第三話 東条と祓い屋 四緑の依頼
柊に案内されてたどりついた鷲原町の洞穴は真っ暗だった。道らしき道もなく周りは木々に囲まれて、こんなことでもなければ決して足を踏み入れることはなかっただろう場所だった。
携帯電話のライト機能を使って辺りを照らしながら、三人は洞穴の奥へと進んでいく。
最深部までは歩いて五分とかからなかった。何があるというわけでもなく、ただ石でできた小さな箱が、蓋が開いたまま地面に転がっているだけだった。
「これは、誰かが札を切ったな」
柊が箱を拾い上げた。蓋に封をするために貼られていたらしき札が、まるで刃物で切ったかのようにすぱっと綺麗に切られている。
「誰かって、人間がやったってことか」
柊の手元の箱を照らしながら澤田がたずねた。
「そうだとは言い切れないが、自然に開かれたものではないことは確かだな」
澤田は眼鏡をかけて箱を見てみたが、やはり中には何も入っていなかった。だが何となく黒いもやのようなものが、箱の中にこびりついているように見える。
「なあ。禍津女ってどういう妖なんだ」
性質の悪い妖だとは言っていたが、どういう風に性質が悪いのかまでは聞いていない。
「人との共存に同意している四緑に対して、禍津女は人の住む地まで奪おうとしている。しかもやつは体から瘴気を発していて、近づいただけで人や妖に害を与えるやっかいな妖だ」
「瘴気?」
初めて聞いた言葉に澤田がたずねると、答えたのは和奏だった。
「そんなことも知らないの? 瘴気ってのはね、人にも妖にも害のある毒ガスみたいなもので、酷いと死んじゃうこともあるのよ」
「そりゃ確かにやっかいだな」
犯罪者がうろついているなどということなら、すぐにでも人々に注意を呼びかけるところだが、妖相手ではそれができない。
とにかく早く禍津女を見つけなければ。
「澤田、何か来る」
何かを感じ取って、柊が言った。
「禍津女か」
「いや、違う」
真っ暗な中を、入口の方向からふわりと緑色の光が近づいてくる。三人の目の前までやってくるとそれは人の形になり、現れたのは登紀子に憑いているはずの四緑だった。
『お久しぶりです町守さま。以前あなたにお助けいただいた、四緑でございます』
四緑が丁寧に頭を下げる。
「あなたを助けたのは俺の父で、俺はその息子です」
『そうでございましたか。しかし東条さまもご一緒のご様子で』
「あ、いや俺は澤田といって、東条では……」
訂正しながら、澤田は首を傾げた。先ほども会っているのに、今さら東条などと呼ぶなんて。
『実はもう一度お助けいただきたいことがございまして、町守さまの気配を感じて参った次第なのですが』
「指輪のことですね」
柊が言うと、四緑が目を丸くした。
『なぜそれを』
「里見登紀子さんという方の身体に憑りついたあなたの姿をしたものに、指輪を取り返すよう依頼されました」
四緑は驚いた顔をしたあと、偽物を思いやるように軽く目を伏せた。
『……それは、おそらく現身です。私をとても慕ってくれているもので、指輪を失くして遠くへ移動する力も失った私の代わりに、なんとか指輪を取り返そうとしてくれたのでしょう。ですが、登紀子に……』
目を開いた四緑は、柊を見てたずねた。
『町守さま、登紀子は私の友人なのです。人が好きな私と、幼い頃の彼女はよく遊んでくれたのです。指輪も彼女からいただいたもの。登紀子は、元気にしておりますか』
「ええ」
頷いた柊に続いて、澤田が言う。
「大丈夫ですよ。登紀子さんは元気ですし、指輪も必ず無事に取り返しますから」
すると四緑は、少し安堵したように笑った。
『ありがとうございます、澤田さま、町守さま。どうぞよろしくお願いいたします』
四緑は再び丁寧に頭を下げると、すう、と消えてしまった。
柊がおかしいと思っていたとおり、登紀子に憑いていたのは本物の四緑ではなかった。だから今現れた四緑は、久しぶり、などという言葉を口にしたのだ。
「大丈夫なの? そんな簡単に約束しちゃって。もし指輪を無事に取り返せなかったときのために、現身ってやつを祓っちゃったほうがいいんじゃない?」
話を聞いていた和奏が悪びれた風もなく言う。
「あのなあ。その現身ってやつだって四緑のことを思ってやったことなんだろ? 別に悪いやつってわけじゃないんだから」
すると和奏が柊のほうを向く。
「ねえ柊さん。この人っていつもこんなに甘いの?」
「まあ、そうだな」
「ふうん、そういうとこは東条さんの息子なのね」
和奏はポケットから一枚の白い紙を出すと、ふっと息を吹いた。宙に浮かび上がった白い紙は、彼女の式神の蝶へと変化する。
「禍津女を探して。ここに残っているのと同じ気を持つ妖よ」
蝶は辺りの空気の匂いをかぐようにひらひらと舞うと、すうっとこの場を離れて入口のほうへと飛んでいく。
「それじゃあお先に」
「あ、おいっ」
澤田の声に振り返ることもなく、和奏は蝶を追いかけて行ってしまった。
「犬みたいな蝶だな。もしかしてもう見つけたのか?」
「この一帯には禍津女の気配が残っているだろうからな」
柊は手に持っている石の箱の蓋を閉じた。
「大丈夫かな、あいつ」
「妖の知識はそれなりにあるようだが。俺たちもすぐに追いかけたほうがよさそうだな」
「ああ」
暗い洞穴を先に歩き出した澤田に、柊が後ろから声をかけてくる。
「なあ」
「ん? なんだ」
「お前は確かに妖の知識もなければ見えるわけでもないが、お前のおかげで俺は十分に助かっている」
「なんだよいきなり」
はは、と澤田は笑った。
どうやら洞穴に来る前に、澤田が自分のことを役に立っていないと言っていたことを気にしていたらしい。
「ていうか俺のほうこそ、お前がいなけりゃ妖関連の事件なんか一つも解決できてないだろうし、感謝しっぱなしだけどな」
背後からはいつもとちょっと違う声で、そうか、とだけ聞こえた。
前を向いているせいで、柊がどんな顔をしていたのか見えなかったのが、澤田は少し残念だった。
途中で切ろうかな、と思ったのですが、どうしても切る場所がなくて長めのページになりました。




