第二十話 花は散らず
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「狂い咲き」。はるか昔、この大陸にカーケル大陸という名前がつく前の時代に生きていたとされる伝説の格闘家「拳王」が興した三つの流派のうちの一つである。
ただひたすらに相手の意表を突くことを目的とした流派で、最も激しい「滝落とし」、最も手堅い「入道雲」と並んで、最も難しい「狂い咲き」と呼ばれている。
その特徴はいたって単純で、ただひたすらに王道から外れた攻撃をするというものである。それゆえに無理な体勢から攻撃を仕掛けられるだけの筋力とバランス感覚が必要とされ、一部の天才と呼ばれる者を除いてこの拳法を習おうとする者はいなくなってしまった。
攻撃魔法に代表される他人を対象とした魔法を使う才能が絶無のキクルが、戦闘手段としてこの流派を選んだのは、習得さえしてしまえば対処が最も難しいからだ。
「よりにもよって『狂い咲き』とは、お主なかなかの物好きじゃな?」
「狂い咲き」は一般的に奇襲、あるいは短期決戦のための拳法とみなされている。手の内がばれているならその強みはほぼないに等しいと誰もが考えるだろう。
だが、キクルはそう考えてはいなかった。それは彼女がこの拳法の真髄に気付いているからだ。
再びキクルは右手を後ろに回して左手を前に出す、先ほどと同じ構えをとった。
そして再び突進する。あれだけ激しく動いたにも関わらず、その速さは先ほどより増している。
しかし、マーズはどこか失望している様子だ。
「同じ手が通じると思うておるのか? 芸がないのう」
マーズの言う通り、キクルの動きは速さ以外は先ほどとまったく同じだった。マーズのような強者に対してあまりに愚策と言えるだろう。
キクルはまた左足を大きく踏み出し、左手を突き上げた。マーズは危なげなくこれを避ける。
キクルは左手を振り下ろす。マーズがその手を防いだのを見ると、キクルは右の拳をマーズの顔に打ち込んだ。マーズは左手でそれを防御する。
続いてキクルは左の拳でまたマーズの顔を狙い、その途中で止めた。「狂い咲き」の使い手ならそうするじゃろうとマーズが考え、その手から意識を逸らした瞬間、キクルの左手は再び加速を始めた。
「なっ……」
気付いた時にはもう遅い。キクルの拳はマーズの顎を完璧に捉えた。マーズの視界は一瞬真っ白になる。
そこからは一方的だった。
マーズはキクルの拳法に深い知識があった。その知識のせいで、「相手はまっとうな攻撃をしてこない」という先入観が働いてしまったのだ。だからキクルの普通の攻撃に反応が遅れ、普通の攻撃を警戒すればあっさりとフェイントに引っ掛かる。
「狂い咲き」の流派に属しているからといって、常に相手の裏をかこうとする必要はない。相手がこの拳法に詳しければ詳しいほど、意表を突こうと思っていない攻撃こそが相手の意表を突くことになるのだ。
普通の攻撃と織り交ぜて使うことで効果が増す。これこそが「狂い咲き」の真髄だ。
ほんの数十秒の間にキクルが放った攻撃は百に達する。そのほとんどをまともに受けて動きが鈍くなったマーズに、キクルは最後の一撃を放とうとする。
キクルは右の拳に『破魔』の魔法をかけた。アンデッドと総称される魔物を消滅させるのに有効な魔法で、普通なら直接魔物に使ったり武器にかけたりする。当然吸血鬼、その最高位である『神祖』にも効果を発揮する。
魔法によって金色に輝いているキクルの拳は、これまでのどの攻撃よりも速かった。キクルも、この一撃はまさしく武道を習得して以来最高の一撃だと思っていた。
「良い、実に良いぞ!!」
だからこそ、その一撃が満面の笑みで完璧に防がれたことをキクルは信じられなかった。
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「実を言えばな、わらわはお主に何も期待していなかったのじゃ。戦いを前にして怯えているなど言語道断じゃからな」
「くっ……」
「まあ、そう暴れるでない」
キクルは神祖から逃れようと右腕に力を込めたようだが、まったくびくともしなかった。それどころか、神祖の目を正面から見た瞬間に完全に動きが止まってしまったのだ。
誰が見てもあの戦いはキクルが優勢だったのに、今は完全に逆転している。
「だが、お主は素晴らしい戦士じゃった。あの拳法を見事に使いこなし、わらわを圧倒してみせた」
嬉しそうに語る神祖と恐怖に震えるキクル。それぞれの表情は対照的だ。
「おそらくお主には攻撃魔法の才能がないのであろう? それでも諦めずに自分に最も適した戦い方を見つけ、それを磨いた。実にあっぱれじゃ」
神祖の手放しの賛辞も、今のキクルには皮肉にしか聞こえないだろう。
「わらわはお主のことが気に入った。というわけで、わらわの眷属にしてやろう」
その言葉を聞いたキクルの表情が絶望に染まっていく。そんなことには構わずに、神祖は口を大きく開き、キクルの首に噛みつこうとした。真っ赤な口から生える、特に長い牙が今まさにキクルの肌に触れようとする。
「……無粋なことをしてくれる」
神祖が何をしようとしたかは知らないが、俺は今キクルを見捨てようとは思っていなかった。
『大空の盾』に乗って少し遠くから様子をうかがっていた俺は神祖を射抜こうとした。結局俺の矢は掴まれてしまったが、注意はキクルからそれたようだ。
「今は大事な話をしていたのじゃ。幸い今わらわは機嫌がいい。早々に失せるなら見逃してやろう」
「あれ、勇者を負かした人間に用があるんじゃないのか?」
「……何?」
俺の言葉を聞いた神祖は体を俺の方に向けた。
「馬鹿を言うな。ヨシミツはわらわよりはるかに強い。お主のような雑魚に遅れなど取らぬ」
「そう思うんならいいけど、じゃあこれはどう説明する?」
俺は『収納』していた『聖剣』を空中で取り出した。『聖剣』はそのまま地面に落ちたが、それを見て神祖の目の色が変わった。
「お主が、何故それを持っている……!」
「勇者から奪った」
これでもまだ信じられないようだが、神祖は突然声を荒げて騒ぎ始めた。
「そうじゃ、思い出したぞ! お主はこのエルフの主人じゃな!」
いや、違うけど。
「それにこの矢。なるほど、あの時の矢はお主の仕業か」
握っている矢を見て神祖は憎々しげにそうつぶやいた。そして次の瞬間、すさまじい怒声を俺に浴びせてきた。
「お主が! お主がサーシャをあのような目に遭わせたのか!!」
勇者と相対した時のように、俺は『大地の瞳』の能力を全開にしている。神祖の行動すべてを注視しながら、俺は事前に考えていた作戦を、もう一度頭の中で確認していた。




