第五話 瞳は開かれた
前の部分も是非読んでください!
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「ヤバネさん、旅の話をもっと聞かせてください!」
家に戻ったとたんにこれだ。ユリアは椅子に腰かけて楽しそうにしている。マーちゃんまでも俺を前足でつついていて、まるで話を促しているようだ。
話を聞きたいのはこっちだ。あの竜は何だ。顔見知りなのか。一週間とは何の期限だ。
しかし、ユリアとマーちゃんの態度を見る限りではその話題に触れてほしくないようだ。話題の提案の仕方がわざとらしすぎる。その意思を汲んでやるべきだろうか。……黒いドラゴンを前にしたユリアの、全てを諦めたかのような佇まいが忘れられない。
「じゃあ、タートにいたときの話をしようか。ちょっと噂話が混ざるけど……」
何はともあれ、ユリアには元気を取り戻してもらう必要がある。引き出しは多くないが、旅の話ぐらいならしてやろうじゃないか。
「ええっ!? そんな数の魔物を相手に、タートの皆さんはどうやって戦ったんですか!?」
こんなに聞き手として優秀な娘がいるだろうか。目が閉じられていても、表情がコロコロ変わっているのがわかる。口を滑らせないように気を付けながら、不自然にならないように俺が関わったことは伏せて話した。
「バーバラさん、なんて素晴らしいお方なんでしょうか……。私、お会いしたいです!」
「うーん、タートは遠いからなあ。でも、本人が聞いたら喜ぶと思うよ」
「や、ヤバネさん、バーバラさんとお知り合いなんですか!?」
ヤバい、余計なことを言ってしまった。
ああ、ほら見ろ。ユリアが食いついてきたじゃないか。テーブルに両手をついて前のめりになって、目も大きく見開いて───。
「え?」
「あ……」
……目も、大きく見開いて?
「嫌、見ないで! 見ないでください……!」
そう言われて俺は目をそらす。ユリアは顔を両手で隠し、俺に背を向けてしまった。
初めて俺の前で開かれたユリアの目。彼女の瞳の色は紫だった。別にこの際それはいい。問題なのは、本来白目であるべき部分でさえも紫色で塗りつぶされているということだ。
「…………」
「…………」
重い沈黙が部屋の中を支配する。ユリアは変わらず俺に背を向け続けていて、苦しそうに胸を押さえていた。
「……考える時間をください。少しで、少しでいいんです」
「……ああ、わかったよ」
長い、長い沈黙だった。ようやく口を開いたユリアの言葉に従って、俺は静かに家を出た。
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『やはり、行くのか?』
『ああ。世話になったな、ラダリア。本当にありがとう』
『それは私の台詞だ、ヤバネ。何もかも君のおかげだった』
『そんなこと、ないだろ』
『ヤバネ、君はどうして旅をしているんだ?』
『何だ、急に』
『少し気になっただけだ。言えない理由なら言わなくていい』
『理由なんてないぞ。ずっと、旅をしたいと思ってただけだ』
『……これはあくまで私の持論なんだがな、旅というものは自分を変えるためにするものだ。自分の居場所を離れ、さまざまなものを見聞きし、再び元の場所に帰ってくる。それが旅だと私は思う』
『それで?』
『君は変わろうとしていない。周りのものに興味を抱いているように見えて、それも上辺だけだ。だからどうしても君の姿が不自然に見える。ヤバネ、君は本当に自分の意思で旅をしているのか? 本当に旅をしたがっていたのか?』
『…………』
『君は、何かから逃げているんじゃないのか?』
『……だからなんだ。俺を責めてるのか?』
『違う。ヤバネ、君を心配しているんだ!』
『そうか。でも大丈夫だ。確かに今は少し落ち込んではいるけどな』
『……わかった。変な事を聞いてすまなかったな、許してくれ』
『いや、別にいいよ』
『いい旅になることを祈っている。たまにはビリンに来てくれよ? 待っているからな』
『ああ、また会おう』
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「悪いことは言わねえ。あの娘に関わるのはやめろ」
「せめてもう一年早けりゃ、まだ何とかなったんだけどな」
「事情を知る必要はない。何も聞かずにここから去れ」
仕方なく町を歩いていた俺にかけられる声といったらこんなものばかりだ。俺がユリアと行動を共にしていることは知れ渡っているようで、ほとんどの町人が俺を遠巻きに見ている。声をかけてきたあの三人は忠告してくれたのだろうか。
さて、もうじき日が暮れる。少し時間を取りすぎたかもしれないが、早すぎるよりはいいだろう。一応心の準備をしてからユリアの家に戻った。
「もう、いいかな?」
「……はい、大丈夫です」
促されたわけではないが、テーブルをはさんでユリアの正面の椅子に座る。マーちゃんはユリアの膝の上に座ってこちらを見ていた。
「ヤバネさん、今から私は私の目と、この町のことについてお話します。人に話すのは初めてですから、わからないところがあったら遠慮なく質問してください」
首の動きだけで肯定を示す。
「……いえ、まずその前にお聞きします。本当に知りたいですか? この話は、一人の旅人に背負ってもらうにはあまりにも重すぎます。何も知らないままでいるほうがあなたにとっては幸せだと思うのです」
「それは町の人にも言われたよ」
「そうですか……。それでも、もしヤバネさんに何かあったら謝りようがありません。何も聞きたくないのでしたら、今すぐ席を立ってください」
覚悟はしていた。こういうことを言われるだろうと予想もしていたが、改めて正面から聞かれると、そうしてしまおうかという考えが頭をよぎる。だがそれも一瞬だ。俺は椅子から動かなかった。ここから逃げたところで、一体どこに行けばいいというのだ。
「ありがとうございます」
「お礼を言われるようなことじゃないよ」
深々と頭を下げていたユリアは、ゆっくりと顔を上げた。
「もう一つだけ付け加えておきます。この話を聞いたからといって、ヤバネさんに何かを強制するつもりは全くありません。単なる昔話だと思って聞いてください」
「うん、わかった」
ユリアは深呼吸をひとつ。外の音が全く耳に入ってこない、完全な静寂が訪れる。そしてユリアはこの町の歴史を語りだした。
「これは英雄譚とは程遠い、閉ざされた敗北の物語です」




