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ひとつの空にあるように  作者: 長野 雪
はじめてのおるすばん
35/57

01.白銀の世界の配達人

カラン、カラーン


 その鐘の音に、アンジェラは読みかけの本を置いて、書斎から飛び出した。


(こんな時間に、誰だろう……?)


 少なくとも、今日は来客の予定がなかったはずだけど、と考えながら、軽快に階段を下りて行く。

 邸の扉を開け、門まで辿り着いて、大きく深呼吸をする。


「はい、どなた様……、トム?」


 開いた扉の前には、ふもとの町に住む友人――トムが、何やら緊張した面持ちで立っていた。口元から白い息が洩れている。


「おはよう、……って言うには、ちょっと日も高いね。こんにちわ、アンジェラ」

「こんにちは、トム。どうしたんですか? 今日は午後から……?」


 アンジェラは、トムの手にある物に目を止めた。


「うん、そうなんだけど、……これ」


 トムは右手に掴んでいたものを差し出した。臙脂色の布に包まれた四角い何かを。


「天気の悪い日は、仕事に出られないから、その、暇を作って、少しずつやってたんだけど」


 はらり、と布を開くと、そこにあったのは木製の小さな箱だった。よく見れば、蓋にも側面にも細かい模様が彫られている。


「……すごいじゃないですか。これ、トムが作ったんですか?」


 蓋に彫られた果物に目を奪われるアンジェラには見えなかったが、トムは会心の笑みを浮かべていた。想像以上のアンジェラの反応に、いつもは控えめなトムも鼻高々だ。


「うん、ちょっと切れ端を集めて作ってみたんだ」


 言われて、アンジェラはトムの父親の職業を思い出す。確か木こりだったはずだ。この邸から、町を挟んで丁度反対側にある森の、管理者をやっている、と聞いたことがある。


「それで、もし、良かったら、なんだけど……」


 しばらくもじもじとしたトムは、とうとう意を決して「もらってくれないかな」と口にした。


「え? でも、だって、あたし……」

「アンジェラにもらって欲しいんだ。ほら、誕生日聞いたけど、冬だってことしか教えてくれなかったしさ。プレゼント代わりだと思って――」

「あたしなんかが、こんなすごいもの頂けません。だって、すごく細かく手を入れているじゃないですか」


 トムがプレゼントをくれる意味を考えもせずに、アンジェラは首を横に振った。


「……でも、これを手元に置いといても、僕は使わないし、それに、目に見える場所にあるだけで満足しちゃいそうだし」


 アンジェラの控えめな性格を知っているトムは、戦法を変える事にした。正攻法で言っても通じないなら、多少の回り道は仕方がない。とりあえず、この木箱を受け取らせることを第一目標に据えることにする。


「ほら、新しいものを作るために、やっぱり前の作品は手放してないと、取りかかれない性格なんだ。だから、もらってくれると嬉しいんだけど」


 アンジェラは、そこまで言うなら、と箱をためすがめす見つめた。側面に彫られたのは見渡す限りの田園風景。蓋には果樹と鳥のモチーフが精密に形作られている。


「そこまで、言うんでしたら……使わせてもらいますね」


 正直な所、この箱を気に入ってしまったこともあって、彼女にしては素直に受け取ることにした。


「うん。こちらこそ、もらってくれてありがとう。……あ、あと、イザベラとかカタリナとかには内緒にしてくれるかな?」

「え? 構いませんけど、でも、どうしてですか?」

「ほら、イザベラの耳に入ったら『どうしてアンジェラにあげるの? 私にくれたっていいじゃない!』とか、『これは好みに合わないから、これこれこういうものを作ってよ』とか言いそうだし」


 本当の理由は、からかわれたくないだけなのだが、それは男のメンツもあって、口には出せない。


「すごい言い様ですね。でも、確かにイザベラなら言っちゃうかもしれません」


 そう言って笑ってくれただけで、トムには十分だった。


「それじゃあ、確かに、誰にも内緒にしておきますね。誰に言っても、どこかからバレてしまいそうですし。……あら、ペリーさん?」


 トムは傍目にも分かるぐらい、ギクーンと身体をこわばらせた。


「やぁ、アンジェラ。それにトム。楽しい会話の邪魔しちゃって、ごめんよ」

「あ、あの、ペリーさん、これは……」


 動揺しきったトムと、平然としているアンジェラを見比べて、ペリーは笑いを噛み殺した。


「トム。僕は何も見なかったし、何も聞いてないよ?」


 とりあえず、誰にも洩らすつもりはない、と意志表示をして、肩をすくめてみせる。


「あの、ペリーさん。何か用事があっていらっしゃったんですよね?」


 郵便配達を生業にしているペリーとは、今朝も顔を合わせたばかりだ。仕事で廻る朝以外にこの邸に来ることはほとんどなかった。


「あぁ、そうだね。……えーと、緊急のお届けものがあって、さ」


 いつも朗らかな彼にしては珍しく、困ったように口篭り、ちらり、と後ろに視線をやった。朝の配達に使っているロバがその視線の先にある。だが、注目すべきは、もちろんそこではなく―――


「ど、どなたですか?」


 意図的に声を低くして尋ねたアンジェラに、ペリーは眉間に手を当てた。


「あちゃー、やっぱ知らない人? アンジェラ宛ての手紙をじかに渡すからって、付いて来ちゃったんだよねー。ちょっと言動がお嬢様だったし、チップもはずんでくれたから、つい、連れて来ちゃったんだけどさ」


 ペリーの視線につられ、アンジェラも視線を動かした。トムはずっと問題の人物から目を離せないでいる。


(改めて見ると、きれいな人……)


 ペリーの相棒のロバに、またがるでもなく、足を揃えて座っているのは、白地に黒い斑点のふわふわコートに身を包んだ少女だった。それまで、丘の上から町を見下ろす風景に見入っていた少女は、三人分の視線に気付くと、そっとロバから降りた。風をはらんだコートが、ふわりと浮いて、スカートの裾がちらりと見える。


「そろそろよろしいかしら? ……初めまして、アンジェラ。あたくしはレティシャ・フラン・ティオーテン。カーク兄様がいつも御世話になっておりますわ」


 優雅に一礼する少女だが、その身分に不似合いのフランクな口調は、確かにカークそっくりだった。よく見れば焦茶の髪も青灰色の瞳も、彼の妹たるには十分だった。


(でも―――)


 なぜ、このタイミングで来るのだろう、とアンジェラは考えた。彼女の主人=ウィルフレードは、カークに誘われてこの邸を留守にしている。その隙をついてカークの妹が手紙を携えてくるなど、到底考えられない。


(もしかしたら、ニセモノ、とか)


 質素倹約を美徳とするウィルの邸だけに、金目になるようなものは置いていない。だが、それを知らない何者かがやってきたとしてもおかしくはなかった。


「はじめまして、レティシャ様。大変申し訳ないのですが、ただ今、だんな様は外出中でございまして……」

「あら、構いませんのよ。あたくしの用は、あなたにあるのですから」

「はい?」


 レティシャはスッとコートのポケットから、一通の封筒を取り出して見せた。表には「イベロトロッサ領主の邸 女執事アンジェラ」と書いてある。当て付けのようにこんな仰々しい宛名を書くのは、彼女の知る限り一人しかいない。


「あたくしのことも、中に書いてあるかもしれませんし、すぐに読んでもらえますかしら?」


 一瞬、何をどうすればいいか分からなくなった。有無を言わせない強い口調に、めまいに似た既視感を覚えつつも、ちらり、とペリーとトムを見た。


「それでは、拝見いたします。……申し訳ありませんが、ペリーさん。この方と一緒に待っていていただけますか?」

「あー、うん。いいけど」

「レティシャ様。大変申し訳ありませんが――」

「えぇ、なるべく急いでくださいませね。さすがに手も凍えておりますから」


 アンジェラは一礼して邸へと戻る。寒風吹きすさぶ中、レティシャとペリー、そして帰りそこねたトムが立っている。雪こそ舞っていないものの、邸のある丘に吹き上げる風は、時折、三人を痛いほどに責め立てた。

 トムは、沈黙に耐えかね、ちょいちょい、とペリーのコートの裾を引っ張った。


「どうしたい? トム」


 声を低くして彼が尋ねると、トムは墨色の目を、ちらり、と来訪者にやって見せた。


「なんか、すごそうな人なんだけど、誰?」

「さぁ、王都から来た人みたいだけどねぇ?」


 同じく声を落としたペリーは、ちょっと困ったように肩をすくめた。長いこと郵便屋をやっているが、こんなことは初めてだった。

 ふと、その来訪者が動いた気がして、ペリーは視線を向けた。立ったまま、特に動きはないようだが……


「何か、気が強そうな人だよね……」

「いや? そうとも言いきれないと思うけど」


 と、ずっとアンジェラの消えた邸を見つめていた彼女が、くるりと振り向いた。


「聞こえていましてよ。あなたがた」


 拳を握りしめた彼女は、おそろしく優雅な口調でたしなめた。ペリーは(少なくとも気が強いことは確かかもね)と口の中で呟いた。



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



 一報、書斎のアンジェラは、引き出しからナイフを取り出すと、自分宛ての封筒をゆっくりと開けた。


(あんまり待たせたらいけないから、急がないと)


 二、三枚の便箋を取り出すと、封筒の中に取り残しがないかどうかを確認するように、空っぽの封筒を見つめる。そして今度は便箋を裏にしたまま広げ、じっくりと見た。高級な紙に内容が透けて見える。


(恐いけど……、でも)


 意を決して便箋をひっくり返した。

 きれいに綴られた文字を追うにつれ、アンジェラの顔が歪む。始まりは何ということもない、時候の挨拶。


『秋に赤毛の人と対決したんだって?』


 どこまで知っているのか、アンジェラは寒気すら感じた。文面から察するに監視されているに違いない。いや、もしかしたらウィル自身が彼に話をしているのかもしれない。それならば、アンジェラ自身が特に気に病むこともない。


『ウィルがいないチャンスに、二階の奥の部屋を見ておくといい。君にとって大事な情報だよ』


 最初にこの封書を受け取ったとき、何故か、その一文を書くための手紙だと分かった。手紙の中でも、特に書き流した程度の扱いでしかない。だが、それは確信だった。

 全てを読み終えて、アンジェラは手紙を封筒に戻した。そして、そっと手を胸に添える。心臓がばくばくと早鐘を打っていた。


「……外、戻らなきゃ」


 手紙は間違いなく本物だ。いつか聞いた細工――封蝋で隠れてしまう封筒の三角の折り返し部分にイニシャルのサイン、便箋の右下につけられた爪で押しつけたバッテンの跡――は、どちらも確認できた。

 トムから受け取ったばかりの細工箱に封筒ごとしまいこむと、アンジェラは大きく息を吐いた。

 そして、ふと、内容を心の中で反芻して、はて、と首を傾げる。

 手紙にはレティシャのことは一言も触れられていなかった。ならば、どうしてあんなことを言ったのだろう。


『あたくしのことも、中に書いてあるかもしれないし、すぐに読んでもらえる?』


 アンジェラは早足で玄関に向かう。門の外には、少し気を悪くした美少女が立っていた。


「遅くてよ、アンジェラ」

「お待たせして申し訳ありません。……確かに手紙を受け取りましたと、ティオーテン公爵様にお伝えください」

「あら? お兄様ったら、あたくしのことを一言も書いていませんの?」

「あの、それは、どういう……」

「しばらく、ここに滞在するように言われていますの。アンジェラ、あなた、本当に聞いていませんの?」


 アンジェラは一瞬、自分の耳を疑った。


「え、っと……、申し訳ありませんが、今日、こうしていらっしゃることも伺っておりませんが」

「まぁ、本当に? いやですわ。お兄様ったら、変なところで抜けてるんですから。それとも、いじわるなのかしら?」

(確かに、あの方ならやりかねない)


 アンジェラは、あの時折いたずらっ子のように輝く青灰色の瞳を思い出し、心の中で頷いた。同じいたずらっ子でも、町の友人エリックとは違う、もっと底が知れない輝きをしている。


「ねぇ、でも、あたくし、ここに泊まるつもりで来たのですけれど、どうにかなりませんの?」

「えぇと、あたしの一存では決められません。ここはだんな様のお邸ですから」


 取りすがるレティシャを見ながら、アンジェラは、ふと考えた。


(手紙はティオーテン公爵様のものだった。これは間違いない)

(では、どうして目の前の彼女について、一語たりとも触れていないのか)

(あたしが、どう振舞うかを見たいだけかもしれない)

(でも、目の前のレティシャが本当に公爵様の妹なのか、確認することはできない)


 レティシャは何とか泊めてもらおうと、アンジェラの目の前で様々な理由を並べている。


「ここまで来るのも大変でしたのに―――」

「町に戻っても、あたくしが泊まれるような宿なんて―――」

「お兄様が聞いたら、なんておっしゃるか―――」


 もし、彼女がニセモノだと言うなら、泊めないのが正しい。泊めてしまえば、邸の中が荒らされることは間違いないからだ。


(もし、彼女が本物だったら?)


 ここで断れば、レティシャは帰る。王都に戻って、この話をだんな様にするかもしれない。だんな様は笑って許してくれそうだが、もし、彼女が他の色々な人にこの話をしたら?


(だんな様の評判に関わる、かもしれない)


 これは、賭けだと思った。アンジェラには一般的な『賭け』の経験はない。それもそうだ。賭けるお金すらない生活をしていたし、そもそも彼女自身、賭けに興味はない。

 だが、ある意味、人生を賭けに賭けてきたとも言える。自分を売ったのもその一つ。そしてそれからの生活も、本当の意味で『命』を賭け続けていた日々だった。

 そして、この事態も―――


(本物なら、あの人に貸しができる)


 既に、貸しは一つ作ってあるが、これから先のことを考えれば、いくら貸しがあってもいい。目の前の来訪者の兄になら。


「分かりました。そこまでおっしゃるのでしたら」

「本当に? 助かりましたわ」

「ですが、お聞きしたいことが。……ティオーテン公爵様のご家紋は」


 面食らったレティシャは、後半の問いに、余裕の笑みを浮かべた。「まぁ、それぐらいでしたら」と前置きして、


「茨に囲まれた双頭の鷲。そして右には蛇の絡まった錫杖。左には剣。――どう? 問題ありまして?」


 もちろん、予想通りの答えに、アンジェラは頷いた。


「では、当家の家紋はご存知ですか」


 うっ、とレティシャが眉根を寄せた。


「えー、確か、薔薇と、……こう、前脚を上げた馬とか、あったり、しましたわよね? あとは……。あぁ、もう、そんな紋章官じゃあるまいし、他家の家紋まで覚えてられませんわ! それは、目の前に突き出されれば、なんとなく分かりますけど」

「……」

「まさか、これが答えられないから、泊められない、とか言いませんわよね?」

「えぇ、そこまでは。……ただ、聞いてみたかっただけですので」


 本当のことを言えば、二つ目の質問を答えられるようなら、逆に不審人物としての疑いを抱いたのだが、そんなことは口にせず、あくまで自分の気まぐれのように振舞った。そして、様子を伺っていたペリーとトムの方に視線を向けた。


「申し訳ありませんが、トム。イザベラに今日は行けなくなったと伝えてもらえますか?」

「あ、あぁ、うん。お客さんが来たなら仕方がないもんね。分かった」


 そのセリフにレティシャの青灰色の瞳がきらりん、と光った。


「あら、何か予定がありましたの? あたくしなら構わなくてよ。お兄様から連絡が行っていなかった以上、アンジェラの予定を優先するべきだと思いますわ」

「いえ、お客様を放っておくわけには参りませんので」

「ふぅん。――ねぇ、そこのあなた、今日の用事っていったい何なのかしら? 教えていただける?」


 いきなり水を向けた美少女の強い視線が、トムの心臓を跳ね上がらせた。


「え、っと、あの、……春の花祭に向けて、ダンスの練習を」

「まぁ、あたくし、ダンスは得意ですのよ。……ねぇ、アンジェラ。あたくしも、その用事に参加すればよいのではないかしら? あなたは、あたくしを放ってはおけない。でも、以前からの用事がある。それなら、これでいいでしょう?」


 あまりに自分勝手な意見に、アンジェラはくらりとめまいを覚えた。

 もちろん、目を放してはいけない。だからと言って、客室や夕食の準備すらやっていないというのに、この『自称』妹は何を考えているのか。


「えぇ、と、そうしてしまいますと、レティシャ様のお部屋の用意ができませんし、それに夕食も質素なものになってしまいます。この邸にはご存知の通り、あたし一人だけですので、他の方に頼むことも……その、できませんし」


 貴族のお姫様と言うからには、そこのところは疎いのだと思うようにして、正直に口にしてみる。


「あら、それは困りますわねぇ。質素な食事には興味ありますけれど、寝る場所がないのは……」


 アンジェラがちらり、とトムを伺うと、ホッとした表情を浮かべている。だが、それを裏切るように、考え込んでいたレティシャが顔を上げた。


「そうですわ! アンジェラのベッドは広いっていう話ではなくて? あたくしもアンジェラの部屋で寝れば問題ありませんわ! ふふっ、あたくし、同年代のお友達と寝るのは初めてですの。ドキドキしますわ」

「一緒に……? いいえ、お客様にそのようなことを強いるわけには」

「いいえ、違いますのよ。あたくしがそうしたいんですわ。分かりますかしら、アンジェラ?」


 と、トムがへんな咳をした。何かをこらえようと失敗したような。ついで、ペリーが、吹き出した。


「あ、あぁ、ごめんよ二人とも。……ねぇ、アンジェラ。どうやらこのお客様は、本気でそう言っているみたいだし、勝ち目はないんじゃないかな。今日、みんなの集まりに出ることで、いろいろ不自由とか不快なことがあったとしても、文句を言わないっていう誓いを立ててもらえばいいんじゃないの?」

「ですが、ペリーさん……」

「そうよ、その方の言う通りでしてよ。アンジェラ、あなただってカーク兄様の押しの強さは知っているでしょう? あたくしも同じ。出ると言ったからには、出ますわ」


 その宣言に、アンジェラはちょっと困ったようにトムを見た。トムはどうともとれる曖昧な笑みを浮かべて口を開いた。


「イザベラも文句はないだろうし、エリックやフィリップは断る理由はないと思うよ。そうなれば、カタリナも断らないんじゃないかな。ジーナはカタリナ次第だし、……うん、きっと大丈夫。僕からみんなに言っておくよ」

「……そうですね」


 アンジェラは疲れたように頷いた。


「……レティシャ様。ワルツはお得意でしょうか」

「もちろん。 王都で流行している、最新のステップを教えて差し上げられますわ」


 えっへん、と彼女は喜色満面で頷いた。



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



 正直なところ、レティシャという人物は、掴みにくい人だった。兄と同じように、突飛な発言や行動が多すぎる。

 アンジェラは夕食の片付けをしながら考え込んだ。

 結局、アンジェラと共に町へ行くことになったレティシャだったが、徒歩で町まで降りることに反対して、なかなか邸を出ようとしなかった。話を聞いて気をきかせたカタリナが、荷馬車で迎えに来てくれなかったら、いったいどうなっていたことか。

 みんなに会わせたときも、ちょっと変だった。町の集会所に入る前に、拳を握り締めて何かを心細そうに呟いていたかと思えば、みんなに終始にこやかに応対し、丁寧に王都でよくやるステップを教え、あっという間に溶け込んでしまった。


「ねぇ、アンジェラ、お皿はどこにありますの?」


 今も台所で立ち働くアンジェラを、頑張って手伝っている。食器棚を開けながら、お皿の在処を聞いてくるような手伝いぶりには、困るものもあるが、当面、彼女を見張る必要のあるアンジェラにとってはありがたいことだった。


「そちらの二段目の深めのものを出していただけますか?」

「え、あらやだ。あたくし、木の器って初めてですの。素敵ですわね」


 先ほどスプーンを出してもらったときと同じ「素敵ですわね」という誉め言葉に、アンジェラは苦笑した。

 色々考えた結果、今夜のメニューは干し肉と豆のスープに芋だんごにした。念のためメニューを確認してみたところ、表情だけで「それだけ?」と問われてしまったが、無視することにした。向こうも質素な食事ということで了解したらしい。アンジェラにしてみれば、冬の料理としてはいつもより豪華である。


「アンジェラは、いつも一人で料理していますの?」

「はい。ここには他の使用人もおりませんし」

「ふぅん。馬の世話も掃除も洗濯も?」

「もちろんです。……あの、何か?」

「いいえ、お兄様の言う通り、本当に働き者ですのね。……うん、いい匂い」


 少しは凝った方がいいかと思って、芋だんごにかけたソースは、思いのほか好評だった。あとはあぶったパンを皿に乗せて完成。


「アンジェラ、折角だから一緒に食べましょう。ウィルフレード様もいつもそうしていると聞きましたわ」

「そうですか。では、お言葉に甘えて」


 アンジェラはレティシャの向かいに座った。

 食べようとするフリを見せつつ、アンジェラは彼女の一口目を見守る。王都の人の口に合うかどうか、心配だった。


「あら、意外とおいしいのね」


 スープはまず好評だった、ホッとしてアンジェラも芋だんごを口に運ぶ。この地方の特産の一つ、ロサ芋を茹でて潰して丸めたものだ。芋に粘り気があるので、形が作りやすく、うさぎ形にするとジーナも喜ぶと、カタリナが教えてくれた。


「やっぱり、こういう素朴な料理っていいですわね。王都ではまず味わえませんわ」


 嫌味にも聞こえるレティシャの評価に、アンジェラは素直に「ありがとうございます」と答えた。


「王都では、いかに贅の限りを尽くしているか、そこばかりが注目されるものですから、本来の素材の味なんて関係ありませんのよ。美食家を自称する人も多くいますけれど、やっぱりこういうものの方が、あたくしは好きでしてよ」

「美食家、ですか」


 聞き慣れない言葉に、アンジェラが繰り返すと、レティシャはここぞとばかりに説明し始めた。


「そう、美味しい料理を食べることに生きがいを感じる人たちのことですわ。おいしいものを食べるために、ついさっき食べたものを意図的に戻したりするんですって」


 レティシャの教えてくれた王都知識に、アンジェラは目を丸くした。と同時に、怒りもこみあげてくる。食事ですら満足にとれなかった貧民街時代を考えると、ありえないことだ。一度口にしたものを、わざと吐くなんて。


「そうだわ。ねぇ、アンジェラ。このお邸で、お風呂には入れますかしら?」

「はい。お湯をたてるのに時間はかかりますが、湯浴みはできます。準備しますか?」

「えぇ、お願い。長い旅路ですっかり汚れてしまいましたの」


 それでは、と、アンジェラは一旦席を立って、台所の大鍋に水を汲んで火にかけた。本当は浴場に行きたかったのだが、食事中ということもあるし、レティシャから目を放したくないため、ちょっと変則的な湯浴みの準備をすることにしたのだ。


「ねぇ、アンジェラは、お兄様をどう思って?」

「……どう、と言われても」


 いきなり質問をぶつけられて、アンジェラは口ごもったが、どうやら沈黙という答えでは許してくれそうにもない。


「一見、そうは見えないのですが、とても思慮深い方だと思います」

「それって、腹黒いってことですわね。策略家とも言えますかしら」


 悪い物言いと解釈されてしまったか、とアンジェラはひや汗をかいたが、どうやら気を悪くしたわけではなさそうだった。


「そうね。……ふふっ、アンジェラの方が、お兄様をよく見てるのかもしれませんわ」

「…?」

「あたくしは、お兄様のようになれたら、って思うことがありますの。でも、そう簡単にはできませんわ」


 あまりに淋しそうに呟くので、アンジェラは慌てて「でも、似ていらっしゃいますよ」と声を掛けた。


「貴族はね、そうね、この町の人達から、変な目でみられそうなことが、普通にまかり通ってる所ですの。……ちょっと、うらやましいですわ」


 呟いたレティシャの目に光るものを見つけ、アンジェラは、慌ててスープを飲んだ。気付いてはいけない、と、そんな気がしたのだ。


「そういえば、レティシャ様は、何の為に、ここに?」


 無理矢理、話を変えようとしたのが分かったのか、レティシャはちょっとだけ微笑んだ。


「もちろん、アンジェラが一人では淋しいだろうと思いまして、お兄様に行くように言われましたのよ」


 そうだったのですか、と頷きながら、心の中ではアンジェラは首を傾げていた。はたして、この答えは本物なのか、と。


(とりあえず、どうにかして本物なのかどうか、確かめないと)


 湯が沸いた音がして、アンジェラは席を立った。



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



「そうだわ、ねぇ、アンジェラも入りませんこと?」


 一瞬、一緒に湯浴みをするのかとぎょっとしたが、何のことはない、自分の後で入ればいい、ということだった。


「あれだけダンスをしたんだから、汗だってかいてるでしょう?」


 そんな風に言われれば、アンジェラには返す言葉もない。自分がいない間に、邸の中をうろつき回られたらどうしよう、とも考えたのだが、結局、杞憂に終わった。

 湯冷めしては、身体に障るから、という理由で、だんろのある部屋へ行ったものの、アンジェラが貸したケープを羽織ってすぐに戻ってきたのだ。理由を聞いても、特にないと言う。一人でいるのは暇だから、と木戸の向こうから声が届いた。


「ねぇ、ウィルフレード様は、やっぱり優しい方ですの?」

「はい、だんな様はとてもやさしいです」


 暇だから会話を求めているのだろう、と思い、アンジェラは付きあうことにする。

―――正直なところ、一緒に入るとか言われなくて助かった、と思っていた。自分の身体には無数の傷跡があり、それを見せるのは、正確に言えば、その理由を聞かれて、嘘を答えなければならないのが、ひどく億劫だったのだ。

 そんなことを思っていると、木戸の向こうからの声が途切れた。


「レティシャ様?」

「いいわね、アンジェラ。うらやましいですわ」

「……?」

「あたくし、春には社交界デビューですの」

「そうなのですか? おめでとうございます」


 いつだったか、十四歳になった貴族の子女は、『社交界』に出ることを許されるのだと聞いた。ということは、レティシャは、十三になるアンジェラより一つ年上だということだ。


「おめでたくなんて、ありませんわ」

「? 大人の仲間入りが、おいやですか?」

「大人の仲間入り? 冗談言わないでいただける? あんなのは品評会とセリ以外の何物でもありませんわ!」


 怒りを抑えきれず、レティシャの語気が荒くなった。が、一転、落ちついた声が届く。


「……あたくし、アンジェラに聞きたいことがありましたの」


 ですから、ここまで来ましたの、と続けるレティシャの声は、落ちついているというより沈んだ声音だった。


「自分が売られたとき、どんな気持ちでしたの? ……いいえ、どうやって、堪えることができましたの?」


 アンジェラは一瞬、息を止めたが、すぐに小さく息を吐いて、扉を開けた。

 ひた、と浴場の外に足を踏み出すと同時に、レティシャが目を丸くしたのが分かる。あれから一年、今尚、アンジェラの身体には醜い傷が残っている。それらは全て、かつての主人から受けたものだった。


「レティシャ様。その話はティオーテン公爵様から?」

「え、……えぇ、絶対に口外しないって、誓約書まで書きましたわ」


 レティシャの目は、アンジェラの裸体に釘付けになっている。


「きっと、あたしの意見は参考にならないと思います。……それでも?」


 アンジェラは置いていたコットンのタオルを手に取り、身体に残った水滴を拭う。


「……それでも、聞きたいの。アンジェラが思い出したくないなら、答えなくても構いません。でも、あたくしは―――」

「あたしが自分を売ったのは、母親の薬代のためです」


 予想通り、レティシャの表情には、「それだけ?」と疑問がはりついていた。

 なんで、『そんなこと』だけのために、理解できない、と、その青灰色の目が語っている気がした。

 寝巻き代わりの長衣に袖を通し、アンジェラは笑おうとして、失敗した。


「そうせざるを得ない境遇の人も、いるということです。……申し訳ありません、参考にならなくて」


 笑顔を作りきれなかったアンジェラに、何か思うところがあったのか、レティシャはそれ以上、言葉を続けることはしなかった。


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