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アイツラ  作者: 岸上時雨
5/8

アイツラ1

(十分前)


 和気藹々とした雰囲気の中、八人を乗せたボートは、人工的な川を進んでいく。


「あぁー楽しみっ! 何が待ってるんだろ!」


「…………」


「あれ、どうしたの?」


「いや……何でもない」


 大和はそう言って再び考え込む。


――従業員の表情は明らかに普通じゃなかった。

 

 彼女の浮かべていた満面の笑みもそれはそれで彼を気味悪がらせたが、送り出す時の表情は、人間のするようなものとは思えないほど醜悪だった。背筋に氷が入れられたような、圧倒的な拒絶感と恐怖感。

 あれは決して自分の勘違いではない、と事の重要さに気付いた彼は、気分の高揚している奈々ではなく、いつも通り冷静な裕人へそれを伝えようと後ろを向く。同時に意識せずとも後部へ座る客たちの声が耳に入ってくる。


「ねぇねぇ、諒也」


「ん? 何だよあおい


 惚気た様子で喋り合っているカップルは、従業員の『変化』には気付いていなかったらしい。焦りの一つも顔には浮かんでいない。


「このアトラクションって、ナレーションとかないんだね。こう、いろいろ説明とかあると思ってた」


「そうだよなぁ。これじゃ盛り上がりに欠けるな。後であの従業員に文句言ってやるよ」


 どうでもいいところに目をつけた男は、上機嫌なまま、自分の考えに同意を求めるために後ろを向き、馴れ馴れしい笑顔で、


「なぁ、お前もそう思うだろ、坊主?」


 後部座席に座っていた少年と少女は……


 


 どこにもいなかった。




「……あ?」


 男の思考が数秒の間完全に停止する。突然の状況に思考が追い付かない。


――いつの間に? 何で? 何が? どうやって? どこに? は?


 神隠しのようにポッカリと空いてしまった空席を見つめながら、何とはなしに視線を更に後部――川の方へとずらしていくと……


「……は……はは」


 乾いた笑みが零れる。声を失う。

 赤。青黒い川にはそぐわない『色』がそこにはあった。一点を中心としてじわじわと広がっていき……

 男にもそれが何なのかは一瞬で理解できた。

 消えた子供と赤色。思い当たらないわけがない。

 理解できた。理解して恐怖して声を上げようとして、最終的に思いついたのは……


――何が起きた? この数瞬で坊主らに何があったんだ!?


 男と一緒に視線をずらした彼の彼女や、彼の方をたまたま向いた大和など、ボートに乗っている六人はその光景を見て、全員が揃って黙り込む。

 呼吸音すら聞こえないほどの静寂。それが永遠に続く、そう男が思った時、沈黙を破る『声』があった。皆が今、視線を向けている川の中から。


「たす……て……たすけ……て!」


 血だまりより前。ボートから十メートル程離れた距離からその声は聞こえてきた。と、同時にバチャバチャ! と、水を掻くような音と共に、血を頭から被った少年が川から顔を出す。


「たすけて! いやっ、……たすけ……て!」


 勢いよく水を掻いているせいで中々体は進まず、逆にもがくような姿勢になってしまっていた。

 何が、と思うよりも先に男は声を上げる。


――このまま坊主を川に放置しといたら、絶対に少女と同じ目に遇う。喰われたのか、何かは分からねぇけど、『何か』がここにはいるっ!


「落ち着け! とりあえず呼吸を整えろ!」


「でも、無理……...が!」


 文法の滅茶苦茶な言葉で叫ぶ少年を無視して、男は、今思い浮かぶ言葉を全てぶつける。


「そんなのどうでもいい! とにかく落ち着け! その泳ぎ方じゃ体力を消費するだけだぞ! 呼吸を整えろ! いいな! 落ち着け! 冷静になれ!」


 自分でもどうかしていると思うぐらい男は叫ぶ。本来なら、見知らぬ他人など見捨てるが、血を見た恐怖が無意識の内に体を突き動かしていた。

 男の言葉によって次第に少年の動作が平常のものに戻ってくる。


「そうだ! そのままここに来い! ボートもそこまで早くない! 追い着けるはずだ!」


 バーに体を止められ、自ら助けに行くことのできない男は、ただ叫ぶ。叫んで叫んで叫んで叫んで……


 見る。見付けてしまう。少年の背後からゆっくりと迫っている黒い巨大な影を。


「……!?」


 十メートルを軽く超える巨体。


――あれが、ウワサの……


 男の顔色の変化に気付き、『何か』が自分の背後にいることを悟った少年は、顔を悲壮に歪め、終いにはボロボロと涙を零し始めてしまう。


「やだ……よぉ。死にたく……ないよぉ。……たず……たすけてぇ!」


 泳ぐ手を進める度に影との距離は次第に縮まっていく。男はもう声を上げることも出来なかった。

 結果が見えてしまっていたからか。それとも、自分の無力さに絶望したからか。


 ボートまであと五メートル。


 少年のか細い手は、ボートの端に届くことすら叶わず、そして……



(少年)


 肩の上に重い感触があった。その質量だけで少年の身体全てを川に沈めてしまいそうな重さが。


「……ヒッ……えぐっ」


 横を見ることも出来ない。視線をずらせばそれで自分はあっさりと捻り潰されてしまう、と未だ十歳にも満たない少年でも理解できた。出来てしまった。恐怖と絶望が頭を埋め尽くし……

 

 一瞬。コンマ数秒の動きだった。


 少年が恐怖に耐え切れず叫ぼうとした口を塞ぐように、..は少年の頭に纏わりついて、.........


 圧潰または破裂。影から伸びた触手が、少年の小さい頭を何の躊躇もなく破壊したのだ。眼球が飛び出る暇もなく、脳漿やその他の『内容物』が一斉に川にぶちまけられ、川を赤黒く染めていく。

 

 少年の意識は完全に閉ざされ、ボートに乗った六人の思考も呼吸も、時が止まった様に動きを止める。役目を終えた触手は少年の頭があった場所から離れ、彼.....の足を掴んで水中へと引きずり込んでいった。


 残ったものは、沈黙と凄惨な光景だけ。しかし、絶望はこれで終わったりなどしない。恐怖はまだ始まったばかりなのだから。

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