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 魔王の4本の腕が同時に振り下ろされる。

 ヒスイちゃんはそれを剣一本で受け止めた。

 彼女は俺の目を見つめ、大きく頷く。

 そして――魔王の腕を振り払って、その剣を高く高く掲げた。


 両足を肩幅より少し開き、両腕高く剣を掲げるこの姿勢。

 今までに何度も繰り返し観た、ヒスイちゃんの決めポーズのひとつだ。


 菊野ヒスイが始まったことを――俺は理解した。


 戦いの歌だ。

 ライブの終盤で必ず歌われる曲だ。

 ライブで一番盛り上がる曲だ。

 彼女の出世作3rdシングルの曲だ。

 俺がPVで観て、初めて彼女を知った曲だ。

 俺が生まれ変わった曲だ。


 ライブでは曲のイントロで、今ヒスイちゃんがやっているように、剣に見立てたマイクスタンドを高く掲げる。

 ヒスイちゃんが掲げた剣が淡い緑色の光に包まれた。


 俺の脳内でゆったりとしたディストーション・ギターの旋律が再生される。

 何百回、何千回と聴いてきた曲だ。細胞単位で全身が記憶しているメロディーだ。

 切なくも心揺さぶるギターサウンドに合わせて、ベースとドラムがビートを刻み、戦いへの高揚感に全身が包まれる。


 ゆっくりと焦らすように引き伸ばされたギターの音が途切れ、しんと静まり返るフロア。

 嵐の前の静けさに鳥肌が立ち、フロア中央にエアポケットのような空白地帯が発生する。


 そして、ドラムのカウントとともにヒスイちゃんが垂直に跳躍し袈裟斬りに斬り下ろす。


 それと同時にステージ前方のパイロが爆ぜる。

 大きく切り裂かれた魔王の身体から青い血が飛び散る。


 爆発だ。

 フロア全体に爆発の波が広がる。

 空白地帯には興奮したオーディエンスが殺到する。

 ぶつかり、押し合い、ピットでは飽和寸前のエネルギーが衝突しあう。


 ブラストビートに合わせて、ツインのリードギターがからみ合いながら疾走していく――。


 ピットの興奮も加速し、オーディエンス同士の激突が混沌を生み出す。歓喜に包まれた混沌を。

 さあ、戦いの始まりだッ!


 同時に、ヒスイちゃんと魔王が激しく打ち合う。

 さっきまではヒスイちゃんが防戦一方だったけど――攻守交代だ。

 ヒスイちゃんの連撃が次々と魔王に襲いかかる。

 早く。速く。疾く。

 使い慣れたマイクスタンドを振り回すように、淡緑の長剣を突き、払い、斬り下ろす。


 魔王はそれを4本の腕でガードする。

 致命打にはなっていないが、ヒスイちゃんの剣は魔王の腕を削り、切り裂き、着実にダメージを積み上げていく。


「大丈夫だよ、ヒスイちゃん。君の攻撃おもいは必ず魔王に届くから。届くように俺がサポートするから。だから、君は全力を出して、魔王と戦ってくれ。他の魔族を封印したように、コイツも封印してやってくれ」


 俺の言葉がヒスイちゃんの背中を後押しする。

 そして、ヒスイちゃんが歌い出す。

 魂が震える――。


 魔王の精神にも影響を与えているようで、魔王の抵抗が弱まる。

 剣での攻撃と同様、少しづつではあるが、魔王の精神にもヒスイちゃんの歌声は影響を及ぼしているようだ。

 先程までとは違い、動きが鈍くなっている。


 ヒスイちゃんの歌に導かれるように、ピットの混沌が収まっていき、大きなひとつの流れへと収束していく――。

 オーディエンスは大きく円を描いて周り始め、ピットには巨大な竜巻のごとき暴力的な秩序が生まれる。

 ヒスイちゃんが高らかに歌い上げるにつれ、サークルピットは周囲のオーディエンスを飲み込み、果てしなく巨大化していく。

 サークルピットの生み出すパワーは混沌とした戦いのエネルギーをどんどんと一体感へと消化させていく。

 一体感と高揚感で、オーディエンスは全身で生きていることを実感し、喜びに打ち震える。


 バックバンドを引き従え、主導するヒスイちゃんの歌声。

 見る者を統率するがごときキレのあるダンス。

 聞く者の魂の奥底を揺さぶる透き通った歌声。

 そして、全員を虜にする支配的な眼差し。


 自然とオーディエンスたちは『菊野ヒスイ』に取り込まれていく――。


 俺もそうだ。

 いつものライブ同様、いや、それを遥かに上回る勢いで、俺は『菊野ヒスイ』との一体感を感じる。

 生を感じる充足感。

 なんでもできるという全能感。


 今も歌い舞いながら魔王と切り結ぶヒスイちゃんを見ていると、俺も魔王と張り合えるという自信がどんどんと湧き上がってくる。


 ――今なら、魔王から身体の支配権を取り戻せる。

 魔王との支配権争いは困難を極めた。

 脳みその今まで使ったことがない場所を駆使して、魔王の精神を包み込んで抑えこむようなものだ。

 だが、俺はそれを成し遂げられる自信があった。


 なぜなら――今の俺は『菊野ヒスイ』の一部だからだ。

 ヒスイちゃんが『菊野ヒスイ』をっている間、オーディエンスもその一部になれるんだ。


 そして、間違いなく『菊野ヒスイ』は魔王に届いている。

 同じ身体に同居している俺には、それがはっきりと分かる。

 『菊野ヒスイ』というファーストインパクトに衝撃を受け、混乱し、動揺し、狼狽しているのがありありと伝わってくる。

 分かる。分かるさ。俺だって、通ってきた道だ。

 『菊野ヒスイ』との出会いは、人生を変えるだけのインパクトがある。

 俺も『菊野ヒスイ』と出会い、生まれ変わったんだ。

 お前だって、生まれ変わっていいんだよ。

 俺は心の声で魔王リリアスノートに語りかける。


 首から大量の青い血を流しながら、防戦一方だった魔王。

 大きな声で「ヴウォオオオオオオオ!!!」と吠えると、大きく振りかぶった拳を全力でヒスイちゃんに叩きつける。


 ヒスイちゃんはサビのメロディーを歌い上げながら、魔王の一撃を軽いステップでかわし、テンポダウンしたサビの山場に合わせて、大きく一閃――魔王の右上腕をスッパリと切り落とした。

 ゴトリと大きな音を立てて、地に落ちる魔王の太い腕。

 魔王が動きを止めるのと、ヒスイちゃんがサビを歌い終わるのはほぼ同時だった。


 グググッ。

 魔王と身体を共有している俺にも耐え難いほどの苦痛が走る。

 大丈夫だ。俺には『菊野ヒスイ』がついている。

 それに、サビ終わりのツインの速弾きギターソロはムチャクチャ格好良くて、全身に鳥肌が経つし、アドレナリンも出まくりだ。

 これくらいの痛みなんってことない。


 ――よしっ、今だッ!


 これが最高で最後のチャンスとばかり、俺はリリアスノートの精神に飛び込んだ――。

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