第二十一話 突き動かす怒り
まさか会話だけでこれだけの量になるとは……
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「来たのね、ダリー」
「来たとも、リーン」
十層の最奥、分身がいた部屋と同じように広い空間で二人は対峙している。
「ヤバネ、少し離れていてくれ」
「……ああ、わかった」
促されて俺は二人から距離を取る。
その間にラダリアとリーンはお互いに剣を抜き、間合い二つ分ほどまで近づいた。
「答え合わせだ。ビリンを襲っている異変。町が迷宮に侵される異常事態を引き起こしたのは、リーン、君だな?」
「ええ、そうよ」
リーンのほほ笑みは崩れない。自分の行いを悪だと思っていないのか。
「何故だリーン。どうしてこんなことをした!」
「何故? わかっているはずよダリー。私の次に、あなたがよくわかっているはずだわ」
「……」
図星か。『大地の瞳』で見たラダリアの顔は歪んでいる。
「ねえ、ダリー? 私たちは親を迷宮で亡くしたわね。それから何度も苦しい思いをしてきたわ」
芝居がかった動作と口調でリーンが語りかける
「普通の子が可愛い服を選んでいる間、私たちは頑丈な鎧を選んでいたわね」
「…………」
「普通の子が家族と遊んでいる間、私たちは大人の探索者に怯えていたわね」
「リーン……」
「普通の子が楽しそうに笑っている間、私たちはモンスターを殺して、時には殺されそうになったわね!」
「やめろリーン!」
「どうして止めるのダリー? 今となってはそれも楽しい思い出よ? 私はあなたと一緒でよかったわ」
「……それは、私も同じ気持ちだ」
「ありがとうダリー。嬉しいわ」
口をはさむべきではないと思ったが、一応『自由の弓』を取り出しておく。
この二人は話しあうべきだ。たとえその結末が衝突であっても。
「美味しいものも食べられず、助けてくれる大人もいない。だけどこんな思いをしたのは私たちだけじゃなかったわ」
「その通りだリーン。親が死んだ子ども、そしてこれからそうなる子どもは、皆同じ思いをしなければならない」
「少しでもそんな子たちの役に立てるように迷宮の地図を作る。私はあなたとその仲間の志は素晴らしいと思うわ」
「そうか。君にそう言ってもらえて何よりだよ、リーン」
「でもねダリー。ギルドは、この町はそう思っていないわよ」
ここで初めてリーンの表情が変わる。今までの微笑は消え、その鋭い眼は怒りの炎で燃えていた。
「地図を作って探索者ギルドに売る。正確でなければ報酬なんて出ないうえに、正確であったとしてももらえるお金は雀の涙ほど。モンスターを倒した時の三分の一くらいだったかしら?」
「今は違うぞ。およそ半分だ」
「何も違わないわ。ただモンスターを殺すより数倍も手間と時間がかかるのに。モンスターに出会うリスクは変わらないのに。そして何より百匹のモンスターを殺すより誰かの役に立つのに! ギルドは情報を侮っている。探索者の命が大切なものだという意識なんてこれっぽっちもないからよ!」
「…………!」
「ねえダリー、あなたが他の探索者になんて言われているか知ってる?」
「知っているとも。『臆病女』、『小銭稼ぎ』、『Bランクの恥さらし』だろう?」
「……まさか知っているとは思わなかったわ。ダリー、どうしてそんなことを言われて平気でいられるの? しかもあなたをあざ笑う探索者のほとんどが、あなたたちが作った地図を持っているのよ? 自分たちの命があるのはダリーのおかげだなんて全く思っていないのよ?」
「リーン、私は感謝されたくてやっているわけではない。たとえ侮辱されようが、地図のおかげで助かる命があればそれでいいんだ」
「あなたの意思なんて関係ないわ。己の愚かさに気付かない連中に生きている価値があると思う?」
「あるに決まって――――」
「ないわ。あるはずないじゃない」
「……話が要領を得ないなリーン、君らしくないぞ」
「迷宮では毎日多くの探索者が死ぬわ。それは昔からずっと変わらない事実。そう、ずっと変わらない」
リーンはこの怒りをずっと抱えて生きてきたのだろう。感情的でありながら噛んだり詰まったりせずに話し通している。
「何人探索者が死のうと変わらなかった。探索者ギルドは犠牲者を減らす努力さえしなかった」
「仮に何か対策をしていたとしてもあまり変わらなかっただろう。戦闘する以上は不慮の事態が付きものだからな」
「それよダリー、私が言いたいのはそこなの。どうしてわざわざ危険な迷宮に行く必要があるのかしら?」
「生きるためだよリーン。危険を冒さずに生きることはできない」
「そんなことは知っているわ、馬鹿にしないで。生きるためには食糧が必要、これは当然ね。そして食糧を得るためには自分で育てるか、何かと交換する必要があるわ」
「そうだ。だから探索者はモンスターの素材をギルドに売るために迷宮に行く」
「ダリー、知っていたかしら? この大陸はとても土が肥沃なの。当然ビリンの周辺も例外ではないわ。耕せば十分な野菜や穀物が育てられるのよ」
「……初耳だな」
「そうでしょう。迷宮を見つけた人々はそれを中心に町を作り、生活してきた。迷宮を糧にすること以外は頭になかったでしょう。危険だけれど一獲千金の可能性がある迷宮にあの町は依存しているわ。稼ぎが少ないというだけで他の道には目を向けもしなかった! 穏やかな暮らしより危険に満ちた暮らしを選んだ! 農業を選んでいれば、死ぬ人も今より少なくなっていたはずなのに!」
「リーン、それは仕方のないことだ。何かに依存しなければ私たちは生きていけない。そして人間は楽な方に流れる生き物だ。長い時間と手間をかけて地面を耕すことよりも、モンスターを殺しさえすればいい方を人々が選んだのは当然のことだ」
「そう、その考え。私はそれが嫌いなの。今、自分の命が無事ならいいと考える人間が嫌い。そういう人間に限って、モンスターに殺されるときには『どうしてこんな目に遭わないといけないんだ』だなんて言うのよ」
「……だから、こんな手段を選んだんだな?」
「最初から町を迷宮にしようと思っていたわけじゃないわ。とにかく奥まで進めば、連中に報復できる方法が見つかるんじゃないかと思っていたの」
「そして十五層で神に出会った、と?」
「そこの彼から聞いたのね。その通りよ。私は迷宮の一部を手に入れ、まず少し作り変えたの」
「迷宮の拡大の速度だな」
「ご名答。中で死んだ生物の魔力を吸収するように設定したら面白いように迷宮は広がったわ。そして拡大の方向を下でも横でもなく『上』に変えたの。町を侵食するのには時間がかかったけれど、成果はあなたたちもよく知っているでしょう?」
「……六層に棲むイビルモンキー、八層より下に棲むミノタウロス。どちらも一般人が出会えばただではすまない」
「私は成し遂げたの。迷宮で人が死ねば死ぬほど、モンスターを殺せば殺すほど、町は迷宮に飲み込まれていく。迷宮を危険なまま放置していた連中が報いを受けるのも遠くはないわ!」
「何故、こんな方法を選んだ?」
ぞっとするほど冷たい声。そう、怒っているのはリーンだけではない。ラダリアは少し前から薄々真相に気付いていたと言っていた。おそらくその頃から、怒りはずっと胸の内に燻っていたのだろう。
「答えろ。何故こんな方法を選んだんだ」
「話を聞いていなかったのかしら? 探索者の命を使い捨てにしていた連中と、反発さえしなかった探索者への意趣返しよ」
「そんなことはわかっている。私が聞きたいのはその次だよ、リーン」
「次?」
「ここに来る前、親子がモンスターに襲われた。私たちが駆けつけなければ皆殺しにされていただろう」
「……そう。でも、無事だったならよかったじゃない」
「ふざけるなよリーン。君が断罪のために選んだ方法では、罪のない人が巻き込まれるかもしれない。親を失う子供、あるいは子を失う親も現れるかもしれない。そんなことがわからない君ではないだろう、リーン!」
「それは……」
「私が聞きたいのはその理由だ! 家族を失う苦しさを、家族を失うつらさを誰よりも知っているはずの君が、どうして、どうしてよりにもよってこんな方法を選んだ! 無差別に誰かを傷つけるようなことを、どうして君が容認できるんだ! 私にはわからない。わからないんだよ、リーン!!」
「…………人間は、全員があなたのように強いわけじゃないの。最初の志を見失って、くだらない願望に心を奪われることもあるのよ」
願望? リーンの言うそれはいったい何だろうか。最初の志はきっと復讐のことだが、じゃあ彼女が心奪われた望みとは何だ?
「リーン、私は弱いよ。迷宮を安全なものにしたいのなら、力をもってモンスターを全て排除しなければならない。しかし私にはそれができない。だから地図作りという小手先の方法に逃げた。『臆病者』という侮辱はあながち的外れというわけではない」
「そうよダリー。迷宮を安全にすることは不可能よ。だからせめて人間は自分たちの愚かさを自覚しないといけない。ねえダリー、私の味方にならない? 協力しろと言っている訳じゃないわ。ただ見て見ぬふりをしてくれればそれでいいの」
「断る。迷宮の中で死ぬ人間を増やすような所業、私が見逃すと思ったのか?」
「やっぱり、わかってくれないのね……」
「わかっていないのは君だリーン。君はこの町を迷宮に変えるのか? 私たちが育ったあの孤児院を、かつて君と君の両親が住んでいたあの家を、二人でよく行ったあの喫茶店を、苦しい人生の中にある輝かしい思い出を、君は迷宮で塗りつぶすのか? 町がこの忌々しい迷宮に飲み込まれてしまったら、君はいったいどこで笑顔になれるんだ!」
「違うわ、ダリー」
「もう、この町はとっくに飲み込まれていたのよ……」
弱々しい声。リーンの目には涙が浮かんでいる。
きっと彼女はわかってしまったのだ。自分の幸せな思いでさえも迷宮なくてはありえなかったことが。楽しい思い出も、両親を奪った迷宮なくては存在しなかったことが。
「話は終わりよダリー。私たちは結局わかりあえなかった。あなたを理解するには私の心はあまりにも弱すぎた。私を止めるつもりなら」
リーンは涙をぬぐい、正面で剣を構える。
「もはや剣以外に方法はないわ」
対するラダリアは両手を脱力させている。だがその気迫は決してリーンに劣っていなかった。迂闊に近づけば斬られる。そんな予感がする。
「もとより私はそのつもりだ」
ラダリアの体が前に倒れ始める。
転倒を防ぐために前に出た右足を思い切り踏み込み、ラダリアは飛びだし、加速していく。それをリーンは微動だにしないで待ち構えている。
親友同士がぶつかり合う。言葉の次は剣で。
俺も戦いの行方をただ見守るようなことはしない。無粋と罵られようが、俺は弓を引き、矢を射る。
最悪の悲劇だけは防ぐために。
当然ビリンにも地図の価値がわかる人はいます。報酬が少し上がったのも、ラダリアがもう少しでAランクになれそうなのもそう言う理由です。
しかし、いかんせん目先の利益しか考えていない馬鹿が多すぎるのです。




