第三話 東条と祓い屋 禍津女
九月の半ばになると日が暮れ始めるのが少し早くなってきて、空には夕焼け色が広がり始めている。
エンジンを止めた車の運転席で、澤田は大きなあくびをした。いつ戻ってくるのかわからないものを待っているのは暇だ。
コンビニで雑誌でも買ってくるかな、と思ったときだった。
「ん? なんか騒がしいな」
遠くから不自然に騒いでいる声が聞こえて、澤田は車を降りた。すると向こうから一人の男性が走ってくるのが見える。どうかしたのかと思ったそのとき、ばたっとその男性が倒れた。
「おいっ……」
思わず駆け寄ろうとした澤田は、途端に息苦しさを感じて立ち止まった。
(な……なんだ。体が……)
立っていられなくなって膝をついた澤田は、小刻みに震え始めた手で眼鏡をかけた。
そして顔を上げた瞬間、息が止まった。
目の前で澤田を見下ろしていたのは、灰色がかった裾の長い着物を着た、髪の長い女だった。手には黒く細長い槍のようなものを持っている。
人ではないと、すぐにわかった。
何も映していないような暗い目をしたその女は、口が裂けそうなほどに口角を吊り上げてにいと笑う。
『見つけた、東条』
ぞくりとしながらも、澤田は口を開いた。
「いや、俺は東条じゃ」
『東条、殺す』
女が槍を振り上げた。
避けようにも体が動かなくて、澤田は何とか持ち上げた腕で顔を庇い、ぎゅっと目を閉じた。
だが、痛みは襲ってこなかった。
目を開けると、目の前には薄紅色の着物をまとった少女が立っていた。
「ま、舞姫?」
舞姫が起こした花びらの風が、女の目をくらましている。
『くっ……くそっ』
舞う花びらをどけようともがく女の背後に誰かが駆け寄った。ばしっと女の後頭部を叩いたその人影は、和奏だった。
『う……ぐ』
動かなくなった体をがたがと揺らしている女の後頭部には、お札のようなものが貼られている。
「私のお札はあんまりもたないんだから! 早く立って!」
「あ、ああ」
和奏にぐいっと腕をつかまれて、澤田は足に力を入れた。何とか立ち上がったが、すぐにでも座り込んでしまいたくなるほどに、体が重い。ぐらぐらして働かない頭で、澤田がたずねた。
「あいつはなんだ」
「何言ってるのよ、あれが禍津女でしょ!」
そうか、と澤田は納得する。
先ほどの男性が倒れたのも、今体調が悪いのも、禍津女が放っている瘴気のせいだ。
残っている体力を振りしぼって、澤田が駆け出した。
「ちょっとどこ行くのよ!」
「あいつは俺を狙ってるらしい。なら、俺がここにいるのはまずいだろ」
なるべく人のいないところに行かなければ。
走る澤田の背後からは、待て、と地を這うような低い声が聞こえた。




