第二十二話 俺TUEEE
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(あれは『神器』か?)
善光ほどではないがマーズもやはり矢羽を侮っていた。だからこそ、矢羽の行動を止めもせず見ていたのだ。マーズには、矢羽が何をしようと自分は負けないという確信があった。
それは正しい考えだった。『聖剣』を奪いさえすればほぼ無力になる善光とは違い、マーズと戦えば矢羽はなすすべなく殺されるだろう。
そしてマーズは矢羽に激しい怒りを抱いていた。矢羽が何か策を弄するつもりなら、その全てを打ち破り、絶望をもたらそうと考えていた。
その時矢羽が取り出したのは、鏡だった。
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『収納』によってこの神器を取り出して手に持った瞬間、俺の体のバランスは大きく前に崩れた。想像以上にこの鏡は重かったのだ。そういえば、以前俺の矢を商人が持った時も同じようなことがあった気がする。
すかさず鏡の下に『大空の盾』を出現させたおかげでなんとか転ばずにすんだ。
この鏡こそ俺の切り札。神祖に対抗できる唯一の方法だ。
俺は『大空の盾』を回転させ、鏡を神祖に向ける。わかっていると思うが、この鏡は『虚構の鏡』。映った生き物を変身させる神器だ。
「……」
「……」
……何も起こらない。おかしい。バーバラはちゃんと変身していたし、あの魔物たちもこの神器を使って人間に化けていたはずなのだが。
少し時間が経ち、俺はようやくその原因に気付いた。
神祖の姿が、鏡に映っていなかったのだ。
「ほほう。その鏡がどのような『神器』かをわらわは知らぬが、残念じゃったな。わらわたち『神祖』の姿を、そのような道具ごときで捉えられると思うたか? わらわは神に創られた、言うなれば世界最古の『神器』。貴様が持つ有象無象のそれとは格が違うのじゃ」
神祖の言うことは間違いだろう。もし本当だとしたら俺の目に、『大地の瞳』にあいつの姿が映るはずがない。
しかし『虚構の鏡』に姿が映っていないのも事実。これではさっき思いついた「神祖弱体化大作戦」も失敗だ。神祖を適当に、俺でも勝てる魔物に変身させて追い払うという素晴らしい作戦だと思ったんだが。
それでは仕方がない。本来の作戦を実行するとしよう。
『大空の盾』を回転させ、『虚構の鏡』を俺の方に向ける。想像するのはある男の姿。間もなく、『大地の瞳』による異常な視界は消えた。
「な、なぜじゃ……」
神祖の様子からして、間違いなく変身は成功しただろう。その混乱が見て取れるが、神祖はすぐに俺が変身した方法を見破った。
「その鏡か。その鏡を使って、お主はヨシミツに変身したのか!」
わざわざ答える必要はない。俺は、いや勇者は神祖を無視して、地面に落ちている『聖剣』を拾おうとした。
しかし、これもまた重すぎて一センチも持ち上がらなかった。
「ああ、やっぱり違うのか」
その原因に心当たりはあったので、鏡に映った勇者を見ながら今度は別の男をイメージする。
「な、今度は誰じゃ……?」
「悪い。俺も知らない」
俺、いや勇者を殺した謎の男が正直にそう伝えると、神祖は混乱と呆れが混ざったような顔をした。
そんな神祖をよそに謎の男は再び『聖剣』を持とうとする。先ほどと違い、俺、いや謎の男は『聖剣』を簡単に持つことができた。初めて持ったはずなのによく手になじむ。
「何故じゃ……。その剣は、ヨシミツにしか扱えぬはずじゃ!」
果たしてそうだろうか。色々な話を聞いた今、『聖剣』と勇者は魔王を倒すために必要不可欠なものであるはずだ、ということが分かった。そんな大事なものが失われる、例えば勇者が死んだときの保険をかけておかなければ、魔王を倒すことが難しくなってしまうだろう。
今謎の男が『聖剣』を使えるのもきっとその保険のおかげだ。
「さて、行くぞ」
こちらの準備は整った。東堂矢羽では勝てないが、謎の男なら、というか『聖剣』さえ使えたら神祖にも勝てる。
謎の男は大きく深呼吸をした。
「『最終解放』」
『聖剣』を手にしたとき、その使い方が頭の中に流れ込んできた。なんという親切設計だろうか。やはり神様は気が利いている。
そして俺、いや謎の男、まあ俺でいいか。俺の体はいまだかつてないほどの魔力に満ちている。バーバラよりも、神祖よりも、勇者よりも多い、圧倒的な量の魔力だ。
「どうした。俺を殺すんだろ?」
棒立ちになっている神祖を挑発すると、その表情に怒りが宿った。
「ああ、そうじゃ。わらわはお主を殺さなくてはならぬ。ヨシミツの命を奪い、サーシャを苦しめたお主を許すわけにはいかぬのじゃ!」
神祖はそう叫び、魔法で作った剣を構えると俺との距離を詰めてきた。
神祖が止まってその剣を振るうのを見てから、俺は神祖の腹に左手で裏拳を叩きこんだ。防御どころか反応することもできなかった神祖は大きく吹き飛び、背中から木にぶつかった。
「ぐっ……!」
しかし神祖はすぐに体制を立て直し、もう一度、先ほどとは比べ物にならない速度で俺に向かってきた。
それでも俺の方がはるかに速い。今度は足を掴んで投げ飛ばす。今度は腹から木に叩きつけられたが、神祖は地面に落ちる前に空を飛び、空中からいくつもの魔法を撃ってきた。
全ての魔法は寸分たがわず俺に命中したが、特に何も感じない。このすさまじい量の魔力が壁となっているおかげで、俺は衝撃すらも感じることがなかった。
「あ」
突然俺がこんな間抜けな声を出したのには理由がある。空中にいる『神祖』に魔法を叩きこもうと思ったのだが、「『火球』」と言う前に魔法が出たのだ。バーバラの『火球』とは大きさも速さも段違いのそれは、神祖にきれいに命中した。これだけの魔力があれば『火球』ぐらいは使えると思ったが、こんなに大きいとは思わなかった。
俺は神祖の落下地点に行き、神祖を思いっきり蹴りあげた。空中で三発ほど『火球』をぶつけ、再び落ちてきた神祖を今度は地面に叩きつける。
俺は神祖を追いかけながらひたすら攻撃した。神祖はされるがままで抵抗する意志も見えず、俺には余裕があった。そして俺は戦闘中にも関わらず考え事をしていた。
いったいいつから、俺はこういう人間になったのだろうか。どうして俺は他人に手を上げても平気なのだろうか。日本にいたころに誰かと殴り合った経験などほとんどないのに、どうして俺はこんなにも冷静でいられるのだろうか。
疑問は他にもある。どうして俺は「魔王を倒す」なんていう危険な使命をあっさりと受け入れたのだろうか。別に俺は正義感が強いわけではないし、特別優しいということもなかったはずだ。さらに言えば、自分の命を危険にさらしてまで世界を救おうとする奉仕の心と勇気なんてなかった、と思う。
そして、俺は自分の死さえ受け入れた。何の戸惑いもなく。何の悲しみもなく。ただただ平然と受け入れた。他人に「落ち着いている」と評されたことはあるが、無感情ではなかった。友人とはしゃぐことも、何かに怒りを抱くことも数え切れないほどあった。
俺は、俺自身が思っている以上に冷酷な人間だったのだろうか。
神祖の姿が変わっていくのを見て、俺はいったん思考を中断した。
背中からは大きい蝙蝠のような翼が生え、目は赤く光っている。
「この姿になるのは何百年ぶりかのう!」
神祖の口ぶりからして、この姿がこいつの本気なのかもしれない。だが、正直に言って負ける気はまったくしない。
また飛びかかって来た神祖を、俺は『聖剣』で斬りつけた。
神祖の左腕が地面に落ちる。するとそこから腕が一瞬で生えてきた。肉体が永遠とはこういうことなのか。
しかしこれでは埒が明かない。何かこいつを完全に倒す方法はないだろうか、と考えてふと思い出す。そういえばキクルはこいつにとどめを刺そうとした時に魔法を使っていた。その魔法を使えればいいのだが、いかんせん名前がわからない。
仕方なく、俺はキクルの、金色に光っていた拳を想像した。するとどうだろう。俺の左腕が金色に輝き出したではないか。いけるのか? まさかいけるのか?
「ぐわああああああ!!」
試しに神祖を左手で殴ってみると効果てきめん。神祖は殴られた腹を押さえながら悶絶し、その場に崩れ落ちた。
「お前の仲間は治療しておくから、安心してくれ」
俺は『聖剣』に魔法をかけて、神祖の横に立った。黄金に光る『聖剣』が神祖の顔を照らす。
これ以上ないほどの憎しみがこもった視線を受けながら、俺は神祖の首めがけて『聖剣』を振り下ろした。
わずかに何かとぶつかった感触があるだけで、『聖剣』は俺が狙った通りの軌道を描く。
空を切る音の後、何かが地面に落ちた音がやけに大きく辺りに響いた。




