02.彼女の想い 彼の考え
「アンジェラ、貴女の食事は?」
「申し訳ありません。気分が優れないものですから」
淡々と答えたアンジェラの様子に、カークもウィルもその目的を悟る。
「もう断食始めてるんだ。やる気満々だね」
「……そ、そういうことではありません。本当に食欲がないだけですから、どうぞお気遣いなく」
ぺこり、と一礼したアンジェラはそのまま二人に背を向けた。
「どちらに?」
「はい、厩舎の方へ。先ほど見かけた時に、ティオーテン公爵様の馬の機嫌が悪くなっていましたので、ブラッシングを」
「あー、そっか。ちょっと頑張らせ過ぎたしね。うん、ねぎらってあげてねー」
バイバイ、と手を振るカークに、アンジェラはぺこり、と再度頭を下げ、今度こそ厩舎に向かった。
「……そうだ、ウィル。結局君はどうするんだい? アンジェラちゃんに頼むの?」
カークの問いに、ウィルは額に手をあて、首を横に振った。その顔には苦々しいものが浮かんでいる。
「頼まなくても、あの様子だとアンジェラは行くのでしょう。家族に会いたいと言うよりも、純粋に将軍のことを心配しているようですからね」
「まぁ、けっこうキツい環境みたいだからねぇ。……でも、ふ~ん。そう言うってことは、アンジェラちゃんが二日か三日ばかり断食して、なおかつ身体中に擦り傷切り傷打ち身ができてもいいてことなんだ」
「良いわけがないでしょう。……しかし、それが結果的にあの子の身を守ることになるのでしたら、承諾せざるを得ません」
難しい顔を浮かべる相方を眺めながら、カークは何かを思いついたように、ぽむっと手を打った。
「あぁ、そうか。こうやって今のキミが渋るだけ渋って、夜のキミがあっさり承諾すれば、夜のキミは何て話が分かる人なんだろうって、いっきにアンジェラちゃんの株が上がるわけだね?」
「な、なんですって!」
食事中にも関わらず、ウィルがガタン、と席を立った。
「うわ、お行儀悪ーい。ダメだよ、そんなことしちゃ。せっかくアンジェラちゃんが作ってくれたのに、どうして途中で放り出すのさ」
「……カーク、あなた、面白がってますね」
「そりゃそうだよ。こんなキミを見るのは、ホントに久しぶりだからね。……にしても、ライバルが自分自身とはね。いや、うらやましい」
「何がうらやましいものですか。毎朝、ナイトテーブルに手紙を置きつけて」
「へぇ、文通してるんだ」
「文通などしてません! あれは一方的な―――」
「でも、読んでるし。義理固いキミのことだから、返事もちゃんと返してるんだろ?」
「それは、そうですけど。しかしあの内容は―――」
「内容はどうあれ、手紙のやりとりをしてるのなら、そりゃ文通って言うんじゃないかい?」
「……」
黙り込んでしまったウィルを眺めながら、カークは粗末ながら勝利の味がするスープをすすった。
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夕食が終わり、まだ戻って来ないアンジェラを呼びに行こうとする親友を押し止め、「馬も気になるから」とカークが厩舎に来た時、夜闇に歌声が響いていた。
―――空の海に ヤツが走りゃ ハイレホー
雨が来るよ 嵐が来るよ ハイレホー
歌いながら馬のブラッシングをしていたのは、他の誰でもないアンジェラだった。カークの愛馬は機嫌も既に直っているのか、目を細めて小さな少女のブラッシングを受けている。
―――さあさ 隠せ ハイレホー
家に 隠せ ハイレホー
金も 米も 赤子だって
やつが 来れば ひと飲み!
「……なんか、ぶっそうな歌だねぇ」
声をかけると、赤茶けた金髪の少女がびっくりして歌と手を止め、馬が主人に気付いてブルルンと鼻を鳴らした。
「やぁ、フィード。きれいにブラッシングしてもらったね」
わざとアンジェラに声をかけず、愛馬の方へ歩いたカークに、少女は深々《ふかぶか》と頭を下げた。
「ウィルは納得してくれたみたいだよ。……アンジェラちゃんも、それで、いいね?」
「はい、もちろんです」
アンジェラは「貸して」と差し出された手に、ブラシを渡す。カークが自ら愛馬にブラッシングを始めたのを見ると、アンジェラはもうひとつブラシを持って来ると、ウィルの馬に向き直った。
「いちおう、つらい思いまでしてやってくれるんだから、それなりの報酬を出したいんだけど、何がいいかな? あ、ウィルには内緒だよ。彼は僕がキミにちょっかい出すのを何より嫌っているみたいだから」
「そんな、とんでもございません。あたしは、ただ―――」
「じゃぁ、僕が決めてもいいのかな? そうだな、社交界デビューのために、すばらしいドレスと宝石を」
「……使う予定のないものを、いただくわけには」
「じゃ、何がいい? 僕も将軍に会いたいからさ、なんでもいい、ぐらいの気持ちなんだよ」
馬を前に屈託のない表情を見せるカークに戸惑いながら、アンジェラはふと、閃いたことを口にした。
「では、どうか、―――だんな様を、見捨てないでくださいませんか」
思いもかけない言葉に、カークの手が止まる。
「それは、どういう意味かな。僕が親友を見捨てるって?」
「……わかりません。ただ、あたしは、とんでもないことをしてしまったのかと。もし、あの時、あたしが書いた名前のせいで、だんな様が窮地に立たされるのでしたら」
「覚えてたんだねー。忘れた方が良かったのに」
アンジェラの言葉を遮ったカークの声は、恐いぐらいに朗らかだった。
「でも、心外だなぁ。キミの主人はそんなことをする人間に思えるかい?」
「いいえ、とんでもございません! ですが、お身内の方でも、その罪が重い場合は」
「そうだね、確かにアデッソー男爵家は断絶した。……なるほど、キミは僕が思っているより、ずっと賢くなってしまったみたいだ」
愛馬フィードの首を撫でながら、カークが思案のため口を閉ざす。
「いいよ、それで。成功報酬なら手を打とう。僕はウィルが窮地に立たされても、一度は手を貸す。……二度目はないよ。僕にもいろいろあるからね。それでいいかい?」
「はい! ありがとうございます!」
顔を輝かせたアンジェラに、カークは「妬けるねぇ」と呟いた。
「報酬の前払いとして、いいこと教えてあげるよ。ウィルの部屋の向こう、タペストリーの向こうに通路が続いているのは知っているね? ウィルの部屋から三つ目の部屋に、キミにウィルを説得させようと思った理由があるよ。気が向いたら見てみるといい」
いきなりまくしたてられ、困惑するアンジェラをよそに、カークは愛馬の首を軽く叩いた。
「さて、アンジェラちゃん。そろそろ戻ろうか。たぶんウィルがヤキモキして待ってるから」
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「……アンジェラ、本当に良いのですね?」
三度目の確認にも、金髪の少女はこくりと頷いた。
そこで、ようやく銀髪の青年にも心の準備ができたのか、大きく息を吐いてソファにもたれかかった。
じっとりと汗ばむほどの緊張感が少しほぐれ、開け放った扉から、涼しい夜の風がタイミングよく入って来た。
「分かりました。では、明後日の朝早く、ここを出ることにします。ミーナの家に寄って、衣装を揃えた上で、その貧民街へ向かいます。カークも、これで構いませんね?」
「うん、そんなもんでいいと思うよ」
隣の焦茶色の髪の青年が軽く了承すると、銀髪の青年――ウィルは再度、アンジェラに向き直った。
「それで、今回の件については、いつものお給金とは別に、特別手当てを出します」
「そんな、結構です。あたしは、だんな様に雇われている身ですから、そんな」
「出します。いいですね?」
有無を言わせぬ言葉に、アンジェラは口を閉じ、ややあって「はい、わかりました」と頷いた。どうやら、アンジェラが貧民街へ行くことまでは了承したのだが、それはそれで怒っているらしい。
「貯金に加えるのがイヤなら、実家にでも置いて来てしまいなさい」
「……それは、その―――」
言い淀んだアンジェラに、ウィルは先を読んだかのように補足する。
「貴女が以前教えてくれた『教訓』では、外で成功した者が、中の親に金を与えるのはいけない、ということでしたね。外にとってのはした金でも中では大金だと。大金は生活も隣人との関係も全てを壊すものだからと。ですが、私はその教訓の抜け道も聞いた覚えがありますよ」
「……はい、親のいない間に家の至るところに小分けにして隠し、弟妹にだけ、その場所を伝える、と」
アンジェラの答えに、外野にいるカークが「へー、おもしろいね」と声を上げた。
「では、だんな様。せめてその金額は、全て銅貨に替えて、なおかつ移動中に身体に隠せるだけにしてください」
全てを銅貨に替え、なおかつ移動中に大金を抱えているとバレないぐらい、となると、せいぜい銅貨十枚ぐらいになってしまうか、と考え、ウィルがぐっと言葉に詰まる。だが、すぐに何か思いついたように口を開いた。
「そうですね。では、残りは貯金に回すことにしましょう」
「だんな様っ!」
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ウィルとカーク、そのどちらもが寝室に引っ込んだ後、しばらく時間を見てから、アンジェラは自分の寝台をそっと抜け出した。暦の上で夏に入り、添い寝はもういいから、と夜のウィルに言われたのは、ほんの十日前のことだった。
アンジェラは、部屋履きも履かず、ぺたぺたと廊下を歩いていた。
(もう、寝てるよ、ね)
二階の突き当たりのウィルの部屋の前で、少女は足を止めた。一応、夜のウィルにも了解をとったのだが、微妙な顔をしてから
「ん、まぁ、身体壊さねぇ程度にな」
と言われた。それを横で見ていたカークが、笑いを堪えるような変な顔になっていたのだが、それにはウィルは気付かなかったようだった。
(この。タペストリーの、向こう)
お腹が空いて眠れず、思いだしたのは、厩舎でのカークの言葉だった。
―――ウィルの部屋から三つ目の部屋に。
思えば、このタペストリーの向こうに通路が続いていると知ったのも、今日の午後だった。
はたして、自分は見るべきか、見ないべきか。
あのように、わざわざウィル本人のいないところで言うからには、何か秘密めいたことだというのは、アンジェラにも分かった。だが、それを自分は知ってよいのか。知ってはいけないのか。
頭の中から昔の教訓を引っ張り出す。
―――主人の秘密を知ることがあれば、それを理由にいつでも首を刎ねられるのだと覚えておけ。
強請るつもりもない。ただの好奇心だとしても、秘密を知られたことは主人の心に楔となって残る。
アンジェラはじっと目の前のタペストリーを見つめた。意匠の凝ったそれは、空想上の動物、白い翼の生えた白馬と、それに微笑みかける花冠を編む乙女が描き出されていた。
(……)
アンジェラは、くるり、と背を向けると、また寝室に戻って行った。その直後、小さな舌打ちが客間から洩れてきたが、少女の耳に届くことはなかった。




