第二十話 2分の1mvの2乗
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「ところでラダリア、一つ質問があるんだが。リーンって実は二人いたのか?」
「……は? いきなり何を……ああ、そういうことか」
『大地の瞳』で見たところ、この先にリーンが待ち構えている。しかし十層にもリーンがいるのだ。俺は心底不思議なのだが、ラダリアには心当たりがあるらしい。
「それは『分身』だな。リーンが魔法で作ったもう一人の自分だ。彼女ほどの実力になれば、人間と全く変わらない完成度になっているはずだ。さすがに戦闘能力は少し落ちるだろうが」
じゃあ俺が戦ったのは弱くなったリーンだったのか。危うく殺されかけたというのに相手は本気じゃなかったとは……。
「ちなみにリーンの分身はどこにいるんだ?」
「十層に下りるための階段の前に大きな部屋があるだろ? そこだよ」
「そうか……。本物のリーンに会うためには必ず通らなければならないな」
ラダリアの言う通り分身がいる部屋を迂回する道はない。
「もはや戦闘は避けられないが、本物のリーンと会う前に消耗したくもないな……」
もう一度分身がいる部屋を『大地の瞳』で確認する。
……これは、もしかしたらいけるかもしれない。いや、間違いなくいける!
「ラダリア、俺に任せてくれないか?」
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扉を開け、俺とラダリアはリーンの分身と対峙する。
分身が口を開こうとした瞬間、打ち合わせ通りにラダリアが剣を構えて駆けだした。
「ずいぶんなご挨拶ね」
「行くぞ、リーン!」
ラダリアの鋭い突き、左手に持つ真っ赤な『頑強の剣』による突きを、リーンは半身になって避けた。
「甘い!」
「見えているわよ」
ラダリアはそのまま左側を切り払ったが、リーンはそれを予知していたのだろうか。後ろに下がってラダリアのリーチからすでに逃れている。
だが、これでラダリアの進行方向から障害物が消えた。
「待ちなさい! ……くっ!」
俺達の目的に気付いたリーンがラダリアを追うが、矢が飛ぶ音を聞いて俺の存在を思い出したらしい。剣で矢をあっさり払い、悔しそうな表情を俺に向けた。
ラダリアは、入って来た方とは反対の扉を通って部屋から脱出する。
俺はその扉の前に『大空の盾』を出現させた。扉は内開きだから、俺が盾を動かさない限りは外に出ることはできない。
「命を賭けて足止め? 泣けるわね」
「お前、分身なのに話せるんだな」
「ええ、以前のように正体を隠す必要はなくなったもの」
「まあ、最初から正体はわかってたけどな」
「でしょうね」
『なあ、お前がしてることになんの意味があるんだ?』
『お前らが何をしたのか予想はできてるんだ。だけど目的と理由がわからない』
「あなたのあの言葉を聞いた時点で、こうなることは薄々わかっていたわ」
「じゃあどうして止めなかった?」
「自信があるからよ。あなたやダリーに妨害されようが、絶対に目的を完遂できる自信が」
俺が何故ここに一人で残ったのか、一度コテンパンに負けた相手にどうしてまた立ち向かうのか。リーンの分身はその理由を理解していない。
世の中には「やらないといけないこと」、「やらなくてもいいこと」、「できること」、「できないこと」がある。
以前の分身との戦いに勝つことは、「やらないといけないができないこと」だった。
だが今は違う。お前に勝つことは、「やらないといけないし、できること」だ!
「あなたは一度、私に手も足も出ずに負けている。地の利があったにも関わらず、よ? あなたがするべきだったのは、ダリーと協力して全力で私を倒すことだった」
「そうか」
「二手に分かれるのは最悪の策ね。あなたは私に無残に殺され、ダリーは二対一の戦いを強いられる。私を、分身を倒してさえいればまだ結果はわからなかったのよ?」
こいつは気付かないのだろうか。部屋が少し、ほんの少し暗くなったことに。不自然な音が聞こえ、しかもそれがだんだん大きくなっていることに。
リーンの分身がいる部屋は広い。大型のモンスターが二匹ほど動き回っても支障はないほどに。そしてそれは天井も同じだ。ミノタウロス五頭分くらいありそうである。
「お前がするべきだったのは、最初から全力で俺達を殺しにかかることだった」
「何を言って…………!?」
分身は頭上を見上げて愕然とした表情を浮かべる。
実は、俺には必殺技がある。しかしそれはおいそれと使えるものではないので封印してきたが、今こそ使うべき時だ。
必殺技が使える条件は三つ。
一、高さに十分な余裕があること。
二、技の範囲に敵以外の何もない、あるいは誰もいないこと。
三、技を使うところを誰にも見られないこと。
この迷宮の大部屋はすべての条件をクリアしている。
「な、何よそれ……!?」
分身は急いで「それ」から逃れようと走る。だが、
「ぐうっ!?」
俺が射った矢が足首に突き刺さり転んだ。
そして「それ」は途方もない大きさの運動エネルギーを得ながら、
「やるじゃ―――」
起き上がろうとしたリーンの分身を押しつぶした。
轟音が響き、振動が訪れ、砂塵が舞った。
それらが去った今、後に残るのはリーンの分身を形成していた魔力の残りかすと、俺が持っている物の中で最大の質量をもつであろう『至高の兵士』だけだった。
『至高の兵士』が暴れ出す前に『収納』、ついでに『大空の盾』も『収納』し、俺はラダリアを追うべく走り出した。
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「な、何だ今の音は!?」
先を進むラダリアはやはり心配していた。矢羽があまりにも強く「任せろ」と言うものだからあの場を任せたが、今の轟音のせいで「やはり引き返した方がいいのではないか」という気持ちに襲われる。
「どうする……?」
打ち合わせ通りならラダリアはここで矢羽を待ち、二人で本物のリーンのもとへ向かうことになっている。しかしもし矢羽が負ければ、まずリーンの分身を倒しに戻らなければならない。
誰かが走っている足音が聞こえてきたのはその時である。ラダリアは剣を構えたが、階段を降りてきたのは男だった。
「終わったぞ。作戦成功だ」
無傷どころか息も切らさずにやって来た矢羽を見て、ラダリアは驚きのあまり目を見開く。
疑っていたわけではなかった。だが完全に信じていたと言うと嘘になる。弱くなったとはいえリーンはSランクの探索者だ、そう易々とは勝てない。
不安は常にあった。だがラダリアは忘れていた。矢羽はいつも、彼女の期待通りの働きをしていたことを。
「君は、最高の助手だな!」
ふと、ラダリアは自分が矢羽に協力を求めた理由を考える。
(あの時は逃げ道を断つためだと言ったが、もしかすると私は助けてほしかったのかもしれない。背中を、押してほしかったのかもしれない)
「どうしたラダリア、早く行こうぜ?」
「……そうだな。ああ、行こう」
ラダリアは歩き出した。その目も足も前を向いている。
(今までヤバネの助けを借り続けてきた。ならばせめて決着は、決着だけは私の手でつけてみせる)
リーンの待つ十層の最奥までは、もう間もなくであった。




