魔法使いの家その1
森の吐息に霞むふもとの村で私の家はけたたましい騒音を撒き散らしていた。
飛び起きた私は耳元で鳴るその元凶を一先ず枕で抑え付ける。まだうるさく鳴っているが、いくらかはましだろう。枕の中に手を突っ込み、手探りでボタンを押したらようやく鳴り止んでくれた。今日はやけにしつこい。
「もーそんなに起きて欲しかったの? タイム」
名前を呼ぶや枕の隙間からタイムはするりと抜け出した。窓から差す朝の光にその体はまぶしく反射して少し目がくらむ。薄めにその動きはまるで蛇の様で、私の目の前で二枚貝を思わせるハンターケースを開いて時間を教えてくれた。7時30分25秒。今日も狂いなく私を起こしてくれたらしい。
「今日も起こしてくれてありがとね」
私がタイムの竜頭の辺りを撫でるとくすぐったそうに喜んでくれた。タイムは魔法で動く黄金の懐中時計だ。そして私のお母さんの形見でもある。
「それにしても、何で知らない女の人がタイムを持っていたんだろ」
夢といえばそれで終わりだけれど……意味深な内容に考え込む私にタイムはこつんと頭突きをした。
「え、何?」
タイムは私の手元を離れ、反対の壁をするすると登り日めくりカレンダーの日付をチェーンで何枚かめくる。そういえばここ数日変えるの忘れてたっけ。
「6月1日……あっそうか、今日って!」
「13歳の誕生日おめでとう! ミント」
窓を勢いよく開けて幼馴染のポップが部屋に入ってきた。恐らく屋根の上を飛んで来たのだろう。何せここは二階だ。
「ポップって相変わらず玄関から入って来ないよね」
「何もしなきゃ起こしても起こしても寝るくせによく言うわ。まぁ今日はタイムに村ごと起こされたってわけか」
ポップは何処か誇らしげにするタイムを見て愉快そうに笑った。ポップ自身もその一人なのだろう、服は木材の匂いがこびりついた作業着のままで髪の毛があっちこっちへ跳ねている。
「昨日も大工仕事を手伝ってたの?」
「あ、えっとそんな訳じゃ無いんだけどさ」
妙に歯切れが悪い。それとちょっと顔が赤い。察することが出来ない私にしびれを切らしたのかポップはぶかっとしたポケットから木箱を取り出した。
「プレゼントだよ。誕生日プレゼント!」
「わあ! ありがとうポップ!」
「あ、まだ開けんな! 開けるのは俺が帰ってからな!」
「えー開けさせてよー」
慌てるのが面白くて何度か開けるふりをしていたら、ついに取り上げられそうになったので素直に机の上に置くことにした。
「ところで朝ご飯食べて行く? せっかく来たんだし」
「おう、腹に入ればなんでも良いぞ」
「まーかせなさい。でも期待するほどの料理は出ないよ? タイムも一緒に来て」
木箱を興味深そうに小突いていたタイムは私の声に反応しするりと首に巻きついた。チェーンはみるみる伸びて丁度胸元の辺りで止まる。タイムの定位置だ。
1階に降りて食在庫を確認する。ウサギや鴨の肉。色とりどりの農野菜に余ったパン。さっきは期待するほどじゃないって言ったけど、村の人たちからおすそ分けが沢山あるんだよね。
一つ二つ三つとひょいひょい掴んでタイムの作ったチェーンの網かごに入れていく。
台所についたら寝巻きの上からエプロンを着て、火種石で火を付ける。この作業も慣れたものだ。こした水を鍋に注ぎ、ほどほどに切った材料を煮込みながら調味料を加えて行く。後は適度な時間をタイムに知らせてもらうようにお任せして、その間にお皿の準備を始める。お腹を空かせたポップが匂いに釣られて来る頃には立派なスープが完成していた。
クリームが無いからシチューとは行かなかったけれど、ポップはとても満足してくれたみたいで、私がパンでスープをすくってる間に3皿目も難なく平らげてしまった。それでも半分以上は残ってるし後でご近所さんに配ろう。
「ごちそうさま。美味かったぜ」
「そう言ってもらえると作ったかいがあるよ」
私が皿を片付けていると玄関の辺りか何やら騒がしい。一人や二人じゃない。多分もっと多い。ちょっと待っててねとポップに言い残し、私は玄関へと重い足を運んだ。朝のはうるさかったからなぁ……隣のポップだけって訳が無いよね。
少し大きめのため息で扉を開けるとそこには大勢の人ヒトひと。何人か険しい顔をしているが、概ね怒った様子の人はいない。なんだかにやけている人までいる。
「あのー」
あんまり大勢に見られていると居心地悪い。私が切り出そうとすると、せーのと小さく聞こえた。
「誕生日おめでとう!」
各々隠し持ってた野菜やら服やらを取り出し、それはもう部屋に収まり切るか怪しい程だ。今日は私の誕生日。そしてお母さんが死んでから丁度10年目の日でもある。なるほど、どうやら私以外の人はちゃんとこの日に備えて用意してたみたいだ。
視界が滲み、咄嗟に深々と頭を下げる。
「あ、ありがとうございます!」
声は震えてちゃんと言えたか怪しいし、面と向かわず話すのは失礼だったけどやっぱり人前ではその、恥ずかしい。
その後は軽いお祭り騒ぎだった。大人三人手を伸ばせるほどの空間に容量を超えた人数が集まりーー火に油もとい昔話にお酒で余計収集がつかない。おばさん達は自分の亭主の馬鹿騒ぎにため息をこぼし、廊下では腕相撲を始めるおじさん達もいる。古い家がみしみしと鳴けば何処かから壊れても俺達が直すから気にするなと冗談にならない言葉にビンタが飛んだ。
「そういやうちのポップはどこ行った? 仕事ほっぽってまで何か用意してたみてーだが」
メイソンさんは真っ赤になった顔で辺りをきょろきょろと探る。そういえば確かに姿が見えない。こうなることを予見して早々に逃げたのだろう。取り敢えずどこ行ったんでしょうねーと適当に相づちを打つことにした。
まだ沢山の声が耳にこびりついている。男衆は女房に尻を叩かれながら出て行き先程の騒がしさは嘘の様に消えた。
「凄かったねー」
タイムはこくんと頷いた。
「お母さんとお父さんがいたこの家はきっと狭かったんだろうなー」
タイムはふとリビングの方を見つめる。昔の光景をそこに見てるんだろうか。
「そろそろ私達も動こう。今朝だけで話すことが沢山出来たし!」
二階のクローゼットから外出用の服を取り出し、一階の洗面台に移動しながら着替え、鏡の前で気付いた。髪の毛はポップとお揃いの跳ねまくりでしかも寝巻きでずっと対応してたらしい。どうりで和む様な視線を向けられてた訳だ。
恥ずかしさを紛らわせる為に必死で髪をとくけど何本かのハネはしつこく残った。まぁいい、いつものことだし。
玄関でお気に入りのぼろ切れブーツを履いていざ出発。道行くがてら通り過ぎる人に軽く会釈しながら村の外れにある森を目指した。そこは木こりですらあまり立ち寄らない黒い森だ。2人の墓はその森のたもとにあり、ちょうど丘から村を見下ろす形になっている。
何故この森に人が寄り付かないのかは私の村に伝わる噂にある。黒い森には恐ろしい魔女が住んでいるという噂だ。でもそれはあくまで何百年も前のおとぎ話の様なもので、本当は単に深い霧と昼でも暗い森は迷いやすいという理由からな気がする。気がしていたのに、今朝の夢が頭をかすめる。
「まさかね」
指先で遊んでいたタイムは私を見てくいっと首をかしげた。
丘を登り切った頃ようやく目的地にたどり着いた。二つ並んだ灰色石にはそれぞれ名前と日付だけの簡単なお墓だ。メイセン・フランシア。ディル・フランシア。お父さんは私が生まれる前に、お母さんは最後までお母さんだったから全く名前がピンと来ない。それにここに2人は眠ってるわけでもない。野犬に掘り起こされるよりはと灰にして撒くのがこの村の習慣だから。それでも2人はここにいる気がするから別に良いのだ。私は今朝のことやちゃんと起きれてることを報告した。ちょっとだけ見栄をはってるけど。
「よし、そろそろ帰ろうタイム」
タイムに反応は無い。まるで普通の時計の様に。
「タイム?」
次の呼びかけにタイムは蓋を開き宙へふわりと舞った。タイムでも私でも無い。何かの力がタイムを動かしている。決して狂う事の無い3つの針は動くのをやめ、一斉に一つの方向を指し示した。まるでこちらへおいでと言う様に。