第十一話 憎しみよりも鋭い刃
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森の王は不機嫌だった。理由は他でもない。早朝から矢羽の訪問を受け、眠りを妨げられからだ。
「王よ。朝早くにお邪魔してしまい、大変申し訳ありません」
まったくだ、とは口に出さない。今はまだ矢羽と対立するわけにはいかないからだ。今矢羽に不快な思いをさせるのは都合が悪い。
「なに、気にするな。それで、用というのは昨日の依頼のことか?」
だから王は矢羽の無礼を快く不問にした。そして早くもう一度眠りに就くために、矢羽に本題を促した。
「はい。不肖の身ではありますが、王のご依頼を謹んでお受けさせていただきたいと思い、こうして早朝に参上した次第でございます」
「そうか、受けてくれるか。助かった。貴様に断られてはどうしようもないからな」
喜んだような声を出しながらも、当然のことだと王は考えていた。そもそも、王にとって人間とは、森の種族より劣っている下等な存在でしかない。そんな人間が、気高き森の王の頼みを断るなどあってはならない、許されないことなのだ。
だから実のところ、矢羽に選択肢などなかった。もし矢羽が断っていれば、王の命令を受けたエルフが魔法で矢羽を洗脳し、傀儡としていいように利用されていたことだろう。
「しかし王よ、今の私では勇者に対抗するにはあまりに力不足であります。そこで一日、勇者と戦うための準備の時間をいただきたいのですが」
「許す。万全の状態で勇者を迎え撃つのだ」
一日程度で何かが変わるものか、と王は思った。しかし矢羽の申し出を断らなかったのは、王が矢羽に対して何も期待していないからだ。唯一期待していることがあるとすれば、それは矢羽が勇者に殺されることだ。
勇者は強いが、森の種族が成す術なしというわけではない。王は最後の切り札を持ってはいるが、それを使ったことが知られれば、人間から痛烈に非難されることは疑いようもない。魔王という脅威がある中で、人間との戦争を再開するのは避けたかった。しかし、矢羽が殺されれば話は変わる。王には、切り札を使ったのは、あくまで殺された人間のためという大義名分ができるからだ。それでも人間の反発を招くかもしれないが、開戦には至らないだろう。だから、王は矢羽が勇者に勝とうが負けようがどうでもよかった。
「人間よ、我々もできる限りの協力はしよう」
とはいえ、まかせっきりにするのもよくない。万が一矢羽が勇者を退けた場合、森の種族は何もしていなかった、と思われるのは体裁が悪い。王は仕方なく、慈悲のつもりでそう矢羽に持ちかけた。
「いえ、皆様の助けは一切必要ありません」
だから王は、矢羽がそう返答するとはまったく考えていなかった。
「今、なんと言った」
「ですから、皆様に協力していただく必要はありません。準備の時間をいただいたのですから、私一人で問題なく勇者に対抗できます」
おかしい。王がそう思うのも無理はないかもしれない。王にとって人間とは、下等であると同時にひどく脆弱なものだったからだ。そんな人間が我の慈悲を拒むだと? 王には理解できない。目の前の男、矢羽は出会ったことのあるどの人間よりも非力で、頼りない。何故だ、何故……。
そこで、王は気付いた。先ほどから感じていた違和感、自分の機嫌がいつにも増して悪いという違和感の原因に。
「どうかされましたか、王」
それは、矢羽の目だ。矢羽の目に浮かんでいたのは、まさしく「哀れみ」の感情だった。それを理解した瞬間、王の全身を流れる血は怒りによって激しく燃えあがった。
こ、この人間は! あろうことか我々を、人間如きとは比べ物にならないほどに優れた森の種族を、「守るべきか弱きもの」として見ているのか! 「こいつらがどうしてもというから、仕方なく勇者をどうにかしてやろう」とでも思っているのか!
怒りに震えているのは、王の側に控えているエルフも同じだった。王の前でなければ、すぐさま魔法で矢羽を粉砕していたことだろう。王もまた、矢羽の喉笛を食いちぎりたいと考えていた。
しかし矢羽はあくまで礼儀正しく、謙遜した態度であるから、攻撃する正当な理由がないのだ。それに、人間の態度に癇癪を起こしたとなれば、自らの沽券に関わる。だからこの屈辱を、人間に侮られたという屈辱を、王は必死に押し殺すことしかできなかった。
「あ、でも一つお願いがあるとすれば」
王と側近のエルフの激情に気付いているのかいないのか、いつも以上に気の抜けた顔で矢羽が放った言葉は、激しく燃える怒りの炎に油を注いだ。
「私が勇者と対峙しているときには、側にいてほしくはないですね」
「さすがに皆様を庇うところまでは、手が回らないので」
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他人を見下すことでしか、自分に価値を見出すことができない人間というのは少なくない。そしてそれはエルフも狼も例外ではなかったようで、俺のささやかな復讐はかなり効果的だった。自分より劣っているはずの人間に見下されるということは、プライドの高いあいつらには耐えがたいことに違いない。侮られるのが好きな人間なんていないけど、あいつらの心はかなり人間に近いようだった。
さて、あそこまで大口を叩いたのだから、もう引き返せない。早速準備に取り掛かるとしよう。
そのためにまずは出かける必要がある。
目的地はタートだ。まさかこんなに早く再び訪れることになるとは思ってなかった。
書きたかったけど多分無理なシーンその一
矢羽が大きいカブトムシを見つけて驚くシーン




