02.花に集まるものたち
「……ですから、とんでもないと、申し上げました」
困った顔で、アンジェラが仕立て屋の前で立ち往生していた。
「せっかくの花祭ですよ。ちょっとおめかしぐらい、構いませんって」
「それなら、あたしは、自分のお金を使います。買っていただくなんて、とんでもありません」
馬車を使って、ここまで来るまでに、散々繰り返した言葉を、アンジェラは口にした。
……と、声が聞こえたのだろうか、仕立て屋の店主が、ひょいっと窓から顔を出した。
「なんだ、領主様じゃないですか。何を言い合ってるんですか?」
「いやいや、大したことではありませんよ。それじゃ、アンジェラ」
立ち止まっていたアンジェラを、ウィルは軽々と持ち上げた。
「あっ……、あの、だんな様……っ」
「文句は服を仕立ててから聞きますよ」
「それじゃ、遅いじゃないです、かっ」
アンジェラがようやく下ろされたのは、仕立て屋の中だった。所狭しと服が並び、生地が並んでいるその店内は、どこか冬に立ち寄ったミーナの家を思い起こさせるが、あそこは既に服ができている。似ているようで全然違う空間だった。
「花祭用の服を作ろうかと思いまして」
「ほいきた。お嬢さんのですね。今年は、淡いピンクが多いですかねー。あ、でも、好みもあるから一概には言えませんけど」
アンジェラを頭のてっぺんからつまさきまで見ると、店主は棚から生地をいくつか取り上げ、目の前のカウンターに並べて見せた。
「やっぱり、花祭は春色でしょ。お嬢さんだったら、この辺りが似合うかな。……おう、そういや予算は?」
「予算はですねぇ、……」
ウィルは出発前にアンジェラが計算したばかりの金額を口にした。
「あ、あたしのお金から、ちゃんと出しますから……っ!!」
慌てて付け加えたアンジェラと、ウィルの視線が何を物語っているのかを悟った店主が、ぶふっと吹き出した。
「だっはっはっは! そんなことで口論してたんですかい」
ゲラゲラと笑いながら、店主はデザインノートを取り出して二人に見せた。
「買ってくれるモンを、断るお嬢さんも珍しいが、それでも買い与えようとする領主も珍しいですな。……っっ、だーっはっはっはっはっ」
よほどツボに入ったのか、ひーひーと笑い続ける店主に、二人が困惑した顔を見せた。
「まぁ、あれですよ。領主様の付き添いで参加するんでしたら、必要経費ってことでいいんじゃないですかい?」
デザインノートを見つめていたアンジェラが「えっ」という顔になり、対してウィルが「なるほど」という顔になった。
「それは良い案ですね。『必要経費』。確かにその通りです」
「で、ですが、だんな様。その、結局は……あたしの服ですから、やっぱり―――」
「おぉ、これは領主殿ではありませんかな」
アンジェラの言葉を遮った声は、店の奥から聞こえて来た。
「あら、本当に。アンジェラもいるのね」
店の奥で、優雅にティータイムとしゃれこんでいたその二人が、ゆっくりとした足取りで姿を現した。一人は豊かなヒゲをたくわえた老人である。アンジェラはつい先ほど見た顔に、慌てて記憶を掘り起こした。それは、町長のヤコブ氏である。
「これは、町長。奇遇ですね。それに―――」
できるだけ感情を押し殺して話しかけたウィルは、もう一人の姿を見て言葉を止めた。茶に近い金色の髪に、少し白髪の混じった女性だった。アンジェラは苦もなくその人の名前を思い出すと、ちらり、とウィルの方を見上げてから会釈した。
「お久しぶりです、メリッサさん。あの、シビントン夫人の様子はいかがですか?」
主人より先に挨拶することが失礼にあたるとは思ったが、そこをあえて「言葉が出てしまった」風を装って、アンジェラが声を出した。
「アンジェラも元気そうね。マリアもギルも元気よ。毎日忙しくて楽しいわ」
幸せそうに微笑むメリッサに、アンジェラも安堵して表情を和らげた。ギルバートと名づけられた男の子が生まれてから二ヶ月あまり、赤ん坊の健康状態はまだまだ安定しない。迂闊に油断すればあっさりと死んでしまうのだ。
「それは何よりですね。……もし時間がありましたら、アンジェラに服を選ぶのを手伝ってもらえますか?」
それは、メリッサに向かって放った言葉だったが、力強く頷いたのは、何故かヤコブ氏の方だった。
「え、あの、そんな……もったいないです」
「いやいや、一部始終を聞いておったのでな。領主殿が必要経費として出すのであれば、それにふさわしく着飾らねば」
「そうですわね、町長の言う通り。服だけじゃなくて、花飾りも作らないといけないわ」
思いもよらなかった流れにただ呆然とするアンジェラの横で、ヤコブ氏とメリッサがデザインノートをめくりながら、ああでもないこうでもない、と検討を始めた。ウィルもなかなかその輪に入り込めないでいる。
「やっぱりアンジェラの髪の色には―――」
「なるほど、だが、もちっとフリルのあった方が―――」
「今年の流行を追えば―――」
「いやいや、やはりそれは避けて―――」
店主をアゴで使い、布地を出してはアンジェラに合わせ、あぁやっぱり違う、と嘆息し、デザインノートをめくりながら、この型ならこの色が、と激論するヤコブ氏とメリッサに、店主を含めた三人がゲンナリしてきた頃、
「これでいいでしょう」
「うむ、これならば問題ない」
二人の意見がようやく一致した。
デザインは、流行を追ってパニエでスカートを膨らませることはせず、ウエストを腰紐で調節できるすらりとしたラインのスカート。ただし、メリッサの強い要望で布の量を増やし、ダンスの時にふわりと広がるようにした。そこにアンジェラの体型のメリハリのなさを隠すようなボレロを加え、胸元に花のコサージュを加える。髪を飾るリボンまでこだわりを見せ、スカート、ボレロと同じく、淡いオレンジで統一した。
店主から説明され、頭の中でその姿を想像したウィルは、二つ返事でOKを出した。ただ、問題は―――
「ただちょっと、予算がねぇ……」
店主がそう洩らしたとき、アンジェラはメリッサとヤコブ氏に連れられ、奥で何かを話していた。こちらの声は聞こえていないようだ。
ウィルは店主の示した請求書に一つ頷くと「アンジェラにはくれぐれも内緒でお願いします」と言い含めた。もちろん、店主としては彼女に知れると儲けが減る、ということも最初の口論でよく分かっていたので、すぐさま了承した。
「いやぁ、いい買い物ですよ。領主様」
「そうですかね。……まぁ、あまり口を挟めませんでしたけど」
「あの二人が強すぎるんでさぁ。……おっと、忘れるとこでした」
店主は奥に行ったアンジェラを呼ぶと、巻尺を片手に採寸を始めた。
「領主様、靴はどうなさるんで? 隣のルカんとこで作るんでしたら、口聞いておきますけど」
「そうですね、お願いできますか?」
「じゃ、足も計っておきますよ」
店主は、普通の仕立て屋にはない、足の採寸用の道具を取り出すと、アンジェラの右足をそこに乗せた。
「あの、だんな様。その、予算の方は大丈夫なんですか?」
「はい、問題ありませんよ」
ウソをつくのもイヤだったが、こう答えないわけにもいかなかった。本当のことを話したが最後、あの夢のようなデザインも本当に夢になってしまうのだから。
「でも、靴も、なんて―――」
「はい、お嬢さん、次は左足ね」
店主の絶妙なタイミングに、アンジェラは話を中断する。ウィルがちらり、と店主を見ると、にやり、と笑みが返された。
(わかってまさぁ、領主様)
そう言われているかのような店主の態度に、ウィルは安堵の笑みを浮かべた。
とりあえず、服と靴の仕上げ予定日を確認すると、ウィルは一足先に店を出た。靴の代金もあるため、支払いは受け取りの時にとは言うが、さて、その時にどうやってアンジェラを煙に巻いたものか、とウィルは考え込んだ。
「あの、だんな様……?」
「は、はい? なんでしょう?」
心の中を読まれたか、とびっくりして返事をする。
「え……と、あの、―――お金の方は、本当に大丈夫だったんですか?」
「えぇ、問題ありませんよ。元々、店主に予算を告げてから選んでますから、問題があれば、何か言うでしょう」
「……そう、ですよね」
ぎこちなく返事をしたアンジェラに、さてはバレたか、とビクビクしたウィルだったが、少し考えて、何かおかしいことに気付く。
(もし、バレていたら、直接言ってくるはずですよね。……お金のことにはうるさいですし)
馬車の御者台に腰かけ、隣に座ったアンジェラを見ると、考え事をしているのか、あさっての方を向いていた。
「あ、の、だんな様。出発なさらないんですか?」
いつまでも走りださない馬車に、アンジェラがウィルの方を振り向いた。
「あぁ、はい。……そうですね」
ペシッとムチをやると、馬がポッコポッコと歩き出した。
「アンジェラ、何か気になることでも?」
「……いいえ。特にありません」
躊躇を見せたアンジェラに、ウィルは「本当に?」と問い詰めた。二ヶ月つきあって分かったことだが、アンジェラは、主人――ウィルの不快を誘うような言葉を使わないように心がけている。ただ、やはり自分の中で消化しきれないものが残るのか、時折、こうして歯切れが悪くなるのだ。
「あの、よろしいでしょうか」
「なんでしょう?」
「だんな様は、花祭にいつまで参加されるのですか?」
予想外な質問に、ウィルはしばし黙り込んだ。
「……もしかして、ヤコブ氏、ですか?」
「は、……はい。その、どうにか説得できないかと」
(困りましたねぇ、あの方々にも。あまり無理を言うようであれば、いっそのこと花祭に参加しないという選択肢もチラつかせてみますか)
やれやれ、と肩で息をしたウィルは、ふと思い立って尋ねることにした。
「アンジェラ。あなたは、どうするのがいいと思いますか?」
「え? あの、だんな様が良いと思うもので、構わないと……思います」
「私の考えでなく、あなたの考えを聞いているのですが」
「……はい。でも、だんな様が当事者ですから」
「当事者、ねぇ……」
その言い回しにどこか引っかかりを覚えたが、ウィルはそれ以上問い詰めることはしなかった。アンジェラに対して、無理に自分の意見を言わせてみたかったのだが、それをするには、まだ早い、と判断したのだ。
緊張で声の震えたアンジェラには。
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その夜、領主の城では、誰もいない台所を、こそこそと動く影があった。
燭台には一番細いろうそくが、一本だけ、たよりなく灯りの役目を果たしていた。その儚げな灯りに照らされているのは、台所で懸命に拭き掃除をしている、赤茶っぽい髪の痩せぎすの少女だった。彼女は台所の端にある水瓶から、いつも食材を置いているテーブルまで、一心不乱に磨いていた。主人の寝静まった邸で、ただ、ひとり。
―――どうしたら、いいかな。
彼女の考えることは、どうやって主人と町の代表との仲を調停するか、であった。
もちろん、自分にそんな権限も責任もないのは承知していたが、町長と、何よりメリッサに頼み込まれてしまっては、ただ一度の行動だけで諦めるわけにはいかなかった。
どうしようかと考えながら、彼女の手はひたすらににイスを磨く。
「―――おい、何やってんだ?」
唐突に、声が聞こえた。
「は、はいっ!」
ピカピカと光るようになったイスの足から顔を上げ、アンジェラが慌てて周囲を見まわす。
目に入ったのは、台所の入口付近に立った、銀色の髪の青年だった。昼間こそ優しい海の色をしていた彼の瞳は、今は好奇心か遊び心か、くりくりと輝いている。
「ウィルフレード様。どうなさったんですか?」
夜の主人限定の呼び名に、彼の口端がニヤリと上がった。
「どうなさったんですか、っつーのは、こっちのセリフだ。夜中に何が楽しくて掃除なんてやってんだ?」
「あ、これは、その……、ちょっと眠れなくて」
「それで、掃除かよ。それはいいから、早く来いっての」
「は、はい。申し訳ありません」
汚くなった水を捨てに行こうと、アンジェラはぐっ、と桶を持ち上げた。そのままよたよたと勝手口へ向かう。
「まったく、家事に逃げて、何が楽しいんだか」
呆れるように呟いたウィルの言葉に、アンジェラの足がびくっと止まった。だが、それも一瞬のことで、何もなかったかのように、よたよたと進む。
「なんだ、本気で逃げてたのか」
ウィルは、今度は確信を含めて呟いた。
「……だんな様」
「なんだ?」
「春とは言え、まだ寒いですから、どうぞお部屋でお待ち下さい」
アンジェラが手を洗おうと、パタパタと通りすぎる。確かに、ようやく花が咲こうかという季節だ、寒いことには違いない。だが、やはり、今日のアンジェラは何か違う、と思った。
「部屋で待てって言われると、逆にここで待ちたくなるよな」
「……どうぞ、ご随意に」
アンジェラはぺこり、と一礼して、パタパタと台所を出て行った。あの様子では、手を洗うだけでなく、水の補充までやりかねない。
「こっちは、そろそろ眠いっての」
毎夜、アンジェラはウィルの部屋に来て添い寝するのが習慣になっていた。もちろん、昼のウィルもそれを知っている。だが、アンジェラは昼のウィルが知っているということを知らないでいる。これはこれでいい。
だが、問題は、今日のアンジェラの変な様子を昼のウィルが知っていて、それを夜の自分が日記を通して知っているということだった。
「何を考えてんだか。昼のオレにバレるようじゃ、ダメだっつーのによ」
さっきまでアンジェラが磨いていたイスに腰かけ、ウィルはあくびをする。
ほどなくして、パタパタとアンジェラが戻ってきた。
「お待たせしました、ウィルフレードさま」
息を弾ませて戻ってくるものの、井戸まで往復した彼女の肌は冷たいのだろう。そう考えると、ウィルはゲンナリとした。
(ま、こっちにゃ、それなりの対処法があるけどよ)
「よし、じゃ、行くか」
ウィルはゆっくりと立ちあがり、自分の銀色の髪を軽くかきあげた。
「はい……ぁっ!]
アンジェラの悲鳴を聞き流し、ウィルは少女の冷たい身体を抱き上げた。
「あの、ウィルフレードさ、まっ!」
「今の悩みの種、ぜんぶ吐き出さねーと、下ろさねぇからな」
じたばたと足掻くこともせず、ただただ硬直しているアンジェラを、お姫様だっこしたまま、ウィルは軽々と階段を上がる。
「あー、やっぱ、まだ軽ぃな。もう少し出るとこ出てもらわねぇと」
「……」
首に手を回すわけでもなく、ただぎゅっと縮こまったままで、アンジェラは無言の返事をした。
「んで? 話す気になったか?」
階段を上がりきったウィルが、「よっ」とアンジェラを抱え直す。
「あの、あたしは、そんなに悩んでいるように見えますか?」
「じゃぁ、なんで真夜中に台所掃除なんてするんだ?」
「……」
実を言えば、昼の自分の日記で知ったのだが、それを話すとまた、だんまりが長くなりそうなので黙っていることにした。
「ウィルフレード様は、町の人達と、その、話してみたいと思いますか?」
「町の? あぁ、この城から出て……ってことか。そりゃ、あるさ。実際、夜中に出かけようと思ったこともあるしな。……まぁ、結構遠いんで諦めたけど」
この屋敷は丘の上にドンと立っていて、町からはそこそこに距離がある。別に歩いて行けない距離ではないのだが、夜中に出るのをやめる理由には十分だった。
「そう、ですか……」
アンジェラは、うつむき、軽く下唇を噛んだ。
「おいおい、聞くだけ聞いてだんまりか? そりゃ主人に対して失礼なんじゃねぇの?」
「も、申し訳ありません。その、町の人達が、夜のだんな様、ウィルフレード様にも会ってみたいと、そうおっしゃっていたものですから」
「あぁ、例の花祭か。あー、なるほどな、オレが店主と話してる隙に、お前に頼んで来たのか」
「はい。是非に、とおっしゃって」
「ふーん。ま、好きにすれば?」
「……ウィルフレード様は、花祭に行きたいとお考えですか?」
「行きたくねぇ、っつったらウソになるけどな。でも、ま、今更って感じもするしな。どっちでもいいや」
突き当たりの自分の部屋の前まで来ると、ウィルはアンジェラを廊下に下ろした。
「あー、祭できれーな姉ちゃんと踊れたら、確かにいいかもな」
冗談めかして言ったウィルだったが、アンジェラが「そうですか」とうつむき加減に答えたのを見て、失敗した、と気付いた。
「お前な、そーゆー時は、もっと『あたしというものがありながら』って言うもんじゃねぇの?」
「……そういうものですか?」
言われたことの意味が掴めず、きょとん、とするアンジェラに、ウィルは首を振って見せた。
「まだまだ早ぇか。……ま、いいさ。ほら、寝よーぜ」
「はい、ウィルフレード様」




