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 魔王の身体に入った朝に、俺は魔王リリアスノートの記憶を得た。

 だが、それは上っ面だけのものに過ぎなかったんだ。

 教科書で読む歴史と同じだ。

 コイツの感じた思いも、受けた痛みも、耐えた苦しみも、なにも知ってなんかいなかったんだ。


 たった今、流れ込んできたリリアスノートの記憶。

 本人の視点に同化して、追体験したリアルな記憶。

 傷付けられ、蔑まれ、奪われ、虐げられてきた記憶

 魔王となる以前のコイツの記憶。

 思い。痛み。怒り。悲しみ。憎しみ。

 そして、魔王になることを決断したあの日。


 オレはようやく初めてコイツのことを知ることができた。


 コイツの生涯は壮絶だった。

 ヒスイちゃんと出会う前の不幸ぶっていた俺の人生なんか比べ物にならないくらいに。


 俺はコイツのことをなにも考えていなかった。

 コイツの身体を乗っ取ったことに罪悪感もなかったし、「魔王だし殺されても仕方ないよな」くらいにしか思ってなかった。

 ヒスイちゃんみたいにコイツを救ってやろうなんて考えもしなかった。


 だけど、俺は今、知ってしまった。

 リリアスノートという一人の生きた存在を。

 知っちゃったんだから、もう、放ってはおけない。


 確かに、コイツのやってきたことは許されないことかもしれない。

 でも、俺に裁く権利なんかないし、『菊野ヒスイ』にもそんなのは似合わない。


 けど、それなら方法がある!


 こうしている間にも、魔王はヒスイちゃんへの攻撃を続けている。

 4本の腕を次から次へと上からヒスイちゃんに叩きつける。

 3メートル超えの魔王と小柄な少女のヒスイちゃん――まるで、大人と子どもの戦いだ。

 いまだ動揺しているであろうヒスイちゃんは、しかし、巧みに剣を振り、魔王の攻撃を受け流し、致命打を避け、懸命にしのいでいる。

 ヒスイちゃんの本能だろうか、勇者としての素質だろうか、魔王の猛攻に身体が勝手に反応しているようだ。


 ――まるで、ライブのときのヒスイちゃんのようだ。


 インタビューでヒスイちゃんは「ライブ中はなにも考えていないんです。身体が勝手に動くんです」って答えていた。

 まさに、そういう状態なんだろう。

 大丈夫だ、ヒスイちゃんなら戦える。

 彼女にすべてを背負わすのは心苦しい。

 でも、彼女なら必ず応えてくれる。

 それが、『菊野ヒスイ』なんだ。

 俺が追っかけてきたアイドルなんだ。


「ヒスイちゃん!!」


 俺の呼びかけに、彼女が反応する。

 魔王の絶え間ない連続攻撃をさばき続けるヒスイちゃん。

 攻撃の合間を縫って、俺は言葉を届ける。


「ヒスイちゃん、コイツを救ってやってくれ。キミならできる。菊野ヒスイならできるんだ――」


 俺は必死でヒスイちゃんに思いを伝える。


「――勇者じゃ魔王には勝てない。でも、菊野ヒスイなら苦しんでる奴を救えるんだ」


 そう。

 「魔王を倒して、世界は平和になりました」

 そんなの、菊野ヒスイらしくない。

 誰が、魔王を倒さなきゃハッピーエンドにならないって決めたんだよっ!


「誰かを倒して平和にするんじゃなくて、みんなを救って平和にする。それが菊野ヒスイの戦いだろっ。ヒスイちゃん、魔王を救ってあげてよっ!」


 心の底から、俺は叫んだ。

 大丈夫。オレの思いは彼女に届く。

 そして、彼女は魔王を救ってくれる。


 だって、彼女は『菊野ヒスイ』だから。


 俺の言葉が彼女に届いた。

 彼女が大きくうなずく。


 そして、彼女は勇者を辞め、菊野ヒスイを始めた――。

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