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ひとつの空にあるように  作者: 長野 雪
花祭の夜に
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07.あとのまつり

「すばらしいダンスでしたな、領主殿」


 町長のヤコブ氏が、にこやかに声をかけてきた。どうやら二人のダンスをさかなに酒をみ交わしていたらしく、後ろにいる区長達ともども顔が赤かった。


「いいえ、これもひとえに、アンジェラにダンスを教えてくれた、彼女たちのおかげですよ」

 爽やかに答えるウィルに、近くにいたイザベラとカタリナが真っ赤になって恐縮する。


「アンジェラ、一曲踊ると喉が乾くでしょう。さぁ、領主様も」


 メリッサがグラスを二人に差し出した。甘い匂いがふんわりと漂う。


「これは、どうもありがとうございます」


 ウィルがグラスを受け取り、そのままくいっと飲み干す。アンジェラもそっと口をつけた。


「……っと、メリッサ、これは―――」


 ウィルが「しまった」という顔でメリッサを見た。


「えぇ、花祭にしか飲めない、特製・・の花酒です。あの、お口に合いませんでしたかしら?」


 こともなげに説明するメリッサを、少しうらめしげに見て、ウィルは唇をかみしめた。そして、何もなかったかのような表情で、からになったグラスを返す。


「いいえ、そんなことはありません。……では、私はこれで失礼しますね」

「もう帰られるのですかな? まだ花祭はこれからですぞ」


 慌てて町長が引き止めにかかる。アンジェラは、飲みかけのグラスをメリッサに返し、ウィルの隣に戻った。


「いいえ、これ以上居ても、迷惑になるだけですから。あとは私というお目付けなしに、ゆっくりと楽しんでください。……アンジェラ、申し訳ありませんが、私は」

「だんな様?」


 アンジェラが見上げると、ウィルの顔は赤く染まっていた。


(やっぱり、さっきの花酒は―――)


 昼間、イザベラ達に連れられて、アンジェラは同じ花酒を飲んだ。だが、それはさっき渡されたものより、アルコールの軽い、とても飲みやすい代物しろものだったのだが。


「だんな様、お屋敷まで歩けますか? ―――っ!」


 アンジェラは声にならない悲鳴をあげた。ウィルの後ろに回ったヤコブ氏がにんまりと笑って木箱を持ち上げていたのだ。

アンジェラは考えるより先に、ウィルの腕をおもいっきり右に引っ張った。

 ぶぅんっと風を切って、たった今までウィルの頭のあった場所に木箱が振り下ろされる。アンジェラはよろけたウィルを何とか支えようとふんばって、そこで、気付いた。


「だんな、様?」


 あっさりと限界に達したのか、目を閉じたウィルの顔がある。さすがに一曲ダンスを踊ったあとで、あれだけの酒を口にしたのが効いたのだろう。


「あの、イス、を、用意していただけますか?」


 アンジェラの切羽せっぱ詰まった声に、カタリナがさっとイスを差し出した。アンジェラは、そこにゆっくりとウィルの身体を預ける。

 力仕事を終え、ふぅ、と息をついたアンジェラは、キッとヤコブ氏を睨みつけた。


「何てことなさるんですか! もし当たっていたら―――」

「そうだ、ヤコブの、やり過ぎじゃぞ?」

「おじいちゃん、なんてことするの!」


 アンジェラの怒声は、あっさり他の人の声にかき消された。

 様々に責め立てられ、まだ酔っ払ったままのヤコブ氏は自慢のヒゲを握りしめ「悪気はないのだ。年よりのお茶目なのだ」と小さくなっている。

 アンジェラは、そっとウィルの呼吸を確かめた。特に不自然なところはなく、青ざめた様子もない。


(昼のだんな様は、お酒が強くないのかもしれない)


 たとえ酒に強くとも、あの強さの酒を、運動した後に一気に飲んでしまえば、こうなるのも仕方のないことかもしれないが。


「アンジェラ、ごめんね? まさかおじいちゃんがあんなこと、するなんて―――」


 イザベラに声をかけられ、アンジェラは「大丈夫」と首を横に振った。


「とりあえず、しばらくはそっとしておいて下さい。もし、目を覚ますようでしたら、その時のだんな様次第です」


 アンジェラの声に、それもそうだと頷いた面々は、意識のないウィルを横になれる場所まで運んだ。どうやら、花酒を飲んで酔っ払ってしまう人間が毎年続出するため、横になれるスペースをちゃんと作ってあるということだった。雑魚寝ざこねになるが、それもしかたない。

 アンジェラは、穏やかな寝息をたてるウィルの隣に座って、人ゴミを通して見える広場を見つめた。

 目を凝らすと、フィリップの姿が見えた。相手は、よく分からないが、栗色の髪の女性だった。だが、不思議と口説き好きのフィリップがイヤな顔をしているようだった。彼にも女性の好き嫌いはあるのだろうか。


「アンジェラ、領主様の様子はどう?」

「はい、特に変わりはありません」


 声をかけてきたカタリナに、アンジェラは振り向いた。


「……そういえば、今はジーナの姿が見えませんけど」


 いつもだったら、カタリナの斜め後ろに隠れているはずなのに、とアンジェラは首を傾げた。


「今はね、お父さんにくっついてるの。あの子はお父さん大好きだから」


 カタリナはアンジェラの隣に腰かけると、広場に目を向けた。


「今日、領主様と踊ったでしょ。あれ、すっごく良かったわよ」

「え? あ、あれは、その、だんな様のリードが、すっごく上手でしたから」


 誉められたことに慌てるアンジェラを、カタリナがくすくすと笑う。


「うん、教えた甲斐(かい)があったね、ってベラと話してたの。だって、アンジェラも楽しそうだったし」

「……そう、見えましたか?」

「そりゃもう。ほら、アンジェラって、どこか張りつめてる感じがしてたのよね。でも、何か、こういう表情もするのねー、って、新鮮だったわ」


 カタリナの視線の先では、曲が終わり、人が流れていた。


「あら? ベラったら、どうしたのかしら?」


 その声に、アンジェラも広場の方へ目を向けた。

 フィリップとパートナーの女性に向かって、何かを話しかけていたイザベラが、いきなり笑い出し、女性の手を掴んでこっちに向かって来るのが見えた。その後ろにフィリップも付いて来る。


「あの方は、どなたでしょう?」

「さぁ、見かけない顔、……でもないわね」


 カタリナが低い声で後半をつぶやいた。

「あ、いたいた。カタリナ、アンジェラ、見てよこれ!」


 こみあげる笑いを隠そうともせずに、イザベラは隣の女性を前に押し出した。

 栗色のくせっ毛を、後ろのシニョンにまとめた彼女は、にこやかに二人に笑いかけた。


「まさかとは思うけど、あんた、エリック?」


 カタリナがわなわなと彼女を指差した。


「せーかい! さすがカタリナだねー。フィリップなんて気付かないで誘いにのってくれちゃってさ」


 エリックはまとめていると見せかけたシニョンを、まるで団子をもぎとるように取って見せた。


「かーさんの髪の毛ここに詰めて、後ろにくっつけただけだよ。んで、ちょっと化粧して、ちょっとスカートはいて、ちょっとうつむき加減で花を差し出してみたんだけどさ」


 にこやかに笑いながら、エリックは説明をしてくれた。


「悪夢だ……、よりによって、エリックに騙されるなんて」


 後ろでは、フィリップがどよん、と落ち込んでいた。


「傑作でしょー、アンジェラ! まさかホントにやるとは思わなかったわよ!」


 けらけらと笑うイザベラに、「そんなに笑えるかな」と逆にエリックが首を傾げた。


「どっちにしても、当初の目的が果たせたから、満足してるけどね」

「でも、結構似合いますよね、エリック」

「あ、そう? アンジェラも、さっきのダンス見ててくれた? 気付くまでのフィリップの顔、見せたかったよ」


……と、それまで、遠巻きに様子を見ていたトムが近付いて来た。


「あ、トム。見た? このエリックの女装」

「う、うん。知らない人が踊ってるなー、とは思った」


 トムはギリギリまで近づいてエリックの化粧済みの顔を見つめた。


「意外とできるんだね、エリック。……僕も来年やってみようかな」

「お、いいねぇ。んで、来年もターゲットはフィリップだな」


 エリックの提案に「やめてくれー」とフィリップの悲痛な叫びがかぶさった。


「あ、そうだ、アンジェラ……」


 トムは、エリックから離れ、アンジェラに向き直った。


「これ、受け取ってくれる?」


 差し出されたのは可憐な白い花。その意味は良く分かっていた。


「え? あ、あの、でも、あたしは、だんな様を見てないと―――」

「あ、行って来ていいわよ。こっちで見てるから。ね、カタリナ」

「そうね、行ってらっしゃいよ、アンジェラ」


 二人に背中を押され、アンジェラはそっと花に手を伸ばし……たところで、ふいに後ろから抱きすくめられた。


「……ゃっ!」

「悪ぃが、これは先約があんだよ」


 その腕の持ち主は絹糸のような銀色の髪に、ギラギラと光る青い瞳の持ち主だった。


「……だんな、様? いえ、ウィルフレード様」

「なんだ、やりゃできんじゃねぇか、アンジェラ」


 周りを見て、ウィルはにやり、と笑った。昼のウィルからは想像もつかないようなその表情に、皆が一様いちように唖然とした。


―――えー? これがウワサの豹変(ひょうへん)領主ー? っていうか別人?

 そんな感じで、ただただ呆然と見守る周囲の人間を、いっさい気にかけず、ウィルはアンジェラの腕を引いて広場に向かった。


「お、丁度、曲が途切れたみてぇだな。ほれ、行くか」

「あの、ウィルフレード様」

「あん? なんだ?」

「その、ご気分は―――?」

「あぁ? ちょっと酒飲んだみてぇだけど、別に問題ないぜ」 


 領主の再登場に、視線が自然と集まった。

 そして、何度目かの音楽が流れ出した。それに合わせて、アンジェラとウィルも動き出す。


「ちゃんとステップ踏めよ、……ほら」


 手を持ち上げられ、アンジェラは、くるり、と回った。淡いオレンジのスカートがふわり、とひるがえる。


「なかなか、できるじゃねぇか」

「あ、あの、あんまり難しいことは―――」

「なぁに、だいじょうぶだって」


 にやにやと笑いながら、ウィルは、アンジェラの腰を引き寄せた。


「次は、ちょっと難しいかもな、ステップ・オブ・クロウ」


 耳元でささやかれ、アンジェラはなんとか課題をこなす。


「あの、ウィルフレード様……っ!」

「調子がでてきたな、向こうの(はし)まで行って、一気に広場をナナメに横切るぞ」


 次なる課題に、目を回しながらも、アンジェラはなんとかウィルにくらいついた。


「やるじゃねぇか、次はどれにしようかなー……」


 ウィルに引きずられるように、それでもウィルのリードによって綺麗に見せられているアンジェラに、イザベラが「はぁ」と感嘆のため息を洩らした。


「あれは、スゴイわね。……トム、領主様が相手じゃちょっと無理かもね」


 隣では、トムが行き場のなくなった花を片手に、しょぼん、としおれていた。



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



 演奏が終わり、ウィルに促されて、最後のポーズを決めたアンジェラは、肩で息をしていた。それに対して、平然とした顔のウィルが、にやにやと彼女を見下ろしている。


「なんだ、もうへばったのか?」

「ウィルフレード様、あまり振り回さないで下さい」


 それでもアンジェラをエスコートして広場から出るウィルを、待ち構えていた人物がいた。


「ふむ、こちらがウワサのもう一人の領主殿ですかの?」


 ヤコブ氏は、まだ少し赤い顔で、じっとウィルを見つめた。


「ふん、そういうお前が、『押しの強い町長』だな?」


 ウィルは面白そうにヤコブ氏を見下ろした。


「ほうほう、お初にお目もじ致しますぞ。……なるほど、昼の領主殿が見せたくないというのは、こういうことなのですな。真面目な領主殿が嫌いそうな姿ですね」


 酔った勢いなのか、それともこれが普段通りなのか、物怖じをせずに言ってのけるヤコブ氏に、ウィルは不機嫌さも見せず、むしろその口には笑みが浮かんでいた。


「言うな、じじい。まぁ、こっちもとやかく言えた立場じゃねぇがな」


 ウィルは、後ろでハラハラと見守る赤毛の少女に気付き、眉を軽くあげた。


「そういや、じじいの孫娘だったな。さっきの暴言のお返しの代わりにでも、付き合ってもらおうか」


 言い放つと、イザベラの腕を引っ張り、広場へと向かった。口をぱくぱくとさせ、文句も言えないでいるイザベラを、カタリナがなす術もなく見送る。


「あの、だんな様は、それほど悪い人じゃありませんから」


 慌てて声をかけたアンジェラを見て、ウィルが足を止めて振り向く。


「おい、こーゆーときは、嫉妬のひとつも見せるってもんじゃねぇのか?」

「……いいえ、ウィルフレード様。どうぞごゆっくり楽しんでください」


 アンジェラは淡々と言い放つと、ぺこり、と頭を下げる。ふん、と鼻を鳴らした声に顔を上げると、イザベラを連れて広場へと向かって行く背中が見えた。

 アンジェラはひとつため息をつくと、きょろきょろと辺りを見回した。そして、カタリナの後ろでこちらを見ている彼を見つけると、足早に駆け寄る。


「トム、その先ほどの申し出を、あの、これからでよろしければ―――」


 ひょろりと痩せた彼が、ぱぁっと顔を輝かせた。

 カタリナに背中を押されるようにして、アンジェラに花を渡すと、トムはそっと手を差し伸べた。

 アンジェラはすばやく編みこまれた横髪に花を挿すと、その手の上に自らの手を置く。


「……僕、それほど上手くないけど、それでもよかったら」

「はい、あたしも、足を踏んでしまったら、ごめんなさい」


 そして二人は、イザベラとウィルの後を追うように広場へと向かった。



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



 カーテンの隙間から差し込む陽光(ようこう)に、アンジェラはぼんやりと目を開けた。祭から一夜あけた翌朝のことである。


(……ちょっと、つらい、かな)


 もそもそとベッドから抜け出し、カーテンを開ける。太陽は、ようやく地平線に光を投げかけ始めたところだった。

 あれだけ踊って、疲れていない(はず)はないのに、それでもいつも通りに起きる自分が、誇らしくもあり、うらめしくもあった。

 まだ冷え込む朝の空気に、素肌をさらし、手早く着替えると、アンジェラは朝の仕事に入った。


―――ウィルが、いつにも増して機嫌を下降させて起きてきたのは、いつもよりも少し遅い時間だった。


「おはようございます、だんな様」


 不機嫌オーラに気がつきつつも、アンジェラはいつも通りの顔で挨拶をする。


「アンジェラ、昨晩のことについて、あなたの口から聞きたいのですが」


 やっぱり来た、と思った。この様子からするに、まだ、夜のウィルからの手紙は続いているのだろう。


「はい、分かりました。……だんな様、朝食はどうなさいますか? 昨夜は、その、かなり飲んでいらっしゃったのですけれど」


 あれから、ウィルは手当たり次第に女性を誘って踊りまくり、さらには物珍しさに集まった町の人々と、花酒を酌み交わしていた。その節操のなさと、優雅さの欠片かけらもない態度にカタリナが腹を立て、フィリップはその社交性に、とんでもないライバルが、とショックを受けていた。


「あぁ、やっぱりそうでしたか。……すみませんが、今日はスープだけでお願いします」

「はい、かしこまりました」


 アンジェラはスープをよそいながら、昨晩のことをできるだけ詳しく話した方がいいのか、それとも一部をボカして話した方がいいのかと考え始めた。

 たぶん、午前中いっぱいは、これで潰れてしまうだろうから。


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