事実は小説よりも奇なり
目覚めたとき、瑠璃は夜道を歩んでいた。
というのはちょっとした冗談でも誇張表現でもなんでもなく、齢十五歳の高校生である桜峰瑠璃は、まさしく夜道を歩いていた。
背の中ほどまである黒髪を優雅に闇に溶け込ませて、その碧い瞳を徐々に覚醒させながら、少女はだんだんと歩みを遅くする。
夜。夜中だった。
公立高校最難関の高校の制服に、丁寧に梳かれた髪の毛。足には高校指定のローファー。肩に下げているのは、これも高校指定のバッグだ。ずっしりと重いのは、結構な量の勉強道具が入っているからに違いない。
「ああ……」
少女はいつものように頭を抱えた。
「またやったのね、私」
そしていつものセリフを呟く。
夢遊病者。
彼女は俗にいう、それだった。
いつものようにご丁寧に制服を着て、どこかの道を歩いている。そんなような感じだった。
「反省、終わり」
呪文の様に呟いて、瑠璃は左腕につけられた時計を見た。
自分が夢遊病者になってからつけている時計だ。こういう時に目覚めてしまった場合、せめて時間だけでも分かるとありがたいので、かれこれ七年ほど前からつけている。
……丑三つ時だった。
「……」
何もこんな時間に目覚めなくてもいいだろうに。
「はあ……」
怖いわけではない。夜の中でも一等暗くなるこの時間は、前方が見えないので家に戻りにくいのだ。
どうせいつものように、親に見つからないように窓から出てきたのだろうし、できればこっそり戻りたいのだが。
自分のことながら、呆れ果てるしかない。
というかそのまま果てたい。
どうして寝たまま窓から外へ出るなんて芸当ができるのだろうか。
……しかもあそこは二階なのに。
「まあ、まあまあまあ、いいわ」
少々現実逃避気味に呟きながら、ついでに頬をはたいて眠気を吹き飛ばしながら、瑠璃はぐるりと辺りを見渡す。
うん、予想通り。
何も見えない。
「はあ……」
この溜息何度目だろう。
そろそろただハアハア言っている変な人みたいになっている。
しかし丑三つ時に目覚めるなんて初めてだし、眠っていたほうがまだましだったか。
「……そうすれば勝手に家に戻ってくれるんだけど」
しかし今回ばかりはそれも無理だ。まさか朝まで待つわけにもいかないし。いや、そういう手もあるにはあるが、今の季節を考えると、それは無理ってものだろう。
十月三十一日。ハロウィン。
昨日寝たときは確かに十月三十日だったから、今は三十一日のはずだ。
と、いうことは。
「秋、というかもう冬に近いけど」
どちらかというと日本海側に住んでいるので、寒さは半端じゃない。
高校の制服で乗り切れるとは到底思えない。
「はあ……」
再び溜息をついて、とりあえず歩いてきていたらしい道を逆に歩く。
そして、角を曲がった。何の気なしに、角を曲がった。
巨大な鷲がいた。
「……」
何これ。
見上げるほどに巨大な体。上半身は鷲。下半身はライオン。
形容すべきはそれくらいだ。それでは皆さんさようなら。
わけのわからないことを心中で呟きながら、瑠璃はくるりと踵を返した。
逃げるが勝ち。
先人たちはよい言葉を残してくれた。
全速力で走る。走る。
恐怖していたというより、幻覚を見てしまったが故の自分を正気に戻すための作業だった。しかし、そのまま走り続けて十歩もいかないうちに、なんだか上から不吉な音がした。
『バサリ』、と。
勘弁してください。幻覚だけじゃなくて幻聴まで聞こえてくるなんて冗談じゃない。
と、それは唐突に、目の前に降り立った。
さっきと同じ、半鳥半獣。
「……」
ああ、そう。
「幻覚じゃないのね」
安心した。万人が安心できないと答えるであろうその状況で、少女は安心した。
そのままスタスタとためらいもなくその生物に歩み寄る。
「しかしこれ、何だったかしら。……えーっと、ヒッポグリフ?」
「グリフィンだ。何でマイナーな方を先に思い付くんだ」
突然に聞こえてきた声の持ち主は、優雅にその生物から降りて呟いた。
銀髪だった。そして、瞳は碧かった。背は瑠璃よりも頭一つ分くらい大きい。眼光は鋭く、こちらを睨みつけるようだった。
「貴方、何?」
「レイン・サラマンダ。ヴァンパイアだ」
「……そう」
その反応に、相手のほうが困惑した。
「……驚かないんだな?」
「え?ええ、まあ……。さっきからちらちら見えてるその牙で、ある程度の予想はついてたし」
「なるほど。それは俺も迂闊だった。認めよう」
認めてくれるらしい。
「で。私に何か用?」
「いや、用ということのほどではない。ちょっと私の花嫁になってもらいたいというだけだ」
「そう」
「……」
「……」
「……」
「何無言になっているのよ」
「いやだってお前驚かないし」
「理由になっていないわよ。というか十分驚いてるわよ。私ヴァンパイアの花嫁になったつもり、さらさらないんだけど」
怒ったようにそういうと、彼はにやりと笑った。
「そうだろうな桜峰瑠璃。しかしこれは決まったことなのだ。諦めろ。絶望でも何でもするがいい。結局はお前を俺の国に連れていくとことになるのだからな!」
「そう。連れて行ってくれるんならお願いするわ。この子に乗ればいいの?」
「君といると調子が狂う!」
「何よ。喜怒哀楽の激しい人ね」
瑠璃は眉をひそめた。この人は一体何がしたいのだ。
「お前、図太いというより不気味だぞ。俺がなんでお前の名前を知っているのかとか、いろいろ聞きたいことはあるだろうに」
「別に聞かなくたって大体の予想はつくわ。わたしがあなたの花嫁になることは決定事項だったようだし、そのためにストーカーよろしく私のことを調べつくしたんじゃないかなって思っただけよ」
「俺は名前しか調べていない」
「あら、本当だったの。カマかけるのって案外簡単ね」
「……お前最低だな」
完全に立場が逆転していた。
そんなふうに言われるのも悪くないわね、と思いながらルミナスはグリフィンの背に乗る。
「私を連れて行ってくれるんでしょう?」
「はあ、お前のような花嫁はいろいろな意味で歴史に名を残すことになると思うぞ」
「それ、いいわね。私歴史書に名を残すことが心からの夢なの」
「嘘つけ」
嘘だ。
しぶしぶといったように彼も背に乗る。
瑠璃はその背にしがみついた。
「おいお前、何やってるんだ」
「だってこうしないと落ちちゃうじゃない。花嫁落としたら大変でしょ?というか私高いところ苦手なのよ」
「そんなふうには見えなーーーーーーーー」
言って、彼は気づいたようだった。
腹に回された手が、震えている。
寒さのせいとは言えないほどガタガタと、震えている。
そして、心なしか、彼女の顔が青い。
「分かった?」
微笑み。泣いているような。
「私の弱みをゲットできたんだし、さっきのはチャラでいいでしょ?」
「……君の弱みに付け込もうとかは思っていない」
「そう……ありがと」
意外といい人ね、と呟くと、意外と弱いんだな、という答えが返ってきた。
少し苦笑した。
「少し、眠るわ」
「……ああ」
そういえば、今日は満月だったか。
まどろむ意識の中で、少女はそんなことを思った。