第十六話 「彼」の襲撃
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「すみません、もう少し急いでください」
「何言ってんだ。こっちは怪我人を抱えてるんだからあんまり揺らすわけにはいかないんだよ」
気を遣ってもらえるのは嬉しいが、本当に急いでほしいのだ。
治療してもらった俺は情けないことにイチローに担がれていた。もう痛みもなく血も止まっているし、魔力も少し体に戻って来た。万全からは程遠いが体調が悪いわけではない。ということを伝えたが
「それでも駄目だ。大体、俺が本気で走ったらシーナがついて来れないぞ」
とあっさり断られてしまった。
「なら、ここからは一人で帰ります。ありがとうございました」
そう言ってイチローの手を振りほどこうとしたが、力が入らない。シーナにも止められたため、俺はこの焦燥感を抱えながら担がれることになった。
「お前、名前はなんて言うんだっけ?」
隠す理由もないので正直に伝える。
「矢羽です」
「矢羽って、字はそのままなのか? まあいい。じゃあ聞くぞ矢羽。お前は一体何をしようとしてるんだ?」
やっぱり聞かれたか。彼女の襲撃は本当に余計だった。金さえ払えば何も気にしないで手伝ってくれると思っていたが、あの部屋で宝を手に入れたおかげで心に余裕ができたのだろうか。
まあ、イチローは俺の命の恩人だ。答えない理由はない。
「真実を明らかにしたいと思ってます」
「真実?」
「はい、この町に起きている異変の真実です」
「へえ。もしかしてあれか、町中にモンスターが出たっていう……」
借金で大変な暮らしをしていたらしいから、世の中のことには疎いのではないか、と少し思ったがさすがに知っていたか。
もしこれ以上追求されたらどうしようかと考えたが、話題は変わった。
「それは、お前がやらないといけないことなのか?」
「え?」
「矢羽、お前は転生者だろう? この世界では『神の使者』と呼ばれてるみたいだけど」
返す言葉もない。あの森の王に指摘された後も、俺は靴を買い替えたりはしなかった。だから気付いて当然だ。そしてそれがわかるということは、イチローも俺と同じ境遇であるということだ。もっとも彼の名前を聞いた時点で確信していたが。
「俺はな、元の世界ではいわゆる社畜だった」
聞いたことはある。会社の家畜で社畜。具体的にどういうものか説明はできないが、大変な苦労をしているということは知っていた。
「だからこの世界に来た時、自分のやりたいことだけやろうと思った」
それは、確かに俺もそうだった。もっともその主な理由は、俺には魔王を倒すなんてできるはずがないという諦めの感情だったが。
「まあ今は色々あって、とりあえず魔王を倒してからゆっくりしようと思ってるんだが……」
「ともかく、真相を知りたいっていうことはその異変を解決するつもりなんだろ? なんでそこまでするんだ?」
そんなことを聞かれるとは思っていなかったが答えには困らない。
「今の俺は、助手だからです」
誰の、とも何の、とも言わなかったが、イチローには伝わったようだ。
「なるほど、お前は誰かを手伝ってるわけか」
「はい」
「まあ、それはいいと思うけどな」
ちなみに俺はイチローの肩に米俵のように担がれているので彼の顔は角度的に見えない。わざわざ『大地の瞳』を使ってまで見たいとも思わない。
「悪いけど、俺は金にならないことはする気ないから。どうしても何かしてほしかったら、今回みたいに報酬を払ってくれよ」
「はい、わかってます」
その後シーナが体力の限界を訴え、七層の途中から俺は自力で歩くことになった。
行きと同じでモンスターはことごとくイチローに消し飛ばされたので、俺が何かする必要もなかった。
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「ふう……」
ラダリアはため息を一つつき、すっかり冷めたコーヒーの残りを飲み干した。
迷宮の内壁と、例の路地で矢羽が拾った石の調査及び研究は終わった。そして幸か不幸か、結果は彼女が思った通りだった。
窓の外に目をやると、まさに日が暮れようとしているところだった。とはいえそこまで驚くことでもない。作業に没頭して時間を忘れるなんてことは、これまでに数え切れないほどあった。
結果も出たことだし、ヤバネにこのことを伝えなければ。そう考えたところで、ラダリアは違和感を覚える。
そう、矢羽に関することだ。朝から今に至るまで、矢羽は一回もラダリアの部屋を訪れなかった。
(確かに、作業をするということは伝えた。気を遣って邪魔をしないようにしてくれているのかもしれない)
だが、長すぎる。丸一日という時間はただ待っているだけなら永遠に近いと言えるだろう。まだ終わらないのか、と苛立ちのあまり様子を見に来てもおかしくはない。
もっとも矢羽はそんなことで怒ったりはしないし、様子なら『大地の瞳』でいくらでも確認できるので、ラダリアの考えは間違っている。筋は通っているのだが。
しかし今は状況が状況だ。ラダリアは彼女の隣の部屋、つまり矢羽の部屋の扉を叩いた。
「ヤバネ、待たせてすまなかった。もう調べ物は終わったぞ」
返事はない。耳を当てて集中してみても息の一つも聞こえなかった。
(鍵は閉まっている。ということは自らの意思で部屋を出たのか。連れ去った者が律義に鍵をかけるとは思えない)
何よりそんな気配はなかった。集中していたとはいえ、ラダリアがすぐ近くで起きた異変に気付かないはずがない。Bランクとは軽い称号ではないのだ。
(……迂闊だった。「彼」と「彼女」は、ヤバネが私と行動を共にしていることを知っている。ヤバネを一人にするべきではなかった……!)
急いで部屋に戻り、剣を腰に下げ鎧を着込む。杞憂であることを願いながら、町へ矢羽を探しに向かおうとしたその時、宿屋の出口にたどり着いたラダリアは気付く。
(外に誰かがいる)
隠し切れていない濃密な殺気を感じ取りながら、ラダリアは『頑強の剣』と『熟達の剣』を鞘から引き抜いた。
「はあっ!」
ドアを思い切り蹴り、すぐさま後ろに逃れる。案の定、先ほどまでラダリアがいた場所に鈍く光る長剣が振り下ろされていた。
甲冑のせいで顔が見えない襲撃者に向かってラダリアは突進する。宿屋を壊したくはなかったからだ。
剣同士がぶつかり合った瞬間、ラダリアは止まらずにさらに力を込めた。襲撃者は受け流すことを選んだようで、バックステップで距離をとった。
無言のまま、示し合わせたかのようにお互いの体が魔力を纏う。ラダリアは『身体強化』、襲撃者は『硬化』の魔法を使った。
(私がこうして襲われているのなら、ヤバネは……)
そんな考えを振り切る。ヤバネはきっと無事だ。そう信じなくては、余計な考えを捨てなければ目の前の男には勝てない。
両方の剣を強く握り直し、ラダリアは駆ける。男も剣を正面に構え、突風の如き勢いで距離を詰めた。




