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ひとつの空にあるように  作者: 長野 雪
花祭の夜に
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06.女神の見守る下で

―――それから数日後、とうとう、花祭の日がやってきた。

アンジェラは淡いオレンジ色のドレスに身を包み、領主としての仕事をこなすウィルの傍らに、ぴったりとついて回っていた。

 ウィルは、正午に豊穣の女神イステルを模したわらの像に祈りをささげ、集まった町の人達に壇上で挨拶をし、町長を含む町の重役達とともに、様々な露店や出し物を視察して回っていた。


「アンジェラ、疲れましたか?」

「いいえ、大丈夫です。そうおっしゃるだんな様こそ、大丈夫ですか?」


 疲れていたのは事実だが、アンジェラにとっての花祭は、むしろまだ先にあった。


「実は、少し疲れたので、本部のある広場で休みたいのですが」


 ウィルは、小さく微笑みかけると、ヤコブ氏に話しかけた。ヤコブ氏は快く了承すると、二人を広場へと案内する。夜はこの広場で、女神イステルの像を囲んで、ダンスをすることになると言う。

 ヤコブ氏は、朝一番に、ウィルに「本当に夜まで参加しないのか」という、最後の確認をした以外は、特に説得に回ろうとする様子もなかった。忙しかったというのもあるだろうが、アンジェラに意味ありげな視線を向けて来たところを見ると、イザベラの言った作戦が伝わっているのだろう。


(でも、結局、夜のだんな様の『文通』でも、だめだったのに)


 夜のウィルは、あれから昨日の夜まで、毎日手紙を書いたようだった。だが、どんな文面だったかは知らないが、結局のところ、平行線で終わってしまったらしい。


(そこまで、夜のだんな様を嫌っているのでしょうか)


 だとすれば、アンジェラがこれからするであろう事は、主人の意志に逆らうことになるだろう。だが、それでもなお、踏みとどまるのは、ひとえに、夜のウィルとの約束のためだった。

アンジェラにしてみれば、昼のウィルと踊るのだったら、当然、夜のウィルと踊らなくてはならない。そういう考えだったのだが、ダンスに誘うことの許可を求めたときの、あの、表情を見てしまったら―――


(そう、だよね。ずっと、ひとりだったんだから)


 冗談めかして、夜に抜け出そうと考えたこともある、と言っていたけれど、それは、一度きりではなく、何度もあったのだろう。

 そう考えたら、アンジェラは、なんとか夜のウィルと町の人々とを引き合わせたいと思ってしまった。


「領主様、少し、アンジェラをお借りしてもよろしいでしょうか」


 広場へ向かうウィルに声をかけてきたのは、茶色に近い金色の髪をした、女性だった。さすがに祭というだけあって、派手な色のドレスを身に付けた彼女の名前を、ウィルは今度こそすんなりと口にした。


「これは、メリッサ。……アンジェラ? よろしいですか?」

「はい、だんな様」

「私はしばらく広場でくつろいでいますから、」


 アンジェラはぺこり、とウィルにお辞儀をすると、メリッサに向き直った。


「ふふ、やっぱりその淡いオレンジは正解だったわね」


 微笑んだ彼女に、アンジェラは「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。


「さぁ、ちょっと来てちょうだい。やってもらいたいことがあるのよ」


 メリッサに手を引かれ、アンジェラは人の賑わう広場から少し離れた、路地に足を運んだ。そこに待っていたのは―――


「イザベラ、カタリナ、……ジーナも」


 名前を呼ぶと、イザベラが小さく手を振った。赤毛を高く結い上げ、少し大人っぽく見える彼女は、アンジェラにイスを勧めた。他の人が立っているのに、自分だけ座ることに躊躇ちゅうちょするアンジェラに、「早く座って」とカタリナが声をかける。


(そもそも、どうして、こんなところにイスが?)


 黒髪を複雑に編み込んだカタリナが落ち着いたピンクのドレスの裾をさばき、アンジェラの腕を掴んで座らせた。ジーナはサーモンピンクの可愛らしいドレスとリボンで装っている。


「さぁ、仕上げをしないとね」


 メリッサの言葉に、カタリナが持っていたバッグをかかげた。


「え、と、あの……」

「もう、せっかくなんだから、お化粧ぐらいしなさいよ」

「こんなことだとは思ったけど、もしかして、アンジェラ、化粧道具持ってないでしょう?」


 イザベラとカタリナにたたみかけられ、アンジェラは素直に頷き、ややあって、「え?」と間の抜けた声を出した。


「さ、思う存分やりましょうね。何と言っても、告白タイム直前たもの」


 メリッサの声に、カタリナのバッグが開けられ、そこから出て来た化粧道具に、アンジェラはひるんだ。


「目を閉じて。……とびっきりの魔法をかけてあげるわ」


 メリッサの声に、アンジェラは他にすべもなくまぶたを下ろした。



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



 ウィルは、用意されたイスに腰を落ち着けて、ゆったりと行き交う人々を眺めていた。

 今年も豊作であるようにと願う花祭、例年のごとく、いたるところに花が飾られていた。この土地の領主を勤めるようになってから、中央から退いてから、もう何年になるだろう、そう考えて、彼は小さく笑みを浮かべた。


(あの権謀術数けんぼうじゅつすう渦巻く中央に比べたら、ここの暮らしはなんて平和なことでしょう)


 政治の中央に寄り過ぎず、離れ過ぎず、その適度な距離を計るのに嫌気が差して、当時の身分を全て兄に譲り渡して、逃げるようにここへ来た。

 毎日のように、寝室の机に置かれる、差出人不明の手紙には、

『これ以上、どこに逃げるつもりなんだ』

と、一番聞きたくない言葉がつづられていたが、そんなことは、言われなくても分かっていた。

 差出人は、もう一人の自分。信じたくはないけれど、それが事実なのだろう。アンジェラの筆跡でもなく、この上なく自分のものと良く似た字が、全てを語っているようだった。


(……逃げて、いるんでしょうね。やはり)


 自覚はある。だが、いったいどうしろと言うのだろう。いまさら中央に戻ることもできず、ただ、この閑職かんしょくをゆったりとこなしていけばいいではないか。いまさら、中央に未練はない。


「おや、綺麗になって戻って来ましたな。……領主どの?」


 区長であるリステ氏が、隣に座るウィルに声をかけた。


「はい、何かありましたか?」


 ウィルはリステ氏に方向を示され、そちらに視線を移した。

みごとな赤毛の少女と、つややかな黒髪の少女に手を引かれているのは、淡いオレンジのドレスの少女だった。さっきまで、後ろで一つにくくられていた金の髪は、今は横の髪だけが複雑に編み込まれ、後ろ髪は自然のままになっている。淡くピンクに染まった頬と、赤とオレンジの中間ぐらいに色づいた唇はさくらんぼのように愛らしかった。

 ウィルの視線に気付いたのか、アンジェラは慌てて駆け出す。一足ごとに、そのドレスがふわふわと風に流されていた。


「申し訳ありません、だんな様。少し、遅くなりました」


 アンジェラがぺこり、と頭を下げると、スズランの香りが漂った。


「領主様、はじめまして、イザベラ・ヤコブと申します。確かにアンジェラをお返しいたしました」


 さくら色のドレスの裾をちょん、と持ち上げ、イザベラがこうべを垂れる。続いてカタリナもお辞儀をした。


「はじめまして。もしよろしければ、どうぞアンジェラもゆっくり見物して構いませんよ」


 にっこりと笑みで返すウィルは、「そうそう」と言葉を続けた。


「きれいに装いましたね、アンジェラ。とても素敵ですよ」

 惜しげもない賛辞の言葉に、イザベラとカタリナが視線を合わせて微笑んだ。


「あ、ありがとうございます、だんな様。あの、あたしも、自分が、その、どうなっているのかは分からないんですけど」


 化粧からではなく、頬を染めたアンジェラが、くん、と顎を上げてウィルに視線を定めた。


「あの、もし、よろしければ、この後、―――あたしと踊っていただけませんか?」


 後ろ手に、そっとイザベラに渡されたばかりの花を、アンジェラは差し出した。


「……そのお誘いは嬉しいのですが」


 ウィルの言葉を、アンジェラは慌てて遮るように言葉を続けた。


「話を聞いたら、ダンスは確かに夜遅くまで続くのですけど、始まる時間は早いんです。最初の方だけなら、その、問題ないと思うのですけど」


 花を持つ手を震わせるアンジェラに、どうしたものかとウィルが考える姿勢を見せたとき、リステ氏がそっと耳打ちをしてきた。


「ここで断れば、アンジェラに恥をかかせることになりますが……」


 言われてウィルは周囲に目を向けた。本部にはリステ氏をはじめとする町の重役、祭の進行係、そしてアンジェラの後ろにいる彼女の友人がいる。みな、固唾かたずを飲んで自分の答えを待っているように見えた。

 ハメられたのか、と思い当たったが、アンジェラの言う通り、最後のイベントの触りだけ顔を出すなら問題はないだろう。教会の鐘が五つ鳴らされれば、待機している町の有志の楽団が演奏を始める。アンジェラと踊り、その後すぐに帰れば問題もないと考えた。


「そうですね。……では、よろこんで」


 優雅な手つきで受け取られた花束に、一瞬、驚いた様子を見せたアンジェラの表情が、みるみるうちに笑顔になった。


「あ、ありがとうございます……っ」


 この表情を見ることができただけでも、十分だと、ウィルは思ってしまった。この、滅多に見ることのできない心からの笑顔を。


「さぁ、まだ時間もあることですし、ゆっくり祭の様子を見て回ってもいいですよ。……よければ、えぇと、イザベラ? アンジェラを案内していただけますか?」

「はいっ! そりゃもう! 任せてください、領主様!」


 アンジェラの花を受け取ったことが嬉しいのか、満面の笑みを浮かべた赤毛の少女が元気良くうなずいた。


「さ、いきましょ、アンジェラ。まだ、向こうの角のパニーニ食べてないんでしょ?」

「あ、でも、その、あたしは―――」


 戸惑うアンジェラに、何か思いあたることがあったのか、ウィルは声をかけた。


「アンジェラ、こちらを持って行きなさい」


 アンジェラに渡されたのは、数枚の硬貨だった。


「そんな、いただけません」


 予想通り拒否したアンジェラに、ウィルは微笑んで見せた。

「『必要経費』ですよ、アンジェラ。思う存分楽しんでいらっしゃい」


 それでも、何とか返そうとするアンジェラに、イザベラはその硬貨を横から奪いとった。


「よっし、軍資金もできたし、いくわよーっ!」


 有無を言わせず、アンジェラをズルズルと引きずっていく赤毛の少女を見送って、ウィルは小さくため息をついた。


「あれが、町長のお孫さんですか。……よく似ていますね」

(特に、恐いもの知らずの強引なところが)



.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.



カラーン、カラーン……


 五つ目の鐘が鳴ると同時に、広場にいた人々が、わっと沸き騒いだ。スタンバイしていたアマチュア楽団が、ゆったりと和音をかなで始める。

 ウィルは隣にいるアンジェラの髪に、そっと自分からの花を飾ると、手を引いて広場へ向かった。


「実を言うと、ダンスなんて久しぶりなんですけどね」

「あたしも、足を踏まないように気をつけます」


 緊張しきったアンジェラの様子に、ウィルは微笑みを浮かべた。

 何組かのカップルが、同じように広場に出てくるのが見える。

そして、楽団が演奏を中断し、広場に出た男女が、お互いを見つめて立ち位置を決めた。

 それを確認した指揮者がゆっくりと手を上げた。

 すっと手を引かれ、アンジェラはステップを踏み始める。ウィルはそれを何気ないそぶりでリードしながら、優雅な足さばきを見せた。


「アンジェラ、ステップを正確にするのも構いませんが、顔を上げてくださいね」


 ウィルの言葉に、足を踏まないようにとヒヤヒヤしながら、アンジェラが顔を上げると、彼の楽しそうな表情が見えた。アンジェラにも笑顔が伝染し、二人はそれこそ楽しそうにステップを踏む。

 ブンチャッチャ、ブンチャッチャとテンポのいい音楽とともに、広場では何組ものカップルが踊っていた。やがて、曲が終わり、足を止めた人々はお互い相手にこうべを垂れ、広場を取り囲む人ゴミに消える。ウィルとアンジェラも例にたがわず広場を後にした。入れ替わるようにして、幸せそうなカップルが広場に足を運ぶのを見ながら。


「あ、りがとう、ございました、だんな様。その、リードして下さったおかげで、足を踏まずに終われました」

 息を弾ませながらのアンジェラの言葉に、ウィルは「アンジェラも、短期間でよく頑張りましたね」と返した。仲むつまじい二人の様子に、周りに集まって来た町長たちが視線を交わして喜んだ。これで、領主様に参加してもらえた、と。


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