04.木石にあらず
話のタネが尽きることはないのか、メリッサ達婦人会の面々は、ぺちゃくちゃとお喋りしながら、教会を後にした。
(今日、言っていた鍛冶屋のスティーブさんの話、一応、だんな様にしておいた方がいいのかな?)
鍛冶屋が途絶えると困るという話をしていたので、あとで話そうと心に書き留めた。
後片付けの続きで、水桶に入れっぱなしの雑巾をすすぐ。水は夏の日差しにあてられて、すっかりぬるくなっていた。下を向くたび、自分の汗が目にしみる。
(だから、メリッサさんたち、額に布巻いてたんだ)
これを防ぐためだったのか、と納得し、腕で汗をぬぐった。
「アンジェラさん、婦人会の方々は……?」
声をかけてきたのはエリヤ司祭だった。ようやく礼拝堂にあった資料の整理が一段落したのだろう。
「掃除もあらかた済みましたので、つい先ほど、帰られました」
「そうですか。お礼を言いそびれてしまいました」
「今度のミサには絶対に顔を出すと言ってましたよ。なんでも『今度の司祭様は顔がイイから、目の保養になるわ』って」
「……それはあまり良くないですね。本来、神に祈りをささげるべきところでしょうに」
「そういうもの、ですか? でも、普段、家事に忙しくしていらっしゃる方々が、司祭様が素敵だからと言ってミサに参加するようになるのは、悪いことではないですよね?」
「不信心な方々が教会を訪れるきっかけだけなら良いのですが。目的にすり替わってしまうのは問題ですね。……ところで、ルカを知りませんか?」
「ルカですか? 礼拝堂の中でもう少し掃除をすると言っていましたけど、会いませんでしたか? ―――あ、ヨハン、アンドレ」
司祭様が外に出たのを見たのか、司祭館から二人が出て来た。
「ルカがどこにいるか知りませんか?」
アンジェラの質問に、ヨハンとアンドレは顔を見合わせた。
「知らないけど、どうしたの?」
年長のヨハンの答えに、エリヤ司祭が渋い表情を浮かべた。
「おかしいですね。この町に来てからまだ一晩、教会の敷地からは出ないと思うのですが」
「えぇ、あたしも特に敷地外へ出るようなお仕事もお願いしていません。でも、もし、外で迷子になっているなら、早く探さないと」
「いえ、ルカが一人で外に出るとは考えにくいです。あの子は慎重な性格ですから。……ヨハン?」
「は、はい?」
「ヨハン、あなた、何か知っているのでは?」
エリヤ司祭の指摘に、ヨハンの口元がひきつった。
「別にオレは……」
「ヨハン、何かをごまかそうとするとき、口元がひきつる癖はいつまで経っても直りませんね。……何があったんですか?」
小さな癖も見逃さないエリヤ司祭に、アンジェラは表には出さずに賞賛する。
「ちょっと、口ゲンカしただけだよ」
「口ゲンカ? 原因はなんです?」
「……大したことじゃないんだ。でも、何か、ルカの方が譲らなくて」
「ヨハン。私は原因を尋ねているのですが」
決まり悪そうにヨハンはそっぽを向いた。
「ヨハン?」
「……だったから」
呟くようなその声は、司祭やアンジェラの耳に入るには小さすぎて。
「ヨハン?」
「オレもアンドレも、ここを出るために、あのおばさん達から色々聞いたんだ。なのに、ルカだけ、何もしてなかったから」
ここを出るために、という言葉にアンジェラは言葉を失くした。
「何をそんなに焦る必要があるのですか。あなた達三人がいるおかげで助かっている面もあるのですよ」
「そんなこと言ったって、マルタもニコラもルイもみんな出て行ったじゃないか! いつまでも司祭様に養ってもらうわけにもいかないし、司祭様も特に引き取り先を探しているわけでもない。だったら、オレらが自分で探すしかないじゃないか!」
興奮のせいか、ヨハンの目から涙がこぼれた。アンジェラに涙を見せたくないとばかりに、彼は司祭館に走り去ってしまう。
「ヨハン!」
司祭の声も聞かず駆け去っていくヨハンに、アンドレがおろおろとしている。アンジェラはそっとアンドレのそばに近寄った。
「……ねぇ、アンドレもその場にいたんですか?」
「うん。ヨハンはね、今度、鍛冶屋の、えーと、ステファンさんだっけ? あの人の所に仕事の見学ができないかって、おばさんに頼んでたの。僕は、靴屋さんのところに子供がいないって話だったから、養子になれないかなって考えてて。その話を聞いたルカが、いきなり怒り出したんだよ」
確かに鍛冶屋のスティーブさんが独身で跡継ぎがいないという話があった。靴屋のアグネスさんところには息子と娘がいたけれど、流行病で二人とも亡くなってしまったという話を聞いたことがある。
(ヨハンもアンドレも人懐っこくしているな、とは思ったけど)
その裏にあったものを知って、アンジェラは胸の奥がすぅっと冷たくなるのを感じた。
「ルカがどうして怒ったのか分かりますか?」
「分かんない。でも、ルカが不機嫌になるのはいつものことなんだ。他のみんなが落ち着き先を見つけて出て行った後は、しばらく無口になるんだ。ひどい時には裏切り者って言うし……」
「裏切り者……?」
アンドレもそれ以上のことは知らないらしく、口を閉じた。
(ケンカ自体がいつものことなら、そんなに深刻なことじゃないのかもしれないけど)
アンジェラはぎゅっと拳を握りしめた。
「衝動的に教会の外に出てしまったことも考えられます。とはいえ、この町では土地勘もないはずです。あたしが外に探しに行きますので、司祭様は敷地内を探していただけますか」
「……そうですね。お手数をおかけして申し訳ありません」
アンジェラはエプロンを外すと、雑巾の隣に干した。
「難しいとは思いますが、できるだけ大事にしないでもらえますか」
「……はい。できるだけ、ご期待に添うように努めます」
外を探すとは言ったものの、門の外に出たアンジェラには当てはなかった。
(慎重な性格だというなら、そう遠くは行かないと思うのだけど)
礼拝堂が背の高い建物だから、多少離れてもその屋根は見える。だが、それも昼間の話だ。夜になってしまえば、闇に隠れてしまう。
頭に血の上ったルカがそこまで考えているのか分からないが、とりあえず、教会の近くの路地を一つずつ覗いていくことにした。
「ルカ? いませんか?」
大事にはしたくないとエリヤ司祭が言っていたが、名前を呼ぶくらいはいいだろうと、アンジェラはそれほど大きくない声で呼びかけた。
(これで見つかるなら苦労しないんだけど)
アンドレの話を聞いて、ルカの気持ちが分かるような気がした。
大好きな司祭様のために、少しでも手伝いができるよう頑張って、でも、養ってもらっているという事実はどうしようもなくて。
(たぶん、焦ってる)
アンジェラに働き始めた年齢を聞いてきたのも、きっとそう。周囲の同じ境遇の子たちは、司祭様の負担を軽減するために、自分の行先を探しているのに、ルカは司祭様から離れたくないって思っていて、司祭様を見捨てて、他の所に行く子たちに「裏切り者」なんて。
アンジェラの中にも同じような気持ちがある。だからこそルカの気持ちが見えた。アンジェラも、主人のために何ができるか、何を身につければいいのか模索中だ。
(せめて、秋までに……)
秋になって、またあの人が来る前に、せめて方向性だけでも決めておかないと。でないと、顔も合わせられない。
(何をすればいいのか、全然、分からないのに……!)
思考が沈んでいく。
ダメだ。ルカを探さなければならないのに。と分かっていても、思考がどんどんと重くなっていく。
「ルカ? いませんか?」
路地に向かって声をかける。それらしい人影はない。
思考は相変わらず自分のことばかりで、ルカを見つけたところでどう説得したらいいかも考えられない。
太陽はずいぶん下りてきているが、なかなか下がらない気温は、アンジェラを苛む。
小走りだった足を止め、日陰で一息ついた。
こめかみから顎へ、汗がつつーっと流れ落ちる。空気を吸い込んで呼吸を整えようとしても、生暖かい空気が喉にねばつくだけだった。
心臓がばくばくと暴れているのも、走ったせいなのか、秋が近づいているせいなのかもわからない。
(今は、忘れなきゃ。ルカのことだけ……)
すぅ、はぁ、と深呼吸をする。
忘れるのは得意だ。大丈夫。そう自分に言い聞かせた。
「アンジェラ?」
名前を呼ばれたような気がして、声の主を探す。
「……カタリナ。ジーナも」
妹の手を引いた黒髪の友人が、こちらへ歩いて来るのが見えた。何かがあったのだろうか、妹の目が赤かった。ジーナ自身も機嫌が悪いらしく、うつむいて膨れている。
「どうしたの? こんなところで」
「ちょっと、人探しを」
「人? あ、もしかして、また領主様の所に変な来客があったの?」
「変な……て」
「アンジェラが慌てている時は、いつもそうじゃない?」
そうかも、とアンジェラの肩ががっくりと落ちる。
「違うの?」
「その、探しているのは、新しくいらっしゃった司祭様の所の子です」
カタリナなら口も堅いし、と相手の素性を話すことにした。
「新しく……?」
それまで黙って話を聞いていたジーナが、姉のスカートの裾をくいくい、と引っ張った。
「お姉ちゃん」
カタリナ・ジーナ姉妹がお互いに視線を合わせて、ひとつ、頷いた。
「ねぇ、その子って、ジーナよりちょっと年上ぐらいの子?」
「フィリップみたいな金色のかみー?」
「そうです! どこかで見かけたんですか?」
「そーなの。ひどいの! ジーナの場所なのに!」
「ジーナ、やめなさい。……ごめんね、アンジェラ。実は――――」
ジーナが怒っている理由を聞いて、アンジェラは驚き、そしてその話の微笑ましさに、口の端が吊り上るのを堪えた。
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『じゃぁ、お前はこのままずっと司祭様に迷惑かけるのかよ!』
『そんなことは言ってないよ!』
『このまま居続けるなら、結局同じことだろ? 向こうを出る時のこと忘れたのか?』
『忘れるわけないじゃないか! 次の司祭にぼくらを置いてもらえるように頼んでいた時のことだろ? 忘れるもんか!』
『だったらどうして分かんないんだよ。オレらはいるだけで、司祭様の負担になってるんだ』
『それでも、司祭様の意向なしに、勝手に出て行く先を決めるなんて……ぼくは認めない!』
『そんな風にして、ずっと司祭様に引っ付いていくのかよ、この分からず屋!』
しゃがみこんでいたルカは、ぎゅっと膝を抱え込んだ。
ヨハンの言い分が決して間違っていないことは分かっている。自分たちを前の教会に残しておけるよう、引き継ぎの際にエリヤ司祭が何度も頭を下げていたのを、ヨハンと二人で覗き見てしまったことも記憶に新しい。
(だけど、ヨハンが知らないこともある)
小間物屋に住み込みで働くようになったケネスが棚卸中の事故でなく、新人イビリで死んでしまったことを知った時のエリヤ司祭の落ち込みようは、それこそ見ていられなかった。
ケネスの一件があってから、エリヤ司祭が子供たちの引き取り先を厳しく審査するようになったのだ。
(でも、ヨハンの言いたいことも分かるんだ)
ケネスの一件がなかったとしても、ルカは自分がヨハンやアンドレ、他の子供たちのように積極的に自分の行先を決めようとはしなかっただろう。それは、ただ――――
(司祭様の力になりたい。ずっとそばにいたい)
司祭様が引き取った子供たち全員が考えたこと。そして、みんなが現実に諭されて諦めたこと。
それが、他の子たちよりも強かっただけ。今もなお強いだけ。
「……司祭様」
発作的に教会を出て行ってしまった。戻らなければ、と思いながら、一度地面に下ろしたお尻はなかなか持ち上がらない。
司祭様の負担になってしまう現実も見えている。ヨハンの言い分が少なからず正しいことも知っている。それでも、足が動かない。
教会と接する道から、この細い路地を見つけ、ゴミ箱の影に隠れるようにして座ってから、どれくらい経っただろう。戻らなければいけないと分かっていても、足に力が入らない。
「こっちなの」
「ジーナ、そんなに先を走らないで」
通りの方から声が聞こえた。そういえば、泣きながらここに駆け込んできた女の子がいた。お姉さんらしき人が来て、連れ帰って行ってしまったけれど。
(ぼくだって、司祭様が探し出してくれたら……)
みじめな気持ちになって、じわり、と涙がにじむ。
「……っ、ダメだ、ダメだ」
慌てて涙を拭う。
「ルカ!」
(司祭様?)
顔を上げた先に居たのは、想像していたのとは別の人物だった。強いて言えば金の髪という点が共通しているぐらい。
「アンジェラ、さん」
「良かった。司祭様も心配していましたよ。早く帰りましょう」
アンジェラが差し伸べた手を一瞥して、ルカは顔を膝にうずめた。
「ルカ?」
「……いい。帰ってよ。ぼくはまだここにいるから」
「でも―――」
「帰ってよ!」
相手の黙り込む気配に、ルカは一層自己嫌悪を深くした。これじゃ八つ当たりだ。
「いじけんぼー」
その声は、アンジェラのものとは別の声だった。
「お姉ちゃんが言ってる、弱虫毛虫いじけむしって、こーゆーのを言うんだよね」
「こら、ジーナ。ダメよ」
「いじけ虫ぃ~」
さすがにムッとなって顔を上げると、まさについさっき隣でいじけていた少女が見えた。
「お前だって、さっきまでここにいたくせに」
「そこジーナのいつもの場所だもん。……ドロボウ。忙しいアンジェラお姉ちゃんが探しに来たんだよ? 早くどいて」
「そっちこそ帰んなよ。兄弟が探しに来たからって、偉そうにしないで」
お互いに一歩も引かない―――さらに言えば、極めて幼く低次元な争いをする―――二人に、アンジェラは途方に暮れたように隣のカタリナに目を向けた。
カタリナは「しょうがないわねぇ」と苦笑いを浮かべ、小さく頷く。
「それで、何が不満であなたはここに逃げ込んだのかしら?」
腰に手を当てて自分にぐいっと顔を近づけてきたカタリナに、ルカは小さく身を引いた。
「別に、逃げてきたわけじゃ……」
「こっちはあなたみたいな顔を見慣れてるんだから、キリキリ白状なさいな。口に出して話すだけでも、ずいぶん自分の考えをまとめやすくなるものよ?」
有無を言わせぬ至近距離、そして思わず納得してしまいそうな論理展開にアンジェラは心の中で拍手を送る。
「悩みなんて誰も持ってるし、逃げ出そうとすることも皆やってることよ。そこのアンジェラだって、去年の秋にやってるんだから」
「ちょ、ちょっと、カタリナ……」
去年のことを持ち出されると思っていなかったアンジェラが非難の声を上げる。ジーナは初耳だったらしく、そんなアンジェラをじーっと見つめた。
「ジーナだってよく逃げるし、わたしだって何回も逃げたわ。……でも、ここにいる。わたしを心配してくれた人が、わたしを励まして元の道に戻してくれたから、今ここにいられるの。―――あなたもそうでしょう?」
ルカはまっすぐこちらに向けられる視線に耐えられず、ふいっとそっぽを向いた。
「どうなの?」
さらに追い打ちをかけるカタリナに、ルカは小さく小さく呟くように答えた。
「……ぼくがいたら、司祭様の迷惑になる」
かすかに、けれどちゃんと聞こえたその声に、アンジェラは小さく息を飲んで胸元を掴んだ。
『あなたは、ウィルフレード様の未来を閉ざす害虫でしかない』
フラッシュバックするのは、去年の秋に投げつけられたセリフだった。思わず滲みそうになる涙を歯を食いしばって堪える。
カタリナは、アンジェラにルカの声が聞こえていたことを確認するように、ちらりと目線を向けた。
「やんなっちゃうわね。アンジェラと似たもの同士じゃない」
その言葉に顔を上げたルカの視線の先で、似たもの同士と揶揄された少女が気まずそうな表情を浮かべていた。
「それじゃ、えぇと、ルカ、だっけ? あなたはどうしたいの? 司祭様の迷惑とか一切考えないで答えて?」
「……別に。答える理由もないよ。もういいじゃないか、ぼくは教会に帰る。それで問題ないよね?」
「問題大アリよ。どうせまた悩んで同じことの繰り返しじゃない。……司祭様の迷惑になりたくないなら、どうしたいの?」
「もう、いいだろ。ほっといてくれないか」
「同じ町に住む、同じぐらいの年齢の子を? 冗談言わないで。これから何かある度に顔を合わせる子が、そんな顔してたらこっちも気が滅入るわ」
カタリナの厳しい口調に、ルカがふいに立ち上がった。
「ずっとこの町にいると決まったわけじゃない」
吐き捨てるように口にしたルカは、そのまま教会の方へ歩き出した。
「アンジェラ、ちょっとした計画があるの、あとで連絡するわね」
「え? あ、はい。分かりました。……ルカ、待ってください!」
カタリナに「ちょっとした計画」の詳細を聞く時間もなくアンジェラはスタスタと歩くルカの背中を追った。




