03.仮想敵は布石を置く
カラン、カラン
来訪を告げるベルが鳴り、アンジェラは慌てて台所から飛び出した。
「はい、どちらさま……、おはようございます、ペリーさん」
「おはよう、アンジェラ」
門のところにいたのは、郵便配達を受け持っているペリーだった。すらりと背が高く、茶色い髪と愛嬌のある焦げ茶の瞳が、とても優しい印象を与える。
「今日の分は、これ。……あと、これがちょっと、特別で」
王都からと思われる封書の束を受け取り、もう一つ差しだされた封筒を確認したアンジェラは軽く首を傾げた。
「これ、差出人の名前がペリーさん、ですか?」
「そう、それで、この中身なんだけど、返事を明日の配達の時に欲しいんだ。……頼めるかな」
「はぁ、そういうことでしたら、一応、お伝えしておきます」
アンジェラの返事に、ペリーは、ほっと安堵の表情を見せた。
「よかった。それ、とっても大事な用だからさ。……あ、そうだ。アンジェラも花祭に出るんだよね?」
「はい、だんな様もそうおっしゃってます」
「実は、花祭の前だけでいいからさ、時間が欲しいんだよね、アンジェラの」
「……? あの、それは―――」
「おっと、ごめん、急がなきゃいけないんだった、詳しくはその手紙に書いてあるからさ」
困惑したアンジェラを置いてきぼりにして、ペリーはくるりと背を向けた。
「は、はい、ごくろうさまでした」
慌てて声をかけたアンジェラに、微笑みとともに振り返ったペリーは、大きく手を振ると、そのまま丘を下る道を駆けて行った。
アンジェラはしばらくその姿を見送っていたが、ふぅ、とため息をついて、門を閉めた。
首を傾げて、たった今渡されたばかりの封書を見つめる。
「誰か、来てたのですか?」
声をかけたのは、屋敷の玄関口に立っていた、銀髪の青年だった。いつもより早い主人の姿に、アンジェラは目を丸くする。
「はい、あの、郵便配達の方が……。こちらがそうです」
ぱたぱたとウィルの元に駆け戻ると、手にしていた封書を渡した。そして、一番上に重ねられた封書について、説明をする。
「……そうですか。花祭に関係のあることでしょうけれど、なんでしょうね」
封書を手に考え込む姿勢を見せたウィルだったが、すぐに「開けて来ますね」と二階の書斎へ向かった。
「すぐに戻りますので、朝食の支度をお願いします」
それだけを言いつけると、トン、トンと階段を上がって行くウィルに「わかりました」と返事をしたアンジェラは、小走りで台所に向かった。
昨日、仕込んでおいたスープを温めつつ、昨日焼いたパンを、軽く火にあてて水分を飛ばした。一昨日、食卓に出してみた野草の煮浸しはウィルに不評だったため、自分で食べることにして、カブのピクルスを壷から取り出した。それから、ウィルに出すものより、ちょびっとだけ古いパンを取りだし、そっとカビを削ぎ落として、これも火にあてる。さすがにウィルに出すわけにもいかないものだったが、自分で食べるには十分だった。
「……っと、このぐらい、かな」
食卓にナイフとフォークを並べ、ほかほかのパンをお皿に乗せたところで、ふぅ、と一息ついた。
書斎に行ったウィルがまだ戻って来ないところを見ると、どうやら難しい問題があったらしい。
(……難しい、問題)
アンジェラは昨夜のウィルとの会話を思いだし、大きなため息をついた。
口でこそ、あんなことを言っていたが、やはり、町の人と会ってみたいように感じた。ただ、それこそ初対面の人ばかりになるのだから、興味半分不安半分といったところなのだろう。
(……ほんとうに、セイルそっくり)
今は離れ離れになっている弟を思い出し、アンジェラは懐かしい感じがして微笑みを浮かべた。
「おや、いい顔ですね。何を考えているのですか?」
「あ、だんな様。……すぐにスープ出します」
アンジェラは竃に向かうと、湯気の立つスープをそっとすくった。食卓に並ぶのは一人分の食器と一人分の朝食だ。
「アンジェラ。あれほど朝食も一緒にとりましょう、と言いましたのに」
「はい、だんな様」
テーブルには出していなかった自分用のパンと野草の煮浸しを、言われるままに出すと、そこにスープを付け足した。
それに頷いて見せたウィルは「じゃぁ、いただきますね」とパンに手をつけた。
「それで、何を考えてたんですか? とても楽しそう、というか嬉しそうな感じがしましたが」
「あ、……あの、ちょっと、弟のことを思い出していました。昨日の―――」
そこまで言って、アンジェラは失敗した、と思った。昼のだんな様の前で夜のだんな様の話は、するべきではない、と。この二ヶ月、あれほど身に染みたのに。……目に見えて不機嫌になるのだから。
「昨日の?」
(……申し訳ありません、だんな様)
心の中でそっと謝ると、アンジェラは、言葉を続けた。
「昨日の、ヤコブ様ですが、仕草がすこし、弟に似ていましたから」
「なるほど。同じ仕草でも、する人が違うと印象が変わりますからね。―――そうそう、さきほどの手紙の件ですが」
「はい、だんな様」
「返事をすぐに書きますので、午前中に届けに行ってもらえますか」
「……急ぎ、の用事なのですね」
「内容自体はそれほどでもありませんが、早いに越したことはありませんからね」
「はい、わかりました」
きちんと返事をしたものの、アンジェラは手紙の中身が気になっていた。ペリーの口ぶりからすると、彼女自身にも関係あるようだったのだが―――
「手紙の内容がですね、アンジェラにも関係あることなのですよ」
まるで心を読むかのように切り出したウィルに、慌てて「はい」と返事をしたアンジェラは、うっかりフォークを取り落としそうになった。
「……大丈夫ですか? あぁ、それでですね、アンジェラと同年代の子と引き合わせたいということなのですが、―――構いませんね?」
「は、はい。だんな様がそうおっしゃるのでしたら」
「うーん、今ひとつ弱いですね。まぁ、花祭までに覚えて置かなければならないことがあるようですから、しっかりと教わって来なさい」
「はい、だんな様」
そこまで言うからには、何か重要な役目なのだろうと考え、アンジェラは承諾を伝えた。
.。:*·˚+.。:*·˚+.。:*·˚+.
「あの、失礼します。ペリーさんはいらっしゃいますか」
アンジェラは木戸をノックして声をかけた。中から返事はない。しばらく耳をすましてみるが、物音ひとつ―――
(留守、かな)
首を傾げ、もう一度コン、コンとノックをしてみる。
「あれ、アンジェラじゃないか、どうしたんだい?」
声は、背中から聞こえて来た。
振り向いたアンジェラの目に、たった今名前を呼んだばかりの青年の姿が映った。どうやら、朝の配達を終えて来たばかりらしく、またがっていたロバから、ひょい、と下りた。
「あの、朝の返事を言付かって来ました。できるだけ早く返事をした方がいいと、だんな様がおっしゃったものですから」
アンジェラの言葉に、ペリーは「おや」と眉を上げた。どうやらウィルの返事がとても色良い返事か、とんでもない拒絶の返事かと計りかねているらしい。
「そっか。それじゃぁ、中にお入りよ。せっかくあそこから歩いて来たんだ、何かお茶でもごちそうするよ」
気さくに誘うペリーに、アンジェラは固辞する間もなく、ペリーの家に入ってしまった。
「じーちゃん、午前の配達終わったけど―――!」
「あ、お帰り、ペリー」
じーちゃん、と呼びかけた先には、アンジェラと同じくらいの年の少女が、お茶をすすっていた。見事な赤毛とこれまた見事なソバカスをつけた少女は、気の強そうな目でペリーを見上げた。
「さっき、ペリーを尋ねて誰か、あぁ、その人かな。……もしかして、うわさのアンジェラ?」
「そうだよ。……あぁ、ごめんな、アンジェラ。これはイザベラ。見ての通りのやかましいヤツで」
「これはないと思うけど。……はじめまして、アンジェラ。私のことはベラって呼んでね」
「あ、はい。はじめまして」
アンジェラは戸惑いながら、差し出された手をそっと握った。
「おい、ベラ。一応言っておくけどな、アンジェラはお前よりも年上だからな」
「え、そうなの? アンジェラ、いくつ?」
「一二になったところ、ですけど」
「やだ、『ですけど』なんて。……でも、ふーん。ホントに年上なんだ。なんか、背とかもあんまり変わらないから、同じぐらいかと思っちゃった。ま、座って座って」
ペリーはアンジェラのことをイザベラに任せ、お茶を出すべく台所に足を向けた。
「あ、そうそう、手紙、読んでくれた? 一応、ペリーの名前で出したんだけど、あれ、私の用事なのよね」
「そうだったんですか? 返事でしたら、こちらに」
差し出された封筒を見て、イザベラはきょとん、とした顔になった。
「うわー、領主様って本当にまじめな方なのねー。きちんと封蝋まで押してあるしー」
イザベラは立ちあがると、ペリーにナイフの置き場所を尋ねた。ほどなくして、ペーパーナイフを片手に意気揚々と戻って来る。
「ね、アンジェラ」
「は、はい」
「やっだなぁ、そんなに固くならなくっていいってば、敬語なんていらないって」
ピリピリピリ……っと封を開け、イザベラは手紙を取り出した。
「あ、オッケーなのね。昼前か午後かのどちらか、ねぇ。アンジェラはどっちがいいの?」
「あの、その前に、覚えておかなければならないことがある、と聞いたのですけど」
アンジェラの問いに、イザベラはくわっと目を見開き、訂正する。
「聞いたんだけど!」
「……聞いたんだけど」
復唱したアンジェラに満足そうに頷くと、イザベラは目を通し終わった手紙を置いた。
「たいしたことでもないんだけど、ほら、やっぱり、こっちに来たばっかじゃない? 花祭も初めてなのよね?」
「はい、そうですけど」
うん、そうだけど! と言われ、アンジェラは再度復唱するはめになった。
「それで、夜のイベントについては聞いた? とりあえず豊穣を願うためっていうことだけど、早い話が気になる男の子と踊れるチャンスなわけ」
「う、うん。そうな……の?」
「そうなの。それで、必須項目として、ダンスを踊れること、っていうのがあるわけよ。それこそ六歳頃からみんな練習して、私らぐらいの年齢にもなると、いろいろアレンジとかも加えたりするんだけど、まぁ、おじいちゃんも領主様をなんとか出席させたいって言ってるし、そうすると、アンジェラにはダンスを覚えてもらわないといけないわけで」
ベラベラとまくしたてるイザベラに、「もう少し、順を追って話すっていうこと、覚えようね」と、お茶を持って来たペリーがたしなめた。
「はい、アンジェラ。熱いから気を付けて」
「あ、ありがとうございます」
「だから、『ございます』はいらないっての。ペリーなんかにそんな丁寧な言葉遣い必要ないんだから」
ちらり、とペリーを見ると、彼は肩をすくめて見せた。
「とりあえず、ベラのおじいさんの話から始めた方がいいと思うけど。……ねぇ、ベラ」
「あ、それもそうね。おじいちゃんの名前は、フェリペ・ヤコブって言うの。いちおう、町長やってるわ」
アンジェラは、聞き覚えのある名前に、まじまじとイザベラを見た。押しの強いところ以外は、あまり似ているようには思えないが。
「んで、おじいちゃんがね、どうしても、領主様に花祭の最後まで参加してもらいたいって言っててね、そのために、断る口実になりそうなものは、できるだけ事前に潰しとこうって」
「……そういうこと、なんですね」
「だから、丁寧な言葉遣いはやめてって」
「万が一、だんな様の前でぞんざいな言葉遣いをしてしまったら、あたしは自分でそれを許せないんです。ですから、どうぞこのままで」
アンジェラのきっぱりとしたセリフに、イザベラがきょとん、と目を丸くした。
「なんだ、自分の意見、ちゃんと話せるんじゃない」
「こればっかりはアンジェラの言う通りだよ。イザベラと違って仕事をして生活してる身だからね。失敗に繋がることは避けたいっていうのはオレも分かる」
ペリーの援護に、イザベラがぷぅっと頬を膨らませた。
「はいはい。……えーと、そうそう、それで、おじいちゃんが言うには、アンジェラが当日恥をかくことのないように、アンジェラ自身が花祭に行きたがるように、事前に祭について叩き込んでおけ、って」
イザベラの言葉に、アンジェラは少し考え込んだ。
結局は、あのヤコブ氏の陰謀めいたものだったということ。
だが、それを知らないまでも、ウィルが教わってくるように、と言ったことには間違いない。
それに、アンジェラ自身、同じぐらいの年齢の子と交流がもてるのは嬉しいことだった。
「分かりました。……それでは、時間はどうしましょうか」
「アンジェラの都合に合わせるわ。さっきペリーが言った通り、家の手伝い以外、特に仕事もしてないから」
「では、午後にお願いします。そちらの方が時間の都合がつけやすいので」
「オッケー。じゃ、明日の午後、みんなに会わせるから。領主様の丘の下で待ってるわ」
「みんな、ですか?」
「もちろん。みんなアンジェラに会ってみたいって言ってるし、男女ペアで踊るのに相手がいないと話にならないでしょ?」
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ペリーにロバで、領主の屋敷のある丘のふもとまで送ってもらったアンジェラは、目の前に広がるなだらかな坂に、小さくため息を付いた。
ついさっき、駆け下りてペリーの家まで行ったところだというのに、再びここを上っていかなくてはならないのだ。
(せめて、馬に乗れたらいいのに)
さすがに買い出しには馬車を出してもらうのだが、軽い用事の時は歩いて町まで行くのだ。この坂を下りて、上って。
ゆっくりと歩き出したアンジェラの耳に、町の教会の鐘の音が届く。カラーンカラーンと鳴るその音が示すものは―――
(急がないと!)
正午を知らせる鐘の音に、アンジェラは駆け出した。万が一の時のために、軽い仕込みはしてあるので、それほど手間はかからない。それでも、これまではこの鐘の音で昼食にしていたのだから、今日は遅れてしまうことが確実だった。
息を弾ませて、長く緩い坂を登りきると、そのまま井戸で手を洗い、玄関を経由せずに土間に駆けこんだ。水を張った鍋に火をかけると、土間の隅に置いてあるカゴから野菜を2つ3つ選んで、リズムよく刻み始める。
いつの間にかやって来ていたウィルは、あえて声をかけることはせずに、台所にあるイス――アンジェラが料理をしているときの彼の定位置だった――に腰かけた。
ようやく昼食の支度を終えたアンジェラが、振り向くなり驚いたのは言うまでもない。
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雨上がりの草のような、さわやかな風に乗ってくる土の香りのような、そんな空気のあるこの部屋をアンジェラは気に入っていた。
忙しくも驚いた昼食も終わり、午後はウィルのお仕事の時間だった。もう少し太陽が西に傾けば、いつもお茶を頼まれる時間になり、その後には、勉強の時間がある。
明日から午後に時間をもらうので、毎日のスケジュールも変わってくるのだ。そう思うと、ここでぼんやりとする時間が、何かかけがえのないもののように思えて、アンジェラは一人、イスに座っていた。
しばらく前からここ、ウィルの書斎で本を読むことが、休憩時間の過ごし方になっていた。いままで意味を持たなかった記号の羅列が、まったく別の顔をしているのが、アンジェラには嬉しくてたまらなかった。
コンコン、とノックの音が響き、彼女は慌てて持っていた本――『領地管理の基本』と書かれた本を棚に戻した。
「アンジェラ、ここにいますか?」
「はい、お茶ですか、だんな様」
ガチャリとドアを開けたアンジェラの目の前に、やや疲れた様相を見せたウィルが姿を見せた。
「いえ、そうではないのですけど―――そうですね、少し早いですが、お茶にしてもらえますか」
「はい、分かりました。では、部屋でお待ちください」
「いえ、台所に一緒に行きましょう。どうやら私の部屋より、そちらの方が落ち着くみたいですから」
「はぁ……」
なんだろう、とアンジェラは首を傾げた。
わざわざ台所に足を運ぶということは、自分は何か、失敗でもしただろうか。
いやな予測に顔をこわばらせ、アンジェラはウィルと並んで階段を下りた。
ウィルは特に話しかけることもなく、無言のまま、台所に到着する。
「では、すぐに用意しますので、お待ちください」
水瓶から汲んだ水を火にかけ、いつものティーカップとソーサー、ポットを出すと、定位置に座るウィルにお茶の銘柄を尋ねる。
だが、返事は戻って来なかった。
「あの、だんな様? 今日のお茶は何にしますか?」
再度尋ねたところで、ウィルは慌てて顔を上げた。そして、「今日はアンジェラの好きなもので」と、滅多にない答えを口にする。
アンジェラは、首をひねりながら、どうやら疲れているらしいウィルのために、甘めのお茶を選択した。お茶うけに、と昨日焼いたスコーンを取り出すと、火の近くに置いて温める。土間を経由して食糧庫――とは名ばかりの小さな室に行ってジャムを取って戻って来た頃には、お湯も沸いていた。
……とまぁ、これだけパタパタと動くアンジェラを、イスから微動だにせず、ウィルは見守っていた。彼の視線の先では、アンジェラが茶葉の入ったポットにお湯をそそいでいた。
「お待たせしました」
お茶とスコーンとジャムをテーブルに置き、アンジェラは、ちょっとだけウィルの顔色を伺ってから、テーブルを挟んで向かいのイスに座った。
「いつもながら、良い手際ですね」
「と、とんでもありません」
恐縮したアンジェラは、両手を膝の上に置いたままで、じっとウィルを見つめた。
「あの、何か、お話があるんでしょうか」
「……そういえば、手紙の返事を出した時に、何について教わるのかは聞きましたか?」
まるで子供がそうするように、話題を逸らしたウィルに、アンジェラは心の中でため息をついた。―――主人が問うなと言うのであれば、尋ねてはいけない。そう自分に言い聞かせる。
「はい、その、花祭のダンスを教えて下さるそうです。明日から午後に少しお屋敷を空けさせて頂きたいのですけど」
「ええ、構いませんよ。……ダンスというのは、やはり、夜の、ですよね」
しまった、とアンジェラは心の中で自分の頭をポカポカと殴りつけた。
ヤコブ氏とメリッサから、ウィルを花祭に最後まで参加させて欲しいという話を聞いて、まるで外堀を埋めて行くかのように、ヤコブ氏の孫であるイザベラからダンスを教わることになってしまったアンジェラは、それでも自分の主人が夜の自分を領民にさらけ出したくないことを十分に分かっていた、のだが。
(油断していると、ウソもつけないなんて)
元々、自分の主人にウソをつかないように使えて来たアンジェラが、すらすらとウソをつこうと考えること自体が無理なのだが、それを本人が気付くはずもない。
「はい、そうです。……あの、だんな様が帰るとおっしゃるのでしたら、あたしも帰りますから、その、気兼ねなくおっしゃってください」
慌てて取り繕おうとするアンジェラを、ウィルが目を細めて見つめた。
「大丈夫ですよ。その時はアンジェラ一人で楽しんでくれれば。……それにしても、町長も、抜け目がありませんね。こちらの言い訳になりそうなものを、確実に潰してくるのですから」
大きなため息をつくと、彼はティーカップを優雅に口に運んだ。
「そうそう、本題ですけどね。……アンジェラ、やはり、必要な嘘というものはあると思うのですよ」
その言葉に、アンジェラの心臓がドキリ、と跳ね上がった。確かにウィルの機嫌を損ねないように、いくつかの小さな嘘をついたことがある。だが、こう改まって言われるほどの嘘を、自分はついてしまっただろうか。
「これから、アンジェラも町の人と交流が増えて行くと思いますし、出自について口裏を合わせておいた方がいいと思いまして……」
アンジェラは、思わず安堵のため息をもらした。
「……? どうかしましたか?」
「あ、いいえ。その、だんな様のお気遣いが嬉しくて……」
慌てて取り繕ったアンジェラに、少し照れ笑いを見せたウィルは、話の続きに戻る。
「とりあえず、ここに来る前のことを聞かれたら、どう答えるか、という話ですけど」
「……あの、アデッソー男爵のお屋敷で勤めていた、ということではいけないんでしょうか」
「そうですねぇ……。まぁ、見習いとしてなら、ありえない年齢ではありませんけど」
「住み込みでお勤めしている間に、流行り病で家族を亡くしてしまったと言えば、あまり追及もされないと思います」
アンジェラの提案に、ウィルは少しだけ苦い顔をした。
「……アンジェラはそれで構わないのですか? その、嘘とは言え、家族を―――」
「少し、抵抗はあります。でも、実際に、安否も分からないわけですし。……それに、できれば家族の話題は避けたいものですから」
後半の言葉を、言い過ぎてしまったと感じたのか、アンジェラは慌ててお茶を口に含んだ。まさか、家族のことを思うと、今でも泣きたくなるなんて言えない。
「……そうですか。では、それで行きましょうか。親元を離れて働いていたところを、流行り病で親を亡くし、アデッソー男爵家も断絶になったところを私が引き取った、と」
「はい。それで構いません」
アンジェラがはっきりと頷いて見せると、向かいのウィルも頷いた。
「では、この話はこれで良いですね。……そうそう、午後はまるまるダンスの練習に使って構いませんからね」
「え、でも、午後のお茶と、勉強は―――」
「花祭までのことですから、構いませんよ。お茶も自分でやりますから。……わかりましたね?」
「……はい」
有無を言わさぬウィルの声に、アンジェラはこくり、と首肯するしかなかった。




