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ひとつの空にあるように  作者: 長野 雪
はじめてのおるすばん
40/57

06.メロウ・イエロウ・バナナ・ムーン

 翌朝、アンジェラが目覚めたとき、昨日の吹雪はすっかりおさまり、お日様が顔を覗かせていた。

 冷たい空気の中、外に出ると、一面の銀世界に言葉を失う。

 だが、それも束の間、冷たい空気で目覚めると、水汲みのために、井戸へ向かった。積もった雪に足をとられながら、今日は郵便配達のペリーさんは来ないかもしれない、と思う。


(塀があってもこれだけ積もるんだったら、外はどれほど積もっているんだろう)


 とりあえず二往復して――それでも水瓶の半分もいかないが――アンジェラは朝食の支度に取りかかった。昨晩仕込んでおいたスープの味を確かめて、ひとつ頷くと、食糧庫から取り出したしおしおのラディッシュを切って入れる。パンと、燻製肉、そしてとっておきのチーズの量と状態を確かめると、誰かが起きてくるまでは暇になった。


(今日は、誰が一番に起きてくるのかな)


 いつもとは違う朝だけに、ウィルが一番に起きてくるとも思えないし、レティシャはもっと遅くに起きてくるはずだが、周囲を見極めるために、早く起きるかもしれない。カークについては……推測の材料が少な過ぎてお手上げだった。


「とりあえず、食事だけは考えておかないと。雪のせいでペリーさんが来ないなら、昼食もあるものでどうにかしないといけないし……」


 人が増えたことで、やるべきことが増えた、などと嘆いている暇はない。馬の世話まで合わせると、時間を無駄にはできなかった。

 世話、という言葉で思い出すことがある。


(レティシャ様、一人で着替えられるかな)


 不安になるが、部屋に向かったところで、まだ寝ているようならどうしようもない。まさか、自分の都合で起こすわけにもいかないし……。


(違う、発想を切り換えればいいんだ)


 アンジェラは足音を忍ばせて二階へ上がると、誰もいないのを確認してから、素早く鍵を開けて室内へ滑り込んだ。


「レティシャ様、起きていただけますか?」


 身体を揺さぶりながら、耳元で名前を呼ぶと、案外あっさりと目を開けた。


「どうしましたの?」

「今日は早めに起きてみませんか。先に起きてお兄様を待ちうけた方が有利に運ぶと思ったのですが……」


 二、三秒、レティシャは理解に時間をかけた。寝起きの頭に、ようやくアンジェラの意図が浸透して、ぱむっと両手を叩き合わせた。


「もっともですわ。そうと決まれば着替えなくては」


 ここへ来て最初に着た藤色のワンピースを出し、寒いからと羊毛のカーディガンを着せると、アンジェラは先に出て、廊下に誰もいないことを確かめた。


「どうぞ、レティシャ様」


 二人で足音を忍ばせて階下に下り、台所まで着いたところで、二人顔を見合わせてくすくすと笑った。


「何か、すごくドキドキしましたわ」

「あたしもです。レティシャ様。……せっかくですから、朝食を召し上がりますか?」


 うなずいたレティシャに、アンジェラはスープを用意し、パンをスライスすると、とっておきのチーズを取りだし、かまどの火にあぶる。溶けかけたところで、さっとパンの上に乗せる。


「まぁ、すてきですわ!」


 感嘆の声を上げるレティシャに、「熱いうちにどうぞ」と勧めると、ハーブティーを入れ、レティシャの向かいに座る。例のごとく自分の朝食は既に済ませてある。……でなければ、朝は頭が回らないし、身体も動かない。

 おいしそうに、けれど優雅にパンを食べるレティシャを、まぶしそうに見ながら、アンジェラは一息ついた。と、台所の戸口に人影が映ったのを見つけ、慌てて立ち上がる。


「おはようございます。だんな様。ご気分はいかがですか?」

「あぁ、アンジェラ。おはようございます。……レティシャも」


 一瞬だけ、身体をこわばらせたレティシャだったが、すぐに立ち直り席を立って振り返る。


「おはようございます。ウィルフレード様。先日はご挨拶もできず、申し訳ありませんでした。先に朝食をいただいておりますわ」


 軽くワンピースの端をつまんで頭を下げるレティシャに、ウィルは小さく笑みを見せた。


「おはようございます。レティシャ、あなたと会うのは久しぶりですね。……あぁ、アンジェラ、朝食をいただけますか?」


 アンジェラは短く返事をして、レティシャと同じ朝食を用意する。


「まぁ、他家のことなので、あまり口出しはしませんが。……次回はもう少し考えてから動きましょうね。あと、来てくれるのは嬉しいのですが、事前に手紙なりで知らせる礼儀も大事ですよ」


 朝食が来る前に、と、プチ説教をしたウィルだが、本気で怒っているのではないらしい。それが分かるので、レティシャも「申し訳ありませんでした」と素直に謝っておく。


「だんな様、ティオーテン様は、まだ…?」

「あの様子だと、寝てるでしょうね。――まぁ、王都では頭ばかり回転させて、身体を使っていなかったようですから、体力も落ちているんでしょう。寝かせてあげなさい」


 はい、と席についたアンジェラは、ぬるくなったハーブティーに口をつけた。


(ということは、少し席を立って、仕事をしても大丈夫かな)


 カップに残ったハーブティーを飲み下すと、立ちあがったアンジェラは、「あたしは、馬の世話を―――」と言いかけて、口を閉じた。


「誰の体力が落ちてるって?」


 台所の入口に立っていたのは、その話題となっていたカークだった。


「おはようございます。ティオーテン様。朝食をすぐ準備いたしますので、座ってお待ちください」

「おはよう、アンジェラ。それじゃ、好きなところに座らせてもらうよ」


 そう言って、レティシャと向かい合うように座っていたウィルの隣に席を決めたカークに、レティシャがにっこりと微笑んだ。


「おはようございます。お兄様。昨晩はよく眠れまして?」

「おはよう、レティ。さすがにぐっすり眠れたよ。……それで、言いたいことはそれだけかな?」


 レティシャの挨拶が予想外の行動だったのか、カークが目を丸くしたように見えた――のはアンジェラの気のせいだったのだろうか?

 アンジェラは心の中で首を傾げながら、カークの前にスープと、とろけたチーズをのせたパンを差し出した。


(それじゃ、全員分の朝食も出したし、今度こそ馬の世話に……)


カラン、カラーン


「お客様のようですね。失礼いたします」


 ペリーだろうかと思いつつ、アンジェラはぎすぎすしていた台所を後にした。

 玄関を出たところで、門の向こうから女性の声が聞こえた。ペリーではないのか、とがっかりしながら、アンジェラは重い門を、体重をかけて引っ張る。積もった雪をかき分けて、ゆっくりと門が開いた。


「おはよう、アンジェラ」


 最初に飛び込んできたのは、聞きなれたイザベラの声だった。


「イザベラ? いつもより早いですけど、どうしたんですか?」

「おじいちゃんが来れればよかったんだけどね。雪かきで腰やっちゃってさ。動けないのよ。もう、だらしないわよね」


 見れば少し離れたところにいつもの荷馬車があり、御者台に座っているのはその兄ラヨシュだ。そして、荷台の幌から顔を覗かせている人物に、アンジェラは驚いた。


「シビントン夫人?」


 彼女はにっこりと手を振った。


「そうそう、おじいちゃんが連れて行けって。なんでも、人が増えたそうじゃない? だから、人手はあっても困らないだろうって」


 ヤコブ氏の気遣いは嬉しいし、的確だ。街道を見張っておいて欲しい、という約束もちゃんと果たしてくれていたのだろう。


(でも、これ、まさにスキャンダル中だよね……)


 貴族の令嬢が家出。そんな中で人を増やしてもいいのだろうか?


「申し訳ありませんが、だんな様の判断を仰いで来ますので、待っていただけますか?」

「あぁ、その必要はありませんよ、アンジェラ」


 背中から聞こえた声に、アンジェラはぎょっとした。


「シビントン夫人、お久しぶりです。もしよろしければ、しばらく手伝いを頼んでもよろしいですか? 日当は前と同じ額しか出せないのですが」

「えぇ、わたしでよろしければ、領主様。何やら、お客様が二人もお見えとか。アンジェラだけでは大変でしょう」

「とりあえず、その客が王都に帰るまでお願いします。ラヨシュ、イザベラ。町長にお気遣い感謝しますと伝えてください」

「あ、領主様。まだあるの。おじいちゃんが持って行けって。うちの雪下野菜とパンです」


 慌てて荷馬車に戻ると、イザベラはひと抱えもある木箱を一つ持ってきた。


「せっかくのお客様だもの、食糧庫の中の保存食だけじゃつまらないと思って」

「これは、何から何まで。代金はあとで必ず支払います」


 アンジェラは木箱をイザベラから受け取ると、シビントン夫人にお客様が台所のテーブルで朝食をとっていることを話すと、自分は外の食糧庫へ向かった。



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



 厩舎へやってきたアンジェラは、大きく息をついた。


「疲れた……」


 ぬるま湯の入った水桶を二頭の前に出して、ブラシを手に取った。

 シビントン夫人が来てくれて、本当に助かったと思う。力仕事はさせられないと、朝食の片付けを頼み、自分は厩舎に逃げてきた。


(そう、これは『逃げ』だ)


 もし、一人だったら、馬の世話もそこそこに、再び台所に戻らなければならない。だが、アンジェラはこうしてブラシにかこつけて時間を引き伸ばそうとしている。


(決着は気になるけど、正直、あの場にいたくないし)


 だからと言って、シビントン夫人に押しつける道理でもないのは、自分自身がよく分かっていた。


(あと、だんな様の目もきちんと見れないし…)


 『エウロラ様』のことを知ってしまった今では、いつも通りに接するなんてできない。判断を待たずにレティシャを泊めてしまったことへの罪悪感もあるが、何より、そちらの方が重かった。

 今はいい。レティシャやカークがいるうちは。ただ、二人が帰ってしまったら? また、だんな様と二人きりの暮らしに戻ってしまったら、気付かれないでいる自信がない。


「こういうときは、お前の主人みたいにできればいいのに」


 カークの馬にそう話しかけて、アンジェラは首筋を軽く撫でた。


―――二頭ともにブラッシングを終える頃には、アンジェラの額にうっすらと汗が光っていた。


(さて、戻らなきゃ)


 自分を鼓舞して、アンジェラは厩舎を後にする。


(水汲みと、客室を作って、あとは―――)

「ちょうどよかった、アンジェラ。探していたのよ」


 シビントン夫人の姿に、アンジェラはほっと息をついた。そうだ、一人じゃない。人手がある。


「応接間にお茶を持って行ってくれる? ……あのお嬢様のご指名なの。代わりに、仕事があれば言ってくれていいから」


 拒否したい頭を押さえつけ、アンジェラは「分かりました」と頷いた。状況を確認してみれば、応接間には兄妹が二人きりで話しているとのことだった。あの兄妹の間に入るのは、少し恐い。

 アンジェラは、今の部屋割を説明すると、レティシャ用の客室を作るようお願いすると、汗を拭って台所に入った。お湯は既に沸いていたので、茶葉を適当に選んでお茶をいれる。書斎にこもっているウィルの分も、別のポットに入れて蒸らした。


「書斎をお願いしてもいいですか?」

「えぇ、もちろん。……何か伝言ある?」

「……いいです。きっと、どうして仲裁しないんですか、って愚痴になっちゃいますから」


 事情はイザベラからそれとなく聞いているのだろう。シビントン夫人は困ったように微笑んだ。


「シビントン夫人。少し、いいでしょうか?」

「なにかしら?」


 アンジェラは彼女にがばっと抱きついた。


「あの中に入る勇気を分けてください……」


 消え入るように呟いた言葉に、「あらあら」と頭を撫でてくれるシビントン夫人に、アンジェラは自分が本当に疲れていたことを知った。思わず、甘えてしまうぐらいに。


「大丈夫。アンジェラは、あの子と一緒にいたのでしょう? 公爵様とも会っているし、何も恐がることはないわ」


 シビントン夫人の声は、やさしく、あたたかい。


「いい言葉を教えてあげる。―――結局、みんな同じ人間なのよ、アンジェラ」


 身分や性別や年齢は違ってもね、と微笑んで、シビントン夫人はアンジェラをそっと引きはがした。


「さ、砂時計も落ちたわ。お茶をお願いね」

「はい」


 トレイにカップ、ポットを乗せると、アンジェラは応接間に向かった。

 扉の前で深呼吸をすると、コンコン、とノックをした。


「どうぞ」


 中からカークの返事がある。どことなく声音が固いように聞こえたのは、思いこみなのだろうか。


「失礼します」


 中に入ったアンジェラが見たのは、腕組みをして座る兄と、その向かいで力なくうなだれる妹だった。


「お茶をお持ちしました」


 目の前でポットから紅茶をそそぐと、それぞれの前にカップを置く。


「僕の馬の様子はどうだった?」

「はい。機嫌は少し悪かったようですが、落ち着いていました。水も飼い葉も食べてますから、問題ないと思います」


 馬の様子を報告することなどなくて、何を答えればいいか分からなかったが、とりあえず、感じたままを口にした。


「ふぅん、話が終わったら見に行こうかな。―――レティ、早く話してくれないかな」


 レティシャは下を向いたまま、答える気配はなかった。膝の上に置かれた手が、小さく震えているだけだ。


「ご覧の通り、だんまりでね。……アンジェラが代わりに『通訳』してくれると助かるんだけど」


 肩をすくめて見せたカークから視線を外し、レティシャの様子を伺ったが、態度に差は見られない。


「通訳、ですか?」


 要は、レティシャから聞いていることを話せというのだろうが、何をどこまで話してもよいのか、アンジェラには判断ができない。


(ん、と、どうすればいいかな)


 アンジェラは少し思案して、レティシャに話させる方向で動いてみようと思った。


「レティシャ様が、そうおっしゃるのなら、通訳もいたしますが……」


 レティシャは口を開く気配もなく、じっとうつむいているだけだ。

 アンジェラは、「失礼いたします」と声をかけると、ソファに座るレティシャの隣に片膝をつき、その手に触れた。

 下から覗き込むと、レティシャは目にいっぱいの涙をためていた。


「レティシャ様。思いだしてくださいな。あたしに、ご自分の考えをたくさん話してくださいましたよね。同じように、話してみてはいかがですか?」


 レティシャは、小さく首を横に振る。視界の端で、カークが肩をすくめたのが見えた。


「何を考えているのか、なんて、話さないと伝わりません。……そうですね、もし、何かが恐ろしいことがあるのでしたら、あたしがここにいます。もう、ぐっと手をつないでます。ティオーテン様、よろしいですか?」

「まぁ、レティがそれで話してくれるなら、ね」

「だ、そうです。恐いことなんてないんです。一人で王都からここまでいらっしゃった道のりに比べたら、全然、簡単なことです。何から話せばいいか、分からないなら、とりあえず、色々悩んだ末の結論だけでも、バンと言ってみてはいかがですか?」


 アンジェラは、ポケットから木綿のハンカチを取り出して、レティシャの目にあてた。

 レティシャが、小さく、頷いた気がした。


「アンジェラの言う通りですわね」


 声はまだ震えるものの、レティシャは顔をあげた。視線こそ兄から外しているものの、それだけでも十分な一歩だと思う。


「結論だけ、言わせていただきます」


 レティシャの手が、アンジェラの手をぎゅっと握りしめた。汗ばんだその感触に、嫌な顔も見せず、ぐっと握り返す。


「お兄様、あたくしを、政治の駆け引きに使って下さいませ」


 アンジェラは、それまで余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)だったカークの顔が、劇的に変わるのを見た。


「レティ、それを、本気で言っているのか?」

「……次の『シーズン』から、あたくしも社交界デビューとなります。あたくしは、あたくしなりにお兄様のお役に立てれば、と」

「お前のその言葉は、自分を騙す嘘だろう? 単に社交界を恐がっているからこそ、僕のためだと言いながら、責任も何もかもを押しつけたいんだろう」

「ち、がいます。あたくしは、本当にお兄様のために……」


 真っ向から否定され、レティシャの声が震える。アンジェラはそれを励ますように、ぐっと力を込めて手を握った。


「少なくとも、逃げるように家出したお前が口にできるセリフじゃない。どれだけの人間が迷惑を受けたと思うんだ! そんな子供じみたことしかできないのに、どうやって駆け引きに使えと? 土壇場になって駄々をこねられるような駆け引きの道具なんているもんか!」

「そ、んな言い方ってありませんわ! あたくしはお兄様のことを」

「そういうことは、自分の行動に責任を持てるようになってから言うんだ。……レティ。誰に何を言われたのか知らないが、お前は僕の為だなんて思わなくていい。まず、自分のことを考えなさい」


 ガタン、とレティシャが席を立った。


「……っ」


 拭いもせず、涙をボロボロとこぼし、口を開くものの、言葉にもならない。

 しばらく睨みつけるように兄を見つめると、アンジェラの手を振りきって、応接間を出て行った。

 階段を上がる音、そして、バタンと扉を閉める音に、アンジェラは口につめこんでいた空気を解放した。


「また、引っ込んでしまいましたね」


 呟いてみるものの、カークは、うつむいて何も答えない。

 アンジェラも、別にカークを責めるつもりはなかった。何となく、同じ弟妹を持つ身として、分かってしまう部分があったからだ。


「お茶のお代わりはいりますか?」


 カークは答えない。


「気分転換に馬のブラッシングでも致しますか?」

「あぁ、そうだね。それもいいかもね」


 彼にしては珍しく、素直に頷いた。


「……アンジェラちゃんのおかげかな。レティとこんなケンカができるなんて思わなかったよ」


 ひらひらと手を振って、カークは応接間を出て行った。


(こんなケンカ?)


 ケンカにしては、えらく一方的に終わった気がして、アンジェラは首を傾げた。


「終わったみたいね。お疲れ様、アンジェラ」

「一戦目は、終わりました。まだ、何戦かあるような気がしますけど」

「お二人とも、どちらに?」

「レティシャ様は、あたしの部屋に。ティオーテン様は厩舎に向かわれました」


 ティーセットを片付けながら答えると、シビントン夫人がアンジェラの頭をそっと撫でた。


「困った顔をしているわ。何かあったの?」

「……いえ、大したことじゃないんですけど、両方の気持ちが分かってしまうので、どちら寄りにも立てないなぁ、と」


 そうなのだ。

 自分の弟に似たようなことを言われたら、少し誇らしいような気持ちになって、でも、一人立ちさせるのも寂しくて、心配で、あまつさえ、「お姉ちゃんの為に」とか理由をつけて自己犠牲めいたことを言われると、叱りたくなるだろう。そう、「怒る」ではなくて「叱る」だ。

 逆に、一人立ちしたい、兄姉の役に立ちたいと思う気持ちも分かる。足手まといの自分ではなくて、誰かの役に立つ自分が欲しくて、たまらない時があった。


「下手に口を挟まないのが一番だと思うけれど、……恩を売っておくのも悪くないんじゃないかしら?」


 珍しく底意地の悪いセリフを口にしたミセスは、いたずらっ子のように微笑んだ。


「正直、こんなことがあって、感謝してるのよ。一人きりでいるアンジェラが心配だったし、ギルの世話にも疲れてきたし」


 なんて、産んだのは、私なんだけど、と冗談めかして言うと、トレイを持ち上げて台所に向かった。


「客間も用意できてるから、昼食の下ごしらえしちゃいましょ」


 まるっきり大人の対応に、アンジェラは少し、うらやましい感じがした。



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



「なるほど、見事に決裂したみたいですね」


 昼食を終え、レティシャがアンジェラを連れて出ていくと、ウィルがため息を洩らした。

 目の前で紅茶を入れているシビントン夫人が、テーブルが狭くなることを理由に、一緒に昼食をとることを辞退した理由がよく分かった。


「五人くらいなら、十分に座れる大きさなのに、変だと思いましたよ」

「いいえ、私は臨時雇いですから。同じテーブルで食事を頂くなんて、とても……」


 ぬけぬけと断ってみせたシビントン夫人に、ウィルが再びため息をつく。


 昼食は、異様な雰囲気だった。

 昼食を部屋でとるのではないか、というアンジェラの心配をよそに、レティシャは堂々と食堂に姿を現し、ついでカークも厩舎から戻って来た。

 だが、二人は一言も言葉を交わさなかった。

 レティシャはアンジェラと話し、カークはウィルを相手に馬の機嫌を語る。カークがアンジェラの方に話を振ったと思ったら、今度はレティシャがセラフィナの残して行った服の話をウィルに持ちかける。といった具合だ。


「カーク、あなたも随分と大人げないことをしたもんですね」

「そりゃ、多少は悪かったとは思うけどね、君とアンジェラちゃんには。……だけど、僕の方から折れる気はないよ」


 ふてくされたように、あさっての方向を向くと、紅茶に口をつけて、「やぁ、おいしいね」とシビントン夫人を誉める。


「カーク、……あまり他人の家の事情に首を突っ込みたくはありませんが、何が原因なんです?」

「さぁ? そういえば家出した原因については聞いてないね。とんでもないことばっかり口にして」

「何を言われました?」

「別に。子どもじみた夢だよ」


 ウィルは、「そうなんですか」、と答えて、しみじみと友人を見つめた。


「なんだい?」

「いいえ、よほど嬉しかったんですね」

「そんなわけないだろう。僕はこうして迷惑をこうむって」

「顔に書いてありますよ。……まさか、あのレティシャがこんな行動に出るとは思いませんでしたけど」


 カークは笑って「そうだね」と言う。


「兄弟の中では、一番引っ込み思案だからね。末っ子だからって、甘やかし過ぎたのかもしれないけど」


 ウィルは紅茶を口に運んだ。


「ところで、いつ頃まで、こちらに?」

「君ねぇ、親友を追い出す気かい?」

「……違いますよ。シーズンに向けての準備は終わっているんですか? 何かと忙しい時期でしょう。特に、今回はデビューを控えた末妹がいますし」


 暗に、社交界のシーズン前の根回しは済んでいるのか、と尋ねたウィルに、カークは苦笑を浮かべた。


「まったく、こんな田舎にいるのに、君は相変わらず優秀だね。そこまで気を回しておきながら、自分は戻る気はないのかい?」

「さらさらありません。私はここの生活が気に入ってますから。兄も、それを承知しているからこそ、下手につつくことはしていないのでしょう」

「眠れる獅子には関わるな、って? まったく、君もいい性格してるね」

「あなたに言われたくはありませんよ」


 ―――気のおけない友人達が、和やかに談笑している同時刻、アンジェラはレティシャと二人、黙々とレース編みに励んでいた。

 昼食の後、有無を言わさず、アンジェラの部屋に連れ込まれたわけだが、レティシャは「続きをやりましょう」と誘っただけで、それからは黙々とお互いに作業を続けている。

 正直、兄に対する愚痴と不満をぶちまけられるのかと思っていたアンジェラは、安堵した。

 今、会話がないのも何かを考えているのだろうし、自分は自分でこのコースターを完成させようと網目と本とを睨めっこしながら、ひたすらに手を動かしていた。


「あたくし、帰りますわ」


 作業に没頭し過ぎていたせいか、何を言われたのか理解できなかった。


「お兄様に自分の気持ちを伝える、という目的は達成できましたもの。承諾こそ頂けませんでしたけれど、十分ですわ」


 曖昧に「良かったですね」とも答えられず、アンジェラはじっとレティシャを見つめた。


「急いではいけないと、そう思います。ですが、シーズンまでに公爵様と折り合いはつけられそうでしょうか?」

「構いません。お兄様の話の中にも、納得できる言葉がありました。あたくしは、責任をお兄様に押し付けて逃げる、なんて思われたくありませんの。……ですから、社交界に出て、周囲をよく見て、その上でお兄様にとって、あたくしがどう『利益』に繋がるのかを判断するべきなんですわ、きっと」


 レティシャは、自分の言葉をかみしめるように、目をつぶった。


「……なんて、偉そうに言ってしまいましたけど、やっぱり、恐いと思う心もあります。でも、アンジェラが『強い』理由も見せてもらいましたし、あたくしも、自分が強くなれる理由を探して、自分で動かなくては、……ふふふ、アンジェラに笑われてしまいますわ。そう、思いましたの」


 レティシャは、そんな、と恐縮するアンジェラの手を、ぐっと握りしめ、真正面から見つめた。


「お願いがありますの。……離れても、お友達でいてくださいます? あたくし、手紙を書きますわ。相談したいとき、嬉しいことがあったとき、たくさん書きます。返事をくれません?」

「もちろんです。あたしなんかで良ければ、いくらでも」


 アンジェラの答えに感極まったのか、レティシャが、がばっと抱きついてきた。


「ありがとう、アンジェラ。あたくし、とても心強いお友達ができましたわ」



―――そんな会話があるとは露知らず、応接間の二人は、どうやっててレティシャを説得して、王都に連れ帰るかということを議論していた。


「確かに、ずっとここに居座られたら、僕だって困るさ。けどね、この数日会わなかっただけで、妹の目を見張るような成長を見てしまったわけだよ。今まで、僕に口応え一つしなかった、レティが、アンジェラちゃんの力を借りてるとは言え、あんなにはっきりと、自分の考えを言えるようになったんだよ」

「ですから、それは聞きました。でも、デビューの準備にはどれだけあっても、余るということはありませんよ。特に、皆さん、デビュー前の子の情報収集がすごいじゃないですか。その時期に王都を離れるのは、とても―――そう、不利に働きますよ」

「そんなこと、君に言われなくても分かってる。でも、今までのレティだったら、社交界でつぶれるんじゃないかとヒヤヒヤもんだったよ? ここにもう暫く預かってもらうことで、もっとしたたかに」

「カーク。……あなた、王都に戻りたくないんですか?」

 親友にジト目で見られ、カークは曖昧な笑みを浮かべた。

「いやだって、帰ったら、オヤジ殿に怒られそうだし。引退しても、オヤジ殿はうるさいからね。あそこまで頭が固いと、もはや老害だよ老害。早いとこ隠居させて正解だった」


 陰惨さを覗かせた表情に、ウィルは眉間に手を当てた。


「ウィル、長い目で見たらどうだい? 絶対、あと何日かはここに居た方がいいって。強行手段なんていつでもできるし」


コンコン


 ノックの音に、二人とも口を閉じた。


「あの、アンジェラです。入ってもよろしいでしょうか?」


 二人、顔を見合わせると、カークが軽い声で「どうぞ」と答えた。


「失礼いたします」


 アンジェラが頭を下げたその向こうの人影に、二人とも驚きを見せた。


(うわ、もしかして、今の聞かれてた?)

(強行手段なんていつでもできる、ですか? まぁ、あのタイミングでは聞かれてたでしょうね)

(絶対これ、雷落ちるんじゃないのかい? うわ僕ショックで立ち直れないよ)

(諦めなさい。どうせ、あちらも予想の範囲内でしょう)


 目線だけで会話をする二人をよそに、堂々と入ってきたレティシャは優雅にお辞儀をする。


「失礼しますわ。ウィルフレード様、お兄様」


 座ったままの二人を交互に見て、そして、視線を兄に合わせる。


「お兄様。あたくし、いろいろと考えたのですが、家に戻ります」


 予想もしていなかった発言に「えぇ?」とカークが間の抜けた声を出した。


「いけません? ……あたくしは、ここへ来た時と同じ経路で帰りますので、お兄様もご自分の馬で帰ってください」

「いやいや、ちょっと待とうよレティ。都に戻るのは賛成だ。どういう心境の変化があったのかは知らないが、その結論は歓迎するよ。だけどね、帰りは一緒だ。レティがどういうルートで、ここへやってきたのか知らないが、僕と一緒に帰るんだ」


 もちろん、カークはレティシャの使った経路など把握済みだ。乗り合い馬車で近くまでやってきて、そこで郵便配達の人間に頼み込んでいたことまで掴んでいる。


「すぐに手配する。君が何と言おうとね。……分かったね、レティ」

「はい、そこまで言われるのでしたら」


 正直、乗り合い馬車の乗り心地に辟易していたレティは、二つ返事で了承する。これで決まりだ。


「シビントン夫人。今日の夕方には戻るんだろう? これから手紙を書くから、帰る途中で出して行ってくれ」

「承りました」


 傍らで話を聞いていた夫人は頭を下げる。


「アンジェラ、あたくし達は戻って、続きをしましょう」

「申し訳ありません。そろそろ夕食の下ごしらえなどしなければなりませんので……」

「……それなら仕方ありませんわ。あたくしだけで戻ります」

「あぁ、ウィル。書斎借りるよ」


 立ちあがる兄にひるんだものの、レティはそそくさと部屋を去った。肩をすくめたカークもそれに続く。


「アンジェラ、ごくろうでしたね」

「いいえ、だんな様こそ、ご迷惑をおかけいたしました」


 ぺこり、と頭を下げたアンジェラの頭を、ウィルは優しく撫でた。


「夕食は、それほど凝らなくても構いません。……あぁ、夕食とは別に、何かつまめるものを作っていただけますか?」


 声をかけられたシビントン夫人は「今夜は祝杯ですか?」と、にこやかに尋ねる。


「そんなものでもないですが、でも、きっとカークは『飲みたい』と言うでしょうし」

「そうですわね。……では、早速下ごしらえを。アンジェラ、行きましょう」

「はい」


 シビントン夫人に付いて、台所に向かったアンジェラだったが、ウィルに名前を呼ばれ、立ち止まった。


「少し、聞きたいことがあるのですが。……あぁ、シビントン夫人。アンジェラを借りますよ」


 暗に二人きりで話したいと言われ、シビントン夫人は「心得ました」と応接間に背を向ける。


「聞きたいことと言うのは、どのようなことでしょうか?」

「……その、ですね。今、何か欲しい物とかありますか?」

「欲しい物、ですか? 特にありませんけど」


 アンジェラの答えに、ウィルは期待が外れたように少し肩を落とした。


「あの……?」

「いえ、いいです。私も書斎に行っていますね」


 困惑したアンジェラに背を向けて、ウィルが応接間を出ていく。

 何が起きたのか分からないまま、アンジェラは台所へと向かった。


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