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ひとつの空にあるように  作者: 長野 雪
デビュタントと仮面の宴
42/57

01.決意のデビューに臨んで

新章開幕です。二度目の春の話になります。

「どうぞ、こちらがアンジェラ様のお部屋になります」


 案内をしてくれたメイドは、部屋に備え付けられたクローゼットだの、鏡台だの、水差しだの、説明を丁寧に口にする。

 アンジェラは、それにいちいち「えぇ」とか「はい」とか律儀に返事をしながら、慣れないお客様扱いに居心地の悪いものを感じていた。


「何かありましたら、そちらのベルでお呼び下さい」


 メイドはうやうやしく頭を下げると、隙のない仕草で部屋を出て行った。

 アンジェラは、メイドの足音が遠ざかったのを聞き取ると、その場にしゃがみこんで大きく息をついた。

 とりあえず、長い滞在になるのだから、と、運んでもらった荷物から衣類を取り出し、クローゼットにしまっていく。こうするものだと教えてくれたこの邸のお嬢様は忙しいらしく、会えるのは晩餐の時になるということだった。


 アンジェラは、自分の鞄から編みかけのレースと糸を取り出すと、小さな机とイスが備え付けられたスペースへ足を動かした。

 今、頑張って作っているのはコースターだ。冬にもらった小箱のお返しに、手作りのものを返したいと思っている。トムは父親と二人暮らしだと聞いていたから、二枚組がいいだろう。

 そう考えついてからは早かった。

 レース編みの教本を見ながら図案を考え、一枚目をリンゴのモチーフにした。それは、いつもの仕事の合間に続けて編み終えることができた。主人であるウィルフレード様に隠し通すのには気を遣ったけれど、一度、編んでいるところを見られてしまってからは、目の前で編むようになった。


(何か期待されているみたいだし、もう一枚分とか二枚分とか編まないといけないかな)


 視線にちょっとだけ期待が混じっているような気がするから、やはり、何かしらの成果を差し上げないといけないのだろう。

 今編んでいるブドウのモチーフが編み終わったら、また別の図案を考えるか、同じものを作ろう。

 そんなことをぼんやりと考えながら、アンジェラは編み針を持ち、糸を指にからめた。


(……でも、なんでこんなことになってしまったんだろう)


 未だに、どうしてここに来る羽目になってしまったのか、理解はしているけど腑に落ちない。

 始まりは、二週間ぐらい前だった。



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



「だんな様、ティオーテン様よりお手紙が届いております。」


 ノックをして、書斎に顔を出すと、振り向いたウィルが、「こんな時間に?」と疑問を投げかけて来た。


「はい、速達だったようです。届けてくださったペリーさんも、本当に急ぎの便だから、って言ってました」


 時刻は、太陽が中天から少し傾いたぐらい。いつも朝に配達をするペリーとしては、一日に二回も丘の上のこの邸に来るのは、できれば避けたいところだっただろう。


「まったく、急ぎだなんて、なんでしょうね。……あ、アンジェラ、ちょっとそこで待っていてください。どうせカークのことです。きっとアンジェラにも関係がある内容でしょう」


 ペーパーナイフで封筒を開けると、便せんを取り出したウィルは目を走らせるなり、眉根にしわを寄せた。


「予想通り、アンジェラにも関係はあります。というか、どちらかというと、アンジェラへのお願いみたいなものですね」


 顔にかかってきた銀の髪を耳にかけると、ウィルはまっすぐアンジェラに向き直った。


「レティシャ嬢の社交界シーズンデビューに、付いて欲しいとあります。まぁ、カークの要望ではなく、レティシャ嬢の要望でしょうけどね」


 アンジェラは「はぁ…」と曖昧な返事をした。

 確かに、昨冬に家出してきたレティシャとは色々な話をした。社交界デビューに向けて、兄であるカークの役に立ちたいのだと、決意と不安をアンジェラに吐露した。

 だが、アンジェラとレティシャは、ほんの数日しか一緒に過ごしていないのだ。頼りにされるのは悪い気はしないが、アンジェラにもこの邸を切り盛りするという仕事がある。


「アンジェラ、どうしますか?」

「申し訳ないのですが、お断りしようと思います。レティシャ様が私を頼って下さるのは嬉しいのですが、あたしにも、仕事がありますし」


 予想通りの返答に、ウィルはちょっといじわるな聞き方をする。


「逆に、仕事のことさえ問題なければ、行ってもいい、ということですよね」

「はい。仕事以外に、特に断る理由はありませんけど…」


 少しイヤな予感のしたアンジェラの声が自然と徐々に小さくなる。


「ちょうどいいタイミングですし、アンジェラが行くのに合わせて、私も王都に行こうかと思います。――ほら、それなら行きますよね?」


 確かにそれなら、アンジェラの言う「断る理由」はなくなる。主人がいなければ、邸を切り盛りする理由もなくなるのだから。


「……このお邸がからになってしまいますが」

「あぁ、構いませんよ。大したものは置いてありませんし、これまでにも何度か空にしていますから。通いで来てもらっていたシビントン夫人も、臨時休暇という形にしていました」


 つまり、アンジェラにも臨時休暇をあげるから、好きにしていいということだ。


「そういうことでしたら、行くのは良いのですが…」


 行くと決まったら、次は、と考えてアンジェラは難問にぶちあたった。

 アンジェラはこの邸に勤めるようになってから、一度も領地の外に出たことがない。それどころか、邸と麓の町以外、出たことがないのだ。


(王都にどうやっていくか、だけど)


 以前、アンジェラを邸から追い出そうとしたロイに言われたのは、王都を挟んで反対側の領地への行き方だ。乗り合い馬車を使って行くということは覚えているが、そもそもアンジェラは、乗り合い馬車を使ったことがない。それに運賃はどうすればいいのだろう。

 これまでの賃金はほとんど使わずにため込んであるが、それで足りるのかすら分からない。

 アンジェラが一人でぐるぐる考え込んでいるのを察してか、ウィルは、くすくすと笑った。


「もちろん、アンジェラ。私も同じタイミングで王都に行くのですから、一緒に行きますよ」


 ウィルは、アンジェラにふもとの町へ行って、馬車を仕立てるよう言いつけた。もちろん、どうやって仕立てるのか細かく説明した上で、だ。


「さて、そうと決まれば急がなくてはね。王都に行くなら、きちんと支度をしなくては。うちの可愛い娘に恥をかかせるわけにはいきませんし」


 思わずアンジェラは「娘」の箇所について文句を言ったが、後になって思うと、本来指摘しなければいけなかったのは「支度」の部分だった。

 そこからは、ウィルの行動は早かった。それこそアンジェラが止めるヒマもないほど。

 彼は自ら町の仕立屋に出向き、冬にアンジェラの服を仕立てた時の寸法を教えてもらうと、王都への道すがらの町の仕立屋に連絡をつけ、行く先々で新しい服を受け取る段取りを整えたのだ。

 かつてない領主様の依頼に、難色を示すことなく、むしろ日頃あまりない類の注文に、腕がなるとばかりに二つ返事で承諾してもらえたようだった。

 まぁ、王都から離れた町では、最新の流行を取り入れた服だの夜会服だの金に糸目はつけないだの、そんな注文はないだろう。


(だからって、こんなに買わなくても…)


 アンジェラは、道中、町ごとに増えて行く自分の知らない自分の服を受け取る度に、表情を沈ませた。


「別に深く考えなくてもいいですよ。これは『親心』ですから」


 王都で娘に恥をかかせるなんて、とてもできませんからね。と言うウィルの顔は、いつになく晴れやかだった。


(絶対に! 口実に違いないのに……!)


 日頃、アンジェラのものを何かと買い与えたがるウィルを散々つっぱねた結果がコレなのだろう。アンジェラとしては不満の十や二十は言いたいのだが、心底嬉しそうな表情を見せる主人を見ると、その舌蜂も自然と弱腰になる。

 そして、出発から想定外に増えた荷物とともに、自分を招いてくれたティオーテン公爵のお邸に到着したのがつい先ほど、というわけだった。



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



 アンジェラは、少しずつ暗くなっていく窓の外を見ながら、目を数えながらレース編みを進めて行った。

 今日は空も見えないくらいに雲が広がっているが、明るさで時間は推し量れた。


(晩餐、と言っていたから…)


 道中、ウィルに貴族の暮らし方について、一通り教えてもらった。食道楽については以前も耳にしていたが、まさか衣類についても同じだとは思わなかった。

 訪問着のままでは失礼であることを思い出して、アンジェラは編みかけのレースをテーブルに置き、クローゼットに近づいた。


(えぇと、正餐ではないという話だから、もう少し落ち着いたものを……)


 アンジェラは落ち着いたからし色のワンピースを取り出し、四苦八苦しながら着替えた。あちこちにリボンやら飾り紐があるから、着替え一つとっても面倒な代物であるのだが、すべてが秘密裏にウィルの独断で進められたのだ、もちろんデザインについても、アンジェラの意見は反映されていない。

 着替えてから、姿見で自分を見て、大きくため息をついた。悔しいが、自分に似合う服なのだ。


(こんな綺麗な服なんて、別にいらないのに)


 イスに腰掛けて、レース編みを再開しながら思う。どうせなら、使用人として紛れさせてくれれば良かったのだ。それなら、こんなヒマを持て余すこともなかった。このままでは、明日には完成してしまう。アンジェラにとって、「ヒマ」とは「罪」に等しいものだった。


(せめて、夕食の時に、書斎に出入りできるよう頼んでみよう。可能なら、下働きでもいいから、働かせてもらいたい)


 うん、そうしよう。とアンジェラは大きく頷いた。具体的に何をするためにこのお邸に呼ばれたのか分からないが、とりあえず、ヒマであることだけは避けたい。


コン、コン


「アンジェラ様、レティシャ様がお呼びです」


 入って来たのは、ここへ案内してくれたメイドだった。アンジェラは慌てて編み針をテーブルに置くと、案内してくれると言うメイドの後をついて歩いた。

 この邸は、本邸ではなく別邸という扱いになる、というのはウィルから聞いた情報だ。玄関を折れ目にしたVの字になっていて、片方は公爵家の人間が使う棟となっており、もう片方は客人などが使うようになっている。

 玄関付近で、何人かの使用人とすれ違ったが、皆一様に頭を下げてくるのには困った。鷹揚に手でも挙げて挨拶すればいいのだろうが、もちろん、そんなことには慣れていない。ドキドキしながら、こちらも小さく会釈した。


(こういうのは、本当に困る……)


 そうこうしているうちに、レティシャの部屋に着いたらしい。案内してくれたメイドが、ノックをして部屋に入るお伺いを立てている。

 開かれたドアの向こうに待っていたのは、見慣れた、というより懐かしい顔だった。


「お久しぶりです。レティシャ様」

「まぁ、アンジェラ! 本当に来てくださって嬉しいですわ! もう、デビューの準備が忙しくて、くたくたですのよ」


 開口一番、愚痴を言い始めたレティシャに、アンジェラの後ろでドアを閉めたメイドが、「レディがいきなりそんなことを言うものではありませんよ」とたしなめた。


「もう、リタったら、融通がききませんわね」


 アンジェラはリタという名前に聞き覚えがあるような気がしたが、イスをすすめられるがままに腰掛けた。


「お招きいただき、ありがとうございます。レティシャ様」

「アンジェラ、そんな堅苦しい挨拶は、やめてくださる? むしろ、あたくしが無理にお招きしたのですもの。ここまでの道中、色々と不自由でした。ウィルフレード様は、イベロトロッサのお邸に?」

「いいえ、王都にある邸に戻るとおっしゃっていました。馬車を仕立てて途中まで一緒に来たんです」


 そう話すと、まぁ、ウィルフレード様も来ていらっしゃるの? と両手を合わせて微笑んだ。


「今年の社交界は、きっと騒がしくなりますわ。お兄様の秘蔵の末妹であるあたくしと、田舎に隠遁してしまったウィルフレード様がいらっしゃるのですから」

「秘蔵の……ですか?」


 若き公爵の妹でありながら、「秘蔵」ということがあるんだろうか、と、思ったまま口にしてしまった。


「えぇ、『秘蔵の』でしてよ。お兄様があたくしのために情報規制をしてくださったの。あたくしの決意を汲んでくださったのですわ」


 誇らしげに言うレティシャの表情に、アンジェラは怯えのようなものを見つけて、小さく目を伏せた。

 レティシャの決意、それは自分を兄の道具として使ってもらうことだ。冬の兄妹の言い合いを思い出したアンジェラは素朴な疑問をぶつけてみた。


「公爵様から、よい道具となるために知恵をつけるように言われていたと思いますが、何か習い事を?」

「もちろんでしてよ。……と言いたいところなのだけど、残念ながら、良い先生が見つからなくて、進んでおりませんの」


 レティシャは大きくため息をついた。


「あたくしが身につけたいのは、政治や経済の知識です。ですが、そういった知識は殿方のもの。女にはありません」


 レティシャは小さく唇を噛んだ。


「公爵様は、デビュー前のレティシャ様に男の先生をつけるのは反対されていらっしゃるのです」


 主の代わりに、リタが事情を説明する。


「女性の先生がいらっしゃらないのですか……」


 道すがら、ウィルから「貴族」というものについて教えてもらっていたアンジェラは、なるほど、と納得した。

 『秘蔵の妹』として社交界デビューさせたい公爵から見れば、先生とはいえ男性が足しげく通うことは許可できないだろう。何かと体面を気にするのが『貴族』というものらしいと言っていた。


「あたくし自身が男性のものである政治や経済の知識を身につけなければ、いざ、という時に判断ができません。なおかつ、それを相手となる男性には知られてはならないのです」


 力強く言葉にしたレティシャが、がっくりとうなだれ、小さな声で「無理なこととはわかっているのよ……」と呟いた。


「あの、……レティシャ様? 一つお聞きしたいのですが、あたしはいつ頃まで滞在してもよろしいのでしょうか」


 本当は、「いつ頃まで滞在しないといけないのでしょうか」と聞きたい気持ちをこらえ、手紙には書かれていなかった重要事項を尋ねる。


「まぁ、アンジェラ。いつまでも好きなだけいてくれればいいのよ。……あら、でも、お兄様が呼びましたのよね。リタは何か聞いている?」

「いいえ、私は何も」

「頂いたお手紙には『社交界デビューについていて欲しい』としか書いてありませんでしたので……。そういえば、ティオーテン様はお邸にいらっしゃるんですか?」

「公爵様は外出しております。夜はこちらにお戻りになるとおっしゃっておりました」


 リタの言葉に、アンジェラは「ありがとうございます」と丁寧に礼を言った。

 実は、アンジェラには一つだけ考えがある。

 レティシャが政治・経済の勉強ができる方法が。

 言い出そうかと思うと胸がドキドキする。レティシャに言えば喜ぶだろう。だが、カークは許可するだろうか。……そして、アンジェラのもう一つの目的までも看破してしまうのだろうか。

 正直なところ、アンジェラは彼に苦手意識を持っている。

 何もかも見透かしたような言動、まるでいざという時に使えるのかどうか、人を値踏みするような視線、どれをとっても、「今」が一番大事な貧民街では考えられない行動だ。

 アンジェラは、貧民街の教えを思いだし、そっと胸に手を添えた。


(迷った時は、何が一番大事なのかを考えること)


 自分にとって、一番大事なのは、もちろん、主人であるウィルフレードその人だ。自分を雇ってくれただけでなく、文字を教えてくれた。文字は自分の世界を豊かにしてくれた。

 恩返しという言葉では足りない。自分に人並みの人生をくれたのだから、その人生をあの人のために使いたい。

 そのためには―――


「レティシャ様」


 アンジェラは口を開いた。

「あたしに一つ考えがあるのですが……」

 一歩踏み出すことの恐れに、鳩尾が冷たくなる感覚がアンジェラを襲った。



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



「やぁ、アンジェラ。久しぶりだね、元気だった?」


 軽く手を挙げて挨拶してきたのは、この邸の主、ティオーテン公爵その人だった。

 帰ってきてすぐなのだろう、焦茶の髪に薄桃色の花びらがついている。


「お招きいただきありがとうございます、ティオーテン様」


 アンジェラは深くお辞儀をすると、花びらのことは無視することに決めた。

 すると、向かいに座っていたレティシャが「お兄様、花びらがついていましてよ」とやんわりと指摘した。ここは、兄妹ならではの気安さだろうか。「え、どこに?」と自分の髪をいじる兄の手を止め、手ずからその小さな春をつまみあげた。


「この花、ロクセタール侯のお邸にでも、行ってらしたの?」

「うーん、そんなところ。それにしても、うちの妹はヨソの庭木まで覚えているのかい?」

「あら、あたしの嫁ぎ先の最終候補と聞いているからでしてよ」


 レティシャは胸を張って答えた。兄の役に立つためと、色々と調べたりしていたらしい。


「それはすごい。その話も含めて、食堂で聞かせてくれないかな。……実はお腹が空いててね、向こうを出る前に、帰ってすぐに夕食が欲しいと遣いを走らせておいたんだよ」

「まぁ、お兄様ったら、自分勝手が過ぎますわ。――アンジェラ、そういうことだから、続きは夕食の時に」


 アンジェラは「はい」と返事をして先を行くティオーテン公爵について部屋を出た。


「ねぇ、アンジェラちゃん」

「何でしょうか」

「もしかして、怒っていたりする?」

「? いいえ? どうしてでしょうか?」

「うん、何か、眉間にしわが寄っている気がして」


 言われて眉間を触ってみたが、別段、しわなど寄っている感じはない。


「表情が険しいのかな?」

「そういうことでしたら、慣れない場所で緊張しているのかもしれません」

「ふぅん?」


 会話が途切れたまま、二人で並んで食堂へと歩く。


「ところで、今日はずっとレティと一緒に?」

「はい。……正直な所、勿体ない待遇に戸惑ってばかりなのですが、あの、力仕事でも構いませんので、何か」

「はい、だめー」


 わざとらしく子供っぽく装ったカークが、小さく肩を竦めた。


「あのね、キミはこの邸のゲストなんだよ? 何それ、ゲストが下働きって」

「ですが……」

「それじゃぁ、僕がイベロトロッサの邸に滞在する時は、薪割りでもしようか?」


 逆にそう言われてしまうと、アンジェラとしても反論のしようがなくなってしまう。


「まぁまぁ、焦らないの。僕は単にレティが心細いときに、どうしたらいいかと考えて、それで招いただけなんだから」

「……」

「あぁ、レティと一緒に家庭教師につく? 礼儀作法やら芸術鑑賞やら、いろいろ教わってみる?」

「その話は、レティシャ様が同席なさっている時に、させていただいてもよろしいでしょうか」

「へぇ、脈有り? まぁ、いいけどね」



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



「お兄様、家庭教師の件なのですけれど」


 レティシャがそう切り出したのは、夕食を終え、食後のお茶を楽しんでいたときだった。

 ちなみに、夕食前に一通りの料理の説明をしてもらったアンジェラは、聞いたことのない料理法やら地名やらで、ちんぷんかんぷんだった。食事作法に注意を割いていたおかげで、味もよく覚えていない。


「あぁ、女性の家庭教師でも見つかったのかい?」

「いいえ、見つかっておりません。ですが、確認したいこともありますの」

「あぁ、年齢に関係なく男性はダメだからね」

「そうではありませんわ。……男性の家庭教師をアンジェラに付けることは可能ですの?」


 一瞬、予想外の展開に目を丸くしたカークだったが、すぐさま人を食ったような笑みに切り替えた。


「へぇ、おもしろいね。誰の案?」

「アンジェラが提案してくださいましたの。全てをそのまま教えることは無理かもしれませんが、このまま、全く知識がないよりは良いと思いましたわ」

「生兵法はケガのもと、とも言うけどね」


 カークは、ティーカップを持ち上げ、喉を潤す。


「まぁ、そういうことなら構わないよ。ただ、いくつか条件がある」

「何ですの?」

「ひとつめ。アンジェラには男装してもらう。有望などこぞの子弟を援助している形にしたい」

「男装ぐらいでしたら、構いません」

「ふたつめ。レティに教える時には、もちろん女の格好をしてもらう」

「着替えるくらいなら、問題ないでしょう、アンジェラ?」

「みっつめ。このことを他の使用人に気づかれないようにする」

「……」

「……」


 これには、アンジェラもレティシャも黙り込んだ。


「もちろん、手筈は僕が整える。アンジェラちゃんにそれだけ真剣に注意深くやる気があるか、レティにそれだけ協力をお願いするだけの意志があるか。僕が知りたいのはそれだけだよ」


 それを聞いたアンジェラは、目だけでレティシャに頷いてみせた。


「もちろん。女性の家庭教師が見つからない以上、それしか方法がないのですもの。アンジェラには申し訳ないとは思いますけれど、協力をお願いしますわ」

「あたしも、ご期待に添うように気をつけます」


 そこまで聞いて、カークは「うん」と頷いた。


「あ、そうそう、アンジェラちゃんには、もう一人家庭教師をつけるから、頑張ってね」

「え?」

「ウィルから、アンジェラちゃんを預かった手前、どこに出しても恥ずかしくないレディにしてあげようと思って。あ、明日から来るから」

「ちょ、ちょっとお兄様……?」


 慌てているところを見ると、レティシャも初耳だったらしい。


「レティは知っているかな、マダム・リンディスと言う先生なんだけど」

「あの、鬼のように厳しいと噂の……」


 おそるおそる答える妹に、兄は涼しい顔をして続きを話す。


「田舎貴族の子を今回のシーズンに合わせたいと言ったら、二つ返事で受けてくれたよ」


 まぁ、どちらかと言えば、腕がなるって感じだったけどね、と明るく言ったカークは、すっと席を立った。


「そういうことなら善は急げ、かな。男の家庭教師にも当てはあるから、早速声をかけるとしようか」


 すたすたと食堂から出て行こうとしたカークだったが、ドアの前で立ち止まった。


「そういえば、アンジェラちゃん」


 突然、名前を呼ばれて「はい」と慌てて返事をする。この上さらに何かあるのだろうか。


「かつらの色は何がいい? 僕の好みだと黒なんだけど」

「……お任せいたします」


 ふ~ん?と手をひらひらさせて、カークの姿が廊下に消えた。


「アンジェラ、本当に良かったのかしら?」

「さぁ……。でも、やってみないことには分かりませんから」


 貴族の女性として一般教養を修めつつ、男として政治経済の勉強をするとなると、まるっきり未知の世界だった。皆目検討がつかない。

 ただ、非常に忙しくなる。それだけはアンジェラにも予想がついた。


(今日のように、暇を持て余すことはないのが、せめてもの救いなのかな)


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