願い
「で、とりあえず、説明再開してもいい?……レイン伸びてるけど」
「……そのうち起きるだろうから、続けて頂戴。……さすがにちょっとやりすぎたかしら?まあ後で介抱してあげるからたぶん大丈夫でしょ」
あまりにもあっけらかんとしたふうに言う瑠璃。
さすがにシュラストも失笑を禁じ得ないほどの気絶っぷりなので、出来ればずっと眺めていたいのだが、そうもいかない。
「じゃ、続けるよ。えっとね、結局君が花嫁に選ばれたのは、この歴史書が選んだからなんだけど、意味は分かる?」
「分からないわけではないけど……そこなのよね。どうして私を選んだわけ?世界には私以外にも同じような女の人なんて、腐るほどいるでしょうに」
訝しげに眉をひそめると、歴史書が突然震え始め、バラバラっ!とページが開いた。
……随分と乱雑な開き方だった。
本、傷まなきゃいいけど。
その本が、叫ぶ。
『私があなたを選んだ理由は一つだけよ!』
ページが光った。
『勘!』
光が収まった。
「……」
「……」
言葉が出ない二人。
『あら、どうしたの?二人とも押し黙っちゃって』
「……歴代の花嫁たちに同情するわ」
『え、ちょっと!私の勘はよく働くんだからね!昔の歴史書たちと一緒にしないで!』
憤慨したように叫ぶ歴史書。
そうなの?と言い返そうとして、はたと気づいた。
「ねえ、『昔の』歴史書たちっていうのは、何?……え、嘘、歴史書って死ぬの?」
『何よ、不吉なこと言わないでよね。ちょっとばかし永遠の眠りにつくだけよ』
それを世間一般には死ぬっていうのだけれど。
呆れたように首を傾げると、シュラストが苦笑しながら補足説明をしてくれた。
「この国の歴史書は『生きている』からね。次の花嫁が生まれたときに同時に生まれて、花嫁が死ぬと同時に死ぬんだ」
「へえ、そうなの……って、じゃ、適当に私を選んだっていうの、嘘なんじゃない」
ますます呆れた。
胡乱。
『ち、ちち違うわよ。えーと、えーと……あ、そうそう思い出した!あんたが住んでた世界には、何十億人もの人が住んでるじゃない!』
「?……それが?」
『だから、私とあなたが同時に生まれたとはいっても、それと時を同じくして生まれた人だってほかに何人もいたのよ!その中から選んだわけ!』
心なしかエクスクラメーションマークが多い気がするのはきっと気のせいではあるまい。
『その中』って、結局は多くて二、三人と言ったところでしょうに。
随分と無理矢理な理由だ。
「て、ことは、私は私の世界に生まれたときからレインの妻になる候補の一人だったの?」
「うん、そういうことになるね」
にっこりされた。
こっちはとても笑えた状況じゃないけど。
生まれたときからヴァンパイアの花嫁だったなんて、最悪じゃない。
「将来の夢に『お嫁さん』になるって書いてた頃の純粋な思い出を返して……」
『ごめん、それは無理だわ』
「……分かってるわ」
妙に真剣な声で言うのはやめてほしかった。
ため息をついて、テーブルに突っ伏する。
「ま、いまさら何を言っても仕方ないから諦めるけど」
「へえ、諦め早いね。普通はもっと泣き叫んだりしちゃうものなのに。君、もう元の世界には帰れなんだし」
「え?」
それは初耳に寝水だ。
……混ざった。
心の中の失態を心の中の咳払いでごまかして、瑠璃は訊く。
「それ、初めて聞いたけど」
「うん、初めて言ったからね。まあ、特にすることはないよ。レインの妻として、これから血を与え続けてくれればいいんだ」
「……」
「あー、あと子孫を作るとか」
あっけらかんとつづけられたその言葉に、瑠璃の顔は思いっきりしかめられた。
「それは……嫌だわね。肩掴まれた時点で殴り飛ばしてしまう自信があるわ」
「はは、それは困るね。ヴァンパイアは原則として結婚相手が見つかったら、その相手の血しか飲めないから、飲まないと……」
「死ぬ?」
「うん」
……そんなにあっさり死ぬのね。
ヴァンパイアって結構弱いのだろうか?
「まあ、レインはこれでも一国の王なんだし、死んだら民たちがどういう行動に出るかはわからないよ」
笑顔で脅迫まがいのことをしてくるシュラストに、瑠璃は肩をすくめた。
「脅しなんてしなくても、私は元の世界に帰る気はないわ。心配しなくても大丈夫よ。戻り方だって知らないんだし」
「……本当に珍しい花嫁だね。実は人間じゃないです、とか言わないでよ?」
「言わないわよ」
何を危惧しているの。
胡乱げな視線をさらりとかわして、シュラストは「まあそれは置いといて」と続けた。
「とりあえず一週間後くらいに結婚式しようかと思っているんだけど、いいかな。あ、ちなみに今日は君がこの国に来たことを祝うパーティーの予定なんだけど」
はいちょっとストップ。
「何をさくっと決められているのか分からないわ。……今日ってどういうことよ?」
ちょっと怒ったように睨むが、相手は今まで通りの笑顔だ。表情が読めないのがつらい。
「花嫁のパーティーはハロウィンの日と決まっているんだよ。だから君にはぜひとも今日参加してもらいたいんだ」
『参加してもらいたい』はオブラートに包みすぎだわ。
『参加してね』だと思う。
きっと、というか絶対的に、それは決定事項なのだから。
「そのあとは、自由に過ごしていいの?」
「うん、構わないよ。君の地位はこの国で二番目に高くなったんだからね」
「……ずいぶんな出世ね」
いきなり、何の労働もしたことのない小娘がそんな位置にいていいのかしらね。
そんな瑠璃の心の葛藤にはシュラストは気づかない。
「あ、そうだ、何かほしい物とか、揃えてほしい物とかってある?大抵の物はここで揃えられるけど」
その質問に、瑠璃の態度は一変した。
目が輝く。
「何でもいいの?」
「うん。元の世界に帰りたいって願い以外ならなんでも」
「そんな面倒なこと願わないわ。いい加減信じてよ。……この国にまつわる本を、すべて揃えてほしいのよ」
「……本?」
まさかそんなことを頼まれるとは思っていなかったのか、シュラストの目が点になる。
興奮した目で、瑠璃は続ける。
「ええそうよ。私が住んでいた国とは異なるこの国のことを知りたいの。平たく言えば、この国の常識を知りたいのよ」
「へえ、常識、ね。うん、分かった。君の部屋に、そういう本を揃えておくよ」
その答えに、瑠璃は満足そうに頷く。
「それでいいわ、ありがと」
「いや、別にこれくらいは構わないよ。他には?」
「そうね、特には、ないわね」
ていうかこれからパーティーなら、レイン起こした方がいいわよね?
そう問いかけて、シュラストの返事を待たずにレインの肩を揺さぶる。
う~ん、と呟いて何やら苦悶の表情を浮かべるレインの頬をぺちぺちと叩いていると、瑠璃の頭の中に唐突に重要なことが思い浮かんだ。
「あ、一つ忘れてたわ」
「うん?なんだい?」
「私の持ってきたバッグに勉強道具が入っているの。……絶対誰にも触らせないでね」
急にそこで声が低くなり、瑠璃の顔に凶悪な笑みが一瞬だけ閃いた。
怪訝そうにシュラストは眉をひそめる。
「そんなに大事なものなのかい?」
「ええ」
愚問だと言わんばかりに即答した後、瑠璃はシュラストに微笑んで続けた。
「私の、存在理由なのよ」