04.会議は踊る されど進まず
翌日の昼食の後のこと、片付けを終えたアンジェラは台所のテーブルの上にお茶のセットとクッキーを揃えると、屋敷を後にした。向かうのは丘のふもとである。門を開けると、あたたかな風が彼女の髪をすくいあげた。ここから町までは一本の道しかない。丘のふもと、と言うからには、この道沿いで待っているのだろう。
早足で丘を下りるアンジェラの目に、数人の男女の姿が映る。その中にイザベラの赤毛を見つけると、アンジェラはパタパタと走りだした。
「あ、こっちこっち」
イザベラの声が届く。
「ごめんなさい。時間、遅れてしまいました?」
「ううん、アンジェラこそ、お仕事あるのに大変だったんじゃない? あぁ、そうそう、紹介しなくちゃね」
イザベラは集まった少年少女達に振り帰った。
「この子が、領主様のところで働いているアンジェラよ。年は、えーと、一二歳だったよね?」
「はい、そうです。え、と、はじめまして、よろしくお願いします」
アンジェラはぺこり、と挨拶をする。
「じゃ、こっちの紹介ね。えーと、左からエリック、トム、ジーナ、カタリナ、フィリップよ。ま、いきなり全員分覚えてとは言えないけど」
アンジェラは慌てて頭の中で今紹介された彼らの名前と特徴を頭に叩き込んだ。
エリックは栗色のくせっ毛で好奇心が強そうな印象を受ける。
トムは、ちょっと神経質そうな感じで、シビントン夫人のだんなさんによく似ていた。
ジーナは一番小さくて、カタリナに半分隠れるように立っている。カタリナがお姉さんなのかもしれない。
そのカタリナは、笑顔を見せているが、じっとこちらを見つめていた。きれいなストレートの黒髪を、無造作にたらしている。
フィリップは何故か眺めの金髪を押さえるようにして、斜め四十五度でこちらを見ていた。
アンジェラは、最近、人の名前を覚えることが多いなぁ、と心の中で呟きながら、それでも頭の中で呪文のように彼らの名前を繰り返していた。
「それじゃ、早速はじめようか。とりあえず、基本のステップから教えるね。ジーナ、あんたも。まだできてないでしょ?」
「えー? お姉ちゃんに教わるからいいもん」
ジーナはぷい、とそっぽを向いて、黒髪の少女のスカートに隠れた。
「ん、もう! あ、ごめんね、ジーナはカタリナの妹なの。まだ八歳だから、反抗したい盛りでさ」
やれやれ、と肩をすくめたイザベラの後ろで、カタリナのスカートの陰から顔を出したジーナが、べっと舌を出した。思わず弟を思い出して笑みを浮かべたアンジェラに、イザベラは怪訝な顔をする。
「なに? まぁ、いいや。それで、ステップなんだけど―――」
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「……ね、アンジェラって、好きなタイプとかいるの?」
思っていたよりも激しい運動に、休憩をとっていたアンジェラに、イザベラが声をかけた。
「え? 特に、ありませんけど―――」
「そっかー。ほら、花祭って、好きな人に告白するチャンスなわけでしょ? かぶったらヤだな、って思って」
「あ、それなら、たぶん、あたしは誰とも踊りませんから、大丈夫ですよ」
草むらに腰かけたまま、アンジェラははっきりと答えた。
「え、ほんと? だって、せっかく練習してるのに」
「だんな様は、どうあっても夜までいたくないみたいですから。仕方ありません」
「……むー、それは困るのよ。領主様が夜までいてくれたら、おこづかいくれるって言ってるんだもん」
イザベラが、むむ、と考え込んだ。
「お。なんの話してんの? 混ぜて混ぜて」
アンジェラの向かいに腰を下ろして来たのは、エリックだった。二人きりで話していることが気になって仕方ない、といった感じである。
「エリックさんも、誘う相手は決まってるんですか?」
「うわ、エリックでいいって。アンジェラの方が年上なんだから。―――誘う相手、聞きたい?」
「え、教えてくれるんですか?」
アンジェラが聞き返すと、エリックはにこにこと笑顔のままで「とりあえず、面白そうだからフィリップと踊ってみようと思って」と、爆弾発言を口にした。
「お、男同士でも、いいんですか?」
「ううん。でも、女好きのフィリップに花差し出してみたら、どんな顔するかなーって思ってさ。ほら、周りの反応も見てみたいし」
「エリーック! あんた、なんてこと考えてんのよ。このスカポンタン!」
大声で叫んだのは、今までアンジェラに話しかけてこなかったカタリナだった。
「だめよ、アンジェラ。こんな人の言うこと信じたら」
「あ、カタリナさん」
復習のためにも、アンジェラはその名前を口にした。
「カタリナでいいわ。妹もジーナって呼び捨てにしちゃっていいから。……そうそう、アンジェラ。フィリップには気をつけてね。あの人、女なら誰でも口説きにかかるから」
「そりゃひどいよケイト。僕はカワイイと思った人にしか声はかけないよ」
「誰がケイトなんて呼んでいいって、言ったかしら」
「うん、いいね、その顔。いつにも増して、黒髪がきれいに見えるよ」
フィリップが慣れた様子で爽やかスマイルを浮かべた。濁りのない金色の髪が陽光にキラキラと反射しているのを見ると、むしろフィリップの方が褒められる対象のように思える。
「でも、本当にカタリナの髪はきれいですね。うらやましいです」
アンジェラは自分の赤みがかった金髪があまり好きではなかった。むしろ、カタリナのような真っ黒な髪に憧れていた。
「あら、でもアンジェラだって、いい髪よ。その色はもう少し大人になったら、今にフィリップよりも綺麗な金色になるんだから。逆にその頃にはフィリップの髪はもっと焼けて色褪せちゃうわ」
「そういうものでしょうか」
いまいち信じがたいといった様子のアンジェラに、フィリップがそっと手を差し伸べた。
「もちろん、そうに決まっているじゃないか。そんな数年後の君の隣を僕が予約してもいいかな」
「あー、アンジェラ、真面目に取り合わなくてもいいからね。口先ばっかりの男なんだから」
アンジェラは、カタリナの忠告に頷いてから、楽しそうに微笑んだ。
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「どうでした、初日は?」
いつも通りの夕食の最中、ウィルはそう尋ねてきた。
「はい、みなさん優しい方ばかりです」
「かっこいい男の子はいましたか?」
いやにニコニコと尋ねてくるウィルに、アンジェラは小さくため息をついた。
「……だんな様、その、初対面で、そういうことは」
「おや、そうですか? なるほど、アンジェラは中身重視なんですね。それでは、気になる男の子がいたら、ぜひ相談してくださいね。なんといっても、娘ですから、気になりますよ」
「……」
アンジェラは無言の抗議をする。
「はいはい。まぁ、楽しそうで何よりですよ」
「……そう、見えますか?」
「だって、夕食の準備をしながら、ステップのおさらいをしていたでしょう?」
ウィルの指摘に、アンジェラは自分の顔が火照るのを感じた。
「な、み、見てらしたんですか……っ」
「はい。あれ、いけませんでした?」
意地悪そうな笑みを浮かべるウィルの向かいで、アンジェラは口をパクパクと開閉させた。
「あー……あの、今日の味付け、いかがですか? ダンスの合間に教えてもらった料理なんですけど」
かなり強引に話を逸らしたアンジェラを、ウィルは可愛らしく思って、くすくすと笑いを漏らした。
「そうですね、なかなかいいと思います。最近、料理のレパートリーがマンネリ化していたと嘆いてたことですし、この機会にいろいろ教えてもらいなさい」
「はい、ぜひ、そうさせていただきます」
「本当でしたら、親である私が教えるべきことなんでしょうけど、残念ながら、私は料理とかそういう方面に疎いものですから」
「と、とんでもありません」
アンジェラはパタパタと手を振った。
「あたしは、読み書きを教わっているだけで、本当に充分ですから」
「そうですか? ……そう言っていただけると助かるのですけどね」
ウィルは、心底ほっとしたように安堵のため息をもらした。
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「あ~……」
アンジェラは昼間できなかった掃除に没頭しながら、悩みきった声を出した。
春とはいえ、まだ水も冷たかったが、それを苦にすることもなく、彼女は一生懸命に応接間のソファテーブルを磨くように拭いている。
(本当にどうしたらいいんだろう)
アンジェラの悩みはただひとつ、友情と雇用のどちらを優先するか、ということであった。イザベラは、ウィルを花祭の最後のイベントまで参加させたいと思っているし、ウィルは絶対に夜のウィルを見せたくないと思っている。
もちろん、優先すべきは雇用主であるウィルの希望だと分かっているのだが、少しでも仲良くなってしまうと、どうしてもイザベラの気持ちを無視することも考えにくい。
(これが、ヤコブ氏の思惑だったとしたら、とんでもない策士……)
ピカピカになったテーブルを見つめ、アンジェラは大きく息を吐いた。
「……どっちを優先するかと言われたら、そりゃ、だんな様かもしれないけど、でも、そうしたら、イザベラの期待を裏切ることになるし……」
アンジェラはぶつぶつと呟きながら、桶を持って応接間を出た。次は玄関のドアでも磨こうか、と考えたそのとき
「また、掃除か? お前は意外と家事に逃げるタイプだったんだな」
階段の上から、声がした。
「だん……ウィルフレード様。あ、すみません、すぐ片付けてそちらに行きますから」
「あー、まだいいぜ。ちょうどいいや。それ持ってオレの部屋来てくれよ」
「……? はい」
アンジェラは桶を持って、ゆっくりと階段を上がる。万が一にでも水をこぼしたら大変だ。そう思っていたら、階段をのぼりきったところで、ふいに、桶を取り上げられた。
「ほれ、早く来い」
片手で軽々と水の入った桶を持ち、ウィルは先行して歩き出した。
「あの、ウィルフレード様。重いですから、あたしが持ちます」
「こんぐらいどうってことないっての。それより、オレの時間もそんなにねぇんだからよ」
すたすたと前を歩くウィルは、自分の部屋の前まで来ると、そっとその扉を開けた。
「失礼します」
アンジェラが入ると、いつもと変わらないウィルの部屋がある。
「あの、どこが汚れているんでしょうか?」
雑巾を手にしたまま、アンジェラがウィルに尋ねる。彼は、ちょうど部屋の真ん中に桶を置いたところだった。
「別にどこも? 好きなところ掃除してりゃいいさ」
「……あの、ではどうして」
「拭き掃除しながら、お前の言いたいこと話せよ。どうせ、またグダグダ悩んでんだろ?」
「そ、そんな、とんでも―――」
「いいから話せ」
「は、はい」
アンジェラは、とりあえず飾り棚を拭こうと決めると、雑巾を絞った。直接目を見ながら話さないで済むのは、正直なところ、ありがたい申し出だった。もちろん、ベッドに腰掛けたウィルの視線が、自分に向けられているのは承知していたけれど。
「花祭について、どこまでご存知ですか?」
アンジェラは、そう話を始めた。
―――そして、昼間のウィルの意見と、町長であるヤコブ氏の意向、ヤコブ氏の孫のイザベラの希望など、できるだけ簡潔に語り、そして、打ち明け終えたとき、ウィルは、ひとこと、感想を漏らした。
「ばっかじゃねぇの?」
率直な意見に、アンジェラは「はぁ……」と曖昧な返事をする。
「そりゃ、お前次第だろ? お前が花祭に最後まで居たいんなら、あいつを説得するなり騙すなりすりゃいいし、出たくないんだったら、とっとと帰りゃいいし」
「いいえ、あたしはどちらでも構わないんです。ただ、だんな様の気持ちも分かりますし、イザベラの気持ちも、ヤコブ氏の気持ちも分かるので、……やっぱり、雇用主を優先するべきですよね」
きゅっきゅっ、と棚の側面を磨きつつ、アンジェラは諦めに似た表情を浮かべた。
「それじゃ、聞くけどよ、お前はどうなったら一番いいと思うわけ?」
「……どうなったら、ですか?」
アンジェラは雑巾を桶ですすぎながら、考え込んだ。
「その、だんな様が、納得して花祭に出て下されば―――」
アンジェラの答えに、「それだ!」とウィルは叫んだ。
「要は説得すりゃいいんだろ? だったら簡単じゃねぇか」
「そ、そんなことできません」
「そうか?」
「それは、だんな様の意向に逆らうということに―――」
「オレが行きたいって言ったら?」
ウィルの言葉に、アンジェラは押し黙った。
「そ、それは、その、何とか、お互い譲歩していただけるように、努力いたしますけど」
「じゃ、決定。どうやって説得するか、考えようか」
「……ウィルフレード様、ひとつ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
アンジェラの言葉に、ウィルが「いいぜ?」と面白がるような声音で答える。
「本当に、花祭に出席したいんですね?」
「うん、そりゃもう。ほら、やっぱりオレも領主だし」
アンジェラは大きなため息をついた。ついたのだが、どこか吹っ切れた様子で「分かりました」と続けた。そして、雑巾をぎゅっと絞ると、また飾り棚を拭き始める。
「……手紙を、書くというのはいかがでしょうか」
「はぁ? オレが? 誰に?」
「昼のだんな様に、です。あの、何か変なこと言いましたか?」
「いやぁ? 普通は考えないと思うけど、オレがオレに手紙書くなんてさ、すげぇナルシーみたいじゃん」
アンジェラはウィルの言葉に首を傾げたが、その手は止まることなく拭き掃除を続ける。
「ま、いいか。書いてみっか。あ、お前の案ってことは内緒な。あんまりオレとお前が仲良くしてるの知ったら、かなり怒りそうだしな」
「そうですね。では、黙っておきます」
ウィルは、ベッドから腰をあげると、机に向かった。
「普通に『黙っておく』って言うけど、やっぱり昼のオレが黙っておけ、っていうのもあるのか?」
「はい、いくつかあります」
「ふーん」
何か言われるかと思って身構えたアンジェラに、ウィルはあっさりと背中を向けた。
慣れた様子で紙にペン、インク壺を取り出すウィルを見て、アンジェラは心の中でそっと問いかけた。
(ナルシー、というのは、どういう意味、なんでしょうか?)




