第九話 予兆
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今回調査に向かった一層の南側も新たな部屋や道ができていたが、危険なモンスターが出現するようなことはなかった。つまりこの近辺にモンスターは発生しない。『大地の瞳』で数時間は監視を続けたので確かな情報と言えるだろう。当然他の通路からモンスターが入ることがあるので安全ではないが。
「今日はここまでにしておこう」
「え、もう? まだ昼だぜ、もうちょっと調査できるんじゃないか?」
それに俺もまだ体力には余裕がある。迷宮の拡大のペースが速くなっているのなら、地図作りも急いだ方がいいのではないだろうか。
「ヤバネ、先輩探索者として言っておく。『休憩と撤退は余裕のあるうちに』は常識だ。それに今日、私は午後から用事がある。調査で得た情報を伝えて、仲間と共に最新版の地図を作らなければならないのだ」
「そうか。それなら仕方ないな」
「おそらく今日は徹夜になるだろう。すまないが昼食と夕食は一人で食べてくれ」
昼から作業に取り掛かっても徹夜をしなければならないとは……。ラダリアも大変だ。帰ってきたら何か差し入れをしよう。
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「あら、ダリー。久しぶりね」
「……リーンか。そうだな、二日ぶりか?」
迷宮から出ると、見知らぬ女性がラダリアに話しかけてきた。どうやらラダリアの知り合いらしい。ラダリアを愛称で呼ぶ程度には親しいその女に興味があったので、失礼にならない程度に観察させてもらった。
髪はラダリアとは対照的な白。全身を覆う鎧の上からでも手足が長いモデル体型であることがわかる。新品ではないが手入れが行き届いている武具を見る限り、探索者としてのランクは低くはなさそうだ。
「ヤバネ、紹介しよう。彼女は私の友人のリーン。このビリンでも数えるほどしかいないSランクの探索者、彼女はその一人だ」
「はじめまして。ダリーが迷惑をかけていないかしら?」
Sランク。上から二番目のランクだ。柔らかな笑みを浮かべているこの女は俺の想像以上に強いらしい。周囲の視線が集まっているのはそのせいなのか。
「困るよリーン、どこかに行くなら何か言ってくれないと」
そして今度は聞き覚えのある声が聞こえた。
「あれ、ヤバネじゃないか! ああそうか、君は今ラダリアの助手だったんだね」
嬉しそうに駆け寄って来た男の名はルーク。ビリンの治安を守る騎士だ。
「お前、騎士じゃなくて探索者だったのか?」
「いいや、騎士でも探索者でもあるんだよ。仕事が休みの日にはこうやって迷宮に行くんだよね」
休みの日にわざわざ戦いに来るとは、やはりルークは見た目に似合わず血の気が多いらしい。
「二人は今から『デート』か?」
「ええ、もちろん」
「うん、そうだよ」
ラダリアの質問に二人は同時に答えた。
というか、デート?
「なあラダリア、この二人ってそういうあれなのか?」
「その通り。この二人は付き合っている。確かリーンの方から告白したと聞いているが」
意外だ。ルークもリーンもお互いに恋愛に興味がないような雰囲気をまとっているのに。まあ他人の恋愛にどうこう言う資格は俺にはない。
「今度は四人で一緒に迷宮に行かない? そうね、十一層辺りならちょうどいいんじゃないかしら」
「お誘いはありがたいが断る。迷宮の拡大のペースはどんどん速くなっている。しばらくは友人と遊んでいる暇もなさそうだ」
「……そう、残念だわ。何かあったら遠慮なく私を頼ってね」
「リーン、もう行くのかい? じゃあ僕たちはこのへんで。引きとめてごめんね」
二人を見送るのもほどほどにして俺達はその場を離れた。
「ヤバネ。彼女、リーンをどう思った?」
ラダリアがそんなことを聞いてきたのは、宿泊している宿まであと少しという時だった。
「どうって……。美人だ、と思ったぞ。お前はこう、頑張れば手が届きそうな美人だけど、リーンは完全に『高嶺の花』だな」
「美人といってくれたのは嬉しいが、ヤバネ、もしかして私のことを馬鹿にしているのか!?」
「い、いや、そんなことはないけど」
確かに俺の言葉は褒め言葉には聞こえないかもしれない。重ねてラダリアに謝罪すると、どうにか許してもらえた。
「というかそうじゃなくて! 私が言っているのはリーンの内面の話だ!」
「いや、内面って言われてもな」
ほんの数分会話をしただけで相手の人間性がわかるほど俺に人生経験はない。しかし答えないというわけにもいかない。
「そうだな……。じゃあ印象の話になるけど、なんかあれだ。怒らせたら面倒なことになりそうだな、とは思った」
「……そうか」
俺のひどくぼんやりとした答えを受けて、ラダリアはなんとなく悲しそうな顔になった。いかん、どうして俺はラダリアの友人を悪く言ってしまったのだろうか。適当にお世辞でも言っておけばよかったのに。
「確かにそうだ。リーンはなかなかに根に持つやつでな。一度怒らせるとしばらく口を聞いてくれなくなるんだ」
怒られることを覚悟していた俺だが、ラダリアは笑って済ませてくれた。
友人の事を語る彼女の顔に先ほどのような悲しげな色は見られない。ならばあれは見間違いだったのだろうか。いや、そんなはずはない。『大地の瞳』が見間違いをするはずないのだから。
「さて、君はこれからどうするんだ?」
「とりあえず町をぶらぶらしようかな、と思ってる」
「そうか……。余計な御世話だとは思うが、歓楽街には行くなよ? あそこは治安が悪いからな」
俺にアドバイスを一つした後、鎧を自分の部屋に片づけたラダリアは出かけて行った。
俺も早い所宝石を買い取ってくれる店に行かなくてはならないのだが、そういうのはどこで聞けば教えてくれるのだろうか。
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「あ」
「あ」
特に何も考えずに歩いたのは失敗だったかもしれない。俺は今いるのはとある路地への入り口、つまり四人組のヤンキーに絡まれた場所だ。
そして、そのヤンキーの一味がそこにいた。円になって座って煙草のようなものを吸っている。見なかったふりをすればよかったのだが、四人のうちの親玉が俺に気付いて声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 頼みがあんだよ!」
全速力で逃げだそうとした俺を親玉は呼びとめた。その声の必死さに思わず振り返ると、ヤンキー達はわかりやすく怯えていた。そんなに怯えているのに頼まなければならないこととは一体何だろうか。もしかすると深刻な問題かもしれない。
「頼み? まあ、言うだけ言ってみろよ」
「い、いいのか? 助かるぜ!」
「まだ頼みを聞くなんて言ってないけどな」
この四人に対して、まあ少しやりすぎちゃったかなとは思っていたのだ。頼みの一つくらいは聞いてもいいかもしれない。もし態度を急変させて襲いかかってくるなら同じ方法で制圧してやればいいのだ。
「俺達と一緒に迷宮に行って、ナンパの手伝いをしてくれ!」
「……」
時間の無駄だった。こいつらがまともな宝石の店を知っているとは思えないので、さっさと路地を離れることにする。
「ああ! ま、待ってくれ!」
「そうだ、もう少し話を聞いてくれ!」
無視。というか周囲の目が気になるから路上で引きとめるのは止めてほしいのだが。
「やることは簡単だ。一層辺りでピンチになった女を助けるだけだ! あんたみたいな男前がいれば絶対に女は惚れる! 後はあんたが上手く言いくるめて、その女を俺達にも分けてくれれば……!」
今仲間と共に地図を描いているだろうラダリアを思い浮かべる。彼女が必死に働いているのに、こいつらはこんな気持ちで迷宮に行こうというのか。
空中に『大空の盾』を出現させるとそれだけで親玉は面白いように震えた。脅すつもりでそれを急降下させた瞬間、
「ぎゃあああああああ!!」
路地の奥から悲鳴が聞こえた。よく見れば俺の周囲にはヤンキーが三人しかいない。この悲鳴はその一人のものだろうか。
「どけ!」
仲間の悲鳴による恐怖で固まったヤンキー共を押しのけ、走って路地の入口まで戻る。
「た、助けてくれ……」
そこにはヤンキーの一人と、その男を袋叩きにしている何かがいた。
それは全身が体毛で覆われている、俺の腰程度の身長しかない二足歩行の動物だった。
「ああああああああ!! 痛い、痛いよおおおお! 止めてくれ……」
『自由の弓』を出現させ、弓を構えて即座に射る。男の頭に石を打ちつけようとしていた猿(仮称。見た目が何となく似ているからこう呼ぶことにする)は矢の勢いに従って左に倒れた。
仲間が倒されたことによって、男を痛めつけていた猿たちが一斉に俺の方を向く。数は十五匹だが問題ない。俺の矢はほぼ無限にあるのだから。
「キキキキキキキキキキキキキ!!」
まるで嘲笑のように聞こえるその鳴き声を聞き流しながら、俺は二本目の矢を番えた。




