そして、婚約破棄した王子様はお星様になりました
あの夜は、とても星が輝いていたと思う。
「アントワーヌ、君との婚約を、は、破棄させてもらうよ」
王城で開催された、社交界の当日。
大勢の貴族や貴婦人達の目がある中。久しぶりあった彼からの言葉は、一方的なものだった。
彼は装飾窓に手をかけ、こちらを省みずに告げる。
エトワール第三王子。
彼は私、アントワーヌ=サン・テグ・ソレイユ子爵令嬢の婚約者だ。正確に言うと、元婚約者になってしまうかもしれないが。
事情が出来たのですか、と私が尋ねると。自分には好きな相手が出来たという旨の言葉が返ってきた。
予感はしていたのだ。ある時期から、エトワール様は夜遊びしているという噂を聞いていたから。だからその日も、もしかしたらとは思っていた。
でも、彼はそんなことをする人ではないと思っていたのに。
彼はこの国の王子様だ。
エトワール王子は美男である第一王子や第二王子に比べれば、人気はない。
体型も小太りだったし、お世辞にも運動が得意な方ではなかった。けれど、瞳はクリッとして可愛くて、愛嬌のある人だ。心優しくとても聡明な人だった。
皆がそう言っていた。そこに私も含まれている。
彼の話はとても楽しく、いつも薀蓄に深かった。
パーティなどで彼と会う日を、私はいつも楽しみにしていた。
それにいつも、私を褒めてくれた。
君の真っ直ぐなところが好きだと。
政略結婚ではあるけれど、私はそんな彼に惹かれていた――
彼が婚約破棄という言葉を告げてからの記憶は、正直言うとあいまいだ。
彼に泣きついていたような、その場にいた王様にどういうことかと直訴してしまったような気もする。王妃様も、私の様子にたまらず席をはずし、自室に戻ってしまった。私は駄々をこねる子供のようになっていた…実際そういう年齢だけれど。
そして彼と口論の末、これがもうどうしようもないものだと悟った。
彼が婚約破棄を切り出し、その後は話がとんとん拍子に進んだ。
数日後、婚約破棄が教会によって認められた。異例の措置だ。ただ私たちの結婚自体、本来はこれも異例のものだった。
父と王様はとても仲が良かった。
私と王子が婚約したのもそれが縁なのだ。二人は幼馴染で、私が子供のころに起きた戦争で父は大活躍だったらしい。その功績が認められ、爵位の差で彼と結ばれないはずの私だったが、おかげでエトワール様と婚約することが出来た。彼のそばにいたくて、今まで社交術の勉強をし、立派な貴婦人になるための努力をしてきたが、それも徒労に終わってしまうのだろう。もしかしたら、そういう生真面目なところをつまらない女だと思われていたのかもしれない。
◇
いつも夢であの夜のことを思い出してしまう。
私は彼から婚約破棄され、塞ぎ込んでいた。
季節も流れてしまうほど。
あれから月日が経ち、もう夏になった。
婚約破棄されたのが、社交界シーズンの春だったから、3ヶ月位私はずっとこんな調子だった。
といっても、生活自体は彼が婚約者だった頃とそんなに変わらない。せいぜい、社交界に出れなくなったことと、私が自分の意思であまり外に出なくなったことぐらいだろう。毎日、家庭教師に作法の勉強を教えられてはいるが、いまいち身が入らないのは確かだったが。
けれど、なんとか持ち直すことが出来た。
経過した時間が私を癒してくれたこともあるが、それより大きな要因があった。
私には今とても楽しみにしていることがある。
私が自室で物思いに耽っていると、コンコン、コンコンと外壁を叩く、小さな音がかすかに響く。
急いで、屋敷の正面エントランスを出て、その音が聞こえる外壁まで向かう。地面に座り込み、「こんばんは」と私が言うと。小さい声でその壁の反対側から「こんばんは」と言葉を返すのだ。
私は、声の反対側の壁に背中をつけ耳を当てた。声は小さく、近くにいないと聞こえづらいからだ。
その声との会話が、私の1日の楽しみなのだ。
ちなみにその人物は男の人だ。なぜ男性かとわかったかというと、男性の特有の低い声で、ボソボソと言う声で、特有のガラガラ声で、そして私が初めて聞く声だったからだ
ある日を境に、私の元に彼が尋ねるようになった。尋ねるといっても、彼が私に直接会うわけじゃない。
彼は毎夜私の家まで訪れ、壁越しに話かけてくれるのだ。彼は夜にしか現れないし、決して姿は見せてはくれなかった。再三姿を見せてほしいと言い、誰なのか尋ねるたが、今は教えられないと一点張りだった。それに、もしも姿を見るようなことがあれば、もう二度と来れないと注意された。
だから私は絶対に見ない。
それが家に引きこもっている私の…一日の楽しみだったから。
彼と出会った経緯を言えば、偶然だった。
私の部屋は一階、屋敷正門の反対側の位置にある。
丁度、窓とシルクのカーテンの向こう側、その壁に、ある日からノック音がし始めたのだ。
確か、春と夏の境目くらいの時期だと思う。
最初は幻聴か何かだと思っていた。彼が訪れるまで、私は毎日泣きはらし寝ていたから。とうとう自分がおかしくなってしまったと思っていた。ただ、それが毎日続くものだから、私はその壁の外まで向かい、おっかなびっくりに声をかけたのだ。そうしたら声が返ってきた。それが壁の向こうの彼との出会いだった。
不審に思い、母にそのことを話したら、「きっと妖精さんね」っと返ってきた。そして気が向いたら話してあげなさい、と言われた。少しは心配してほしかったのだが。まぁ、そんな調子で彼との関係は親公認ということになった。そしてそれは今も続いている。
後日、よくよく考えて、私が気付かなかったら彼はどうするつもりだったのだろうと苦笑したが。
それから夜毎、話をした。
他愛無い世間話をしたり、特に星の話をしてくれた。星座の由来や経緯など。時には神話も絡めて話をしてくれたりもした。実は私は星を眺めるのが好きで、良く夜空を見ていた。だからこの自室を一階の窓際にしたのも、いつでも部屋を抜け出し星を見に行くためだった。
彼とは馬が合い、いつもそんな話をしていた。
私は星を見るのは好きでもあまり星に詳しくなかったが、彼のおかげで淑女としてのマナーよりもそちらに詳しくなってしまった。それを家庭教師に怒られてしまうこともあったが。
でも、楽しかった。一緒にたくさん笑いあった。
◇
さらに時が経ち、私はちょっとずつ外に出るようになった。
久しぶりに屋敷の外に出た時は、冷や汗が出たが、思いの外何とかなった。それからは新しい外出用の洋服を仕立て、近場まで遊びに行ったり、迷惑をかけた友人達の家を訪ねて謝罪したりもした。
そして、今日。
最近あまり来なくなった彼が、フラッと訪ねたかと思ったら、思いがけない言葉が飛んできた。
「実はもう、こうやって来れないと思う…」
「…そうなんだ」
私はどう答えていいか分からなかった。けれど、とてもさびしい。彼のおかげで私はやり直す機会を手に入れたのだから。私が彼に理由を尋ねると、すぐにはぐらかされてしまった。
「ちょっと事情があってね、それよりもほら、空を見てごらん。今日は最近話題になっているバイエル符号の話をしようか…」
こういう時の彼はいつも私を煙に巻いていた。彼の正体だとか、重大な話をすると彼はいつも露骨に会話をそらした。でもそらした先の話がまた面白いものだから、ついつい耳を傾けてしまうのだ。彼と出会ったばかりの私なら、話に流されてしまっていたかもしれない。けど、今日は違う。今一度彼に質問した。
「…ねぇ、なぜ今まで私に会いに来てくれたの?」
「君のことがほうっておけなかったんだ」
「それがどうしてなのか、私は聞きたいの」
「そうだな……見てあの星を。小さくてよく見えないだろう?連なる星の中で最も暗いものを、バイエルはオメガと名づけたんだって。でもあの星はね、日が出ていてもあそこで輝き続けているんだ。他の星と同じようにね。君もそうだ。君はあの星と同じだ。今はつらいことがあって、目の前のことが見えなくなっているだけなんだ。そうやってふさぎこんでいちゃダメだ…本当の君はあの星のように輝いているんだから」
「……話をそらさないで」
「そらしてなんかない。人生は素晴らしいんだ、けれど、とても短い。君もあんな男のことは忘れたほうがいい、そして大人になってほしい。真実を受け入れて生きていくのはつらいことだから。現に君が未だ思っている男は、僕に言わせて貰えば最低だよ。君という人が居ながら、ほかの令嬢と夜を共にしていたらしい。僕なら絶対にそんなことしないのに、それに――」
「エトワール様を悪く言わないで」
私は彼の言葉を遮った。
だって、彼はそんな風に言うけれど、もしかしたら彼は…
私の言葉を最後に、少しの間私たちは黙りこくっていた。
少し間があって、彼が言葉を紡ぐ。
「…まだ明かせないけど、もうすぐ君の所に男が求婚しにくる。前の婚約者より身分は低いけど。ちゃんと釣り合う筈だ。今、話をまとめている最中なんだ。そしてその男はきっと君を幸せにしてあげられる」
「……ねぇ、貴方は誰なの?」
答えは返ってこなかった。そうしていると彼は黙ってヨロヨロと立ち上がり、歩いていってしまう音が聞こえた。これが最後の別れなの?
たまらず私は身を乗り出す。外壁をよじ登り、壁の向こうを見る。はしたないだろうし、彼との約束を破ってしまうかもしれない。でも、どうしても彼が誰なのか確かめたかった。
彼は私の行動に慌てたようで、振り向きもせず夜道の中を進んでいった。彼は軍帽を深くかぶり顔は見えなかったが、後姿から軍服だとわかった。
けれど、私が思っていたものと違っていた。
服越しでも分かるほど、彼はスラッとしていたし、王族の着る装束ではなかった。王家専用の軍服である白い軍服ではなく、黒い貴族用のものだった。
そしてその黒い軍服は、夜の中に紛れてしまった。
…エトワール様が思い直して、私の所に毎夜着てくれているのでは、と。そう思っていた。でも全然彼の姿とは違う。髪の色は分からないけど。私の知っている王子様はもっとふくよかな人だ。よく考えたら、彼の身分で毎晩ここにこれるはずがないじゃないか。声だってぜんぜん違う、けれど…
けれど私は…
そしてその言葉の通り、その晩を最後に彼が現れることはなかった。
◇
カラッとした夏の日差しの午後。
その日、私は婚約者になるかもしれない人の家を尋ねた。
彼の言うように後日縁談があったのだ。
今日はその顔合わせ、ということになっている。
馬車にガタゴト揺られ、侍女と共に訪問した。
なんでもその人物は私に一目ぼれしたとのことだ。
私が婚約破棄された晩に、社交界のその場にいたらしい。その相手は公爵家の息子で、貴族だけでなく平民からも人気のある男子だった。美男で、明るい性格をしていて、誰にも礼儀を尽くす。貴族の鏡のような男だと母から聞いた。あの晩に見た私のことをなんとか探し出し、こうして縁談を持ちかけて来た。
その男はテールという名前だった。
その人の住んでいる館は公爵家ということもあり、街から離れた一等地に構えていた。私の家からはそこそこ距離が離れており、日の出の時間帯に出たというのに、気付いたら太陽は一番高い位置に昇っていた。
門前に着くと、執事が私にぺこりと頭を下げ、私達を出迎える。
鉄製の門を潜ると入り口でさえ至る所に美しい木工彫刻がところかしこにされている。豪邸という点は立派だが、その分、応接室までも距離があり、廊下を少しの間歩かされた。
廊下を進んでいると、二人のメイドが隣を通り過ぎていく。
その際、メイドたちが私の前方で立ち止まり、ギョッとして私を見ていた。そんなに私がここにいるのが変なのか。彼女達、私の噂話でもしていたのだろうか。頭を下げたらいそいそとメイド二人は歩いて行く。しかも私から離れたら、こちらを数回見てまた何かボソボソと言っている。何よ。全く。
執事にそのことを謝罪され、後で叱っておくと言われた。彼女達は何ぶん噂が好きなのでと付け加えられ。一体何を話していたのか気になるが、今は重要なことではないだろう。私の目的は別にあるのだから。
私が応接室に到着すると、そこにはテール様が待っていた。
立ち上がりこちらに一礼する。私もスカートの端を手で抑え、頭を下げた。母の言うのように、均衡のとれた壮麗な顔立ちに長い睫毛、茶色い髪の毛と、気さくそうな笑みを浮かべている。
そしてやはり、着ていた服はあの夜の軍服だった。
「アントワーヌ様、お久しぶりです!」
「お初にお目にかかります…貴方がテール様ですね」
「ええ、やはり近くで見るとお美しい。私はあの晩貴女を見て一目惚れしたのです。こうしてお会いできて光栄です。本日は婚約の話でいらっしゃったのですよね?」
「いいえ。婚約の話でなく、どうしてもお聞きしたいことがあり参りました」
「…わざわざそれでお越しになられたのですか?嬉しいな。でも手紙でもいいでしょうに…」
「貴方に直接聞かなければいけないことです」
「何をですか?」
私は真剣な表情で彼を見た。彼も雰囲気を察したのか、真面目な顔をする。
「いつも、夜毎私の自宅に現れた人物は、貴方ではありませんね?」
「ストレートに聞きますね…まだ私は貴女の自宅に通っていることを言っていないのに…」
先ほどとは打って変わり、彼は困ったような表情を浮かべた。まるでイタズラのバレた子供のようだった。
「はい、まわりくどいのはもう沢山だから。それとも理由を一からお伝えしましょうか?夜に毎日来るには、貴方の自宅と私の家との距離が離れすぎていること、貴方の主語が彼と違うこと。私の呼び方も違うこと…そして何より、私の直感です」
私は美しい碧色の目を真っ直ぐに見た。
あの晩に現れた彼が、私の想像通りなら。
それできっと私の意図が伝わると思っていたから。
テール様は観念したかのように答える。けど、人懐っこい笑みを浮かべていた。
「フフ……貴女は私の親友に似て、やはり聡明な方だな。そして彼の言う通り、貴女は本当に輝いていたんだね…謝らないといけない、騙そうとしたことを。話を合わせて欲しいと、頼まれたことだから…でも、本音を言うとね、私も本当のことを話しておきたかったんだ」
「ありがとう話してくれて」
彼はソファにゆっくりと腰掛け、何から話そうかと独り言をつぶやく。
そして意を決したのか、その瞳で、じっと私を見返してきた。
「…ただここからは…つらい真実しかないんだよ?」
「いいの、それでも。私はそれを受け入れて生きていきたいから」
◇
この屋敷に来たってことは、アントワーヌ様、エトワール様が亡くなったことまだ知らないんだ?喪に服したら一年は再婚出来ないのに。
そうなんじゃない?ほら、ご葬儀に出席したのはソレイユ卿とご婦人のみだったし、最近彼女、社交界にもお出になれなかったから。それに今日は顔見せだけよ。
ふーん。それじゃあ、エトワール様が亡くなる前、病をおして彼女の家に通いつめてたことも気付いてないの?ちょっと変じゃない?ねぇ?
何でも変装していたらしいの。それに気付くわけないわよ、あの小太りの王子様が、最後にはもう骨と皮だけみたいになってたもの。喉も潰れて、声もガラガラで……よくやったと思うわ。この病気は人に移らないからって言って。隣国からお医者様まで呼び出して証明した騒ぎがあったじゃない?王様も王妃様も皆猛反対してたけど、最期は根負けしてたでしょ。それに公務も出来ないほどだったのに、どこにそんな力が残っていたのか。ほんとかっこいいわよねぇ。あー、あの性格で顔も他の王子みたいにイケメンだったらなぁ。
ふーん、じゃああれもそうなんだ。
ああ、あの好きな人が出来たってお芝居ね。なんでも今回ばかりは皆彼に協力したんですって…派閥とか関係なく、色んな人間に王子自ら頭を下げに行ったらしいわ。あの縁談だってエトワール様がセッティングしたって家政婦長から聞いたし。
しかも亡くなる前日まで、アントワーヌ様を幸せにしたい。笑顔にしたいって言ってったんですって…
うわぁ、可哀想。
ソレイユ家のためなんだってさ。救国の英雄なのに、前の戦争の借金がまだたくさん残っていたじゃない?違約金のおかげで立ち直れたらしいわ。
成る程ね。清廉潔白なソレイユ家に、これ以上悪い噂を流させないためか。
ま、それだけが理由じゃないだろうけどね…
知らぬは当人ばかりなりってことか。
直接言えば良いのに…ほんとじれったい。
そうしないと伝わらないのにね…こっちの方がロマンチックだけど。
いくら聡明だって言っても、王子様も彼女も、所詮恋に恋する子供だったってわけよ。そういうのがかっこいいと思ってた時期ってあるじゃない?
ああ、分かる。
でもしょうがないわよ、実際二人は子供だしね。
…今は良いけど、彼女、王子様の事に気付いたら引きずって生きていくのかしら…
大丈夫じゃない?うちのお坊ちゃまと今日顔合わせにきたんでしょ?もう吹っ切れたってことよ。
そうは見えなかったけどな…
仮に吹っ切れてなくても、きっと時間が彼女を癒してくれる。
そして王子様の事もいつか忘れてしまうのよ。彼女も真実から目を背けて、現実を生きていくの。私達がそうであったように。
ま、それが大人になるって事だけどさ…
でも、そうなら。
……王子様がしたことに意味なんてあったのかしら?
さぁ?
……そして。
そして、婚約破棄した王子様はお星様になりました。
少しの間、この話は国中で語られましたが、すぐに飽きて、皆彼のことを忘れていってしまいました。
でも、王子様はそれでも満足でした。
彼女がこれでようやく立ち直れたと思ったからです。
彼は自分が彼女を傷つけたことを、とても気に病んでいましたし…
何より王子様は、彼女のことが大好きでしたから。