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06.歩めば土つく

「アンジェラ、こっちよ」


 イザベラが指し示した所には指の先ほどの赤い実がたわわに実っていた。


「今年はナツグミも多く実をつけてますね。コウゾも実がたくさんありましたし……」

「コウゾかぁ。私、あんまり好きじゃないのよね」

「わたしは好きよ? 甘くておいしいじゃない」

「え、カタリナは好きなの? あれたまに変な味のに当たるじゃない。それに、口の中に毛っぽいのが残るのがイヤなのよ」


 イザベラは、その感触を思い出したように顔を歪め、べーっと舌を出した。

 カタリナは肩をすくめると、自分の腕に下げたカゴから、山吹色の実をいくつか取り出すと、「こっちなら好きでしょ」とイザベラのカゴに入れた。


「あれ、ヤナギイチゴですか?」


 黄橙色の小さな丸がいくつも合わさったような実にはアンジェラも覚えがあった。去年もその実を摘んで、食卓のちょっとした彩りに重宝した記憶がある。


「えぇ、そっちに木が二、三本植わってるのよ。あぁ、アンジェラはヤマモモが欲しいって言ってたわよね。それならもう少し奥に行ったところにあるわよ」

「ありがとうございます。カタリナはこの森のこと、よく知ってるんですね」

「まぁ、毎年来てるからね。……それにしても、大丈夫? その首元――」


 指摘されたアンジェラは苦笑いを浮かべると、自分の鎖骨のあたりをそっと撫でた。


「えぇ、もう痒くもありませんから」


 一昨日の夜にウィルにつけられたキスマークは、虫刺されということになっていた。……大きすぎる虫ではあるが。


「ウチのゼラニウム分けてあげよっか?」

「ありがとうございます、イザベラ。でも、前庭に植えてあるゼラニウムを鉢に植え替えて対応しようと思ってますので、大丈夫です」


 アンジェラが口にした通り、すでに納屋の奥から鉢を見つけてあるので、あとは庭に植えてあるのを移植するだけだ。


(そもそも、ウィルフレード様があんなことをしなければ、ここまで偽装工作をすることもなかったのに……)


 小さく溜息をついて、カタリナが教えてくれたヤマモモの木に向かう。


「男の子たちはうまくやってるかしら?」

「後で、物々交換するんだから、ちゃんと釣ってもらわないと困るしね」


 小川で釣りをしているのは、トムとエリック、そして教会に住んでいるヨハン、ルカ、アンドレの合計五人だ。フィリップは残念ながら家の手伝いが抜けられないということで、来られなかった。


「まぁ、トムがいるから大丈夫でしょ」

「そうですね。他の人が釣れなくても、トム一人でたくさん釣れてそうです」


 トムは自他ともに認める釣りの大家で、昨年も、彼一人でほとんどの魚を釣ったという話だった。


「……そういえば、あの子はその後、どうなのかしら?」

「カタリナ?」

「教会の子で、引っ越し当日に家出した子がいたじゃない?」

「ルカのことですね」

「あー、そう言えばそんなこと言ってたわね。まだグダグダ悩んでるの?」

「――ルカは」


 アンジェラは言葉を切って、イザベラとカタリナ、二人の友人を見た。

 あの引っ越しの後、アンジェラは何度か教会に足を運んでいる。司祭から、教会の敷地を使ってハーブを育てたいという話があり、アンジェラが手伝いをしていたのだ。

 前任のダニエル司祭は高齢ということもあって、畑の管理まではできなかった。教会でハーブを栽培する場合、教区を管理する上位教会から種や苗、資金などを融通してもらうのが普通なのだが、どうもエリヤ司祭は(その整った顔のせいか)上位教会との関係が思わしくなく、それができないとのことだった。

 医療・食事の面からハーブの有効性をよく知っているウィルは、育てたハーブのうち、教会で使用しない余剰分について町の住民に安値で譲るよう提案し、片手間にハーブを育てている農家を回り、種や苗を一部譲ってもらうための手はずを整えた。

 ルカの屈託を気にしていたアンジェラは自ら志願し、畑となる場所を耕したり、苗をもらうのに同行したりしていた。

 ヨハンは既に鍛冶屋の見習いになることを決めていて、先方の受け入れ準備が整い次第、住み込みの弟子という扱いで教会を出るという話になっていた。

アンドレは暇を見ては靴屋に顔を出し、靴の製法を興味深そうに見ているという。向こうから養子にと言ってくるのを待つ作戦と、畑を耕す合間に本人が教えてくれた。

 ルカは相変わらず悩んでいる様子だったが、積極的にヨハンやアンドレを止める様子もなく、ただ司祭の手伝いに没頭しているようにも見えた。


「――ルカは、たぶん司祭様のおそばでずっと手伝いをしていたいんだと思うんです。でも、足手まといになりたくないとも思っていて、それで、まだ迷ってる、そう見えます」


 どうも、避けられてるみたいで、とアンジェラは困ったように笑った。


「でも、二人は出て行く気まんまんなんでしょ? 別に一人ぐらい司祭様の傍に残ったっていいじゃない?」

「ベラ、当人がそれを足手まといと感じてるならどうしようもないわ」

「じゃ、足手まといじゃないと自分で分かればいいんじゃない?」

「それが簡単に行くようなら、苦労しないわよ……」


 イザベラの単純明快過ぎる言葉に、カタリナは肩を落とした。


「司祭様ってお一人なんでしょ? ダニエル司祭は何だかんだとお妾さんがいたし」

「そうね。でも、真面目な方なんでしょう? 形だけとは言え、司祭は妻帯しちゃいけない決まりになっているから、お一人では大変でしょうね」

「そうよね、助祭もいないんだもんね」

「助祭?」


 聞きなれない言葉に、アンジェラは首を傾げた。


「ホントはここぐらいの規模の町なら、助祭の一人や二人、居てもおかしくないんだけど、ダニエル司祭の時は、司祭一人で回してたのよね」

「昔はダニエル司祭ともう一人、助祭がいたらしいわ。でも、王都の方に戻って、後任も来なかったという話みたい。ダニエル司祭が断ったって話もあるけれど」

「そうよねー。お妾さんが手伝ってたとは言え、結局一人で切り盛りしてたんだから、デキる人だったのね、ダニエル司祭も」


 妾はいるわ、酒は飲むわ、歌は下手だわ、いい所ないと思ってたけど、と辛口評価を続けるイザベラに、カタリナが苦い顔をした。

 助祭の意味が分からなかったアンジェラだったが、どうやら話を聞いている限り、司祭の補佐的な役割をする者だと理解できた。


「ルカは、助祭になりたいと思っているのでしょうか」


 呟いたアンジェラに、カタリナは「普通に考えたら、そうなんじゃない?」と同意を示した。


「助祭で思い出したけど、エリヤ司祭のあの若さにはびっくりしたわー。普通、もっと年とってる人じゃない?」

「そうね。あのお年で司祭なら、きっと助祭の下積みはないんじゃないかしら? 裕福な家柄か、それとも、やんごとない方の落し胤とか……。アンジェラ、どうしたの? 変な顔してるわ」


 カタリナに指摘され、アンジェラは慌てて頬に手をやった。


「その、よく知っているんですね。助祭の下積みがないとか」

「あぁ、カタリナは叔父さんがそっちの道に行ってるからよ」


 友人の新事実に、アンジェラは目を丸くして「そうなんですか?」と黒髪の少女を見つめた。


「そんな大層なものじゃないわ。ただ、生計を立てて行くには人が多すぎるから、叔父が家を出て行ったって話みたい。……何? アンジェラはこっち方面に興味があるの?」

「いえ……、その、ルカに何かアドバイスができないかなって。今まで興味がなかったので、本当に知識がないんですよ」


 カタリナは小さく笑みを浮かべて「結構、世話焼きなところがあるのね」と呟いた。


「わたしの知っている範囲でよければ、教えてあげるわ。―――ヤマモモを摘みながら、だけどね」


 足を進めていた三人の目に、その赤く色づいた実の重みに耐えかねて、こうべを垂れるヤマモモの木が映った。


―――司祭になるためには、一定以上の家柄か、助祭としての下積み期間が必要となる。ここで言う家柄とは、親類に司教以上の位を持つ人がいたり、貴族であったりすることだ。裕福な商家の中には家を継がない次男・三男坊に対し、金を積んで貴族の養子にし、その上で神職に就けるケースもあるという。


「ルカの場合は、まぁ、孤児ってことだし、助祭から始めることになると思うわ」


 カタリナは腕に下げたカゴを地面に置いた。イザベラも背負った小さなかごを下したのを見て、アンジェラも慌てて背中からかごを下した。


「エリヤ司祭はやっぱり貴族かなぁ? 顔から察するに」


 イザベラは、貴族の顔が整っているという持論を持っている。権力がある、イコール、美人を嫁にできる、という考えらしい。


「エリヤ司祭様は、ご自分も孤児だとおっしゃってました」

「え? そうなの?」

「いつの間に、そんなこと聞いたの? 婦人会だって、あまり自分のことを教えてくれないって嘆いてたのに?」


 ヤマモモの果汁で手を赤紫にしたイザベラとカタリナがアンジェラに詰め寄った。


「何度か、教会へお手伝いに行ったので、その時に……」


 アンジェラはその時のことを思い出して、苦笑いをした。

 エリヤ司祭とそんな話をしたのは、確か、畑を耕しているときだっただろうか。

 司祭はアンジェラに対し、どうしてそんな若いのに住み込みで働いているのか尋ねてきたのだ。突然の質問にびっくりしながらも、町の人に対する説明と同じこと――住み込みで働いていた両親が流行病で亡くなり、途方に暮れていたところを引き取ってもらったこと――を口にすることができた。


「尋ねられて、あたしがこの年齢でだんな様の所で働いている理由を説明したんです。そしたら、ヨハンやルカ、アンドレ、そして司祭様ご自身と同じように神からの試練を与えられたとおっしゃって……」

「それで?」

「それから?」


 興味津々な友人たちの表情に苦笑して、アンジェラはヤマモモの実に手を伸ばした。


「司祭様もですか、と聞いてみたら、司祭様ご自身も、赤ちゃんの時に教会に捨てられていたというお話で、えぇと、レコンテヌス大聖堂の司教様が後見となって育ててくださった、と」


 恩師と同じ道を歩み、恩返しをしたかったが、それを果たせないままに亡くなってしまったと、悲しそうに話してくれたエリヤ司祭の顔がよぎり、言葉を止めた。


「へー、そうなんだ。……で、顔がイイから妬まれて、地方の教区を転々としてる、と」


 イザベラの感想に「そうなんですか?」とアンジェラが尋ねる。エリヤ司祭からはそこまで聞いていない。


「ヨハンから聞いたわ。イブンさんが弟子を取るから、っておじいちゃんに挨拶に来た時にちょっと話したの」

「レコンテヌス大聖堂の司教様かぁ……。そんなすごい人に育てられたから、あんなに真面目で、若いまま司祭にもなれたということなのね。……孤児を育てているのも、その司教様の影響なんでしょうね。」

「育ててくれた人の影響、ですか。……ルカも、エリヤ司祭様と同じ道を歩もうとしているんでしょうか」

「さぁね。そればっかりは本人に聞いてみないと。……ヤマモモはこのぐらいでいいんじゃない? アンジェラはジャムとお酒って言ってたわよね」

「あ、はい」


 つい会話に熱中し、摘んだ実の量まで気が回っていなかったアンジェラはうなずいた。



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