07.列卿の揃う中、レディを誘うということ
「ようこそ、お集まりの紳士淑女の皆様方」
会場となった大広間に、朗々と主催者であるカークの声が響き渡った。
「大事なシーズンを前に、時間を割いていただいたこと、感謝いたします。今宵はデビュタント達の予行演習と思い、このような仮面舞踏会を開かせていただきました」
仮面舞踏会、とあるように、大広間に集まった賓客は思い思いの仮面を顔につけている。赤いラインストーンで彩られたもの、大きな羽根のついたもの、白くシンプルなもの、様々だ。
「デビュタントの皆様は、来るべきシーズンデビューに備えて、舞踏会の雰囲気を掴んでいただきたい。そして紳士淑女の皆様方は、デビュタントの行動に何か問題があっても、やんわりと教え導いていただきたい」
こんな風に言っても無礼講ではないだろう、と緊張したジェルはごくり、と唾を飲み込んだ。
「ただし! 今宵の仮面舞踏会はあくまでデビュタント達のためのものです。相手の素性を訪ねて、後々いびったり、ということはないようにお願いしますよ」
素性が少しでもバレにくいように、と兄から大きく離れているレティシャは、ジェルの隣で、ぐっと拳を握りしめた。
「それでは、華麗な仮面舞踏会をお楽しみください」
カークの挨拶が終わるとともに、会場の至るところから、ポン、ポンと酒瓶のコルクが開けられる音がする。わぁっと慎ましやかな歓声と拍手が広間に響いた。
誰に促されるでもなく、何組かのペアが広間の中央に進む。
「さ、行きましょう」
「……えぇ」
手を差し伸べるジェルに、レティシャは自分の手を預ける。最初の曲が始まるのだ。
「さて、どうなるかな」
遠くで妹を見つめるカークの隣に、二つの影がそっと近づいてきた。
「お前の妹は、最初はジェルとか?」
「うん。お互い練習相手にしていたからね。最初に緊張をほぐすにはいい相手でしょ」
「……カーク。あなた、本当に面白がってますね」
「そりゃもちろん。主催者が一番楽しまなくてどうするのさ?」
主催者らしからぬ言葉に、二人が同時にため息をついた。
「ほらほら、僕の近くにいると、キミたちの素性もすぐにバレるよ? 滅多にこんな場に来ないんだから、見つかったら、あっという間に取り囲まれるって」
それもまた楽しいかもしれないけどね、という悪友に、二人はさっさとその場を離れた。
そんな会話がされているとも知らず、中央の二人はお互い向かい合ったまま、曲の始まりを待つ。
ある程度、出そろったのだろう、ゆるやかなワルツが流れる。
二人は目線を合わせ、ステップを踏み始めた。
「それほど踊る方は多くないんですね」
「そうですわね。会話を楽しむ方もいらっしゃいますから。まぁ、会話と言っても、腹の探り合いでしょうけど」
周囲のカップルにぶつからないよう、男の側のジェルがリードをする。
「何か不思議ね、あなたにリードしていただくなんて」
名前は呼ばず、「あなた」と言われたジェルは頬を少し赤らめた。
「こういった場で、他の方にぶつからないようにするのが精いっぱいです。綺麗に見せることができなくて、申し訳ありません」
そのセリフを聞かれたのか、すれ違ったカップルの女性に、くすくすと笑われてしまう。
「気にしなくてもいいわ。今日は不慣れなデビュタントが主役ですもの」
「……そうします」
やがてワルツが終わり、ジェルにエスコートされたレティシャは壁際に並べられた食事のテーブルの方までやってくる。
「おつきあいいただき、ありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ、誘っていただいて光栄ですわ」
決まり文句のように他人行儀な挨拶をすると、お互い顔を見合わせて小さく笑った。
「失礼、そちらのお嬢さんにダンスを申し込んでも?」
「えぇ、構いませ……」
振り向いたジェルは、聞き覚えのある声と背格好に、つい言葉を止めてしまった。
(さっきと衣装が違うし……)
つい先ほど、舞踏会の開会挨拶をしていた主催者は、一曲の間に着替えて来たらしい。レティシャも兄に気付いたのだろう、唇が小さく震えている。
「どうぞ、お手を」
「……えぇ」
人が悪いなぁ、と思いながら、ジェルは兄妹を見送る。
(さて、と……)
ジェルは壁際に目を移した。淡いブルーのドレスを着た少女が、不安そうに周囲を伺っているのが目につく。
(えぇい、男は度胸!)
自らを鼓舞しながら、デビュタントであろう、その少女に声をかけた。
「レディ、もしよろしければ踊っていただけませんか?」
「え……、わたくし、ですか?」
「えぇ。見れば緊張していらっしゃるご様子。ボクと踊って、その緊張をほぐしませんか?」
「あの、わたくし、こういうの初めてで」
「奇遇ですね、ボクも初めてです。ですから、もしステップを誤ってしまったら申し訳ないのですが」
ステップを誤る、というところで、空色ドレスのレディが小さく笑みをこぼした。
「実は、わたくしも、ダンスがあまり得意ではありませんの。足を踏んでしまうかもしれませんが……」
「えぇ、お互い様です」
承諾をもらい、ジェルは中央にエスコートする。
(何とか、声掛け成功……)
そして先ほどより、やや明るい曲調でダンスが始まった。
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空色ドレスのレディと別れると、ジェルはずっと壁の花になっていたひまわりのドレスの少女に声をかけた。空色ドレスと同様、緊張していたデビュタントだったため、断られることもなく、ダンスすることができた。
(うん、いい調子)
もはや自分が女性であることも忘れ、次も似たような壁の花のレディに声をかける。
「申し訳ありません。実は、ダンスするよりも眺めている方が性に合っておりますの」
当たり障りない言葉だったが、断り方は冷たく、先ほどから二連続で踊っているため、敬遠されたようだった。
他の人をと物色しているうちに、曲が始まってしまった。
(まぁ、くじけない、くじけない)
ちょっとした休みができたと思って、開き直ろうとしたジェルは、テーブルのサンドイッチをつまんだ。
「まぁ、おいしそうですわね。何のサンドイッチですの?」
声をかけてきたのは、オレンジ色のリボンがついた仮面をつけた少女だった。
「ボクが食べたのはサーモンの酢漬けのようでした。こちらはアンチョビっぽいですね」
そう言って、もう一口、食べて見せると、令嬢の表情が明るくなる。顔の半分を仮面で隠されていても、劇的に変わった雰囲気で察せられた。
「まぁ、アンチョビは好物ですの。取っていただける?」
「えぇ、もちろん」
勝気そうな雰囲気がイザベラに似てる、と思いながら、皿にサンドイッチを取り分ける。
「本当は、あまり食べないように言われているんですけれど、こんなにおいしそうなものが並んでいたら、つい目移りしてしまいますわよね」
「そうですね。食べ物もそうですが、ボクはあなた方、きれいなレディに目移りしてしまいます」
胸に手をあて、ため息をついて見せた。すると、オレンジリボンのレディはくすくすと上品に手を口元にあてて笑った。
「面白いことをおっしゃるのね。そうやって一体何人と踊られるおつもり?」
また断られそうな雰囲気に、焦りを覚えたジェルは、フィリップの言っていたことを思い出す。
『女の子と手っ取り早くお近づきになるには、「ここだけの話」と「ささやかな秘密」が効果的なんだよ』
彼が、いつだったか自慢げにエリックとトムに対して話していたことだった。
「実はここだけの話ですが、最低五人と踊るようにと脅しつけられているんですよ」
「あら、まぁ……」
予想外のセリフだったのだろう、仮面の奥の瞳が大きく見開かれるのが分かった。
(失敗した、かな?)
ジェルは自分の二連敗を悟って、心の中で肩を落とした。
「奇遇ですわ。わたくしもですの。お父様から、必ず三人以上と踊ってくるようにと!」
(あれ?)
「ねぇ、もしよろしければ、わたくしの一人目になってくださらない?」
「……えぇ、もちろんですよ、レディ。光栄な一人目に選んでいただき、ありがとうございます」
オレンジリボンのレディに一礼しながら、ジェルは(フィリップ、ありがとう)と心の中で感謝した。
.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.
予想を上回るダンスの下手さに、何度か足を踏まれてしまったものの、友好的にオレンジリボンのレディと別れた。
(あの人の二人目と三人目が可愛そう)
去っていく後ろ姿に、思わずため息がもれた。
「んねぇ、そこのボウヤ?」
粘りつくように艶めいた声に、思わず鳥肌を立てたものの、ジェルは口元に笑みを浮かべて振り向いた。
(うわ……)
真っ赤な口紅、赤と黒の扇情的なドレス。どこが扇情的かって、胸元がパックリ開いている。
「ボクのことでしょうか? 美しいお方」
「えぇ、さっきから色んな子と踊っているから、目につくのよ」
しなだれかかるようにジェルに密着してきた彼女から、キツい薔薇の香気が立ち上る。やたらとその豊かな胸を押し付けてくるのは気のせいだろうか?
(えぇい、ボクは男だ!)
「せっかくですから、色々な花と踊ってみたいと思いまして」
「あぁら、さっきから見ていたら、ずっとデビュタントっぽい子とばかり踊っていたじゃない。やっぱり、そっちの方が好みなのかしら?」
「いいえ、ボクのような若輩が、あなたのような綺麗な薔薇に声をかけていいものかと思い、つい、スミレや桜草に声をかけてしまうのですよ」
歯が浮きそうになるセリフも、フィリップの名前を唱えていると、スラスラと出てくるから不思議なものだった。
「もしよろしければ、一曲いかがですか、レディ?」
「ふふ、かわいいボウヤね。デビュー後が楽しみだわ」
薔薇のレディは耳元で囁くと、ジェルの手をとった。
「ジェルが、変なのに捕まっているな」
それを遠くで見ていたヴィクトールが無責任に呟いた。
「あれは、……トロニティ女伯爵、ですね」
隣のウィルが大きくため息をついた。
「また若いツバメを探しに来ているのだろう。精力的なことだ」
ツバメを探す女伯爵は、積極的にダンスを誘っているジェルに興味を示したのだろう。ウブな子を転がすにはこれ、とばかりに踊っている間も胸を強調してきた。
「どうかしら、今まで踊ってきた子と比べて」
「えぇ、とても魅力的でクラクラしてしまいます。あまり貴方に夢中になってしまうと、ステップが疎かになってしまいそうで、怖いぐらいですね」
「あら、でしたら、もっと密着してくださっても構いませんのよ」
構いませんのよ、というわりには、向こうからぐいぐいと体を押し付けてくる。そこまでされると、さすがに気恥ずかしくなって、ジェルの頬にも朱が散った。
すると、「まぁ、照れ屋さん」とでも言いたげに、くすくすと女伯爵が色っぽく笑う。
(あー、これ絶対からかわれてるよね)
たぶんウブなデビュタントを翻弄するのが楽しいんだろう。
(それなら……)
相手の望むように、と、あからさまに胸元から視線を外して見せる。
「あら、どうなさったの、こちらをお向きになって」
「いえ、その、あまり不躾に見つめてしまうのも、よくないのかな、と思って」
「あら……」
女伯爵は意味ありげな笑みを浮かべた。
「その年頃で、好奇心に逆らってはダメよ。見たいものも見えなくなってしまうわ」
(見たいものって……)
ちらりと胸元に目をやれば、銀色の粉か何かが塗られているのだろうか、きらきらと光っている。
(ここまでするのに何か意味があるの?)
そこで、まるで天の助けのように曲が終わる。
「ねぇ、もし良ければ、バルコニーに出ません? あなたともっとお話ししてみたいわ」
予想外な誘いに、アンジェラの首元に鳥肌が立つ。
(どうしよう、これ、どうしよう? せっかくノルマの五人達成したのに……。助けてフィリップ!)
まるで念仏のようにフィリップの名前を唱える。
「せっかくですがレディ。その美しさをボクだけが独り占めするわけには参りません。どうぞ他のデビュタントも誘ってあげてください」
「あら、せっかく会えたのですもの、少しくらい……」
「失礼、お話中よろしいかしら?」
話に割り込んで来たのは、深海のドレスを身にまとった女性だった。仮面はキラキラした貝殻で彩られている。ただ、女伯爵と共通しているのは、色気むんむんの胸元だ。ネックレスの大きなルビーが胸の谷間に埋もれるか埋もれないかぐらいの位置で光を放っている。
「あなた……!」
女伯爵の知っている人間だったのだろう、名前こそ出さないものの、ぎろり、と睨みつけた。
「ねぇ、あたくしとも踊ってくださらない?」
「いいえ、このコはわたくしとバルコニーでお話する予定ですの。せっかくですけど―――」
「あら、先ほど、お断りされていたでしょう」
深海ドレスの女性が、ジェルの肩に伸び、優雅に女伯爵の手をはらいのける。
「それでは失礼いたしますわ」
有無を言わさずジェルを伴って、中央へと歩き出す。
残された女伯爵がギリギリと歯噛みして、その背中を睨みつけていた。
「ところで、ジェルは女運がないと思うか?」
「トロニティ女伯爵の次にネーゼ侯爵夫人に声をかけられたことですか? あのお二人の不仲は有名ですからねぇ、必然じゃないでしょうか」
ウィルとヴィクトールは、二人並んでワイングラスを片手にジェルを眺めていた。
「ところで、ネーゼ侯爵夫人がツバメ探しを始めたのは、お前が田舎に引っ込んだ後からだったと思うが」
「情報なんてものは、どこからでも入ってくるものですよ」
「相変わらずだな」
「そうでしょうか? まぁ、保身のためには、最低限のことはしておきませんとね」
何が起こるか分かりませんし、と飄々と呟くウィルフレードに、ヴィクトールは内心、(これだけできる奴に、カークの助けがいるようなことがあるのか?)と、アンジェラの決意を無にするようなことを思う。
そのアンジェラは、今度はネーゼ侯爵夫人に迫られ、たじたじになっていた。
(えーと、純朴、純朴)
前に踊った人と同じ人種だと悟り、ジェルは純粋なデビュタント役をこなそうと奮闘していた。
「先ほどの方とお知り合いですか?」
「あら、仮面舞踏会でそんなことを聞くのは野暮ってものでしてよ」
「失礼いたしました。百合のように美しい貴方を目の前に、何を話したら良いかわからなかったもので」
「百合?」
「えぇ、先ほどの方は、薔薇のような方でしたが、貴方は百合のように凛とされていらっしゃる」
(そういえば、バラにはトゲが、百合には毒があるって、何かの本に書いてあったっけ)
「あなたはレディを花に例えるのがお好きなの?」
「えぇ、ボクにとってはレディと花は同じです。レディを表すのに、これほど適切なものはないと思いますよ」
「そしてわたくしは百合?」
「えぇ、凛として清廉。ボクにとって貴女は百合です。以前、何かの文献で『ウミノユリ』というものを見たことがありますが、貴方はまさにそれ、いいえ、それ以上の花ですね」
そういえば、ウミノユリは結構グロテスクな感じに書いてあったっけ、と思い当たり、この形容は失敗だったか、と反省する。
「まぁ、博識なのね。でも、そうね、今日の装いは海をコンセプトにしておりますの」
「古来より、海は女性の情の深さを表す形容詞になっていますね。そして、神秘的なもの」
「神秘的だなんて、そんな……。あら、もうすぐ曲が終わってしまいますわ。ねぇ、この後、お時間あるかしら?」
「大変申し訳ありませんが、実は五人のレディと踊ったら、一度戻るようにと言われているものですから」
「あら、わたくしが五人目?」
「いいえ、実は六人目です。お断りしようかとも考えたのですが、レディがあまりに魅力的だったものですから。……後で怒られてしまいそうですけど」
「父親か、お兄様でもいらっしゃっているの?」
「詳しくは言えませんが、この舞踏会で、ボクのお目付けをしている人がおりますので」
「あらあら、大変なことね」
「いいえ、こうして、貴方のような方と一時を過ごせるのでしたら、そのぐらいは何も問題ありません」
そして曲が終わり、ジェルは百合のレディをエスコートして、中央から離れた。
(ティオーテン様は……)
主催者を探していると、給仕人に声をかけられ、大広間を出て別室に案内された。
「失礼します。お連れいたしました」
そこに待っていたのは、この舞踏会の主催人だった。
「お疲れ、ジェルくん」
「ティオーテン様」
相手に倣って、仮面を取ると、ジェルは会釈をした。
「いやぁ、まさか、あのお二方と踊るとはね。見直したよ」
「見て、いらしたんですか?」
「あの二人は、若いツバメをお互い競って集めているフシがあってね。いやぁ、大変だったろう?」
にやにやと笑うカークに、小さな殺意を覚えながら、「お二人とも個性の強いお方でした」と当たり障りのない感想を漏らす。
「五人だけかと思ったら、結果的に六人と踊ってくるなんてね。……さぁ、着替えておいで。これからがキミの本領発揮だよ」
「そのお言葉、不安しか感じないんですけど」
「まぁ、男のように、手当たり次第声をかけるワケにもいかないからね。頑張って紳士諸君を引き寄せてみてよ」
ジェルはぐっと拳を握りしめ、「そうさせていただきます」と部屋を後にした。




