第八話 過去から目をそらさないで
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翌日の昼。ここ数日は特に時間が過ぎるのが早い。ユリアの家にいて何かができるわけではなく、彼女と顔を合わせているのも辛いので俺は外を歩いていた。行き先なんてない、何もしないでいられないからしているだけの無意味な散歩だ。
時間の無駄。時間の無駄。時間の無駄だ。こんなことをしている暇があったらユリアに寄り添ってあげればいい。
無理だ。
ただ一言、「任せろ」と彼女に言ってやればいい。
恰好つけるな。
どうにかしてあのドラゴンを倒す方法を考えればいい。
引き返せ。
お前がやっているのはただの現実逃避。昨日までと何も変わっていないじゃないか。
逃げろ。
どうした? 今までだって、自分より強い相手に立ち向かってきたじゃないか。
お前にはできない。
義務なんだろ? お前が自分でそう言ったんじゃないか。
諦めろ。
頭の中で声が二重に聞こえる。どっちが俺の本音だ? 俺はどうしたいんだ?
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日が暮れた。結局一日中歩いていたのか、俺は。……いや、自分を責めるのは後にしよう。ユリアの夕飯を作らないといけない。
「……お帰りなさい」
ユリアは俺の帰宅を意外に思ったらしい。ドアを開けてから言葉を発するまでに間があった。表情から察するに嫌がっているわけではなさそうだが。
「ご飯、作るよ」
「え? あ、はい!」
戸惑う彼女をよそに、俺は『収納』していた食材を取り出す。火を点けるためにマーガレットが近づいてきたが、俺に何か話しかけることはなかった。
「ユリアちゃん」
「はい? 何でしょうか」
「あの話をしてくれた時、俺に『逃げろ』って言ったよね?」
「はい、確かに同じようなことを言いました」
「つまり…………」
「ヤバネさん?」
どうした、言え。何を躊躇してるんだ。
「死ぬ覚悟が、できてるっていうこと?」
「…………はい、そうです」
痛い。
「そっか……」
痛い。痛い。胸が痛い。ユリアを見ていると痛みが治まらない。
この娘は嘘をつくのが下手だ。他人との交流なんてまともにしていなかったせいかもしれない。
この期に及んで、俺は自分の行動の正否を他人に委ねようとしていた。一日歩いて出た結論はそれだった。ユリアが「死んでもいい」と言えば、俺は黙ってこの町を去るつもりだった。
そしてユリアはそう言った。死ぬ覚悟はできていると。死んでも仕方がないと。なら俺が次に取る行動は決まったはずだった。
だが、この痛みがそれを許さない。ユリアを殺したくない。アレルスティー家の人たちの犠牲を無駄にはしたくない。
ユリアを、助けたい。
「質問を変えよう。ユリアちゃん、君は死にたいと思ってるのかな?」
「……!」
『少年』
死という現実を突きつける残酷な質問だ。マーガレットが制止に入るのも当然と言える。だが違う。ユリアを傷つけたいわけじゃないんだ。俺は彼女の本音が聞きたい。
「死にたい、だなんて……」
そうだユリア。本音を話してくれ。取り繕う必要なんてない。命を捧げるのはお前の義務じゃない。放り出していい。今は俺がいるんだから。
「そんなはず、ないじゃないですか……!」
ユリアの瞳から大粒の涙がこぼれおちる。透明の涙だ。
「こんな人生は嫌です! この狭い町から出られずに、世界のことを知らないままで終わる人生なんて! 私はもっと生きていたい! もっといろんなことを感じたい!」
「そうだ、ユリアちゃん。嫌なんだろう?」
「殺されるためだけの人生なんて、私は嫌です!」
ユリアが感情をむき出しにして叫ぶ。俺も彼女も、もっと早くこうするべきだったのかもしれない。
そもそも、俺は今まで本当に義務感を理由に戦ってきたのだろうか。
タートでバーバラに助けられなければ、俺はああも真剣に頭を働かせたりしなかっただろう。
森で出会った連中にひと泡吹かせたいと思わなければ、命をかけて勇者に立ち向かわなかっただろう。
ラダリアの熱意に触れなければ、ビリンの騒動に最後まで付き合ったりはしなかっただろう。
『大地の瞳』があるから、きっと危機や問題に気付きはしただろう。でも義務感だけでああはならなかったはずだ。俺は、自分がそうしたいから、あんな風に頑張った。残念ながらすべて成功とはいかなかったが。
そうだ、この世界に来てから俺は───
「まだやりたいことがたくさんあるのに!」
ずっと、やりたいことをやってきたじゃないか。
なら、どうする? 俺はどうしたいんだ?
「……ごめんなさい。私、こんな、叫んだりして……」
「いいや、聞けてよかったよ。ユリアちゃんの気持ちがわかったから」
おかげで、
「おかげで、もう迷わないで済む」
「……え?」
「あの竜を倒して、この町を過去から解放する」
やる前から『できるかどうか』を考えるのは、もうやめよう。『やるべきかどうか』は俺が決めればいい。
俺の人生だ。俺のしたいようにしなくてどうする。他人が勝手に決めた義務なんかに従う道理はないんだ。
「俺に、任せてくれ」
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ああ、私をお許しください。
期待していなかったと言えば嘘になります。でも、本当にあの人を巻き込むつもりはなかったんです。
だって優しい人だから、事情を知ればきっと戦ってくれるとわかったから。
それなのに、私は自分から秘密を漏らしてしまいました。助けを求めてしまいました。
それでも、嬉しかったんです。胸の内を明かした後悲しくて泣いていた私は、本当は止めないといけないのに、嬉しくて、嬉しくてまた泣いてしまいました。
だって手を差し伸べてくれたのは、あの人が初めてだったから。
私はずるい女です。涙を流して、自分の境遇を盾にして、あの人の優しさを利用してしまいました。
あの人は、そんな私にも微笑んでくれました。葛藤の末に私の味方になってくれました。
ヤバネさん。どうか無理はしないでください。勝てないと思ったらすぐに逃げてください。あなたが「戦う」と言ってくれただけで、私は救われました。
この気持ちさえあれば、私は笑顔で死ねる気がするんです。




