異世界
瑠璃は尋常じゃなく気分が悪かった。
隣に座っている男を強く強く睨み付ける。
「……あんた最低」
結局恨み言しか出てこなかった。
「レインでも形無しの女性ってのがいるとは寡聞にして知らなかったよ」
そう言ってけらけら笑っているのは、目の前に座っている男性だった。
あのバカでかい城の前での騒動からきっかり一時間後、瑠璃はレインとともに城の中の最高級の応接室に通されていた。
「仕方がないだろう。なんだかよく分からないが、俺のことを心底嫌っているようなのだから」
「嫌っているわけじゃないわ。でも、対人能力が欠落しているな気がするわね」
「どういう意味だい?」
「説明が足りなさすぎって意味よ」
答えを聞いて、男性はけらけらと笑う。
「僕はレインの親友をやって少なくとも百年は立つけど、君、一番そいつのことよく分かっていると思うよ」
「私を侮辱するのもほどほどにしてほしいわ」
「俺が何をしたっていうんだ……」
頭を抱えるレインを横目で見ながら、瑠璃は手に取った紅茶を優雅に飲む。
「まあとりあえず、私と結婚したい理由を教えてもらえるなら、私も教えてあげてもいいけど」
高飛車に言い放つと、レインが疑わしそうな目を向けた。
「それ、最終的に君の判断でどうにでもなるだろ」
「あら、分かってきたじゃない、私のこと」
で、教えてくれるの?と聞くと、レインは苦そうな顔をした。
「シュラスト、説明してくれ」
「あれ、投げ出すの?君ってそんなに薄情な奴だったっけ?まあいいけど」
「……」
「そんな死んだような目で見ないでよ。冗談だって。説明はするよ。あ、でも、交換条件として、あんまり口出ししないでね」
「……分かってる」
レインはむっつりと黙り込んだ。
それを見て、彼はさらにけらけらと笑う。
まっすぐ肩まで伸びている金髪が、さらりと揺れた。
シュラスト・ラングドール。
レインと同年齢、親友にして、宰相の一人息子。
この城の中で飛びぬけて優れているらしく、二十歳の時にすでに宰相の座についている。
ちなみに、現在は軽く二百を超えたお年だとか。
と、いうことは、レインも同じくらいの年ということか。
……わーお。
なまじ二十代前半くらいにしか見えないので複雑な心境ではあるが、その飄々とした性格のせいか、堅苦しさは特に感じられず、こちらも楽だ。
「私、あなたとは友達になれそうな気がするわ」
興味深げに瞳を覗き込むと、何を考えているのかよく分からない瞳で見つめ返された。
「お褒めに預かり光栄の至り、ということでまず、これを見てもらえるかな」
シュラストが差し出したのは、一冊の本だった。
「これは?」
紫の、分厚い本だった。百科事典くらいはありそうな。
ふちを囲むように、枠のように金糸で蔓草模様が描かれていて、真ん中の部分の下半分にはこの城が描かれていた。そして、上半分にはタイトル。
「『ハロウィン・レルムの歴史』?」
英語で書かれていることが、すごく不思議だった。
異世界にも日本語とか英語とかの区別はあるんだ……。
素直に感心してしまった。
「ここに記されているのは、『十月三十一日の国』の始まりから終わりまでのすべての歴史なんだ。過去はもちろん、現在、未来に至るまでね。ここまでいい?」
彼は笑顔で言う。
いいわけなかった。
「えっと、色々とつっこみどころは満載だけど、とりあえず、『十月三十一日の国』って、何処?」
「え?」
「え?」
「……あ、そうなんだ、知らなかったんだ、うんうん、まあいいよ、レインを怒らないであげて」
「あ、そう……」
何も説明していなかった役立たずは後で粉砕しておくことにした。
だから今はシュラストの説明を聞く。
「えっとね、とりあえず、『十月三十一日の国』っていうのは、ここの国のこと。この、今レインが統治している国のこと。で、これはこの国の歴史書ってわけ。君がいた世界とは違って、この国はいろいろとおかしいことが多々あるとは思うけれど、たぶんこれが最初の『おかしいこと』になると思う。何しろこれ、予言書みたいなものだから」
「過去、現在、未来が見える、とか、言ってたわね」
「うん。それは誇張なんて全くしてない純度百パーセントの真実で、この本、予知ができちゃうんだよ。で、ここで問題」
シュラストは唐突に、指を一本ピン、と立てた。
「この本、悪用されたことないんだ。今まで一度も。本当に未来も過去もすべて見えちゃうのに。この国のことならなんでも見えちゃうのに。さあ、なんでだと思う?」
両腕を広げて、嘘っぽく笑う。
道化の、ようだった。
瑠璃は、一瞬だけ逡巡し、こともなげに答えた。
「本が、答えてくれないんでしょう?」
にやり、とシュラストが笑った、次の瞬間。
『あら、看破されたのは初めてよ、子猫ちゃん。意外と切れるのね』
どこからともなく、声が聞こえた。いや、どこからともなく、ではない。
本の中から、聞こえた。
まあそれはある程度予想の範囲内だったので、あまり驚きもしなかったが。
むしろ、今まで黙っていたレインのほうが驚いたほどだった。シュラストとの約束も忘れたように、身を乗り出す。
「お前、瑠璃と会話するの早すぎだろ。俺は五十年かかったというのに」
「……それはただ単に面白がられていただけだったのだと思うけど」
ぐ、と押し黙るレイン。予想以上にいじられやすい性格のようだ。
『ふふ。私のことを見破れたのは歴代の花嫁たちの中ではあなたが一番最初よ。ま、九割は怯えて何も言えなかっただけなのだけれど』
「残りの一割は?」
『半狂乱でコミュニケーションすら取れなかった』
「……」
それはそれは。
お気の毒様だとしか言いようがない。
急にわけの分からない場所に連れてこられた人間の末路なんて、大体そんなものなのだろうか。
というか、そこまで来ると私が異端みたいになるような……
『あら、そんな心配そうな顔しなくても大丈夫よ。私もつまらなかったの。歴代の花嫁たちはみんな、私が喋ると悲鳴を上げて、まともに話してやくれないんだから。ああ、今でも目に浮かぶわよ』
「……その姿のどこに目が?」
『ああ、大丈夫。目なんてなくても。ちゃんと見えてるから。現在の情報として、今、この本のページに映し出しているところなのよ。さしずめテレビの生放送って感じ』
「テレビあるの!?この世界に!?」
『あら、反応いいわね~。やっと本性現したって感じ?』
「……騙したのね」
『あら怒るの?怒るの?』
馬鹿らしくなってきた。
はあ、とため息をつくと、隣でくつくつと楽しそうに笑っている男がいた。
「……何」
「いや、お前でも、そんな顔するんだな、と思って」
「そんな顔?」
「年相応の顔」
しばし、沈黙した。
「子供らしく、なかった、かしら」
「まあ、子供では、なかったな。俺はそっちのほうが好きだが」
「え?」
何を言っているのか分からないというように首を傾げると、レインはふっと笑った。
「俺は、か弱いふりしてずっしりとぶら下がっていられるよりも、傷を負いながら凛と立っている女のほうが好きだからな」
守りたくなってくる。
そう、レインは言った。
不覚にも、綺麗だと思った。
顔が赤くなった。
「ん?……お前、照れるんだな。新発見。ツンデレか?」
あけすけにものを言われて、より一層、赤面する。
しかし、反論しようとした瞬間、それが隙になった。
抱きすくめられた。
「な……」
小さな体躯が、彼の体の中に埋もれる。
暖かい。
って何を思っているんだ私は。
「っ……!」
びくともしない体は、さすが男性の筋力と言ったところか。
とか冷静に分析している自分が恨めしくなった。
いや、でもこの場合は冷静になっていたほうがいいのか……?
ん?結局私はどうすればいいの?
冷静じゃなかった。結構な狼狽ぶりだった。
目を見開いて硬直している瑠璃を見て、再び面白そうにくつくつと笑うレイン。
「お前の弱点がほかにもあったとはな」
「脅したりしたらぶっ殺すわよ」
「それは御免こうむりたいが、高所恐怖症とは違って、これ、見るの面白いからな、率直に」
「殴るわよ」
「ははは、そんな攻撃、俺は最初の時点で見切って」
バキッ!!
綺麗に決まった。
我ながら自分を褒め称えたい気分だった。
『なかなかおもしろいわねえ。久しぶりに退屈しなさそうだわ』
「それは僕も同じ意見だよ。こんな人間、初めてじゃないかな」
ソファの上に伸びたレインを見て、シュラストはそんなふうに笑う。
瑠璃も同じように彼を見ながら、ちょっとだけ見直してもいいかな、と思うようになっていた。