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ひとつの空にあるように  作者: 長野 雪
少し不自然な里帰り
26/57

05.飲み下したもの

ガタ、ゴト、……ガタンッ!


 車輪が石でも踏みつけたのか、馬車が小さく跳ねた。


「大丈夫ですか?」


 御者台に座ったウィルが、幌の中の三人に声をかけると、問題ないとの返事がすぐさま返された。

 アンジェラから、「幌の中を絶対に覗かないでください」と懇願されたウィルとカークは並んで御者台に座し、目の前に広がる田園風景しか見ていない。

 もちろん、何かの中毒症状があるというセラフィナのことも気にななっている。だが、他人に、特に異性に見られたくない症状ということなので、男二人は彼女に配慮して、後ろを覗くことはしていなかった。貧民街スラムのあばら屋から移動する時も、シーツにくるまれたセラフィナを、男二人で交替に運んでいたのだが、そこから少しはみ出た手足でさえ、赤い湿疹で覆われていたのだ。男として、それを無理に見ようということはできなかった。


「とりあえず、ミーナの家で、着るものを調達しよう」


 貧民街を出るなりそう提案したカークだったが、今は手綱を操るウィルの隣で、ぼんやりと考え事をしているようだった。


「何か、ありましたか?」

「……いや、アンジェラちゃんは、実家から何を持ち出したのかな、って」


 幌の中に聞こえないように小さく答えたカークに、ウィルは苦笑いを浮かべた。


「私達が聞いていいようなものでも、ないと思いますけど」


 帰りがけにアンジェラの住んでいた家へ寄ったときのことだ。腰に巻いていた帯と引き換えに、上の弟に差し出された物に、アンジェラは、泣く寸前のような表情を見せていた。拳で握れば隠れてしまうほどの大きさなので、そこからは、アンジェラの右拳が開かれることもなかったため、その形状すら分からなかった。


「いやー、泣かせてみたいね」


 同じことを思い出していたのだろう、ぽつりと不穏な言葉を洩らしたカークに、ウィルは「いますぐ、御者台から落としてもいいんですよ」と脅しをかける。


「うん、冗談冗談。やだなぁ、僕がそんなことするわけないじゃん」

「本当に、そうなら良かったんですけどね」


 パカポコとのんびり歩く馬の向こうに、目的地が見えたところで、二人はじゃれ合いをやめる。


「着いたよ。とりあえず、僕が番をしているから―――」

「フィーナも残らせてくれんか。とりあえず寸法だけ伝えれば、服も見繕えるじゃろう」


 メリハの声に、背中を押され、アンジェラが荷台から飛び降りた。何気なく次に降りるメリハへ左手を差し出すと、それはさすがに、と断られる。

 それを横目で見ていたウィルは、アンジェラの右手がやっぱり握られたままなのが、気になって仕方がなかった。


カランカラン


 扉をあけると、おなじみのベルが鳴った。出迎えたのは、心配そうなミルフィナである。


「あら、新顔が混ざってるのね。じゃぁ、上手くいったんだ」


 にっこりと微笑むと、奥に向かって「母さん、帰って来たわよ」と声を張り上げた。


「じゃ、領主様はあっちで着替えて、アンジェラはそっち。……えぇと、あたしはおじいさんの服を見繕えばいいのね」


 テキパキと仕事をこなすミルフィナに、アンジェラは慌てて声をかけた。


「あの、もう一人、女性がいるんですけど。ちょっとウリボウタケの、湿疹で……」

「あー、アレね。じゃ、そっちも見繕うのね。えぇと、背丈はどのくらい?」


 そう言えば、ちゃんと立ったところを見たことがなかった、とアンジェラはメリハに視線を向けた。


「お嬢さんと同じぐらいじゃよ。できるだけ、肌触りのいい生地がいいんじゃが」

「おっけー。そうよね、アレこすれるのヤだもんね。じゃ七番か八番あたりで持ってくとして、おじいさんには、これとこれかな」


 ミルフィナは適当にぽいぽい、と男性物の古着を見繕ってメリハに手渡した。


「さ、着替えた着替えた。おじいさんはそっち使ってね」


 それぞれが散っている間に、ミルフィナは、もう一人いるという女性のための服を選びにかかった。並んでぶら下がっている服の生地を触りながら思案していると、最初に着替えを終えたアンジェラに声をかけられた。


「あの、水、もらえますか?」

「あれ、水でいいの? いま、母さんが胃の中に入れられるもの作ってるけど―――、あぁ」


 広げられたアンジェラの拳の中にあるものを見て、ミルフィナが嘆息した。


「奥の母さんに言ってくれる? 水もコップもあっちだからさ」


 言われた通り、ミーナの所へ向かう少女の後ろ姿を見ながら、ミルフィナは下唇をぎゅっと噛んだ。


「水かい? あぁ、これで、好きにそこから汲んでちょうだい」


 ミーナの声に、ミルフィナはほっと安堵のため息をついた。どうやら、水で何を飲むのかは言及されずに済むようだ。アンジェラの手の上にあった、ひとつは古ぼけた指輪、もう一つは―――


「ミルフィナ? それを持って行けばいいですか?」


 全く違う方から声をかけられ、彼女はびくっと身を震わせた。


「あ、あぁ、ごめん、領主様。こっちが、その女の人の服なんだけど、馬車の中?」

「はい、私が持って行きます。交代でカークを寄越しますので、かかった費用は全てあっちに請求してくださいね」


 ウィルはミルフィナの持っていた服を、二着とも取り上げると、そのまま部屋を出て行った。その後ろを老人も付いて出ていく。


「……アンジェラ、飲めた?」


 奥に声をかけると、「はい、どうにか」と苦しそうな声がした。


「なんだい、何か飲み込んだのかい?」


 まったく分かっていないミーナが、不思議そうに尋ねる。


「薬、みたいなものですから、ちょっと飲みにくいんです。……コップ、ありがとうございました」


 奥から出て来たアンジェラは、まだ喉に何かがひっかかっているようで、小さく喉を鳴らした。


「ほら、この紐あげるね。はめたくないんだったら、これに通して首にでもかければいいでしょ」

「え、でも―――」

「大丈夫、どうせ費用は公爵様持ちなんだから」


 アンジェラは丁寧にお礼を言うと、ミルフィナから紐を受け取った。


「……それさ、もしかして、両方ともお母さんの?」


 外れることのないように、ギュッと指輪を紐の中央できつく縛ると、アンジェラは小さく頷いた。


「見たことない妹が増えてたんですけど、名前、お母さんのもらってましたから」


 今度は紐の両端を結んで大きな輪っかを作ったアンジェラは、それを首にかけた。


「そっか。ごめんね。あーゆーことするの、あたしの育った貧民街だけかな、って思ってたら、アンジェラのところもするんだ」

「そうですね。あたしも、まさか貰えるとは思ってなかったので、実はちょっと嬉しいんです」


 アンジェラはそう言って自分の胸に手を置いた。


―――それは、たぶん、貧民層にしかない風習。死者を焼いた灰をその家族が飲むという、上流階級の人間にとっては、野蛮とも映るそれは、貧民街に育った二人にとって、連綿と受け継がれて来た大切なものだった。意味するところは、死者とともに生き、自らが死んでからも生者とともに生きるということ。


「へー、何を貰えたんだい?」


 飄々(ひょうひょう)とした声に、アンジェラとミルフィナ、二人がぎょっとした。


「ティオーテン様! ……いえ、なんでもありません。どうぞ、お気になさらず着替えをなさってください」

「えー? でも気になるじゃん、貧民街の風習って何?」


 尚も食い下がってみるカークに、アンジェラは「どうぞ」とミルフィナの持つ着替えを指し示した。


「ちぇー。ま、いいや。あのね、セラフィナが、頭にかぶるもの欲しいって言ってたから、見繕っておいて。顔を隠したいって」


 方向を変えた話題にほっとして、アンジェラとミルフィナの二人が返事をした。すぐさま、フードか布か、と探しに行く。他の季節ならまだしも、この暑い夏に使うのなら、通気性を考慮しなければならない。

 そんな二人を、カークが笑顔で見つめていた。



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



 下弦の月が沈もうとする深夜、アンジェラはそっと寝台から身を起こした。

 隣では、セラフィナの細い体が横たわっている。そしてその向こう側に置いたソファに、メリハの物と思われる影があった。

 二人とも疲れていたのだろう、すーすーと規則正しい寝息をたて、起きる気配はない。

 アンジェラは夜着のまま、そっと部屋を抜け出した。


―――夕方近くに、この屋敷にたどりついた5人だったが、アンジェラもさすがに食事の用意をするだけで精一杯で、客間を整えるまでには至らなかった。

 結果として、アンジェラの部屋に二人を寝かせることになったのだが、これはこれで一悶着があった。ウィルが、カークを自分の部屋に呼ぶことを主張したのだ。そして空いた部屋にメリハとフィーナを休ませるべきだと。

……結局、カークの油を塗ったように滑らかな弁舌に、あっさり撃沈したのだが。

(別に、かまわないのに)

 互いに貧民街に住んだ経験のある者同士、雑魚寝ざこねに抵抗はないし、異性と同じ部屋に寝ることも抵抗はない。本当のところを言えば、メリハにも寝台で寝てもらいたかったのだが、定員二名の寝台で、本来の持ち主が眠れないのはおかしいと、断固拒否されてしまったのだ。


(そんなに、神経質にならなくてもいいのに)


 疲れている人が、いい場所で眠ればいいのに。

 アンジェラは裸足のまま、手燭すら持たず、まるで足音を嫌うようにゆっくりと階段を降りて行った。

 台所に着くと、水を汲み、喉を潤す。

 明日は、買い出しと客間の用意と、いろいろすることがある。こんな、いつまでも起きているわけにはいかない。


(でも―――)


 アンジェラの脳裏に浮かぶのは、弟たちと妹の姿。一番年の近い弟セイル、自分が取り上げた弟アイン、そして、ノーラと名づけられた赤ん坊。

 心配したところで、どうしようもないのは分かっていた。これは、無用な感傷でしかないのだと。それでも、アンジェラは。


「何やってんだ?」


 唐突に響いた声に、アンジェラはびくり、と体を震わせた。


「……ウィルフレード様」


 相手の手にした燭台に照らされた顔に、アンジェラは安堵とも不安ともつかぬ顔をした。ゆらめく炎に合わせて、二人の影が壁に揺れる。


「あの、ちょっと暑くて起きちゃって。水でも飲もうかな、って思っただけです」


 水か冷茶をいるかどうか尋ねたアンジェラに、ウィルは首を振った。


「いや、いい。―――アンジェラ、お前、何か隠してないか?」

「え? ……あの、どういうことでしょうか」

「言い方がマズかったな。……また、思いつめてねぇか?」


 さきほどまで、昼の自分が書いた日記と、手紙を読んでいたウィルには、おおよその見当がついていた。


「や、その、特に何もないです、よ?」


 アンジェラは無意識に胸元に下げた指輪を掴む仕草をした。それに対してウィルは、困ったようなため息をつく。


「じゃ、なんで、そんなに泣きそうな顔してんだ?」


 その言葉に、アンジェラの喉が詰まり、声が出なくなった。いや、無理をすれば声は出るだろうが、それはきっと震えた、涙声になってしまうだろう。

 指輪を掴んでいた右手が、わなわなと小さく震える唇を覆い隠す。


「どうせ、昼間のオレの前じゃ泣けなかったんだろ。ほれ」


 ウィルが手を広げてみせると、アンジェラはふるふると首を横に振った。


「そ、んなこと、できませ、ん」


 セリフと裏腹にみっともなく震える自分の声を聞いて、とうとう堪えきれなくなったのか、アンジェラの瞳からポロポロと透明な滴がこぼれ落ちた。


「……ったく!」


 腹立だたしく悪態をついたウィルは、二歩ばかり踏み出し、アンジェラの細い肩を抱き寄せた。


「今夜のことは忘れてやるし、昼のあいつへの手紙にも書かねぇよ。……これで十分だろ?」


 嗚咽を殺したアンジェラが、小さく頷くのを見て、ウィルは少女の背中をそっと撫でた。


「申し訳、ありません。すぐ、立ち直りま、すから」

「いいってことよ。たまには甘えられるのも悪かねぇ」


―――そんな二人の様子を、扉の影から見ていた人物がいた。


「う~ん、毎度のことながら、いい男っぷりだよね、こっちのウィルは」


 理由も聞かず、ただ黙って胸を貸す。いったいどれほどの人間がそうしたことをできるだろうか。

 焦茶の髪を持った青年は、その青灰色の瞳に面白がるような輝きを見せると、足音を忍ばせて、その場を後にした。


これにて「少し不自然な里帰り」編は終了となります。

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