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05.まれに雄弁も金なり

「伝言、ですか?」

「そう、ベラから。明後日の午後、西の森に行くから、昼過ぎにトムの家に集合だって」


 西の森はトムの家が管理している森だが、あまりに唐突な話に、アンジェラは首を傾げた。


「何でも、男の子たちは釣りを、女の子たちは木の実採りをするとか言ってたよ。ほら、今はグミや山桃なんかが採れるし」

「そう、ですか。……分かりました。都合をつけられたら行きます、と伝えておいていただけますか?」

「アンジェラにも関係あることだから、できる限り来て欲しいと言っていたから、……行かなかったら後が怖いかもね。それじゃ、また」

「はい、お仕事お疲れ様です」


 大きく手を振ってロバの手綱を引っ張る郵便配達のペリーに、アンジェラも小さく手を振った。

 彼の姿が見えなくなると、アンジェラはくるりと踵を返した。


(西の森へは、去年も何回か行ったっけ。いくらかはそのままデザートとして食卓に出して、残りはジャムかな。お酒にするのも良いって言ってたから、今年は作り方を聞いておこうかな……)


 アンジェラ自身が飲むわけではないが、たまにはそんな趣向もいいだろう。レティシャからも、お客はその土地のものでおもてなしをした方がいいと聞いたし。


「おはようございます、アンジェラ。何だか楽しそうですね」

「だんな様? おはようございます。すぐ朝食にしますね」


 アンジェラは手にした封筒をウィルに渡すと、パタパタと台所に駆け込んだ。

 玄関に取り残されたウィルは、封筒の送り主に目を通し、その中の一枚をじっと見つめた。


「……朝のいい気分をぶち壊してくれますね」


 今日はめずらしくアンジェラの笑顔で朝を迎えたのに、なんてタイミングの悪い……とぶつぶつ呟きながら、封筒を懐にしまった。


「アンジェラ、今日の朝食はなんでしょう?」


 何事もなかったかのように台所の扉をくぐると、アンジェラの「すみません、もう少しお待ちください」と慌てた声が帰って来る。


「そんなに急がなくてもいいですよ」

「そういうわけにもいきませんっ」


 ほどなくして、椅子に座っていたウィルの前に朝食が運ばれてきた。向かい側にはアンジェラが冷茶のコップを手にして座る。

 食事をとる時間が異なっても、ウィルの朝食に付き合うようになったのは、春に王都から戻って来てからのことだった。

 きっかけは、「やはり食事は誰かと一緒にとった方がいいですね」というウィルの一言だった。彼の王都での状況を知ってしまったアンジェラが気を回して、朝食の時も目の前に座るようになったのである。自発的に。


「ところで、郵便配達の時に話し込んでいたようですが、何かありましたか?」

「はい、ペリーさんがイザベラからの伝言を持ってきてくださって。……その、去年のように西の森へ行こうというお誘いだったのですが」

「あぁ、それで表情が弾んでいたんですね」

「あたし、顔に出てましたか?」


 少しだけ顔を赤らめたアンジェラが、慌てて聞き返す。そういうところはまだ一三才の少女のようで、とてもかわいらしいとウィルは思う。


「えぇ、ですから、とても嬉しいことがあったんだろうと思ったんですが」

「……その、急な話で、明後日の昼過ぎ、なんですけれど」

「えぇ、構いませんよ。楽しんでいらっしゃい」

「はい。今回は男の子たちも参加して魚釣りをするという話でしたので、うまくいけば、その日の夕食は魚です」

「なるほど、でも、この町の子はみんな釣りが得意ですから、ボウズということはないでしょう。楽しみにしていますよ」

「はい」

「……『この町の子』で思い出しました。そこにはあの教会の子たちも来るんですか?」

「どうでしょう。詳しく誰が参加するのかは聞いてませんでした。……でも、そうですよね。こういうことは一緒にやった方がいいですよね」

「……気になりますか?」

「え?」

「ルカのことを気にしていたでしょう」


 言われて一週間前の夕食時の会話を思い出したアンジェラがその顔を真っ赤にした。

 教会で見聞きした鍛冶屋の話と靴屋の話、そして教会の三人の子供たちのことを、アンジェラはまるで報告するようにウィルに話した。とりわけ、自分と近しいことを感じているルカのことを、つい、熱のこもった口調で話してしまったのがいけなかったのだ。


『まるで、去年の秋の誰かさんを思い出しますね』


 今思えば、あれは嫌味だったのだろうか。今までそんなことを口にしたことなどなかったのに。

 一方、真っ赤な顔をうつむかせ、黙り込んでしまったアンジェラを目にしたウィルは、自分の失言に奥歯を噛みしめた。懐に仕舞い込んだ封筒を思い出し、これのせいだ、と舌打ちしたい気分だった。目の前の少女にぶつけていい鬱屈ではないというのに。


「す―――」


 すみませんでした、とウィルが先に謝ろうとするより早く、アンジェラが何か小さく呟いたのが見え、先に続く言葉を飲み込んだ。


「なんでしょう。よく、聞こえなかったのですが」

「ルカと、あたしは、全然違います。ルカはちゃんと自分のやりたいことが見えています。でも、去年のあたしはそれさえも見えていませんでした。ルカの方がよっぽど大人です」


 これはねさせてしまったか、とウィルはアンジェラの言葉を反芻はんすうし、そして、あることに気が付き、思わず口元を緩めた。


「見えていなかった? ……じゃぁ、今は見えているんですね」

「…っ!」


 思わぬ言葉の揚げ足を取られ、アンジェラは羞恥と驚愕と焦燥が混ぜこぜになった感情に翻弄され、目を大きく見開いた。次いで口を飛び出したのは、平時では考えられないセリフだった。


「申し訳ありませんが、答えたくありません。水汲みの途中でしたので、失礼いたします。食事が終わりましたら、食器はそのままで結構ですので」


 コップに半分残っていた冷茶を喉に流し込み、アンジェラは台所の勝手口から逃げるように飛び出した。


 冷静になれと自分に言い聞かせても、目の眩むような焦りが、憤りが、心臓をばくばくと激しく揺り動かして止まらない。

 こうあって欲しいという思いはある。それを自覚したのはあの秋のこと。でも、それを実現させるために、どうしたらいいのかが分からない。

 ここへ来た頃は、一生懸命働けばどうにかなるかもしれない、と思った。でも、王都で貴族の世界を垣間見て、そんなんじゃいけないと焦った。


(でも、何をどうすればいいのか分からない……っ!)


 この平穏を守るための道筋が見つからない。真っ暗な森で、一人取り残されたような気持ちだった。


(……きっと、ルカも)

 こんな風に焦燥に身を焼いているのではないだろうか。


 唇をかみしめながら、アンジェラは井戸で水を汲むと、最初の一杯目を自らの頭にかぶった。夏とはいえ、井戸の水は冷たく、頭を冷やすのには十分過ぎるほどだった。



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



「アン、お前はバカだなぁ」


 あぁ、夢を見ている。少女はそう思った。

 自分と同じ金髪、父親譲りの茶色の目。あの頃、彼は何歳だったのだろう。


「ジル兄、アンだって色々考えてんだから、頭ごなしにバカとか言うな」


 こちらも金髪、茶色の目を持っている。男まさりの彼女を少女はとても大好きだった。


「兄ちゃん、姉ちゃん……」


 少女は、涙をこらえながら呼びかけた。


「ばぁか。そんな泣きそうな顔すんな。オレがいじめたみたいじゃんか」

「ジル兄!」

「はいはい、メルは怖ぇな。誰に似たんだか」


 そうだった、二人はよく自分を引き合いにして口ゲンカをしていた。その頃は自分がいけないのかと思っていたけれど、あれから少し成長した少女にはそれが一種のコミュニケーションだったことが分かる。


「アン、そんな顔するなよ。アンタにゃやりたいことがあるんだろ」


 姉ちゃんが少女=アンジェラの肩を引き寄せ、真正面から抱きしめる。


「うん。……だけど、分からないの。どうすれば、できる、のか」


 懐かしく温かいぬくもりに、アンジェラは涙をこらえきれなかった。


「アン、お前はほんっとにバカだなぁ」


 呆れたような兄ちゃんの声が聞こえた。


「ジル兄!」

「お前のそーゆートコはバカだけど、別に賢くないとは思わないぜ。お前はちゃんと生き残ってる。分かんねーなら、考えりゃいい。思考を止めるな、だろ?」


 それは貧民街のコトバ。


「……考えることをやめてしまえば死に至る。」


 アンジェラは苦もなくその後に続く言葉を口にできた。


「分かんねーなら考えればいい。ありったけの情報集めて、これからどんなことが起きるのか想像して、良いのも悪いのも全部だ。それでも分かんねーなら、信用できるヤツに頼れ」

「ジル兄の言う通りだ。アン、お前一人じゃどーにもならんことはあるよ。だけど、どうしても諦めたくないんだったら、周りを頼れ。大丈夫、アンなら」


 大丈夫、というのはいつもの姉ちゃんの口ぐせ。お腹に弟セイルがいることが分かったときも、食い扶持の心配をする母親にそう言っていた。


「うん、大丈夫……。あたし、なら」

「そうだ。よし、元気出たな!」


 姉ちゃんは抱きしめていた手を緩め、アンを解放すると、その顔を覗き込んだ。


「アンはホンットに母ちゃん似だなぁ。顔だけじゃなく性格もな」

「そうそう、メルの言う通りだぜ? 落ち込んだり泣いたりすることは多いくせに、一度こうと決めたら、意地でも貫き通してたかんな。ま、でなきゃ、自分の子供が生きてるのにポコポコ次の子供産まねーよ」

「貧民街じゃありえないな。あれだけ堕胎方法があったんだ。……でも、だから兄弟で助け合うことができた。母ちゃんも分かってたのかな?」

「さーな? 案外、何も考えてなかったりして……」

「……てるんじゃないのか?」

「違ぇよ。……っか言えよ……」


 近くにいた筈の二人の声が、だんだん遠くなる。追いかけたくなる気持ちをこらえ、アンジェラは拳を握りしめた。


「大丈夫、あたしなら。大丈夫だから……」


 ありがとう、と呟いたアンジェラの頬を涙が伝い落ちた。

 ゆっくりと、だが確実に現実に引き戻されていく感覚。思い出すのは夕食の後片付けをした後、応接間の掃除に没頭していたこと。

 これは自分の願望が見せた夢なのか。それとも、本当に二人が来てくれたのか。後者であればいい、そう思えた。


(あんまり、心配かけないようにしなくちゃね)


 兄ちゃん姉ちゃんに甘えることはできない。今は自分が姉になっているんだから。

 遠く離れた弟たちの顔を思い出し、もう一度「大丈夫」と唱える。

 そして、ゆっくりと微睡まどろみの淵から浮かびあがった。

 うっすら目を開ける。目の前には手燭がおいてある。自分の体がソファに横たえてあることは知覚できた。

 頬のあたりが妙にくすぐったいので視線を移すと、見覚えのある麻の上衣があった。掃除をするときは、これは台所のイスに引っかけておく筈だが、着たまま掃除をやってしまったっけ?


「よう、起きたか」


 その声に、ぼんやりとした頭が一気に覚醒した。慌てて飛び起きると、向かいのソファにはウィルが座っている。


「ウィルフレード、様? あ、これは、その……」


 兄ちゃんはこれから起きることを予想して、と言ったけど、こんなの無理だ、予想外だ。自分でも何を口にしているのか分からない。


「あー、とりあえず落ち着け、っつーか、顔拭け」


 顔? 汚れでもついていただろうか。

 アンジェラが自分の手でそっと顔を触ると、冷たい感触がした。水だと判断できるまで、一秒以上かかる。まさか……


「この部屋の床に倒れてるから、何事かと思ったが、グースカ寝てるし、そこじゃマズいだろうと、そこに運んだら、いきなりボロボロ泣き出すし、しまいにゃ妙にはっきりした声で『大丈夫』とか寝言ぬかすし、相当疲れてるだろ、お前」

「別に、疲れてません」

「へー、じゃぁ、この状況を昼のあいつに伝えていいんだな?」

「そ、それは、その……」

「……ばっか、冗談だ。昼のあいつに変なこと言われたんだろ、どうせ」

「日記には、何も?」


 いつだったか、昼のウィルの日記を読んでいると聞いたことがある、とアンジェラは疑問を口にした。


「さぁ? あいつと手紙のやり取りするようになってからは、読んでねぇし」

「そう、……ですか」


 アンジェラは目を伏せた。

 実は、昼のウィルの行動について、思うところがあったのだが、日記を読んでいないのであれば、夜のウィルに聞くこともできない。


(そもそも、聞くべきことじゃないかもしれないけど……)

「なんだ? 何かあったのか?」

「いえ、……何でもありません」


 アンジェラはぐっと体に力を入れると、うつむきがちになっていた顔を上げ、まっすぐにウィルフレードを見つめた。


「ご心配をかけて申し訳ございません。あたしも掃除を切り上げて、今日は休みます。ウィルフレード様もどうかお構いなく、お休みください」


 もう平気だと言わんばかりのアンジェラのしっかりした口調に、けれどウィルは何か変なものを見たかのように顔を歪めた。

 アンジェラはそんな主人の様子にも気づかずに、応接間の床に落ちていた雑巾を拾い、手桶に入れた。


「ちょっと待て」

「はい。……あ、お酒でしょうか?」


 振り向いたアンジェラはウィルの表情にぎくり、と身体を強張らせた。


「こっちに来い」


 手首を掴まれ、体を引っ張られる。いつになく強引な行為よりも、ウィルの顔に浮かんだ表情に恐怖を感じる。


(怒ってる? でも何に……)


 今のやりとりで何か起こらせるようなことを発言しただろうか? 自問自答しても心当たりはなかった。

 ウィルは無言のまま、アンジェラを担ぎ上げる。腰を肩にひっかけたような形になり、アンジェラの鼻が背中にぶつかりそうになった。


「あの、ウィルフレード様……?」


 この体勢になってしまえば、暴れてもどうしようもないと知っている。そっと名前だけを呼ぶにとどめたが、返事はなかった。

 ウィルは、無言のまま応接間を出て階段を上がると、そのままアンジェラの部屋へと入って行った。そして、そのまま寝台にアンジェラを放り投げる。

 乱暴な扱いに、アンジェラは寝台の上でごろり、と一回転して仰向けで体を止めた。間をおかず、ウィルの体が寝台に上がってくるのが視界に入り、慌てて体を起こそうとするが遅かった。


「あの、ウィルフレード様っ」


 両腕を掴まれ、腰のあたりに跨ったウィルは怒りを孕んだ目で少女を見下ろした。


「どっちがいい?」

「はい?」

「オレにこのままイロイロされるのと、お前がその屈託を話すのと、どっちが望みだ?」


 屈託、その言葉がいったい何を指しているのか分からず、アンジェラはまっすぐにウィルを見つめ返した。


「何があった? 何を言いかけた? 何をそんなに悩むことがある?」


 ようやく真意を飲み込めたアンジェラがそれでも口を開かないと見ると、ウィルは顔をアンジェラに近づけ、そのまま首筋に唇を押し付けた。


「ウィル、フレードっ様!」


 湿った感触、吸われる感覚にたまらず悲鳴を上げる。


「うるせぇ、しゃべる気がねぇなら黙れ」


 ぼそぼそと呟くウィルの吐息に、アンジェラの首筋がぞわりと鳥肌を立てた。


「お話しできること、なんて、何もありませ、んっ!」


 再び首元に唇を押し付けられ、アンジェラの声が跳ねる。

 彼女の口が堅いのを見てとったのだろう、ウィルは唇を胸元に寄せていった。


「やっ! やめてくだっさ、い! 待って……!」


 段々と過激になってくるウィルの行動に、アンジェラはぐっと喉をのけぞらせた。そして――――


ガツンッ


 アンジェラの顎がウィルの脳天に衝撃を与える。


「いってー!」


 予想外だったのだろう、ウィルがアンジェラを拘束していた両手を放し、自らの頭にあてる。


「乱暴は、おやめください」


 横たわったままのアンジェラが、ギロリ、とウィルを睨みつける。とはいえ、その片手が顎に当てられているので、少し恰好がつかない。


「乱暴はお前だろ」


 体を起こしたウィルがアンジェラを見下ろす。


「で、話す気になったか?」

「……具体的に、何をお話しすれば、いいんでしょうか」

「自分で考えろ」


 一拍、アンジェラは目を閉じた。

 自分がこれから何をすればいいのか分からないこと、昼のだんな様の様子に違和感があること、どちらかを話せば解放してくれるだろうか。


(その確証はない。それなら―――)


 アンジェラはゆっくり身を起こすと、寝台の上にちょこん、と正座をした。


「実は、最近、昼のだんな様の様子がおかしい、というか、不思議な感じがしているんです」


 それなら、相手がより興味を持ちそうな方を話そう。そう決めた。


「へぇ?」


 面白そうに片眉を上げたウィルはしかし、寝台に横たわったままでアンジェラを見上げている。


「何というか、その、何かと触ってくることが多くなったような気がして?」

「触って? 胸とか尻とか腰とか?」

「ち、違いますっ! その、頭を撫でるとか、あと、背中を預けるようにしたりとか……」

「背中に預ける?」

「あの、だんな様と馬に乗ったときのことです。前に座っていたら、片腕で抱き寄せられて……」


 アンジェラの状況説明を、分かったのか分からないのか、ウィルは無言のまま、半眼で少女を見つめる。


「……」

「……」

「………」

「……あ、あの?」

「いつからだ?」


 困惑したアンジェラの声にかぶせるように、ウィルの低い質問が飛び出した。


「たぶん、……春に王都に行った後からだと思います。帰りの馬車でも、そう、違和感みたいな」


 あの時は無理やり膝枕をされたんだった、と思い出し、アンジェラは恥ずかしさに顔が紅潮するのを抑えきれない。


「――」


 ウィルはごろり、と仰向けになり、視線を天井に向けた。

 アンジェラはきちんと正座したまま、考えを巡らせているのであろう彼の答えを待つ。


「放っておけ」


 一瞬、何を言われたのか分からず、アンジェラは目をパチクリさせた。


「え、……と?」


 性格は違えど、同じ人間なのだから、と少なくない期待をしていたアンジェラは、口をパクパクとさせる。


「確証はないが、大体分かる。だから放っておけばいい。……あぁ、もしかして、イヤなのか?」


 アンジェラは「とんでもない」と頭を勢いよく横に振った。


「あーあ、何か眠くなっちまった。ここで寝るか」

「だ、ダメです!」


 アンジェラの拒否に、今度はウィルが目を丸くした。


「ご自分の部屋にお戻りください。添い寝が必要ならしますから……」

「へぇ~、なんでだ?」


 理由を察したのだろう、上半身を起こしたウィルがゆっくりとアンジェラに近づく。


「首元のこれって、明日の朝まで残るんですよね? 昼のだんな様に余計な心配をさせないためにも……ゃっ!」


 再び問答無用で押し倒されたアンジェラは、自分の首筋に温かく湿ったものが吸い付いてくるのを止めることができなかった。

 ジタバタと両手両足を動かすが、ピクリとも動く気配はない。本気で押さえつけられているのだ。

 やがて、おとなしくなったアンジェラに満足したのか、ウィルは唇を離して起き上がった。


「まぁ、これぐらいでいいか」


 ウィルは首の後ろをポリポリと掻きながら、アンジェラに背を向けた。


「まぁ、あんまり一人で悩むな。適当なヤツに相談しとけ。―――オレみたいにな」


 あっさりと去って行くウィルに、アンジェラは放心したまま天井を見上げた。


(適当なヤツに相談しとけ)


 去り際のセリフがぐわんぐわんと頭の中で反響していた。


「相談、……なんて」


 誰にできるというのだろう。これから何をすればいいか分からない、なんて。


(貴族社会に詳しくて、ウィルフレード様を守るためのアドバイスをしてくれる人、なんて)


 レティシャでは情報が足りないし、事情を話すわけにもいかない。ティオーテン公爵は当てにしてはいけない。王都に人脈があるわけでもないアンジェラには相談相手など考えもつかない。


(秋までに答えを出さないと、あの人に――)


 赤毛のあの人を思い出し、アンジェラはぐっと胃のあたりを押さえるように右手に力を込めた。


(……あの人に?)


 元々、彼に合わせる顔もないからと悩んでいた筈なのに、アンジェラには彼が相談相手にはぴったりのように思えた。


(全てを話してしまう……? マクレガー様ならばだんな様の不利益になるようなことはしないはずだし)


 これ以上の適任はないような気がする。


(それなら、秋までにできることはやらないと……)


 合わす顔がないなら、少しでも知恵をつけた所を見せればいい。そう、たとえば、だんな様の勧めに従って領地管理の知識をつけてもいいかもしれない。

 寝台に寝っころがったまま、アンジェラは「はぁ」と息を吐いた。溜息とともに、体の力も抜けた。


(ありがとう、兄ちゃん、姉ちゃん……)


 懐かしい二人の顔を思い出すように、彼女はゆっくりと瞳を閉じた。



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