魔法使いの懐中時計その1
ソレルさんの家に行ってから二日が経った。本当は直ぐにでも行きたかったけど、村のおばさんたちの手芸の手伝いや軽い農作業に追われ家に帰る頃にはへとへと。とてもじゃないが森の奥へ行くほどの元気が残ってなかった。
「しかし! 今日は二日ぶりの休みの日。今日は何着て行こうかなー」
私はタイムを姿見の上に乗せて、その前であーでもないこーでもないとクローゼットの中身を放り出すのだった。
「ねぇタイム。この服はどうかな?」
この前のプレゼントにもらった服を鏡の自分に合わせてみる。それは町娘が着る様な赤いワンピースで、すねの辺りから胸の辺りにかけて花柄の刺繍が施されている。胸の辺りは赤く染めた生地に黒い革紐がアクセントになっていて、その場でひらりと一回転してタイムに視線をやると素早く何度も頭を振った。気に入ってくれたみたいだ。そういえば、ソレルさんはお姫さまの様なドレスを着ていたなぁ……
なんとなくそれを着てる気分でまた一回転する。足がもつれそうになった。やっぱり私にはまだ早いらしい。放り出した服たちを畳み、タイムを首にかける。朝起きてからかれこれ何十分もこうしていたからそろそろ動こう。
思えば行動は早く、食材庫からおすそ分けの小ぶりなパンを一つ取り出してイチゴと砂糖で出来た甘いジャムを塗る。それを口に咥えつつ洗面台の方に向かい髪を串で梳かす。髪の毛は概ねすとんと落ちてくれたが、やはり何本かの束は重力に逆らう様に頭から芽を出すのだった。せっかくのおしゃれな服なのにイマイチ決まり切らないなーと思いつつ。玄関へ小走りに向かおうとした所でタイムが私の胸をとんとんと叩いた。
「どうしたのタイム?」
タイムは私の目の前に止まり、逆の方向へと私を引っ張った。チェーンに引っ張られるままにリビング。そして台所に着いた私は洗い物の一角に上品な丸皿があることに気づいた。
「あー! ソレルさんの家のお皿忘れる所だった!」
タイムはこれを教えようとしてくれてたんだ。私はありがとね、とタイムの丸い体の縁をなでた。
「でも、どうやって持っていこう。森を抜ける時に割っちゃったら駄目だし」
せめて、前みたいに柔らかい布になってくれたら良いのに。
「……えい!」
私はソレルさんたちがやっていた様に指先を宙に添わせながら布になれ! と念じてみる。何も起きない、やっぱり魔法ってそんな簡単なものじゃ無いよね。
「魔法に少し興味が出てきましたか?」
私の後ろから久々に聴く渋めな声がした。
「キャットニップ!? なんでここに」
振り返るとそこにはこの前と同じ燕尾服を来た黒猫が椅子の上に立っていた。視線の高さは私より少し低めだろうか。耳には小さなハットをかけており、さながら上流階級の紳士の風貌で私を見上げている。
「勝手に家に入ってしまってすいません。今日はミントさんがソレル様の家を訪れる日だと聞いたので迎えに上がりました」
「ついでに私もいるよー」
キャットニップの肩からひょっこりアンゼリカが顔を覗かせた。蝶みたいな羽根をパタパタとして肩肘をついてくつろいでいる。髪の毛は緑色で、長そうな髪を一本にまとめて後ろに流している。顔は私よりも少しお姉さんな感じで好奇心に溢れた目は彼女の性格を表す様にせっかちに動き回っている。この前はまじまじと見る時間が無かったが、可愛いというより頼れるお姉さんという感じだ。
……あれ? 何か引っかかる。
「そうだ! どうして私の家が分かったの? それと今日行こうと思ってたことも」
「それは簡単なことですよ。今日行こうとしたことも。全部タイムがソレル様に報告してくれたのです。」
タイムはこくんと頷く。報告した? と言うことは。
「タイムってもしかして話せるの?」
タイムは少しびくっとして。申し訳なさそうに顔を横に振った。
「昔は話せてたらしいけど……何せタイムは古い時計だからねー。ちょっとパーツにガタが来てるのかも。ソレル様は魔法書を通して話してるみたい」
「治せないの?」
「難しいでしょうね。こういう魔法具は基本一点物なので、壊れた箇所は作った者にしか治せません。タイムが作られたのは何百年も前のこと、もうその技術は失われています」
「そっかー……でもソレルさんにその魔法書を借りて話せるならそれで良いや」
タイムも激しく首を振る。タイムと話せるのなら知りたいことは山ほどある。お母さんとお父さんのことも。
「では、そろそろーー」
キャットニップがそろそろ出かけましょう。と言おうとしたのだろうが、その言葉は2階からの訪問者にかき消される。
「ミントー遊びに来たぜー」
ポップだ。今日も窓から家に入って来たらしい。私が部屋にいないのを確認して、階段をミシミシと言わせながら降りてくる。恐らく顔を合わせるまで10秒も無いだろう。
「どうしよう! 見つかったらまずいよね?」
私のささやき声にキャットニップは頷く。
「私はともかく、ニップはどうすんのー?」
アンゼリカは私のスカートに滑り込んだ。どこか楽しそうだ。
「他人事みたいに……これしかないか」
キャットニップは私に顔を寄せて耳打ちする。ちょっと無理のある話だったが、何しろ時間が無い。廊下の直ぐ先に足音が聞こえる。私はキャットニップを抱き抱えて後ろを向いた。