掲げる。


「さあ、ちょうどギターソロも終わりだ」


 ライブではギターソロの後に、コール・アンド・レスポンスが待っている。


「おーおーおーおー、おおーおーお、おーおおーおおー、おーおーおーおー」


 それまで爆音を奏でていたバッキングがピタリと止んだ静寂の中、拳を高く強く挙げたヒスイちゃんが4小節のメロディーを歌い上げる。

 力んでいない澄んだ歌声はドコまでも届く。

 広いホールの隅々までも。

 オーディエンスの心の奥底までも。


 そして、きっと、一人の弱り切って絶望しきった魔族の子どもにも――。


「おーおーおーおー、おおーおーお、おーおおーおおー、おーおーおーおー」


 ヒスイちゃんが歌ったのと同じメロディーを、俺も続いて叫ぶように歌う。

 上手いか下手かは関係ない。

 拳を力の限り振り回し、魂の叫びを上げるのだ。


 いきなり音程の外れた下手くそな歌声を上げた俺を、リリアスノートは不思議そうに見上げてきた。


「ほら、ぼさっとしてないで、オマエもやるんだよっ」

「…………」


 ヒスイちゃんが繰り返し、2度目の回。

 またもや、俺がひとり叫ぶのみ。


 だけど、3回目。ちょこんと小さく手を上げたリリアスノートが控え目な歌声で歌い始めた。

 俺のシャウトにかき消されるような、細い声だったけど純粋で綺麗な声だった。


「いいぞいいぞ。その調子。遠慮せずに、もっと大きな声でっ!」


 4回目。さっきより少し大きな声になったリリアスノート。

 だが、まだまだだ。


 5回目、6回目と少しずつリリアスノートの声は大きくなり、上げられた手もきつく握り、リズムに合わせて振り回し始めた。


 その時、突如、俺たちの前に影が現れた。

 リリアスノートにチカラを与え、魔王にした影だ。

 残虐な魔王の本体、ファウストの妄執だ。


 リリアスノートのたじろぐ気持ちが身体越しに伝わってくる。

 だけど、ここでコイツに負けるわけにはいかない。

 コイツが諸悪の根源だ。

 コイツがリリアスノートを取り込み、支配し、世界に不幸をもたらしたんだ。


 リリアスノートはそんなことは望んでいなかった。

 ただ、幸せになりたかっただけなんだ。

 そんなリリアスノートを悪用したコイツを許すことはできない。

 だから、コイツに負けるわけには、絶対にいかない。


 でも、戦うのは俺じゃない。

 それに、普通だったら、コイツを倒して「めでたしめでたし」なんだろうけど、俺たちはそんな戦い方は決してしない。

 リリアスノートが戦って、過去の自分に打ち勝ち、勇者であるヒスイちゃんがコイツを封印する。

 それが俺たちの戦い方だ。


 だって、今や、俺も、リリアスノートも、『菊野ヒスイ』なんだから。


 そんなオレの思いが届いたのだろうか、やけくそ気味にシャウトする俺の横で、リリアスノートも腹の底から声を出し、拳をぶん回す。


 ――分かってんじゃん!


 俺はリリアスノートの肩に回した腕に力を込める。

 リリアスノートも俺の肩に腕を回し、ギュッと力強く占めてきた。

 嬉しくなった俺は、自分の頭をコツンとリリアスノートの頭に軽くぶつける。すぐに、リリアスノートも同じようにぶつけ返してくる。


 二人で声を合わせて、「おーおーおーおー」と叫ぶ。

 俺とリリアスノートとヒスイちゃん。

 三人がひとつに溶け合っていく。


 これだ。これが、これこそが『菊野ヒスイ』だッ!!!!!!

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