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ひとつの空にあるように  作者: 長野 雪
秋茜に思いをのせて
32/57

06.青み萎えし、実りの畑

「おはようございます」


 昨日の今日だったが、アンジェラは声をかけてみた。


「おはよう、アンジェラ」


 サラはいつも通りに挨拶を返してくれる。その隣、不機嫌と不安とが混ざり合った表情をしたローザは、アンジェラを信じられないものでも見るかのように睨みつけた。


「信じられない。どうしてそんなふうに話しかけてくるのよ」


 開口一番、そんな愚痴を洩らす。だが、サラにたしなめられ、「……おはよう」と挨拶だけは返してきた。


「朝は休んでていいわよ、アンジェラ。私とサリーで終わらせてしまうから。その間に、そのみっともない指をどうにかしてよ」


 ローザの優しさなのか、それともロイに露見することを恐れているのか、彼女は薄い真っ白な手袋と、やや分厚い手袋の二つを放ってよこした。


「手荒れがひどかったときに包帯代わりに使ってたものよ。汚れると面倒だから、もう一枚上にはめてよ」

「……えっと、貸していただけるんですか?」

「あげるわよ! あんたが使ったのなんて、あたしが使えるわけないでしょ!」


 声を荒げたローザに、サラが肩をすくめた。


「もらっておきなさいな。ローザの罪滅ぼしみたいなもんなんだから」

「違うって言ってるでしょ、サリー! ……その、アンジェラ」


 ローザは朝のスープに入れる具材を刻む手を止め、くるりと振り向いた。


「なんでしょう?」

「き、昨日は悪かったわ。反省してます。もうしないって誓うわよ。……ほら、これで十分でしょ?」


 あっけにとられたアンジェラに、再び背を向けると、トタタタタタ……と具材を刻み始める。

 サラは、そんなローザに気付かれないように、耳を差し示した。

 見れば、ローザの耳たぶが真っ赤になっている。

 アンジェラは教えてくれたローザに、微笑みを返すと「テーブルセッティングしますね」とくるりと背を向けた。早速、やわらかい生地でできた真っ白な手袋をはめ、その上にもう一枚重ねた。思っていたよりも通気性があるし、実は高価なものなんじゃないだろうか。そんなことを考える。

 拭いたテーブルの上に、ふわり、と木綿のクロスを広げると、慣れた手つきで閉じ込められた空気を追い出す。手袋があるおかげで、指の傷が引っかかることもなく、いつも通りにこなすことができた。

 ここで食事をとるのは、ウィルとロイの二人だけだ。アンジェラを含む使用人は別のテーブルで、食事をとることになる。


(最後ぐらい、だんな様と食事をしたかったけど)


 ウィルに黙って、出て行くしかないのは分かっている。アンジェラはそっと目を伏せた。


「お早うございます、アンジェラ」


 先に起きてきたのはロイだった。ウィルは昨日の夜更かしがたたっているに違いない。


「お早うございます、マクレガー様。……あの、朝食後に、お部屋に伺いたいのですが、よろしいでしょうか」


 その言葉に、やや面食らった様子を見せたロイは、「分かりました」と承諾を告げる。


「それで―――」


 赤毛の青年は、ちらり、とドアに目をやった。まだ、彼の主人が起きてくる気配はない。


「手切れ金はいかほど必要ですか?」

「必要ありません。紹介して下さる職場までの旅費だけで十分です」


 きっぱりとした答えに「そうですか」と頷く。


「それでは、朝食後に、また。―――お早うございます、ウィルフレード様」


 入って来た銀髪の青年は、ロイに挨拶を返すと、頭を下げるアンジェラを見つめた。


(……何か、不機嫌そうな)

「アンジェラ」

「はい、だんな様。すぐに朝食をお持ちいたします」


 良く分からないけど、逃げてしまおう。

 そう思って、台所に向かおうとすると、あっさり制止の声をかけられてしまう。


「その手は?」

「あ、この手袋ですか? 手荒れがひどくなっていたところ、ローザさんが下さったんです」


 胸は痛んだが、さらりと答えた。指先が荒れているのは嘘ではないし、ローザからもらったのも嘘ではない。


「そうですか。これから冬に向けて乾燥してきますから、気をつけませんとね」


 まだ不機嫌そうな表情のままでいるところを見ると、寝不足が原因だろうか。そんなことを考えつつ、ドアの近くで、出るに出られなかったローザに軽く目礼した。向こうも、小さく頷いた。


「ウィルフレード様。本日の朝食でございます」


 彼女と入れ替わりに台所へ戻ると、サラが「ご苦労様」と労いの言葉をかけてくる。


「手荒れ、ね」

「はい。完治するまで、この手袋をはめていればいいだけです」


 ふぅん、とサラは少女をまじまじと見つめた。


「嘘もちゃんとつけるのね。てっきりマクレガー氏みたいな真面目人間かと思ってたわ」


 とんでもない、と首を横にふったアンジェラは「嘘はついてません」と弁明する。


「ま、いいけど。……で、マクレガー氏のところへ、何の用?」


 問いかけられ、アンジェラは目を伏せた。でも、遠からず知られることだから、問題ないだろうか。


「だんな様には内密に。……その、マクレガー様から、ここを出て行くようにと」



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



コン、コン


「アンジェラですか、お入りなさい」


 ロイは、やってきた少女が自分の前で頭を下げるのを黙って見つめていた。

 十二という年齢の割に、丸みのない身体。それでも、毎日の仕事のせいか、筋肉だけはついている。


「ここに、紹介状と邸までの地図があります」


 王都を挟んで反対側にある街、ノーチ。そこに彼の叔母が勤めているギルトゥグ男爵家の保養地がある。そこへの紹介状をしたためた。ノーチならば、二度とウィルと会うこともないだろう。


「はい。ありがとうございます」


 アンジェラは深く頭を下げる。


「旅に慣れていないということですので、経路の説明も書いておきました。乗り合い馬車を使って王都に出て、オギへ向かいなさい。その途中に、ノーチがあります。旅費はこちらに」


 ジャリン、と重い音のする金袋をテーブルの上に置くと、アンジェラは紫暗の瞳を丸くした。


「旅費だけではありません。今日までの給金も含まれています」


 先手を打って答えると、少女は再び礼を言って頭を下げた。


「今さら言うことでもありませんが、ウィルフレード様のご病気については他言無用。よろしいですね?」


 言いつければ「はい」と鐘を打ったように返事が来る。結局、この少女が承諾しなかったのは、主人に対することだけだった。


(悪い人間ではないし、それどころか、使用人としては二重丸なのですが)


 立場上、いろいろな使用人を見てきた彼はそう思う。とにかく主人と寝ることしか考えていないメイドや、暇を見つけては遊びほうける下男、主人やその家族のヒミツを握って金を強請り取ろうと各策する執事、アンジェラはそのどれにも当てはまらなかった。


(口数は少なく、主人に対して献身的。及第点どころか優秀です)


 黙り込んだロイを伺う少女には、ひとつの致命的な欠点があった。いや、二つか、と彼は思い直す。

 一つは、献身的過ぎるがゆえに、夜のアレをも主人とすること。そして、いまひとつ―――


「アンジェラ。あなたがここを出る前に、言っておかなければなりません」


 それを話してみようと思ったのは、ほんの思いつきだった。ほんの数日だけだったが、いくら叩かれてもめげない少女を、自分でも好ましく思っていたらしい。

 ロイの神妙な様子に、少女は固い表情で次の言葉を待つ。

 これを聞いたとき、この少女の表情がどう変わるか、それを見てみたいと思った。


「あなたの素性は、最初から知っていました」


 始めに浮かび上がったのは戸惑いだった。次は怒りに変わるか、悲しみに変わるか、ロイは見逃すまいと凝視した。

 だが、アンジェラは、ロイの予想を遥かに裏切った。


「そうでしたか」


 小さく呟いた少女の顔は、むしろ穏やかな笑みをたたえていた。


「それでは、短い期間でしたが、お世話になりました。あたしはこれで失礼致します。だんな様にどうぞよろしくお伝えください」


 震えもない、きっぱりとした声でそう告げると、机の上に並べた書状や金袋を持って、何事もなかったように部屋を出て行った。


「……最後まで、期待を裏切ってくれますね」



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



「今日は、サラがお茶を運んでくれるのですね」


 休憩時間にお茶を運んだメイドに、ウィルは尋ねた。まだ昼前、発覚するには早いとロイはサラにそっとブロックサインを送る。


「えぇ、ローザがこちらへ上がってくるのを譲ってくれるようになりまして」


 昨日の夜のことがあって以来、ローザはウィルを見るなりびくびくとしていた。昼間からあのウィルが出ることはないと分かっていつつも、よほど恐かったらしい。


「おや、いつも取り合いですか? 毎年のこととはいえ、大変ですね」

「えぇ、ウィルフレード様は人気がありますから、ここへ派遣されるメイドを選ぶ時もすごかったんですよ」


 ローザより年季があるせいか、サラはこの手の話題をそつなくこなす。とんでもない倍率を勝ち抜いて来た割に、ウィルに対する執着は少ないのかもしれない。


「そういえば、アンジェラの手袋ですが、あれは、あなたが?」

「いいえ、ローザです。アンジェラの手荒れがひどかったので、自分の荷物をひっくり返して探してました」


 ローザが荷物の底からあれを引っ張り出したのは、本当のことだったので、サラは何の呵責かしゃくもなく説明することができた。あのケガが昼のウィルにまで知られたらと、慌てていた様子はとても面白かったものだ。


「なるほど。皆さん、仲が良いですね。……そうですか、手荒れですか」


 後半の呟きを聞き取ったサラが身体を固くした。一瞬、ウィルの目が鋭くなったような気がしたのだ。


「それで、アンジェラはどこの掃除ですか?」

「はい。水仕事は辛そうなので、オリバーと一緒に裏庭の手入れをしてもらっています」


 よく回る口に、ロイは苦い気持ちで舌を巻いた。裏庭と言ってしまえば、この部屋の窓から見えない理由にもなる。とっさの受け答えに、はたして自分はここまで嘘をつけるだろうか、と。


「……ロイ、どうかしましたか?」

「いいえ。特に何も。ただ、手荒れがひどいようなら、対応策を考えないといけませんね」

「そうですね。元々この邸に使用人が一人しかいない、ということの方が問題ありますしね。アンジェラには甘えっぱなしで悪いことをしていると思ってます」


 ついつい、アンジェラの献身的な仕事ぶりに甘えてしまったが、休みらしい休みも与えず、申し訳ない気持ちがある。シビントン夫人には週一で休んでもらっていたし、厩舎の仕事のために、時々、別の人間を雇ったりもした。

 そんなことをつらつらと考えるウィルの隣で、ロイはどうにかしてアンジェラの話題から脱出したいと考えている。手荒れのことを追及されると困るサラも、アンジェラの話題を避けたかった。


「あの、失礼かとは存じますが、ウィルフレード様?」

「なんでしょう?」

「オリバーとは、親しい間柄なのでしょうか?」


 サラの問いかけに、ウィルフレードは瞬間、沈黙した。


「親しいと言えば親しいですね。オリバーからそのことを?」

「はぁ、昨晩、台所で会ったときに」

「珍しいですね。オリバーが人と話をするなんて」


 結果、二対一で、なんとか話題を逸らすことに成功した二人は、心中で胸を撫で下ろした。

コンコン

 控えめなノックに、せっかくすり変わった話題も中断せざるをえなくなった。


「ウィルフレード様はこちらにいらっしゃいますか」


 入室を許可すると、おずおずとローザが姿を見せた。その手には一枚の封書がある。

 速達だということを告げ、ウィルに直接渡すと、ローザは仕事を口実に逃げるように退室した。


「こんな時期にどなたから、……あぁ、町長ですね」


 ペーパーナイフを差しだしたロイが、イヤな予感に目を瞬いた。

 封を切り、中にしたためられた文書を読むウィルは、徐々にその表情をなくしていく。


「―――ロイ」


 硬い声が、彼を突き刺す。


「アンジェラを、どこに?」


 その質問だけで、すべて露見してしまったのだと知ったロイは、身体を震わせた。その上、この声は。


「ウィルフレード様。どうしてそこまであの少女に固執されるのですか」


 主人を本気で怒らせてしまったと気付きながら、それでも懸命に時間を稼ぐ。いや、もはや稼いだところでどうにもならないと分かっていた。


「答えなさい」


 ウィルの青い瞳に射抜かれ、ロイは抵抗が無駄だと悟って白状する。


「ノーチにあるギルトゥグ男爵家の邸へ紹介状を書きました」

「私に黙って解雇したと、そういうことですね」

「えぇ、その通りです」


 あっさりと認めたロイから視線を外し、ただただ成り行きを見守っていたサラに声をかける。


「オリバーに、すぐ馬を出せるように準備させなさい」


 いつもの依頼するような話し方ではなく、命令形にサラは頷いて部屋を出て行く。この重苦しい部屋にいるのは辛かったから渡りに船だった。


「一応、理由を聞きましょうか。あなたがそこまで強行手段に出るからには、それなりの理由があるのでしょう」

「……一つは、アンジェラの生い立ちです。メイドとして雇うには、問題があります」


 既に調べがついていたか、とウィルは拳を握りしめた。


「もう一つは、夜のウィルフレード様をも、主人と思っている点です。この二点から、王都への復帰のために障害になると思い、解雇しました」


 ロイの真摯な眼差しに、「王都へ戻るつもりはない」と言いかけた口が止まる。


「あの子が優秀なのは認めます。とても善良だし働き者です。ただ、危険だと思ったから遠ざけたまでのことです。それに何より、あの方に似過ぎて―――」

「ロイ!」


 滅多に声を荒げないウィルに怒鳴られ、赤毛の青年は口を閉じた。


「そのことは、関係ありません。あの子を引き取ったのは成り行きです」

「……アンジェラを、連れ戻す気ですか」

「もちろんです。あの子は私の『娘』ですから」

「自分から納得して出て行った者を、無理矢理、連れ戻すとおっしゃるのですか」


 ウィルフレードの表情が固まる。


「わたくしは、アンジェラを追い出したつもりはありません。説得して別の職場を紹介しただけですから」

「……何を、言ったんですか」

「もちろん、あの方のことは一切触れておりません。ただ、あなたが王都に復帰されるには、邪魔だと告げただけです」


 ロイの視線を感じながら、ウィルは流れるような仕草で立ち上がった。


「今年の地代決算はさきほど終わりましたね。すぐに帰る支度をしなさい」

「まだ、各方面への時候の挨拶の品目を決めていません」

「そんなものは必要ありません。私は中央に戻る気はありませんから。ロイ、地方に来たくなければ、別の主人を探しなさい」

「いいえ、わたくしの主は、あなただけです」


 一歩も引かない赤毛の青年を、ウィルは苦い面持ちで見つめた。


(昔っから、そうでしたね)


 乳母の息子、ウィルと乳兄弟の彼は、決してウィルの兄を敬うことはなかった。自分を盛りたててくれ、厳しく叱ってくれる彼を、実の兄よりも頼りにしていたものだった。


「残りたければ好きにしなさい。ですが、私はアンジェラを手放す気はありません」


 それだけ告げると、彼はロイに背を向けて歩き去った。

 残されたロイは、テーブルに置かれたままの速達を手に取った。

 差し出し人はふもとの街の町長の名前だった。


(……なるほど)


 そこには、王都からの客人が戻った後、畑仕事を手伝う予定だったアンジェラが、それができなくなったことを告げに来たこと。一日だけ引きとめて畑仕事を手伝わせること。それだけが書かれていた。

 潔く身を引いたアンジェラが、意図的に仕組んだとは考えにくかった。それでも、筋を通しに挨拶をし、その過程で、全てが露見した、というところだろう。少なくとも文面からは、ウィルとアンジェラの二人が、街の人々に慕われているということが読み取れた。

 ロイは首を軽くコキリとひねり、「やれやれ」と呟いた。



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



 秋の風に、ゆらゆらと葡萄の房が揺れていた。

 真っ赤なとんぼは、時には風にのり、時には揺れる蔓に捕まり、真昼に近付く時をやり過ごしていた。

 空は青く、哀しいぐらいに高い。向こうに着いたら、この景色を思い出そう。

 汗をエプロンの裾で拭くと、カゴいっぱいになった葡萄を、少し離れた木箱まで運んだ。傷つけないように丁寧に移すと、空になったカゴを逆さに振った。


「明日は、ちゃんと乗り合い馬車の乗り方を聞かないと」


 このままずるずると居付いてしまうわけにはいかない。そう呟いて空を見上げた。思わず、涙がこぼれそうになる。

 手の甲で乱暴に目をこすると、指先がずきんと痛んだ。紹介された先に着くまでに、傷が塞がってないと困るな、とぼんやり思う。

 手を止めていると、色々なことを考えてしまうから、ひたすらにハサミで房をぱちん、ぱちんと切っていく。単純作業に没頭することを願って、蔓を掴んではハサミを持つ手を動かす。

 お昼になったら休憩に呼ぶと言っていたから、それまでは、ひたすら頑張ろう。


―――アンジェラが、畑仕事を手伝うことになったのは、ひとえに町長とその娘イザベラの強烈な押しによるものだった。

 ロイから旅費と紹介状を受け取り、わずかな衣類だけを持って邸を出たものの、そもそも「乗り合い馬車」がどういったものなのかすら分かっていなかった。途方に暮れながら、まず考えたのは、約束していた収穫の手伝いを、できなくなったことを告げに行くということだった。

 王都から来た使用人がいる間は、邸内のこまごまとしたことを教えるために収穫の手伝いができない。だから、続きは彼らが帰ってから、という話をしていた。だから、その約束が果たせないことが分かった今、それを伝えに行くのは絶対だと思う。そのついでに「乗り合い馬車」について尋ねればいい。そう思って町長の家へ訪問したアンジェラだったが。


「はぁ? 職場を変える?」


 開口一番、イザベラが素っ頓狂な声を上げた。もちろん、それだけで町長一家の好奇心が収まるはずもなく、アンジェラは、別の職場に行くように「勧められ」たことを話すしかなくなった。

 それを聞いたイザベラと町長はお互い顔を見合わせて頷き合い、


「じゃぁ、一日ぐらい手伝ってもらってもいいわよね?」


というイザベラの言葉に、約束を果たせないことを申し分けなく思っていたアンジェラは拒否できるわけもなかった。


(そういえば、あれから、何も聞かれてない、かな)


 あれよあれよと言う間にイザベラの仕事着を貸し出され、畑にぽいっと出されたのだ。イザベラは少し離れたところで、同じように収穫をしている。

 ふと、アンジェラは聞こえるはずのない音に手を止めた。だんだん近付いてくるその音は、馬が疾走してくる音に間違いはない。アンジェラは思わず、高く積まれた木箱の隙間に身体を隠した。


(馬車でもない。だったら、だんな様か、ロイ様か)

「イザベラ!」


 響いた声は、アンジェラが今、一番声を聞きたくない人の者だった。いや、一番聞きたい、の間違いかもしれない。


「アンジェラはどこにいます? こちらで、あなたと一緒に収穫作業をしていると聞きましたが」


 半年以上も一緒に暮らしてきて、間違えようもないその声は、彼女の心臓を乱暴にノックした。


「アンジェラでしたら、―――あぁ、逃げられましたね、領主様」

「逃げる……? いったいどこに?」


 二人の会話を聞きながら、どうか立ち去ってくれますように、と祈る。


「さぁ? さっきまでそこで収穫してましたから、それほど遠くには行ってないと思います。……ところで、アンジェラを解雇したって聞きましたけど?」

「えぇ、先走った者がいまして。―――アンジェラ、どこにいますか?」


 名前を呼ばれ、行かなくては、と思う自分を必死で食いとめる。


(お願いだから、もう、十分だから、そのまま諦めてください)


 胸を押さえて、それだけを考え続けた。自分が、あの方の未来を閉ざしてしまうのなら、喜んで身を引きます。だからお願い。どうか、このまま邸に戻って。

 ぽろぽろと涙をこぼしながら、アンジェラは身じろぎもせずに木箱の間で膝を抱えていた。


「ねぇ、領主様? その先走った人とは決着がついたのかしら?」

「そんなもの、アンジェラが戻ればいくらでもつけます」

「あまり焦り過ぎるのも問題があるんじゃないですか? どうせ、アンジェラには今日一日手伝いをしてもらうつもりだし、ゆっくりその人と話し合うのがスジだと思います」

「ですが―――」

「でないと、また、アンジェラはその人に何か言われて出ていくだけですよ。少なくとも、今、無理に連れ戻したところで、辛い思いをするのはアンジェラじゃないですか」

「……」


 ウィルをやり込めたイザベラに、アンジェラは思わず拍手を送りたくなった。猶予ができれば、その間に自分は町から出て行こうと、心に決める。


「あなたは、本当にアンジェラのことを思っているのですね」

「あったりまえですよ。友達のことを第一に考えるのは」

「それでは、一度、戻ります。ただ、くれぐれも、アンジェラがどこかへ行かないように見張っていてください。すこしの猶予でも見逃さないところがありますから」


 行動を見透かされ、ギクリと身体を震わせた少女は、ようやく止まって来た涙の跡を拭った。


「それは保証します。だって、私の服を借りている限り、あの義理固いアンジェラが、どこかに行くなんてありえませんから」


 そういえばそうだった。隠れたままのアンジェラは自分の姿を見下ろす。エプロンも帽子も、農作業用の手袋もイザベラやイザベラの母から借りたものだった。さすがに返さなければいけないだろう。


「そうですね。それでは、くれぐれもよろしくお願いします」


 来た時とは打って変わって穏やかな馬の足音が遠ざかって行く。やがて、その音が完全に聞こえなくなってから、アンジェラはそぉっと頭だけを出した。


「もう、帰ったわよ」


 ハサミを片手に、イザベラがこっちへ歩いて来るのが見えた。


「まったく、せっかく迎えに来たのに、隠れることないでしょ」

「……ごめんなさい。でも、あたしは、戻れないんです」


 意に反して浮かんでくる涙を、アンジェラは乱暴に拭った。


「あたしがいると、ダメなんです。だんな様の邪魔になってしまうから」


 ようやく弱音らしきものを吐露した年上の友達に、イザベラは両手を腰に当てて、大きくため息をついた。


「とりあえず、そろそろ、お母さんかおじいちゃんがお昼持ってくる頃だし、休憩にしよ?」



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