03.苦手、たす、スキャンダル
翌日、やってきた三人の使用人の第一印象は、「よく分からない人たち」だった。
最初に紹介されたのは、内向きのメイド、サラだった。赤みがかった黒髪をシニョンにまとめている彼女だったが、目の回りがキラキラと光っていた。後で聞いてみると、王都で流行っている化粧だということだった。
次に、同じくメイドのローザが挨拶した。ローザは金髪で、きれいな緑の目で、右目のなきぼくろがチャームポイントかな、と少しくだけたことを言ってきた。
最後に紹介されたのは、オリバーという下男だった。主に外回りをやるということなので、アンジェラとの接点は、前の二人に比べたら、格段に少ないのだろう。だが、顔が見えなかった。黒い髪に、日に焼けた肌をしているのは分かったが、挨拶するときも、ずっとうつむき加減で、顔を向けることはなかった。これなら、町で仲のいいトムの方が、まだ溌剌としている。
別に、印象が悪かったわけではない。ただ、今までアンジェラの周囲にいたどの人間とも違う気がして「よく分からない人達」と思っただけだった。深い意味ではない。
(と、とりあえず、十五日間だけだけど、上手くやっていけたらいいな)
願うように、そう思った。
「ねぇ、アンジェラ。掃除道具ってどこにあるのかしら?」
「はい、台所裏手の納屋に―――」
「って言うか、どうして、ここは、アンジェラしかいないわけ?」
「え、と、なかなか長く居ついてくれる人がいないということです」
「あー、そかそか。夜が恐いってことか。もったいないことしてるわよね。チャンスなのに」
「ローザ。口が軽いわよ」
「あ、そうね。ごめん。アンジェラ……だっけ、今の言葉は忘れてね」
「え? あ、はい」
パタパタと女三人かしましく、否、やかましく、掃除道具を取りに行く。
一階の廊下では、通路の奥を使わせないようにかけてあるタペストリーを、オリバーが懸命に、黙々と取り外している。ロイとウィルは書斎にこもって、各領地からの地代の整理を行っているということだ。階下からバタバタと振動が響いてうるさいだろうが、二人とも、毎年のことで、耐性はできている。
「うわ、ひどいわね。埃くさいわ」
「でも、やるしかないでしょう? 年に一度の大掃除の為に呼ばれてるんだから」
ざっと埃まみれの蜘蛛の巣だらけな廊下を見回したサラは、しばらく目を閉じる。
「オリバー! 途中のところ悪いけど、それは取り外すのはやめて。埃がこっち側に行かないように壁にするわ。その代わり、窓は全開! アンジェラ、口に覆いをできるような布はないかしら。ローザ、上から埃をはたき落とすから、踏み台になるようなものを、アンジェラと一緒に探してきて」
指示することに慣れた声音に、三人が三様に動く。アンジェラとローザは納屋へ、そして、オリバーは、黙々と外しかけていたタペストリーを戻し始めた。
指示を出したサラは、埃舞う廊下に背を向け、何もせずにアンジェラとローザを待つことにした。オリバーのささやかな非難の目など気にはしない。せっかく暇な時間を作ったのだから、あの事について作戦を練ることにした。
―――一方、アンジェラは四人分の布をローザに渡すと、納屋の奥にある脚立を取りに走っていた。
(ハキハキして、すごい人なんだ)
さぼっていることなど露知らず、アンジェラは先程のサラの行動に感心していた。
(いつかあたしも、あんな風に行動できたらいいな)
無意識のうちに、軽い荷物をローザに押しつけ、自分は重くて運びにくい脚立を取りに行っている時点で、その願いは遥か遠くのものだが、本人は気付かない。簡単な仕事と難しい仕事があったら、迷わず難しい方を手に取る。それがアンジェラだった。いや、それはきっと、貧民街の鉄則が染み渡っているからとも言える。心の底まで浸透した「奴隷根性」が、いつか、消える日が来るのだろうか。
さて、先にサラの元へ到着したローザは、壁に寄りかかってぼんやりとしている彼女に目に見えて腹を立てた。
「ちょっとサリー。ひどくない?」
「あら、何も聞かずに動いてくれたのはローザよ」
にっこりと微笑まれ、反論も思い浮かばず「むぅ~」とローザは膨れっ面になった。
「あら、アンジェラは?」
「脚立を取りに行ってるわ。『これを持って、先に戻ってください』だって。なんか、すっごい『イイ子ちゃん』じゃない?」
ふうん、とサラは相槌を打った。
「もしくは、それほどのイイ子でなければ住み込みで勤められないとか」
「あら、猫かぶってる可能性だってあるわ。それに」
サラは言葉を切って耳をすませた。裏口の閉まる音。そして、ゆっくりとした足音が聞こえてくる。陰口タイムは終了だ。
「……ローザはそこで待ってて、私が手伝ってくるわ。重そうだから」
そう言うサラの方が猫かぶってるじゃない、と口のなかで呟いたローザは、持って来た布を一枚手に取ると、口と鼻を覆って、後ろできゅっと縛った。
何も聞かなかったように振舞うオリバーは黙々と外しかけたタペストリーを戻す。そういえば、ここに脚立は一つあったのだと、ローザは初めて気付いた。
「ごめんね、重かったでしょう?」
「ねぇ、サリー?」
サラの優しい声音が響いてくると、ローザは口に覆いをかけたままで声をかけた。
「オリバーの使ってる足場じゃダメだったの?」
すると、サリーは脚立の足を抱えたまま、胡桃色の目をきょとん、と瞬かせた。
「ローザ、まさか、一つの脚立に二人で乗る気だったの?」
「え? あ、あれ?」
「私とローザが上の埃を落としている間に、アンジェラはオリバーに、外回りのことを教える。それが一番効率いいでしょ?」
仕方のない子ね、と言いたげなサラの様子に、ローザは頬をぷぅっと膨らませた。
「だって、サリーったら何も言わなかったじゃない!」
「頭を使いなさい、ローザ。人の言われるがままに動いてるだけじゃ、立ち行かないこともあるわ」
ローザはそう言い聞かせると、アンジェラに向かって「それじゃ、後はよろしく」と、脚立を一人で持ち上げた。丁度、下りてきたオリバーは、脚立をそのままにして、アンジェラと共に裏口へ向かう。
「アレ、何か言いつけると思う?」
サラは、まだむくれているローザに声をかけつつ、自分も口に覆いをかけた。
「まさか、アレが初対面の人、ましてや女の子と話すわけないでしょ?」
ローザも諦めたように、オリバーの使っていた脚立を埃にまみれた廊下へ運び始める。
「そうよね。私も、返事以外にしゃべっているところは見たことないし」
窓側に脚立を寄せ、サラはゆっくりとはたきを片手に上った。
「馬とはよく話してるらしいわ。フレッドが言ってた」
ローザも通路の反対側に脚立を寄せ、よっと声を上げて上り始める。
「フレッドって、前のローザの彼だっけ? 馬丁の?」
「そうよ。でもいいの。今は、目の前の宝石をどうやって手に入れるか考え中だから」
「そうね。またとないチャンスだもの。何がなんでも―――」
「そう、何がなんでも―――」
「「ウィルフレード様をゲットするわ!!」」
.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.
自分のいないところで、そんな会話がされているとも知らずに、アンジェラはオリバーを連れて厩舎へと向かっていた。
「今はだんな様のファレスと、マクレガー様のセレンツがこちらにいます。ブラシはそちら、水桶は今、それぞれ出しているものを使ってください」
「……」
聞こえるか聞こえないかぐらいの声で返事をし、微かに頷いたオリバーに、アンジェラは続けた。
「飼い葉は納屋に積んであります。明日にはなくなってしまう量ですから、午後に、馬車で取りに行きましょう。飼い葉はふもとの街で管理してもらっているんです」
取りに行く、と聞いたオリバーはややためらったようだが、諦めたようにこっくりと頷いた。
(人が苦手、なのかな)
納屋の脇、薪を積んである場所へ向かいつつ、アンジェラは考えた。
「えっと、ここが納屋です。薪がそこに積んでありますので、なくなりそうだったら、納屋にナタがあるので、使ってください」
今度は風呂場を案内しようとしたアンジェラは、少し、そわそわしているオリバーを見た。
「え、っと……、あの、オリバーさん?」
何かを訴えたいようだが、躊躇が勝っているのか、オリバーはちらちらとアンジェラを窺う。もうひとつ気にしているのは、納屋の前にある木の台だった。よく、アンジェラがそこで薪を割っている場所だ。
(これは、何かを察しないといけないのかな?)
アンジェラはもじもじとするオリバーを見た。まっすぐ見ると、余計もじもじとするので、ちょっと身体を斜めにして視界の端で伺うようにすると、オリバーが薪の束を気にしていることも分かった。
(つまり、薪に関する何かを言いたいのかな?)
だが、それだけでは分からない。まさか、ナタを使ったことがないとは言わないだろうが、じゃぁ、何を言いたいんだろう?
「あ、のさ、いい……かな?」
「はい、質問でしょうか?」
できるだけ、警戒心を持たせないように、アンジェラは微笑みさえ浮かべ、オリバーに向き直った。
「その、セレンツは、神経質で……」
ロイの馬が神経質なことと、ナタと薪。
続きがあるのかと言葉を待ってみたが、どうやら精一杯らしい。
ナタと薪とロイの馬。
ナタ+薪=薪割り
薪割り+神経質な馬=……?
アンジェラは考えながら、厩舎のある方を見た。滞在のお礼にと、せわしなく動いていたメリハ元将軍が、屋根を修理してくれた跡が見える。
「音とか、敏感だから……」
小さい呟きに、続きがあったのか!と驚きつつ、アンジェラはようやく言わんとしていることが分かった。
「そうですね。それじゃ、薪割りのときは、もう少し遠い風呂場の方まで薪とナタを持って行きましょう。……あ、でも、地面に置くとしめっちゃいますね。どうしよう。台も持って行った方がいいかな」
するとオリバーはぶんぶんと首を振った。
「……敷き藁、あればいい」
なるほど、そうやって湿気を防ぐのか。でもある程度の台がないと、やりにくいのではないか、とアンジェラが口にすると、しばらく沈黙ののち、「慣れてる、から……」と消え入るような声で返事をしてくれた。
無口、と言うには度が過ぎているが、それでも、悪い人ではない。アンジェラはそう思った。
「お風呂場の近くに、枯れ井戸があるんですけど、もしかしたら、反響してしまうかもしれないんですよね。枯れ井戸がですね、ちょっと草に埋もれちゃって分かりにくいので、気をつけて下さい」
彼は、やはり無言のままで頷いた。
――――むしろ、おしゃべりなこの二人と、ある意味で釣り合いがとれているのだろう。
「……というわけなの! 公爵様は、あたしたち使用人には冷たいけど、夜会とかでは、すごい口が回るらしいわ!」
ローザが語っているのは、アンジェラの唯一知る公爵――カークのことだった。もちろん、ローザの体験談ではなく、他の邸の人との世間話から得たものだ。
「でも、ウィルフレード様とは仲が良いのよね。不思議だわ」
「そうですね、こちらにも何度かお見えになりました」
雑巾を絞りつつ答えたアンジェラに、ローザだけでなくサラまでもが、ぐりん、と振り向いた。
「何、ほんと?」
「こんなところまで来るの? あの多忙な人が?」
思わず、ぎゅっと雑巾を握りしめたアンジェラはこくこくと頷いた。
「は、はい。冬に一度、夏にも一度、いらっしゃいましたけど……」
言葉の最後は、二人の口から出た「きゃー」とも「えー」ともつかぬ悲鳴にかき消される。
「だって、ここってアンジェラしかいないのよねぇ?」
「はい、使用人は、あたし一人です」
こっちに詰め寄ってくるかと思ったローザは、意外にも拭き掃除に戻る。サラも手を休めない。
アンジェラは安堵して、固く絞った雑巾を手にチェストの前に立った。
「……ってことは、公爵様と言葉を交わすチャンスだってあるわけ? やっぱり?」
「はい。よく声をかけていただいてます」
本当は声をかけてもらうどころではないし、ここで働くことになったきっかけだって、彼がくれたのだが、まさか、そこまで口にするほど、アンジェラは愚かではなかった。あまり、しゃべり過ぎると、自分の本当の素性までもが露見しかねない。
「いいなー。そんな特典があるんだー。うらやましー」
「ローザ、特典につられるのもいいけど、仕事のことも考えたら?」
浮かれるローザと違い、サラはあくまで冷静だ。
「今は、オリバーがいるから、そう見えないけど、アンジェラは一人でこの邸を切り盛りしてるのよ?」
アンジェラは、「切り盛りなんて、とんでもないです」と慌てて口にした。自分では、そんな大層なことをやっているつもりはない。
「ねぇ、アンジェラ?」
「はい」
チェストの足を丁寧に拭いながら、アンジェラは返事をする。
「食事は、あなたが作ってるのよね?」
アンジェラは「はい」と頷いた。そりゃそうでしょ、とローザが茶々を入れる。
「部屋の掃除も、あなたがやっているのよね。台所と玄関、応接間、客間、ウィルフレード様の部屋も?」
「はい、毎日すべての部屋を、ということはできませんけど、あたしの仕事です」
やり取りを聞いたローザが「いいなー、ウィルフレード様の部屋に入れるなんてー」と羨望を露にした。
「今、オリバーがやっている、馬の世話も?」
「はい、もちろんです」
ローザが、ここで初めて「げ」という顔をした。
「お風呂だって、準備するわよね。あぁ、薪割りもするの?」
「? はい。他に使用人はいませんし、だんな様にやっていただくわけにもいきませんから」
アンジェラにとっては当たり前の質問に、首を傾げつつも答える。
「何それ、信じらんないっ!」
ローザが雑巾をふるふると握りしめて叫んだ。
「それ、おかしいわよ。絶対におかしい!」
サラはやれやれと肩をすくめた。
「気にしないで、発作とでも思えばいいわ」
「サリー、勝手なこと言わないで。……だって、アンジェラ、あなた給料どれだけもらってるのよ?」
アンジェラが、素直に月給を告げると「安っ!」と即座に反応が返ってきた。しかも両方から。
「それっておかしいわよ! 絶対に損してるわ!」
「私もそう思うわ。……意外と、ウィルフレード様はケチなのかしら?」
「そ、そんなことありません。その、あたしの方から、安くしていただいたようなものですから」
アンジェラは慌てて反論した。こんなところで、主人の評価を下げるわけにはいかない。
「はぁ? 自分から安く? ばっかじゃないの、アンジェラ」
ローザが眉をひそめた。サラも口にこそしないが、同じ心境のようだ。
「あたしがここで働くことになったとき、あたしは、本当に半人前で、その、とても正規の給金を受け取るわけにはいかないと―――」
そこで初めてサラは気付いた。肌の張り具合からして若いと思っていたが、アンジェラはいくつなのだろうと。
「そういえば、アンジェラ、あなた……いくつなの?」
「十二です」
ローザはポカン、と口を開けて絶句した。サラも驚くより先に、眉間に手をやる。
「ま、とりあえず、今はもう一人前なんだから、お給金あげてもらっても、いいと思うわよ」




